第4話

 一方で、武命は息を切らしながら、言われた通り、西の街へとやってきた。いや、正確には街ではなく村に近い。武命のいた世界では到底想像できない、江戸時代を彷彿ほうふつとさせる景色が広がっていた。地面はコンクリートではなく、土だった。機械が発達している割には、田畑を耕すのは人であり、道具はくわすき。信号も見る限りない。車も電車もない。

 「おい」と正面から声をかけられて、ビクッと肩を跳ねる。声の主と目を合わせれば、


「……お前、タケルじゃねぇなぁ?」


彼女は、その美しい女体からは予測できない、男らしい声でいぶかしげに顔を武命へと寄せた。


「タケルを知っているのか」

「あぁ、当然。あたしはタケルの幼馴染だ」


彼女は自らを「ミヤビ」と名乗り、武命に手を差し出した。武命はその手を取ると、自分の名を伝え、タケルとの出会いと、受けた指示を、なるべく混乱を招かないように話した。自分の出身を隠す上で、「記憶喪失である」という嘘をついた。それが良かったのか悪かったのか、ミヤビは武命を哀れみを目で見て


「可哀想にな。それでタケルはこっちへ向かうように言ったのか。なるほど、あいつらしい、賢明な判断だ」


どこか嬉しそうに言ってきた。


「ならば歓迎しよう。ここは、我が国で比較的安全が保証されている村・落月村らくげつむらだ。あたしらの故郷さ」


ミヤビは強引に武命の手を引くと、坂を登った先にある家の中に武命を招いた。

 大きな屋敷の中には、ずらりと写真が並んでいる。その一つに、タケルとミヤビの写真が堂々と飾られていた。二人の左手の薬指には、銀色の指輪が光を放っている。しかし、武命の記憶が正しければ、タケルの指にそんなものはなかった。ミヤビの左手を見てみても、指輪は見つからない。


「元、婚約者だったんだ」


武命があまりに不審な動きをするものだから、ミヤビは失笑しながら言った。彼女の表情が、あまりにも切なく見えたから、武命は罪悪感を覚える。


「いろいろあってさ。本当は来年には結婚する予定だったんだけど、できなくなった」


寂しそうな笑顔に、武命は深く聞かないことにした。代わりに、もう一つの疑問を投げる。


「写真もある、銃もある、家電もある。科学の発展は目に見えてわかるのに、何故、この村の外には便利な機械がないんだ?」


武命の質問に、ミヤビは呆れた口調で


「公共のものに頼って、いざ被害を受けた時に混乱しただろう? だからやめたんだよ。古来より、人は機械がなくても生きていけたんだ。道具さえあれば十分。リスクが多いのに、逆に何故、必要だと思うんだ?」


どうやら、この世界では機械とは、「便利」というよりは「危険なもの」という認識らしい。確かに一理あると思うが、武命は、「それでも機械があった方が便利なのに」と心の中でため息をついた。武命がいた世界とは、何もかもが大違いで落ち着かない。


「そのうち、タケルが戻ってくる。それまで、ゆっくりしていてくれ」


ミヤビは武命を部屋に残して去ろうとする。


「どこへ行く」


武命が咄嗟に問うと、ミヤビは


「知らない方が身のためだぞ」


と、問いには答えずに背を向けた。

 することもないため、キョロキョロと辺りを見渡してみたり、目をつぶって寝たふりをしたりする。暇潰しの方法を知らない武命は、苦痛な空白の時間を「早く終われ」と念じながら過ごした。


 どれくらい経ったのだろう。日が沈み始めた頃、ザーザーと雨が降り始めた。不穏な空に、武命は居心地が悪くて家中を歩き回っていた。すると、今ちょうど玄関扉を叩く音が聞こえてきたではないか。武命は居ても立っても居られなくなり、タケルかミヤビであると信じて扉を開けた。

 武命は、その先にいた人物を見て絶句した。一体、何人殺したのか。自分と同じ黒い瞳が、更に闇を増して濁っている。雨に打たれているはずなのに全く薄くなる気配がない、真っ赤な雫をぼたぼたと垂らしながら、静かに微笑みを浮かべている男。バケモノにも見えるその姿の正体は、タケルだった。


「無事に辿り着けたようで何よりです」


あからさまに疲弊した様子だった。立っていることすらままならない状態だ。それでもタケルが一番に言ったセリフはこれだった。自分より先に他人の心配。武命は、壊れそうなタケルを見て恐怖した。絶対、この人を放っておいてはいけないと確信した。自分の同じ容姿だから、余計にそう思えたのだろうか。初めて会った時と立場が逆転していた。


「俺のことは良い。それよりもお前だ。早く、風呂に入って来いよ。風邪を引くぞ」

「そうします。ところで、ミヤビはどちらへ? この時間なら家にいるはずですが」

「どこかに出かけた。行き先を聞いても答えてくれなかった。ヒントがあるとするなら、知らない方が良い場所だってさ」

「……なるほど、見当はつきました。まったく困った人です、彼女は」

「他人の心配か? 鏡を見て来いよ。酷い顔をしているぞ」

「えっ、本当ですか? 貴方に言われては仕方ありませんね」


本質は変わらないはずだが、今のタケルは腹の立つ人間に思えた。しかし同時に、こんな皮肉も言えるのか、と人間らしさも感じて、武命は安心していた。複雑な心情を抱きながら、荷物運びを手伝う。武器の重さが手足に伝わると、改めて武命は世界を恐ろしく思った。この重い武器を使って、タケルは人を殺してきたのだ。一人や二人ではなく、何十、何百と命を奪ってきたのだ。それはつまり、武命にもそういう力があると言っているようなものだった。残虐な魂の持ち主だと。

 何故だろう、武命の方が罪の意識に囚われていた。本人は、呑気にも何食わぬ顔でシャワーを浴びているというのに。

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