第95話中学校編 嵐が過ぎ去って

 昭和59年3月31日に私たちは大阪から山口に引越ししてきた。山口に着いたときは深夜だったということもあり、疲れ果てておばさんの家に着くなりすぐに眠った私。翌日目が覚めると、いつもの見慣れた部屋の風景ではなく、まったく違う部屋の様子を見て

「あぁ、ここは大阪の家じゃないんだ…」

と実感した私である。おばさんの家に着いたときは真っ暗だったので、外の景色を見る時間もなかったが、朝食を食べて少し外に出てみると、家の前には川が流れており、桜並木が続いていて、桜がもう少しで咲きそうになっていた。そういえば、大阪から山口に引越しするときに、家を取り壊して更地にする際に、家の庭に植えられていた桜の木は根元から引き抜かれ、無残な姿をさらしていた。私たちの幼稚園の入園や小学校への入学など、節目節目のお祝いがごとがあるたびに、家族そろって満開に咲く桜の木の下で記念写真を写してきたのであるが、その桜の木が引き抜かれるシーンを思い出して、辛い記憶がよみがえってきて、フラッシュバック状態になり、すぐに家に戻った。

 しばらくしておばさんの車で引っ越し先の借家に行って、到着した引っ越しトラックから荷物を降ろす作業が始まった。大阪で使っていた洋服ダンスや机などが次々に家の中に運び込まれていく。私たちは2階の部屋があてがわれ、机と私と姉が使うタンスを持ち運ぶ。中身が入っていないとはいえ、かなり急な傾斜のある階段を上っていくので、かなりの重労働であった。そのほかテーブルや布団など、大きなものを運び込んだ後は、食器や洋服などを家の中に入れて、とりあえずその日に必要な荷物を取り出して、中学校の制服を採寸しに用品店へ。大阪から引っ越したばかりなので、制服のサイズ合わせなどがまだ済んでいなかったのである。

 そして引っ越しの作業が終わると、今度は学校までの道順の確認や、病院・金融機関・主な店がどこにあるのか、駅はどこにあるのかなどの確認が待っていた。どこに何があるのか一から覚えなおさなくてはならないため、それだけでかなりの労力を使っていた。幸い総合病院が家の近くにあり、比較的家から近いところに個人病院もあったため助かったが、中学校までの道のりは、歩いて30分はかかるところにあった。私たちが借りた家から中学校までは、ぎりぎり自転車通学が認められない距離にあり、毎朝鞄を抱えて歩いて通学することになった。

 私たちが引っ越してすぐ、母の姉が引っ越しの手伝いに来てくれた。段ボール箱に詰めている服をタンスにしまったり、食器を取り出して水屋に収納したり、借家でしばらく人が住んでいなかったため、埃がたまっているために床を箒で掃いたり、拭き掃除をしたり、風呂の汚れを落としたり、トイレの掃除をしたりとやることはたくさんあった。どうにか引っ越しして3日くらいでようやく家の中も片付いて、落ち着いてきた。やがて伯母も自分の家の用事があるため家に帰っていった。

 身の回りのことで忙しいとほかのことも考えなくて済むのであるが、次第に落ち着いてくるとあの忌まわしい記憶が頭の中をよぎる。身の回りの皆のちょっとした言動や振る舞いから、あの当時の言辛い記憶がよみがえり、頭の中で自分が暴行を受けているときの姿や、罵声を浴びているときの記憶がフラッシュバックとともにリアルに再生されて、息苦しくなる。それとともに私の心の中に渦巻いていたのが、渡部や浜山・増井や中井・久保や湯川・天田や清川に対しての激しい憎しみ・恨み・怒りの感情が沸き起こってくるのである。

「許されるものであるならば、今から大阪に帰って、あいつらを殺してやりたい」

常にそういった思いが、。私の頭の中から離れなかった。私をこのような目にあわせておいて、いじめ加害者であるあいつらがのうのうと自分の生まれ育った家で暮らし続けていることがどうしても許せなかったのである。

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