第100話母の実家の祖父の体調悪化
ゴールデンウィークは、電車に乗って母の実家に行くことになった。同じ山口県内で、妹はまだ小学1年生になったばかりで、妹の運賃が半額になるといっても、家族全員が電車に乗って移動するとなれば、かなりの出費になる。まだこのころは、両親も車の運転には慣れていなくて、片道2時間近くかけて車を運転するのに、不安があったようである。
母の実家に着くといつもと変わらず、まるちゃんが盛大にお出迎えしてくれた。私は山口に引越しして初めて母の実家に行ったのであるが、まず最初に引越しの挨拶をして、皆で家に上がったのであるが、やはり山口に引越ししたのが気に食わなかったようで、以前のような会話が弾むというようなことはなく、どことなくよそよそしい雰囲気が漂っていた。そうした中で私は学校での様子や、山口での暮らしぶりを話したりしていた。そして、私たちが引っ越ししたころから、祖父の体調が次第に悪化していって、時折病院にかかったり、診察してもらったりしていた。祖父もこの時で90歳になろうとしていたところで、高齢もあって次第に体力が衰えていった時期でもあった。そんな体調が思わしくない祖父のお見舞いも兼ねた母の実家への帰省を終えて、借家に戻った。確かこの時だけで電車賃で往復1万円くらいかかったのではないかと思う。大阪で暮らしていたころと比べて月収が大きく減ったうえに、家賃の支払いや、大阪に住んでいたときに増築した家のローンの支払いなど、多くの出費が重なったうえに、車の運転免許取得のための自動車学校への入学や、中学生二人を抱えて、教育に関係する出費も増えて、この当時の我が家の財政状況は相当厳しいものがあった。その中での1万円の出費である。何しろ、新聞さえとることが出来なかった状態だったのである。当然テレビも買うような余裕はなく、私たちの主な情報源はラジオであった。ラジオから流れてくるいろんなニュースを聞くたびに、自然と経済用語や、今どのようなことが起きているのか、耳に入るようになり、わからないことがあれば百科事典で調べるというような毎日であった。このため、勉強はあまりやる気がしなかったが、公民や政治経済・国際情勢や化学などは勉強しなかった割にはいい成績を取っていた。もともと私はラジオ党であったため、テレビがなくても別になんとも思わなかったが、妹はやはりどんなことがはやっているのかわからないため、
「テレビが欲しい」
と言っていた。そこで父は14インチの小さなテレビを買ってきて、居間に設置した。両親にとっては、かなり痛い出費だったと思う。私もテレビが無かったらなかったで、あまり不便は感じてなかったが、あったらつい見てしまうもので、このころにはやっていたアニメとか時々見ていた。特によく見ていたのが、みゆきやうる星やつらなど。それからテレビニュースや科学番組もよく見ていた。そうこうしているうちに、6年4組に皆が集まるという日を迎えることになる。
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