第172話沖縄修学旅行パート3

 英霊の碑に手を合わせた後、ひめゆり記念館へと入っていった。記念館の中は。沖縄戦が行われていたころの壕の中の様子や、数多くの犠牲になられた方々の写真が展示されていた。一人一人がどこの部隊に所属し、どこでどのようにして亡くなっていったのかが克明に記されており、体中になん十発もの銃弾を受けて亡くなった方や、顔面を撃ち抜かれて亡くなった方、極度に不足する物資の中、仲間を助けようとして砲弾が跳ね返る中飛び出して息絶えた方…。犠牲になった人たちの多くが、自分たちと同じ年代の人だったっていうことを考えると、平和に暮らしていける私たちは、それだけで幸せなんだと思った。そして、展示されているいろいろなものを見て回った後は、ひめゆり学徒隊の中で、命からがら助かった方のお話を聞く時間。医薬品や食料が圧倒的に不足する中、どのように負傷した兵士の看護にあたっていたのか、砲弾が飛び交う中、どのように生き延びたのかが生々しく語られていた。話を聞きながら、もし自分が戦争体験を話されている女性のような立場だったらどうしただろう…。そして、広島の原爆資料館を訪れた時に感じた

「あの戦争はいったい誰のための、何のための戦争だったんだろう」

ということを考えていた。ひめゆり学徒隊の方の話を聞いていると、今自分たちの周りの環境がいかに恵まれているのか、あらためて実感した私である。そして、ひめゆり記念館の見学とお話を聞いた帰り、米軍基地から飛び立つ戦闘機がバスの窓から見えた。清田は慌ててカメラを取り出して、夢中になってシャッターを切っていたが、私は正直心の中で

「不謹慎だ」

と思った。あの戦闘機のまき散らす爆音に苦しんでいる人がたくさんいる。そして何よりひさんな沖縄戦の話を聞いた後だったので、戦闘機が飛び立ったからと言ってカメラを向けるのはちょっと違うんじゃないかと思ったのである。確かに私たちは戦闘機がまき散らす爆音に悩まされることも、米軍があるがために引き起こされる事件や事故に巻き込まれることもなく、戦闘機と言うものは普段見にする機会のないものであるが、珍しいからと言って、過重な負担を強いられている沖縄の人のことを思うと、戦闘機が見えたからと言ってミはーに騒ぐのは違和感を覚えた。そして今度は沖縄本島最北端の辺戸岬に向かった。ここから見える海も、昨日見た万座毛に負けないくらい意美しかった。個々で昼食を済ませた後、自由に散策する時間があったので、周りの景色を楽しみながら過ごした。そして、辺戸岬から再び那覇市内に戻って、ホテルにチェックイン。夕食は昨夜同様琉球料理をメインにしたメニューであった。夕食後は部屋に戻って横になっていたらいつの間にか眠ってしまったようである。私が眠っている間に皆は風呂に入ったというので、私も入浴を済ませて、沖縄最後の夜を過ごした。

 翌朝、朝食を済ませた後は国際通りに行った。ここは沖縄県内で一番の繁華街で、多くの土産物店が軒を連ねる。

「そう言えばまだパイナップルを買ってなかったな」

と思い、家族用にパイナップルを購入。手に取ってみると、パイナップルの甘酸っぱい香りがする。ここで那覇空港に行く時間になるまで過ごした。

 やがて那覇空港にチェックインする時間となり、空港に着くと搭乗手続きや手荷物検査などを済ませて、福岡空港行の全日空機に搭乗。それぞれが指定された席に着席して、離陸の時間を待つ。運悪く私は窓側の席ではなく、真ん中の通路の席だったため、外の景色が見られなかったのが残念ではあるが。やはり途中で梅雨前線を横切る形となるため、かなり揺れるときもあったが、順調に飛行して、福岡空港に着陸。預けていた手荷物を受け取って、福岡空港のバスターミナルへ。高速道路を通って学校には夕方に帰り着いた。私たちが住んでいるところとはおよそ1000キロほど離れているが、たったの数時間で学校に帰り着くとは、3日もかかった船旅とは隔世の感があった。ここで最終点呼を取って、解散となった。これから出発の時に持っていった着替えなどが入ったカバンに更にお土産がプラスされて、帰りの自転車をこぐのはかなりの重労働であった。5日ぶりに帰った家。家に帰ると、沖縄に行っていたのが夢だったような、そんな気がする。家に帰ってまずはお土産を家族に渡した後、お世話になっている近所の家にも持っていって沖縄の土産話などをして、夕食後のデザートに早速パイナップルを食べてみた。完熟していて甘酸っぱくておいしかった。姉と妹にはキーホルダーを渡して、沖縄で見た南十字星の話や、ものすごく長く感じられた沖縄までの船旅の話など、いろいろと話をしていたらあっという間に夜遅い時間になったため、入浴を済ませとぇねた私である。翌日は学校が休みだったため、近所のカメラ屋さんに撮影した写真のフィルムを預けて、それから数日して写した写真の中からよく映っているものを選び出して、2年の担任だった矢田先生に渡した。船上での音楽部のロックのライブや、万座毛や万座ビーチ、ひめゆり記念館国際通りの写真などがのちに卒業文集に採用されていた。

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