第53話紀伊半島一周の旅
そんな心配を感じながらも時は過ぎていき、3月31日を迎えた。8時の近鉄特急に乗るため、6時ごろに起きて、出発のための最終確認などを済ませて、朝食を食べ後にT駅で星田と待ち合わせ。7時ごろに出発する電車に乗り込んで大阪市内へ。近鉄乗り場に向かって、改札機に切符を通して名古屋行の特急が発車する乗り場へ。私たちが乗るのは、2階建て車両を連結したビスタカー。2階席が取れたので、見晴らしのいい景色を楽しめる。近鉄難波駅は奈良線の電車と名古屋や伊勢志摩・奈良方面に向かう特急列車が発着し、大阪線の急行や普通列車は上本町から発車する。
ホームで待っていると近鉄名古屋行きのビスタカーが入線し、乗車案内の放送が駅構内に響き渡り、指定された席に着席。名古屋方面に急ぐのであれば、新幹線が圧倒的に有利なはずであるが、新幹線よりも料金が安く済むということで、一定の利用者がいるようである。この時もほぼ満席で、新幹線よりも時間はかかるが、快適に安く移動したいビジネスマンなどに利用されているようである。この当時は、上本町を出発すると、終点の名古屋までノンストップであったが、今は最高速度が引き上げられたために、運転時間に余裕ができたのか、主要駅にも停車する措置が取られており、途中駅からも利用しやすくなっている。
着席してやがて発車時刻の8時を迎え、静かにホームを離れる。地下線から地上に顔を出して、一気に高架に駆け上がって、布施駅で奈良線と別れて大阪線を東に向かう。大阪線は大阪府南東部や、桜井市などの奈良県中部、三重県内陸から名張市を経由して、伊勢中川駅に向かう路線であるが、大阪までの通勤圏内と言うと、桜井駅付近までであろうか。私としては、大阪環状線との接続駅である鶴橋駅も通過するというのは、ちょっと不思議なダイヤであるような気もした。
上本町駅を出ると名古屋駅まではノンストップで走っていくので、乗降客はないので、車内はいたって静かである。時折車内販売員が飲み物やお弁当などを売って歩く以外は人の出入りもあまりなく、名古屋駅には2時間半ほどで到着するが、午後からの会議にちょうどいい時間帯に到着するためであろうか、ビジネスマンが多く、小学生は私たち二人ぐらいであった。
やがて奈良県に入って、検車区のある安堂駅を通過。関西本線とクロスして、さらに和歌山線、桜井線を乗り越して、高架の桜井駅を過ぎる。ここからは次第に大都市圏から郊外へと変わっていく。そして赤目四十八滝などの名称の最寄り駅である赤目口駅を通過して、本来、松坂から伸びてくる名松線の終着駅になるはずであった名張駅。ここも一気に通過して、伊賀線(現在の伊賀鉄道)の電車が見えてくると伊賀神戸駅。そして私鉄では当時最長を誇った青山トンネルへ突入。5キロ以上あるトンネルをくぐって次第に開けてくると伊勢中川駅。この駅は名古屋方面や伊勢志摩方面、名古屋からも大阪からも伊勢志摩方面に直通できる配線となっており、ここまでトップスピードで走り続けてきたビスタカーもスピードを落として伊勢中川駅の構内をかすめるようにして通過し、名古屋線へと進んでいく。途中、三重県の県庁所在地である津駅があるが、ここも通過。津駅や松坂駅などからは当時の国鉄線とライバル関係にあったのであるが、運転本数や車内設備では近鉄が国鉄を圧倒していた。近年ではJR東海が関西本線・伊勢鉄道・紀勢本線・参宮線経由で伊勢志摩方面へ向かう快速などを走らせているが、単線区間が多く残っていることも関係して、列車の増発が難しく、いくらか便利になったとはいえ、近鉄がやはり優勢である。
津駅を通過すると、伊勢線と並走する形となり、近鉄四日市駅を出ると、今度は関西本線と並走する形となるが、当時の関西本線は非電化路線で、運転本数やサービスの面でも近鉄が圧倒していた。時折関西本線の線路が見えるが、列車がやってくる気配は全くなく、名古屋という大都市のすぐ近くを走っているのにもかかわらず、ローカル線としか言いようのない状態であった。
やがて近鉄名古屋駅到着のアナウンスが入り、近鉄特急の旅が終わって、ここから紀勢本線へと向かう特急南紀に乗るため、国鉄関西本線乗り場へと向かう。まだ乗車まで時間があるため、星田と二人でお土産を品定め。あれがいい・これががいいと言いながら二人でお土産をどれにしようか考えるのは楽しかった。
お土産を買ったり、長野方面に向かう特急しなのの発車の様子眺めたりしながら時間をやり過ごし、やがて期は82系で運用される南紀が入線。外観は国鉄ディーゼル特急車両の中では気は181系とよく似ているが、キハ82系には屋根にラジエーターが搭載されていない。出力も180馬力と非力で、志摩半島を横切るキハ82系にとっては、非常に過酷な山岳区間だったのではないこと思う。
