第5話

 タケルは清々しい顔で戻ってきた。先程の、血に染まっていた姿が嘘かのように、見た目は自分と同じ、普通の男子高校生になっていた。


「……そんなに見つめられると、恥ずかしいのですが」


真っ白な頬がピンク色に色づいていく。武命は自分の照れる姿を見て、シンプルに、「気持ち悪いなぁ」という感想を抱いた。無論、口には出さなかったが。


「怪我はないのか」


武命の話題転換に、タケルは、ふと笑って


「心配してくれるのですか?」


「問題ありませんよ」と嬉しそうに答えた。


「意外ですね。一体この短時間で何があったのです? 何か良いことでもありました?」


揶揄からかうようなタケルからの問いに、武命は鼻で笑い、「まさか」と返した。


「しかし、生きていてくれたのですね」


タケルはお茶を飲みながら、意外そうに言葉を口にする。そんなタケルに、武命は呆れたようにため息をついて、こんなことを言った。


「生きて再会しようと言ったのはお前だろう」


武命の一言に、タケルは目を丸くした。まさかあの死にたがりの男が、初対面同然の男との、たった一つの約束を守るためだけに、生きるという選択をしたのか。思いの外、誠実な男ではないか。タケルは「なるほど、確かに苦労するわけです」と、勝手に納得すると、それを口にすることはなく、笑みだけを溢した。


「ところで、俺はこれからどうすれば良い」


武命の問いに、タケルは首を傾げる。


「帰る方法を探さなければならないでしょう。そのためには、比較的、安全な拠点が必要です。この家を使いなさい。歓迎しますよ」

「そうもいかない。ここは、お前たち夫婦の家だろう。赤の他人が居座るべきじゃない」

「夫婦? ……あぁ、ミヤビですか。彼女は、ただの幼馴染です。確かに婚約の話も出ましたが、諸事情で破棄されました。彼女も他人だと言ってしまえば他人ですよ」

「それでも、あいつはお前が好きだろう」

「どうでしょう。貴方が思うほど私は善人ではありませんから。案外、軽蔑しているかもしれませんね」

「軽蔑されるような人間には見えない」

「そのうち、見えてきますよ」


武命のことは暴いてくる癖に、自分のことは、ヒントを与えながらも上手く隠す。武命はそんなタケルが気に食わなかった。

 タケルが動くたびに、彼から微かに漂う鉄のような匂い。何をしてそれがついたのかわかるからこそ、武命は居心地の悪さを感じていた。一方で、タケルは本を読みながら、優雅にお茶を飲んでいる。


「なんで平気な顔をしていられるんだ」


小さく溢した呟きが、タケルの耳に入った。


「慣れですよ、慣れ。毎日の繰り返しで嫌でも慣れます。慣れない者から死んでいきます」

「人殺しに慣れてたまるか」

「さて、どうでしょう。貴方の世界にも、殺し慣れている人はいたはずです」

「そんな奴がいてたまるか。犯罪だぞ」

「人の殺し方は二つあります。肉体の機能を停止させる方法と、精神を崩壊させて壊す方法です。本当に心当たりがありませんか?」


冷静な彼の言葉に武命は返す言葉がなかった。心当たりがないと言えば嘘になる。


 武命の母は周りからの声にストレスを感じていた。父が病死したことにより、母はたくさん働かざるを得なくなった。武命や美琴を構っている時間は少なかった。それを武命たち自身は「仕方がないことだ」と割り切って、気にすることはなかった。どうしても寂しい時は、側にいてくれる。それで十分だった。そんな母を、愛していた。しかし周りはどうだ。母の気持ちを知らないで、酷い母親だと、駄目な母親だと指を差す。勝手な妄想で、武命たちを可哀想な子と決めつけた。武命の母がどれだけ武命たちを愛していたのか、どれだけ共にいたかったか、どれだけ夫を失って悲しんでいたのか、少し、考えればわかることだろう。それでも、人々は考えなかった。考えずに母を傷つけた。周りの声が母を追い詰め、殺したのではないか。武命は今でも疑っている。

 それだけではない。自殺する人は毎年増えている。それをその人のせいだというのか。その人を死に追いやったのは、周りではないのか。目を逸らさずに考えれば、必ず周りに殺人犯がいるはずである。直接的ではなくとも、間接的に関わっている可能性はある。人が、自ら命を断つことなど、本来ないはずなのだから。血を流せば痛む。生き延びようと体が回復を目指す。自然な自殺など、あるはずがないのだ。

 誰もが、誰かを傷つけ、下手をすれば殺している。


 「やめだ、やめ」と武命は寝転びつつ言う。話を始めたのは武命だというのに、不機嫌そうに話を切り上げる彼に、タケルは苦笑して


「この世に、善人なんていないんですよ」


湯呑みに歪む自分の顔を見つめ、ぼんやりと、そんなことを呟いた。

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