第102話いじめ後遺症

 祖父母の家に帰ったこと以外は、あまりこれと言ったイベントもなく、ゴールデンウィークは後半の5月3日を迎えた。この日は大阪の小学校で同窓会が行われる日である。あれだけ散々いじめ倒しておきながら、一緒のクラスだったから参加しろと言う、その神経が私には理解できなかった。

「まだいじめ足りんから、1日だけでもいいから帰ってきていじめさせろ」

そう言う風に思っているのではないか考えていた。どうしても、たった1か月半であいつらが考えを改めているようには思えなかったのである。校内暴力が吹き荒れているという中学校で、余計に性格の悪さに拍車がかかっているのではないか。そう思っていた。そして私にとっては、あのいじめの舞台となった6年4組の教室に足を踏み入れるというのは、恐怖以外の何物でもなかった。正午からの開催ということだったので、昼になると

「皆今頃集まって何やってるんだろう?」

そんなことを考えていたりしたが、参加した皆が何してようが、何を飲み食いしようが、正直あまり興味がなかった。

「集まりたければ、テメェーらだけで勝手にやってろ」

それくらいにしか思わなかった。この同窓会のことは考えないようにしていたが、それはそのことを考えていると、どうしてもあの辛い記憶がよみがえってきて、フラッシュバック状態になるためであったが、どうしても頭の中をよぎってしまい、辛い記憶がよみがえって息苦しさを感じていた。記憶を封印してしまいたいと思っていたのであるが、あの激しいいじめはあいつらのいじめ加害行為が無くなった後も、私を苦しめ続けていたのである。その苦しみから解放されるには、きちんとしたカウンセリングを受ける必要があったのかもしれないが、この当時はまだ、精神科に通うということは、いわゆる

「キチガイな奴らが行くところ」

と言う誤った偏見が主流であり、精神的な疾患を抱えている人に対しては、厳しい差別がまかり通っていた時代である。そのような時代にあって、精神科を受診するということは、この当時の私には激しい抵抗感があったのも正直なところであった。今の時代であれば、積極的に精神科を受診するように勧められるであろうが、いじめ後遺症に苦しみ、悩んでいる私にとって、精神科を受診するということは考えられなかった。経済的にも、病院を受診するような余裕もなかったのも要因ではあるが。

 このときに精神科を受診して、きちんとカウンセリングを受けていたら、もう少し違った人生があったのかもしれない。今だから言えることであるが、精神的な苦しみを抱えている人に対しては、精神的な診療を受けることを強くお勧めする

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る