第16話

 武命は驚いて息を詰まらせた。男は、平然としている。何も言わない武命に呆れたのか、彼は小さくため息をつくと、まずは名乗った。


「俺はサトル。副隊長だ。二十五歳。タケルと付き合いは長い。ある程度はわかるぞ」


本当のことを話して良いものか。武命は困惑の表情を見せる。タケルは未だ放心状態である。


「……信じてもらえないだろう。俺はそれでも構わない。嘘だと思うのなら聞き流してくれ」


武命は「冷やかしではない」という証明のためだけに、勇気を振り絞った。そして、


「俺の名は武命。十七歳、高校生だ。ここではない、別の世界から来た」


本当のことを彼に話した。


「ほう、ドッペルゲンガーみたいなものかね。別の世界とは、どんな?」

「争いのない世界だ。平均寿命は八十を超えるほど、死とは遠い世界。銃も刀もない世界」

「まさか! そんな世界があるものか」

「ある。だから俺はこんなにも弱い。現にあの惨状を見て飯が食えなくなった」


サトルはじっと武命を見つめると、ふと表情を和らげて


「とりあえず、信じよう」


意外にも、すんなりと聞き入れてくれた。彼は「それで、用件は?」と続ける。あまり細かいところは気にしない人なのだろうか。武命は、ミコトの考察を一通り話した。サトルは、時折頷きながら聞いている。全て話し終えた時点で


「それは、タケルが正常でないと難しいな」


サトルは顔をしかめて言った。


「話を聞く限り、可能性は極めて低いが希望はある。ミコトちゃんの見立てなら尚更。だが、今のタケルがこんな状態である以上、武命が『生きたい』と願い、帰れたとして。タケルが『死にたい』と願い、すぐに死んでしまうかもしれない。お前たちがリンクしている、という仮説を有効にするのなら」


チラリとタケルを見れば、抜け殻のように放心した彼がそこにいる。


「何があったんだ?」

「話すと長くなるぞ」

「構わない。話してくれ」

「……例えばの話だ。医者や患者の家族の立場になって考えてくれ。目の前に万能薬がある。どんな傷も病も治す薬だ。しかし、一瞬だけ、死ぬ方がマシな痛みに襲われる。使うかい?」

「そりゃあ、使うだろう。それで命が救えるのなら」

「では、次。患者の立場になって考えてくれ。万能薬は体にしか作用しない。つまり心は治すことができないんだ。長い闘病生活で疲弊している。もうすぐ、そこに死が訪れる。苦痛とはおさらばだ。薬を使うか?」

「使う、だろう。たぶん。一度の、たった一瞬だけの苦しみで……全てが終わるのなら……」

「再発する可能性があったとしても?」


武命は口を閉ざした。想像してしまえば、断言できなかった。自分がその患者だったのなら、「もう死んで良いだろう」と思ってしまいそうだった。


「そう。その考え方の違いがタケルを苦しめているんだ。タケルにとって新作の回復薬は画期的な代物だった。いや、生きたいと願う者なら誰でも欲しがる、事実画期的な代物だ。だが、本人の意思確認を飛ばして、殺したくない一心で仲間にそれを使ってしまった」

「しかし、それを使われた仲間は死にたかったと。全回復されて、また傷ついて、また全回復されてを繰り返すくらいなら、いっそ」

「察しが良くて助かる。そういうことだ」


軍服が風に揺れている。風に拐われてしまうのではないか。儚ささえ感じるその姿に、戦士も死の前ではただのか弱い人間なのだと、武命は空を仰いだ。


「生きたいと思う気持ちは変わらない。だが、同時に、諦めていた生を取り戻すのは違うとも思う。難儀な生き物だよ、人間っていうのは」


武命は心が締め付けられるようだった。ギュッと目を閉じ、再度、ゆっくりと目を開け、


「タケルの心を取り戻す方法はあるのか」


希望を求めて言葉を放った。


「一度壊れた心を治せるのなら、誰一人としてこの世に悲しみの海に沈む者はいない」


サトルは目を伏せて首を横に振る。武命は落胆しながらも、苦々しい笑みを浮かべていた。


「俺たちは一度、家に帰った方が良いかもしれないな。足手まといになったら元も子もない」

「あぁ、と言いたいところだが無理だ。タケルがいなければ、死者数は何倍にも膨れ上がる。苦しいことだが、彼には戦ってもらわなければ困る」

「心を失っているのにか?」

「何も罪のない、多くの命が失われるよりマシだろう」


武命は静かに腹を立てた。サトルの本心なのか否かはわからなかったが、それでも、その言葉を聞いて冷静でいることはできなかった。


「勝手だな。自分はダメだが、この中で恐らく最年少であるタケルなら良いと?」


嘲笑を交えて言えば、サトルは反論をする。


「体の作りが違う。人間と兵器では話が……」

「あいつだって人間だ!」


武命は自分のことのように声を荒げる。言葉を遮られたサトルは、それ以上を繋ぐことはできなかった。自分よりも遥かに大きな体に恐れることなく、武命は彼の胸ぐらを掴む。そして、罵詈雑言を長いこと浴びせた。サトルは微動だにしない。僅か数十秒に渡る凝縮された暴言に耐えた後、ようやく一言


「あいつも、お前のように助けを求められたら良かったのにな」


とても軍人とは思えない、か細い声で呟いた。


「それはお前らが……ッ!!」


言いかけたところで、遠くから爆発音が鳴る。音の方を見れば、黒煙が高く上がっていた。


「緊急事態だ、総員、出撃!」


サトルの指示で、全員が一斉に支度を始める。言いたいことは言えていないが、武命はやむを得ないと彼の指示に従った。

 まだ虚ろな目をしているタケルの手を引き、武命は走る。

 サトルの背中がやけに大きく見えたのが癪に触った。

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