第171話沖縄修学旅行パート2

 海には言って皆でキャーキャー言いながら遊んで、浜辺に打ち上げられたサンゴを拾って、ホテルに持ち帰って、カバンの中に大切にしまったりして、海と戯れていたら夕食の時間。日暮れの遅い沖縄でも、さすがに19時を過ぎると黄昏てくる。暗くならないうちにホテルに戻って、ホテルのレストランの指定された席に座って夕食を食べる。琉球料理がたくさん出されて、ラフテーやゴーヤチャンプルーなど、本場の琉球料理楽しんで、トロピカルフルーツもたくさん食べて、とてもおいしかった。

 そして各自の部屋に戻ってくつろいでいたら、松山(まっちゃん)と奥田たちがやってきて、一緒にトランプ。散々船の中でも遊んだが、やはり皆考えることは一緒で、セブンブリッジや大富豪・51などをして遊んで、その後は沖縄のお土産を買いにホテルの免税店へ。沖縄銘菓と言うとやはりチンスコウ。あげ餓死で沖縄では最も名のしれたお土産である。チンスコウを家族と母の実家用に買って、姉の妹にはキーホルダーを買った。そして、夜遅くに私は部屋を出て、ホテルの前に出てみた。私たちが泊まったホテルは南側の視界が開けていて、普段私たちあまり見ることの少ない南の地平線低くにしか上ってこない星座を見るためであったが、私たちが訪れたころは南の空が晴れていれば、一度自分の目で見てみたかった南十字星が見られる。ちょうど私たちが停まったときは天気も良くて、星がきれいに見えていて、念願だった南十字星が水平線上に見えていた。南十字星が見られただけでも、沖縄に来たかいがあった。南十字星との対面を終えて部屋に戻るとみんなは気持ちよさそうに寝息を立てていた。私もベッドに入ってそのまま就寝。

 翌日は朝食を終えた後、糸満市の摩文仁の丘にある平和の礎と、ひめゆり記念館に行く予定になっていた。ここでは太平洋戦争で唯一地上戦が行われた沖縄線について、日本軍とともに行動を共にしていたひめゆり学徒隊の方々の戦争体験のお話を聞くことになっていた。

 私たちが停まった那覇市内のホテルをバスで出発して、国道58号線を南へと走り、摩文仁の丘に到着。ここでは各地から召集されて亡くなっ山口県出身者や大阪府出身者の方々の名前も刻まれていた。ここ沖縄では県民の4人に1人が沖縄戦で命を落としたという。アメリカ軍は沖縄を本土上陸の足掛かりとするため、日本軍は本土防衛の最前線とするために、お互い譲れない戦いが繰り広げられ、結果、多くの一般市民が砲弾に倒れ、命を落とす結果となったのである。美しい沖縄の風景と魔反対にある戦争と言う負の歴史。そして私たちが訪れた時から今に至るまで、一向に解決しない沖縄の基地負担の問題。この修学旅行が、ただ単に楽しいだけで終わってはいけない理由がそこにはあったような気がした。

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