第9話

 ミコトの話を聞いて、武命は口をあんぐりと開けた。


「嘘だろう? アイツは男だぞ」

「男も女も関係ありませんよ。ただ、欲を発散するための道具が欲しいだけです。彼らは正直、なんでも良いんですよ。抱え込んだストレスを吐き出せるのなら」

「どうにもならないのか」

「なりませんね。どうせ戦って死ぬのに、対策など必要ですか? ……というのが、国の主張です。無駄を減らしたいんですよ。世の中、全て時と金ですから」

「そのせいで傷つくやつがいるのにか?」

「一部の人の心が犠牲になるのと、時間も金も無駄に費やして戦いに支障をきたすこと。一体どちらがかは、一目瞭然でしょう」


それを言われては返す言葉がない。体を交えたところで肉体的に死ぬことはほぼない。悔しいが、主張は理解できる。


「……だから『その顔なら慣れているだろう』だったのか」


あの男の言葉を思い返し、身を震わせる。自分がそういう目に遭わなくてよかったという安堵と、そう思ってしまったことへの罪悪感で感情がぐちゃぐちゃになる。


「最近はミヤビさんが兄の代わりを引き受けていたのですが、やはり、多少の暴力くらいでは壊れない玩具の方が人気なのでしょうね」

「さらっと凄いことを言うな。自分の兄を玩具呼ばわりか」

「事実ですもの。それを扱う者が子どもみたいだということを含めて」

「上手くねぇよ」

「あら、ジョークは苦手な口ですか」


揶揄からかうな」と言えば、笑いながら、「ごめんなさい」と言う。こういうところは美琴とよく似ている。


「……喧嘩の理由も見えてきたな」


切り替えて武命が呟くと、ミコトは静かに虚空を見つめて兄を擁護した。


「無駄な犠牲を出したくなかったのでしょう。不器用な人です。『貴女が大切なのです』とだけ言えば収まるのに」


辺りはすっかり暗くなり、鉛色の雲が月を覆い隠している。更には風も出てきた。冬の訪れを告げるような、肌を刺す風である。窓は無理に通り抜けようとする風にたまらなくなって、ガタガタと悲鳴を上げている。


「死んだ方が幸せか、生きる方が幸せか」


ふと、武命は小さく呟いた。その呟きにミコトは目を伏せながら


「どうでしょう。少なくとも、私は生きていて幸せですが……兄は……」


と言葉を濁した。

 武命の心に、再び「死んでしまおうかな」という気持ちが芽生え始める。その方がタケルのためになるのなら、気兼ねなく武命は死ぬことができる。しかし、その想いが実になることはなかった。戦乱の世の中を見て、体が生きたいと願っていることを知ってしまった。心ばかりが死にたがり、体は死から逃げている。武命はどうすることもできず、ただ、拳を握った。


 村が眠りについた頃、ガラッと玄関扉が音を立てた。その音で目を覚ました武命は、眠い目をこすりながら、玄関に向かう。帰ってきたのは頬を怪我したタケルだった。が、どうやら様子がおかしい。いつもは模範的なたたずまいでいる彼が、今は背を丸くしてバランスも崩している。酔っ払っているのか、という足取りに、流石の武命も違和感を覚えた。彼が酒を飲むとは思えない。可能性があるのは、薬か、或いは……。どのみち深くは聞くことができない。


「大丈夫か?」


武命の捻り出した言葉はそれだった。なんとも不器用な男である。案の定、タケルは歪な顔で笑い「大丈夫ですよ」と溢すように答えた。


「俺にできることは?」


タケルは首を振る。


「はぁ。ミコトを呼んでくるか」


武命が言うと、途端、タケルは彼の袖口を強く引いた。突然の引力に蹌踉よろめく。目を丸くする武命だったが、それ以上にタケルの手が震えているのが伝わり、なんとなく状況を察した。


「……わかった」


武命は彼の手を取ると、そっと彼を両腕で包み込んだ。


「吐き出したくなったら、吐き出せよ。俺は、お前なんだろう? きっと理解してやれる」


武命はそう言うと、台所に足を向けた。「好きに使って良い」と、ミコトから許可はもらっている。冷蔵庫の中をあさり、適当に食材をピックアップすると、慣れた手つきで料理を始めた。


「あの、貴方の体は大丈夫なのですか?」


こんな時でも人の心配をするタケルに、武命は軽くため息をついた。お人好しすぎる。


「少なくとも、お前の数十倍は正常に近い状態だろう。思っている以上に症状は軽かったよ」


その言葉に、タケルは安心した。多少の責任は感じていたのだ。安心したせいか、一気に疲れが体にまとわりつく。タケルはそのまま体を横に倒すと、静かに目をつぶった。

 部屋には、暖かな空気と美味しそうな匂いが充満していた。

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