乗車時間になって、私たちは指定された席に座る。途中で窓側と通路側を交代しながら景色を楽しむ。出発時間になり、南紀はエンジンを目いっぱいふかしながらゆっくりと名古屋駅を離れる。やはりディーゼルエンジンを搭載しているだけあって、エンジン音が床下から響いてくる。
先ほど乗ってきた近鉄名古屋線が時折見え隠れする。近鉄は複線電化でやってくる電車の本数も多く、頻繁に見かける。
その一方で今私たちが乗っている関西本線は単線であるため、交換設備のある駅に差し掛かるとポイント通過のため速度を落とす。今では単線区間が多く残る関西本線でも、一線スルー方式で高速で通過することが可能なように改良されているが、この当時の南紀は特急でありながら、表定速度が60キロにも満たない鈍足特急であった。
途中河原田駅で関西本線から伊勢線へと入る。この路線は沿線利用と言うよりも、名古屋と紀勢本線を短絡する目的で建設された路線で、沿線利用は振るわない路線であったが、この南紀を含め、通過する特急・急行は多かった。しかし、国鉄再建法で第二次廃止対象路線の指定を受けて、伊勢鉄道として第三セクター化されて今に至っている。
その伊勢線の終点が津駅であるが、大半の列車が多気方面などに向かうダイヤが設定されている。その津駅での乗降はあまりなく、すぐに発車。次は松坂駅であるが、ここも大きな乗客の入れ替わりはなかった。ここまでは近鉄が並走しているため、本数の少ない国鉄特急に乗らなくても不便さはないということなのである。この列車に乗っている主な乗客と言うと、近鉄が走っていない三重県南部に向かう乗客が主で、名古屋から乗った乗客のほとんどがそのまま乗り続けている。さて、参宮線の分岐駅である多気駅を出ると、志摩半島の付け根を横断する山岳区間へと歩を進める。急カーブが断続するようになり、次第に上り勾配もきつくなる。二人ともゆっくりと流れる景色を堪能しながらワイワイと楽しく過ごしていた。
車内販売が回ってきて、昼食用のお弁当を購入。お昼時であったので、買ったお弁当をさっそく開いて、ランチタイム。多気駅から紀伊長島駅の間で一番大きな三瀬谷駅に到着。特急停車駅であっても、山間のローカル駅といった趣の駅で、乗降はあまりなかった。
志摩半島をあえぎながら登っていた南紀であるが、紀伊長島駅に到着する手前で一気に下り勾配を下っていく。それまでの重い足取りからスピードが上がるため、下り勾配に変わったことを実感する。
紀伊長島を出ると熊野灘に沿って南下。温泉地である紀伊勝浦を目指す。海岸線に出たからと言って平坦な道のりであるかと言うとそうではなく、複雑に入り組んだリアス式海岸であるため、結構起伏がある。
紀伊長島を出ると次に停まるのが尾鷲駅。三重県南部の主要都市で、ここで結構な乗降があった。尾鷲というと漁港と尾鷲節で有名なところ。地形的な関係で度々大雨に見舞われるところで、年間降水量も国内で多い部類に入る。
尾鷲を出ると海水浴で知られる新鹿駅を通過する。新鹿海岸はまだ3月末ということで人影もなく、ひっそりとしていた。やがて比較的まとまった街並みが見えてくると熊野市駅。ここでもかなりの乗降があった。熊野市と言うと、奇勝鬼ヶ城で知られるところで、険しい岩肌が見られるそうであるが、この時は降りて観光する時間がなかったので、残念ながら行けなかった。熊野市駅を出発して、熊野灘の南部へと差し掛かり、上流に瀞峡などの観光地を控える熊野川を渡って、和歌山県に入って新宮駅に到着。
ここから和歌山駅までは1978年に電化されていて、新製された381系が中央西線に続いて投入された。その381系で走るくろしおの入線まではまだ時間があるため、駅の売店で新宮名物のめはりずしを購入。この寿司はサバの押し寿司で、感じから言うとバッテラと似たような感じのお寿司である。駅弁を買っておやつも買い込んで、くろしおの入線を待つ。待ち時間の間に駅の観光スタンプを押して、ホームでしばらく待っていると、天王寺駅からやってきたくろしおが入線してきた。9両編成の381系電車からは大勢の乗客が下りてきて、足早に改札へと抜けていく。ここは和歌山県南部の主要都市で、点在する温泉地や那智大社・瀞峡などへの中継地としてにぎわいを見せている。
一通り下車し終えると、車内清掃があり、その後車内へ。指定された座席に荷物を置いて、あらためて車両を見渡すと、屋根にはパンタグラフ以外何もついておらず、屋根はずいぶんとすっきりした印象を受ける。この381系電車は、曲線区間でも高速で運転できるように、日本では初めて振り子式を採用した車両で、徹底した低重心化を図るために、パンタグラフ以外の機器はすべて床下の設置されている。
