第7話

 動かなくなった武命に、タケルは珍しく動揺した。しかし、虫の息ではあるが、呼吸はしている。タケルは、顔を武命と同じくらい青白くさせて彼の手を握った。温もりがある。死んでいない。日の光に照らされた武命は聖人の像のように見え、タケルは武命が生きていることを確認するとすぐに手を離した。触れ続ければ、武命が穢れてしまうような、自分が自分でなくなるような、そんな恐ろしさが胸にあった。

 とにかく、今、動けない武命を放置するのは危ない。タケルは武命が起きた時のために何か食事を作ろうと立ち上がる。

 が、世間はそれを許してくれなかった。立ち上がった瞬間、許可なく、家の扉が開かれた。その音を聞くと、瞬時にメモを残して玄関へと走る。


「タケル。だ」


案の定、白衣を着た男三人が家の中にズカズカ入り込んできた。彼らの行手を阻むようにしてタケルは身構える。


「十五時からと聞いていましたが」

「今の戦況を見てわかるだろう。のんびりしている暇はない」

「準備の時間をいただけませんか?」

「必要ない。そのまま来い」


淡い期待を抱いていたが、こちらの要望は受け付けないつもりらしい。タケルは奥歯を噛み、心の中で舌打ちをすると、そのまま研究員たちについて行った。武命のことを心配し、時々、後ろを振り返りながら。


 タケルが去った後、武命が静かに眠る家に、一人の少女がやってきた。ミコトである。彼女は布団で眠る兄によく似た誰かを見ると、何かを探し始めた。すると、机の下の陰から一枚のメモが捨てられるようにして置いてある。


『彼を守れ。説明は後』


殴り書きだったため解読に苦労したが、確かに兄の字である。ミコトは何となく事情を察すると、兄によく似た男の分を含めて、昼食を作り始めた。

 ご飯の良い匂いがしても、武命は起きない。ミコトは一人で昼食にする。時々、武命の方を見ながら食べていたが、死んだように眠る彼は目を覚ますことも音を立てることもない。ついには一人ぼっちで食事を終えてしまった。冷め始めたもう一人分の昼食を眺め、ミコトは少し目を伏せた。

 ちょうど、ミコトが本を一冊読み終えた頃。武命はやっと目を覚ました。どこからか飛んできた紅葉が、一枚、布団を撫でる。武命は紅葉を手に取ると、外の景色に目を向けた。


「気がつきましたか」


今となっては懐かしいとも思える声に振り返ると、そこには


「美琴……」


妹の姿があった。が、一目見て、武命の知る『美琴』ではないことはわかった。


「えぇ、ミコトです。兄から貴方のことを頼まれました。お腹空いたでしょう。作り置きですが良ければこちらを」


見れば、綺麗なオムライスが机にある。


「……とても戦時中とは思えないな」


そんな武命の呟きに、ミコトは


「この辺は戦場から少し離れていますから」


言葉とは裏腹に不安そうな顔をして答えた。

 自分の妹であればもっといびつになるはずのオムライスに、武命は「全く同じ、というわけではないんだな」と呑気なことを考えながら、机に向かう。が、上手く足が動かない。何度も転倒を繰り返す武命に、ミコトは


筋弛緩剤きんしかんざい……」


小さく、そう呟いた。


「すみません、食べやすいものに作り直します。少々お待ちください」


ミコトは慌ただしく台所に行き、ガチャガチャと音を立てながら何かを作り始めた。しばらくすると、コトコトと何かが煮える音がする。


「簡単なものですが……」


そう言って出されたのは具沢山のお粥だった。ミコトは、スプーンでお粥を少しだけすくうと、ふーふーと冷まして武命の口元に運ぶ。始めは躊躇ためらいを見せる武命だったが、上手く動けない体に観念し、されるがままだった。

 食べさせながら、ミコトは


「失礼ですが貴方は何者なのですか? 兄から何も聞いていなくて……」


武命に問いを投げた。


「気になる?」

「……えぇ」


それはそうだろう。タケルと全く同じ顔をした男だ。気にならないはずがない。武命は、動きにくい口を必死に動かしながら、彼女の問いに答えた。


「俺も武命だよ。ここではなく、別の世界から来た。まぁ、信じられないと思うが」

「別の世界、ですか」

「タケル……君のお兄さんは、そう考えているらしい。パラレルワールドってやつ?」

「なるほど、可能性はありますね」

「納得するんだ?」


ふわふわとした頭でもミコトの聞き分けの良さには驚く武命。そんな武命に、


「この世界は何でもありです。私だって、兄が、あんな……」


何を思い出したのか、ミコトは急に歯切れ悪くさせてうつむいた。その様子に、武命は思わず手を止める。


「聞いても良ければ、聞かせてくれないか? 君の兄のこと」


ミコトは目を伏せたまま、「後悔しても知りませんよ」と小さく言う。「構わない」と答えるが、それでも執拗しつように「汚い話もあります」「兄を嫌わないでください」「やはりやめておいた方が」などと言うものだから、「話せるのか、話せないのか、どちらだ」と、やや圧をかけるように武命は聞いた。ミコトは観念したのか、「お話ししましょう」と静かに語り始めた。

 陽が西に傾き、紅葉が空の赤を誘う。微かに吹き抜ける冷たい風が、暖かな家にいる二人の肌をチクリと刺した。

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