第6話

 翌朝、目を覚ますと。何やら騒がしい。武命が眠い目をこすりながら声の方へと歩いて行くと


「お前には関係ないだろう!」

「貴女の行動は目に余る、と言っているのです。彼の前で穢らわしいことをしないでください。彼は清い世界で生まれた人間です。せめて彼には配慮しなさい」

「なっ……!? だ、誰のためにあたしが体を張っていると思っているんだ! どんな思いでこんな……。いやっ、第一、お前だって汚ねぇだろうが!!」

「貴女が何をしたところで変わりませんよ」

「なんだと……?」

「何も知らないくせに知ったような口をして、勝手に行動し、自ら犠牲になり、傷ついたから慰めろと? 何一つ現状は変わっていないのに感謝しろと?」

「……チッ。勘違いも甚だしいな。そんなもの所詮お前の妄想だろう。お前のそういうところが嫌いなんだよ」

「嫌いで結構です。貴女のためにできることは、もはや何もありません。救えませんよ」


あからさまにタケルとミヤビが喧嘩していた。今にも武器を手にしそうな二人に、武命はドッドッと速くなる鼓動をなんとか抑えようと服の胸のあたりを鷲掴みにし、そっと扉を閉めた。そして居心地の悪い空間から逃げるようにして外へと飛び出した。

 武命が放った微かな音を、タケルは聞き逃さなかった。タケルはミヤビとのやり取りを簡単に終わらせると、すぐさま武命の後を追った。単純に、心配だったのだ。傷心していて、なおかつ戦力が乏しい。死ぬ条件は嫌なほど揃っていた。放っておいたら、ふらりと死んでしまうと思った。武命には、無事に元の世界に帰って欲しい。その一心で、タケルは走った。

 家に残されたミヤビの腕や太腿ふとももには、小さな傷が無数に付けられていた。その白い肌によく映える赤と青。床には、両の手で受け止めきれなかった雫が二、三滴ほど溢れていた。


 外に出ると、相変わらず、ここには『戦場』をイメージさせるものはない。長閑のどかな田舎の風景だった。爽やかな風が鳥のさえずりを運び、花は色鮮やかに村を彩り、川はキラキラと太陽の光を浴びて輝いている。あのむごたらしい光景と同じ世界のものとはとても思えない。

 武命は辺りをキョロキョロ見渡し、行く宛もなく、土を蹴りながら歩いた。しかし、歩いて三分に満たないほどの短時間で事件は起きる。


「動くな」


背後からの声に足を止めたのは無意識だった。気がつけば、何も言わずに武命は両手を挙げていた。決してこの危機に狼狽うろたえることはない。人間の適応力とは実に面白いもので、彼はこの世界に慣れ始めていたのだ。


「タケルだな?」


その言葉で武命は瞬時に状況を理解した。この人は恐らく『敵』に分類される人で、タケルを探している。ここで、もし下手に動けば死ぬ。身を委ねても、痛い目に遭う。仮説が正しいとして、武命とタケルがリンクしているのならば結果的に彼の目的は果たせるのだろう。しかししゃくである。武命は事情も知らず、タケルのために、これから苦しむのだから。


「いつもの、頼むわ」


始めはどうしてやろうかとも思ったが、冷静な頭では、立ち向かったところで勝機はない、と理性が武命を止めた。武命は、ゆっくりと目を閉じて身を委ねることにした。しかし、震えは止まらない。当たり前だ。体験したことのない恐怖が待っている。いくら取り繕ったところでタケルにはなれない。すると、男は異変に気がついたようで


「……お前、タケルじゃないのか?」


怪訝そうに聞いてきた。解放してくれるのかと思いきや、男は「まぁいいか」と小さく呟いて武命の腕を引く。そして


「お前には強いかもしれないが、まぁ、その顔なら慣れているだろう? 別に良いよな?」


強引に武命の口を開き、じ込んだ。口の中でが溶ける。そこで、ようやく武命は気がついた。薬を飲まされたのだと。


(麻薬の類だろうか……)


不思議なことに、驚きや焦り、怒りや恐怖など湧き上がるはずの感情は何もなかった。ただ、ぼんやりと霞がかっていく意識の中で解決策を考える。だが、どうしようもない。自力で立てないほどに体の力が抜けていく。武命は、死を覚悟した。途端、見覚えのあるシルエットが、乾いた破裂音を連れてやってきた。身を預けていたものが力を失い、武命は、重力に招かれて落ちる。それを誰かは支えると、ほっと、息を漏らした。


「無事で何よりです。一度、戻りましょう」


その声を聞いてシルエットの主がタケルであることを理解する。「これのどこが無事だ。彼女との喧嘩はどうした。何故ここにいる。第一、お前のせいで……」など、言いたいことや聞きたいことは多くあったが、そのどれもを口から出すことはできず、武命はぐったりとしていた。


 家に帰ると、早速、ミヤビの姿はなかった。タケルは大きなため息をつき、武命を布団の上に乗せた。薬物耐性のない武命に使われたのはどうやらタケル用の劇薬のようで、武命は浅い呼吸を繰り返して、汗を流している。タケルはそっと武命の額に触れると、「すみません」と静かな声で言った。武命は、その一言に毒気を抜かれたのか、布団の中から手を出し、タケルの頬に触れた。

 そして、再び脱力すると、そのまま動かなくなった。

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