第125話転機

 このころになると、体調のすぐれなかった祖父の体調がさらに悪化させて入院することになった。病院の先生から下された診断は肺がん持ってあと2~3か月ということであった。祖父はタバコを吸っていたので、その影響もあったのかもしれない。その祖父が入院した病院に見舞いに行ったのであるが、やはりがんということで、見た目にも痩せているというのが分かるくらいになっていた。そして見舞いを終えて家に入ると、祖母がどことなく寂しげな表情を浮かべていた。長年寄り添うようにして生計を立ててきたので、もう生きて帰ることはないとわかった時点で、祖母も覚悟を決めていたのかもしれない。そして、祖母も見舞いに行くということで、母が車を運転して連れて行った。

 その一方で私は妹と一緒にまるちゃんの散歩へ。しっぽをふりながらご機嫌なまるちゃん。30分くらい歩いただろうか。散歩から帰って喉が渇いたので、冷たい水をごくりと飲んで一息。夕食もみんなで食べて帰った。

 このほかにはこの年の夏休み前半はあまり記憶に残るようなことがなかった。1年前だと星田が遊びに来て、賑やかに過ごしていたのであるが、この夏休みは大阪から誰かがやってくるというわけでもなく、そう遠くに出かけるということもなかったためである。自転車で出かけられる範囲での外出となるわけで、近くで行われる花火大会や盆踊りに出かける程度であった。あとは、家の中にいてもつまらないということで、自分の好きなジャンルの本を読んだりして過ごした。

 特に遠くに出かける予定はなくても、クラスの柳本や佐山たちが遊びに来るので、一緒に自転車で出かけたり、柳本の家に行ってパソコンしたりして遊んでいた。そして8月に入って、柳本の家に向かう途中で見たとばったり会った。野球の練習で真っ黒に日焼けした姿を見て、野球に打ち込んでいる姿がうかがえた。一言二言言葉を交わして別れて、柳本の家に受かった私。柳本の家でパソコンで一通り遊んだあと家に帰って夕食。夕食後野球中継を見たり、音楽番組を見たりして過ごしていた。確かこのころだったと思うが、後に私の人生に大きな転機を与えるちょっとしたことがあった。私が野球中継を見ていたら、とある選手がデッドボールを受けるシーンを見た。デッドボールは、当たり所が悪ければ選手生命を左右しかねない事態であるが、そのデッドボールを受けた選手は、ボールをぶつけた相手チームのピッチャーに対して

「あぁいいよ。気にすんな」

と言うジェスチャーをしながら1塁に向かっている姿を見た。その時私は心に衝撃を受けた。

「なぜ大けがするかもしれないようなことをした相手を許せる?」

そう思ったのである。いじめから逃れて1年4か月がすぐていたが、まだ私はいじめ加害行為をした増井や渡部、久保たちを許せないでいた。その当時も衝動的に加害者に対して

「ぼこぼこに殴り殺してやりたい」

「絶対に許さない」

と言った、殺意にも似た感情を抱くいことがあった。のちにその選手はスポーツ番組のインタビューでこう答えている。

「自分はプロ野球選手である前に一人の人間なんです。だからミスをする。それと同じで、相手チームのピッチャーもプロ野球選手である前に、一人の人間なんです。だからコントロールミスがあって当たり前。確かにボールをぶつけられると痛いし、悔しい思いもする。でも悔しいのであれば、その悔しさはバットで返せばいい。ぶつけられて痛いのであれば、デッドボールに負けないくらいに強靭な体を作ればいい」

そう言ってたのを今でもはっきり覚えている。その後、その選手はチームを代表するという枠を超えて、日本を代表する強打者として数々の記録を達成していくことになる。そのインタビューを聞いて、今まで憎しみに凝り固まっていた自分の心ともう少し真剣に向き合ってみようと思った。危害を加えた相手を許すということは簡単なことではないかもしれない。でも、いつまでも憎しみに凝り固まっていて、その先に何があるのか?そう思ったのである。いくら憎んでも恨んでも自分の身に降りかかった過去は変えられないのであれば、これからやってくる未来をどう生きるかによって、これから先の人生は大きく変わるんじゃないか?そう考えるきっかけを与えてくれた。私が尊敬する人は誰かと聞かれたら、私をここまで育ててくれた両親と、このプロ野球選手を間違いなくあげる。今はその選手は亡くなってしまっていて、ご存命ではないが、今もあのプレースタイルは私の目に焼き付いている。もしあの時野球中継を見ていなかったら…。いつまでも憎しみに凝り固まって、もっと暗い人生を歩んでいたかもしれない。恨んでやるとか、そういったことを考えるのはやめようと思いなおし、今に至っている。ただ、それでも私が同総会に参加するには長い時間が必要だった。なぜかというと、やはり加害者と顔を合わすのが怖かったのである。また同じ目に遭うんじゃないか…。また辛い記憶がフラッシュバックして苦しい思いをするんじゃないのか…。その思いがどうしても抜けなくて、私が同総会に参加したのは大阪を離れて8年が過ぎた1992年6月であった。

 そして、お盆休みを迎えようとしていた8月12日、羽田を飛び立った大阪行きの日航ジャンボ機123便の機影が消えて、行方が分からなくなったというニュース速報が飛び込んできた。そして、時間がたつにつれて日航機は群馬県の御巣鷹山に墜落したという情報が飛び込んできて、後の原因究明の結果、垂直尾翼と圧力隔壁の破断脱落が原因であることが判明した。機体の制御ができなくなり、操縦不能となって墜落したもので、飛行機事故では最大の犠牲者を出す大惨事となった。この事故を見て、人の命は、本当にはかないものなんだなって思った。救助を待っている人がいるかもしれないという思いを胸に必死に救助活動をする自衛隊員や救助隊の方々の懸命な活動に頭が下がる思いを抱きながら、事故現場からのテレビ映像を見ていた。そして、4人の方が助かったというニュースは、本当によかったという思いで見ていた。

 その事故を見聞きしながら夏休みを過ごして、自分がこれから先、どう生きていくべきかを見つけるきっかけとなった夏休みでもあった。この夏休み以降、いじめ加害者を憎んだり恨んだりと言った思いを抱くことがぐっと減った私である。恨むこと、憎むことはものすごくエネルギーが必要で、そういった感情に大きなエネルギーを使うよりも、もっと大事な生き方があることを知った私である。

 

 

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