この381系を写した後、乗り遅れないように二人車内へ。私たちが乗ったのは、天王寺方面に向かって、先頭から2両目であった。この列車でも海側の座席が取れて、存分に美しい風景を楽しむことができる。
やがて発車時刻となり、くろしおは新宮駅を発車して、天王寺駅に向かって走り出した。電化されてカーブに強い381系であるが、本格的な高速運転ができるのは紀伊田辺駅以北で、それまで381系でもきつい急カーブを繰り返しながら走っていく。
紀勢本線は潮岬に近い串本駅を境にV字型を描くように線路が敷設されていて、串本駅までは南西方向に南下していく。途中、捕鯨で有名な太地駅を過ぎて、紀伊姫付近では紀勢本線の見どころの一つである橋杭岩が見えてくる。太平洋に向かって柱のような岩がそそり立っている。そして橋杭岩が後方に遠ざかると本州最南端の駅である串本駅に到着。ここは潮岬観光の拠点であり、大勢の観光客が乗り込んできた。ここから進行方向を北西方向に変えて進行していく。太平洋を眺めながらの旅は続き、関西の奥座敷ともいわれる一大温泉郷が広がる白浜駅に到着。天王寺方面からこの駅止まりのくろしおも多く、いかに観光利用が多いかうかがい知れる。そして和歌山県南部の主要都市である紀伊田辺駅からは複線区間に入り、これまでより線形もよくなるので、本格的に高速運転を行う。確か紀伊田辺駅を出たあたりで17時を過ぎていたかと思うが、ここから乗換駅の和歌山駅まで1時間ほどになってきたので、ちょっと早いが夕食。新宮駅で勝っためはりずしを食べたのであるが、サバの押しずしを大葉で包んだお弁当で、青魚特有の臭みが消されて、とてもおいしかった。
お弁当を食べながら次第に黄昏ていく車窓を長雨て和歌山駅に向かう。太平洋の彼方へ沈んでいく夕日がとてもきれいであった。西の空と海面を真っ赤に染めながら日没を迎えた。
和歌山駅に着いたのが19時前で、ここから阪和線の快速に乗り換える。阪和線は海側を走る南海電鉄本線とライバル関係にあり、海側の景色を楽しみたいのであれば南海本線、大阪方面に急ぎたいのであれば阪和線快速の方が速いのであるが、運転本数では南海本線の方が多く、料金を安く移動できる。南海が和歌山市駅と難波駅の間に走らせている特急でも、運賃に座席指定料金を払うだけで済むので、国鉄よりも安い。
その和歌山駅に帰ってきたところで、それぞれの家に連絡を入れる。私が電話を掛けたら母が出た。
「もしもしお母さん?今和歌山におるねん。順調に予定を消化してるから安心してや。20時過ぎにはT駅に着くから」
星田も連絡を入れて、かけ終わると快速列車が入線してきた。入ってきた車両は、阪和線快速用の白地にスカイブルーの帯をまとった113系電車。国鉄時代では珍しい、地域色であった。この阪和線は雄ノ山峠を越えて大阪に向かうが、紀伊駅から和泉鳥取駅にかけてはちょっとした山岳区間となっており、トンネルもいくつか存在する。やがて大阪府内に入り、電車区のある日根野を通過。381系の車両基地であり、阪和線を走る車両を一手に引き受けている一大車両基地である。日根野駅を過ぎると次第に人口密集地帯へと進んでいき、天王寺駅には20時前に到着。ここからさらに乗り換えてT駅に着いたのが20時過ぎ。改札を抜けて家に向かって歩いていると、夜勤業務に入っていた父とすれ違った。二言三言会話を交わして家に帰って、星田と別れた。まる1日をかけての紀伊半島の一周の旅。これが小学校時代で一番の、そして最後の楽しい思い出となった。この後、春休みが終わると地獄のようないじめが待ち構えているとは、この時はまだ、想像だにできなかった。そして夢にも思わなかった。
紀伊半島一周の旅から帰ってきて、私は旅日記風に自宅最寄り駅を出発して、帰るまでを写真とともに書き記して、アルバムにして残すことにした。旅の始まりであるT駅前で写した写真から、近鉄難波駅で乗車する前にうつしたビスタカー、期は82系南紀や紀勢本線沿線の風景、381系くろしおなどの写真を乗車ルポとともに張り付けて、アフターツアーを楽しんで、こうして紀伊半島一周の旅は幕を下ろした。
そして春休みが終わって、いよいよ私は6年生へと進級。最上級生になるのを楽しみにしていた私である。その後に起こる悲劇と苦難など思いもしないで…。
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