第94話大阪最後の日。そしてサ・ヨ・ウ・ナ・ラ…。
迎えた昭和59年3月30日。この日は大阪で過ごす最後の一日であった。昼から星田と永井・柳井たちが遊びに来てくれた。この日の夕方からは親戚一同が集まって、送別会が行われることになっていたので、両親は
「夕方から皆で集まるから、それまでには駅前のお店に来るんよ」
と言っていた。駅前の割烹料理屋で食事をすることになっていたのである。夕方までのひと時、私たちはボール遊びをしたり、ゴンと最後の散歩に行ったり、今田や福田の家に立ち寄ったりして、楽しく過ごした。やがて送別会の時間になり、私は皆と別れて割烹料理屋に向かった。普段割烹料理屋なんて行くことがないので、
「どんなお店だろう?」
と思ったが、店内は高級感あふれる和風の建物で、私はお店の人に名前を告げると、お店の人が案内してくれた。私が襖を開けるとすでに皆集まっていた。皆で割烹料理を囲みながら、大人はビールで、未成年である私たちはジュースで新しい出発を祝って乾杯。弘姉ちゃんややよ姉ちゃん、叔父や叔母の家族もみんな集まってくれて、ひと時の楽しい食事をしながら、思い出に花が咲いた。ただ食事会も時間が進むにつれて、
「もうこうやってみんなが集まって楽しく過ごすことはできないんだな」
と思うと寂しさがこみ上げてきた。家までの帰り道、今まで幾度となく通った何気ない風景がとても愛おしく思えた。駅のすぐ横を通り、踏切を渡って家に着いた。家に着くと駅を発着する電車の音や、踏切の警報機の音が聞こえる。こうしたありふれた音に囲まれて私たちは今まで生活してきたのである。その生活も明日の夕方にはなくなってしまう。大阪で迎える最後の夜、引っ越し荷物を家から運び出さなければならないため、朝早くに起きなくてはいけないので、早く眠ろうと思っても、なかなか寝付けずにいた。
そして3月31日。朝食を済ませると引っ越し業者がトラックで家にやってきた。家の前の道路は広い道ではないので、大型トラックがやってこれないため、一回り小さなトラックがやってきた。そして、引っ越しの手伝いに弘姉ちゃんややよ姉ちゃんが来てくれた。皆で重たいタンスや机を引っ張り出して、次々トラックに積み込んでいく。この大きな荷物の運び出しだけで昼前までかかって、昼食は出前のそばを食べた。昼食を済ませた後は、段ボールに詰めた衣類や百科事典、そのほかのものをトラックに詰め込んだ。途中からは星田も手伝いに来てくれた。そしてすべての荷物を積み終わるとトラックが去っていき、ゴンを預かってもらう父の知り合いの車がやってきた。ゴンは何が起こっているのかわからない様子で、私がリードをもって父の知り合いに渡し、ゴンを抱きかかえて車に乗せようとすると、ゴンが暴れだした。何とかゴンを車に乗せてドアを閉めると、ゴンの悲鳴にも似た鳴き声が聞こえた。今まで愛情込めて可愛がっていたゴンが遠ざかっていく。ゴンが後部座席に乗せられて、こちらを見て鳴いている姿が見える。ゴンには申し訳ない気持ちでいっぱいであった。これが私が見たゴンの最後の姿であった。
ゴンが去った後、家の取り壊しが始まった。今までたくさんの思い出が詰まった家が瓦礫の山と化していく。嬉しいことも楽しいこともたくさんあった家が壊されていく。バキバキバキッ。柱が折れる音がして、パワーショベルがうなりをあげて家を壊していく。それを見つめるだけしかできない私。引っ越しの手伝いに来てくれた弘姉ちゃんややよ姉ちゃん、星田もそれをじっと見つめている。私たち5人の家族以外の皆にとっても思い出深い家が壊されていく。私はそれを見るのが辛かった。そして18時。西の空が夕焼けに染まる中、私たち5人はT駅に向かった。一緒に歩いてきた星田が地下鉄乗り換えまでついていくと言ってくれた。T駅で切符を買って、駅近くの踏切の警報機が鳴る。大阪方面に向かう電車のヘッドライトが見えた。やがて、通勤客を大勢乗せた電車がホームに到着。引っ越しを手伝ってくれた弘姉ちゃんとやよ姉ちゃんとはここでお別れ。電車に乗り込む前に固い握手を交わして別れを惜しんだ。そして私たち5人と星田は電車に乗って大阪方面に向かう。見慣れた風景が遠ざかっていく。やがて電車は左にカーブして次の駅に向かう。ほかの乗客にとっては、いつもの通勤の一コマかもしれないが、私にとっては大阪府民としてみる最後の景色である。
やがて電車は大阪市内に入り、地下鉄に乗り換えとなる。私としては新大阪駅まで見送りに来てほしかったが、新大阪駅まで来てもらうと、帰りが遅くなってしまうため、ここで別れた。夏休みになったら山口に遊びに行くという約束を交わして。
地下鉄改札前で切符を買って、新大阪駅に向かう。まだ通勤ラッシュが続いており、地下鉄車内は激しい混雑であった。この激しい混雑も懐かしい感じがした。やがて地下鉄は新大阪駅に到着し、改札を抜けて新幹線乗り場に向かう。切符は一か月前に指定席を予約してあるので、あらためて切符を買う必要はなかったが、夕食の時間を迎えていることもあってお腹が空いてきていたので、駅構内の売店で駅弁と飲み物を買う。そして博多方面に向かう新幹線ホームに東京駅からやってきた博多直通の最終のひかり号が入線してきた。私たちは指定された席に座り、外を眺めていると静かに新幹線は発車した。もう次に停まる駅は新神戸駅であり、大阪府ではなくなる。そして六甲トンネルに入ると、大阪府との府県境を越えたということを知ることとなる。外の景色を眺めようにも、外はもう夜の帳が下りており、まったく外が見えない。時折上り新幹線とすれ違うたびに
「あの新幹線に乗れば、まだ大阪に帰れる」
そういう思いに駆られていた。姫路駅・岡山駅・福山駅・広島駅と停車し、広島駅から先はもう大阪まで直通する新幹線とすれ違うことはないということを知っていた私は
「もう大阪に帰ることは無理なんだ…」
そう思って、もう大阪に帰りたいとは思わないようにしていた。そして広島駅からは先は、終点の博多駅までは各駅に停車していく。23時過ぎに新幹線を降りた私たちは、母が洋裁学校に通っていたころにお世話になったおばさんに迎えに来てもらい、」おばさんの運転する車で、とりあえずおばさんの家に泊めてもらうことになっていた。そのおばさんの家に着いたのが日付が変わった午前0時過ぎ。疲れ果てていた私は、風呂に入って着替えを済ませると倒れこむように眠った。こうして小学校生活を終えた。そして山口という友人など、知っている人がまるっきりいない中で、中学校生活が始まったのである。
以降、中学生編に続く。
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