第54話コラム いじめ被害者の置かれている現実

 私がいじめから逃れるために大阪から山口に引越しして以降も、いじめの問題は解決せず、今やネットの時代となって、私が経験したような直接暴力を振るわれたり、暴言を浴びせかけられたりと言った直接的ないじめ以外に、ラインなどのSNSを使ったいじめが多発している。私が学生だった頃は、目に見える形でのいじめが多かったが、今はラインやメールなどのツールが発達し、直接顔を合わせなくても、容易に個人攻撃ができるようになるなどの、目に見えないいじめも大きな問題となっている。いじめの加害行為は時代とともに変化を見せているが、一つだけ変わっていないことがある。それは、どの犯罪でも同様であるが、いじめ加害行為をやった側の人権は、少年法と言う法律により、暴力行為で逮捕起訴されたとしても、最低限の人権は守られるが、被害を受けた側の人権は何の回復もされないまま、何十年も経過してしまうということが多い。いじめが原因で自殺者が出ても、加害者側がきちんと誠意をもって謝罪するなどの場面はほとんど見かけない。

 私が山口に引っ越した後も、愛知県西尾市で起きた中学生男子自殺事件や、滋賀県大津市で起きた中学生男子自殺事件、北海道旭川市で起きた中学生女子自殺事件など、いじめによって起きた悲惨な事件は後を絶たない。そして、問題が大きくなるにつれて、加害者側は雲隠れして、姿を現さないまま時間が経過するシーンが非常に多い。

 私もいじめ被害にあって、山口に引越しするまでの時間、加害者の家族からは謝罪の言葉はなく、卒業式が終わった直後に、加害者の親から

「今までごめんね。うちの娘がいじめてたみたいで」

と言われたが、その時にはもう何もかも手遅れな状態であった。自分の子供がいじめ加害者だと親が気付いた時点で、子供に対して毅然とした厳しい態度を示していれば、違った人生もあったのかもしれないが、数々の暴力行為や激しい罵声罵倒を浴びせておいて、たった一言の謝罪もないのは親としてどうなのかと思うし、人として自分の子供が同じ目にあったときに、そんな態度をとられて納得できるのかという思いもある。

 私は被害救済を学校の先生を通じて訴えたが、いじめた側にも未来がある。将来があるという理由だけで、訴えることそのものを否定されて、加害者からは私たち家族が被った経済的・身体的・精神的損失に対しては、何の補償も救済もなかった。

 いじめ加害者の未来や将来をどうのこうのとか、更生がどうのこうのとか、人権がどうのこうのとか訴える前に考えてもらいたいのは、加害者の権利を訴える前に、被害者の人権を蹂躙し、耐え難い苦しみを与えて、相手を殺しかねないような重大な事件を引き起こしているということをしっかり考えてもらいたい。権利を主張するのであれば、それはキチンと被害者に対して、相手側が心行くまで納得するだけの責任を果たしてからにしてもらいたい。被害者のその後の人生を大きく狂わせるような、重大事件を引き起こしておいて、何事もなかったかのようにその後の人生を歩んでもらいたくない。

 今私はこうやってあらゆるツールを使っていじめ被害の深刻さを訴えているが、もしここで私が加害者側の実名を公表してしまえば、私が逆に少年法の規定で罪を負わなければならなくなる。これは非常におかしな話で、なぜそうまでして、加害者の人権を守らなければならないのか。被害者には人権はないのか。そう思うことが多々ある。

 旭川の事件では、事件のあった中学校の教頭が、1人の被害者の未来と、10人の加害者の未来とどちらが大切か?などと言うふざけた言葉を被害者のお母さんに対して述べたといわれているが、たった一人1人の被害者の人権を守ることができないような大人が、10人の加害者の更生などできるはずないと思う私である。

 学校で起きるいじめのすべての解決を学校側や教育委員会に求めるのは、司法機関ではないため、難しいと思うが、いじめ被害を訴える児童生徒がいるときは、隠蔽したり、矮小化するのではなく、関係機関と連携して、いじめという問題に真剣に取り組んでもらいたい。そして、いじめの事実が明らかになった場合は、加害者を被害者から物理的に引き離して、だれも見知った人間のいない遠くに転居させるくらいの強い実行力を持ってもらいたい。

 この世に、暴力を受けてもいい人間も、罵声罵倒を浴びせかけられていい人間も、人権を蹂躙されてもいい人間はいないはずである。なぜそれが分からないのかが実に不思議である。自分がされて嫌なことは他人にしない。その通念が薄れているような気がする。また、いじめられる側にも問題があるということを平気で言う人間もいるが、果たして本当にそうであろうか?顔つきや体格などは被害者にはどうしようもできないことであるし、生まれ持った体質や持病についてもどうしようもない。また家庭状況がどうのこうのとかいう輩もいるが、家庭状況もいじめ被害者にとっては、どうにもできない。あるいは国籍や人種・肌の色などがいじめにつながることもある。その被害者個人ではどうしようもできないようなことで暴力を振るわれるのである。本人にはどうしようもできないことで暴力を振るわれて、人権を蹂躙されて、それでも被害者にも問題があるといえるのか?それを考えないで、被害者にも問題があるというのは、加害者を擁護しているだけである。そんな考えは今すぐ捨て去ってもらいたい。

 いじめ加害者に比べて、ないがしろにされている被害者の人権。もっと真剣に取り組んでもらいたと願う私である。いじめ被害に苦しんだ私としては、いじめ加害行為が無くなったからすべて終わりと思わないでもらいたい。いじめ被害者は長い時間、フラッシュバックやPTSD(心的外傷後ストレス障害)に苦しめられ、ひどい場合は普通の社会生活を営むことさえも難しくなるのである。いじめ被害者が年月を経て被害を訴えられるまで回復しても、今度は、もう過ぎ去ったことじゃん。今更何年もたって、いつまで被害者面してるのか。とか、そういった心無い言葉を浴びせられることがあるが、いじめ被害者にとっては、いじめ加害行為が終わったからと言っても、何も解決していないのである。それをわかってもらいたいと思う私である。加害者は被害者に一生消えることとも、癒えることのない痛みを与えているということをしっかりと認識してもらいたい。被害者の一生にわたる苦しみを与えても、それでも加害者はのうのうと生きていけるのか?被害者の人権を蹂躙したという十字架を一生背負って生きていけるのか。それを問うてみたいと思う私である。

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