第7話
§
若いから大丈夫とか思ってたら、ちゃんと足を掬われた。
「ごほ、ごほ・・・・・・」
自宅で布団にくるまりながら君は高熱に浮かされていた。「ごほ、ごほ」が、「ごぽごぽ」に聞こえる。今にも咳で溺れてしまいそうなほど君は何度もなんども咳をし、そのたび身体が跳ねる。
大学には行けないと早々に諦めた君はまず、平輝くんに連絡を入れる。というか助けを呼ぶ。
『風邪ひいた、みずとたべもの買ってきてほしい』
漢字に変換する一手間すら惜しむほど容態がよくない。君は手短に連絡を送って、返信を待った。
するとありがたい事にすぐに返信が来る。
けれどそれは残念な知らせだった。
『悪い。俺今日、凛と二人で出掛けてるんだ』
・・・・・・なんと間の悪い事。
しかも凛ちゃんも。これで君は頼れる唯二のアテを失い、自立を余儀なくされる。
でもすぐに平輝くんが白羽の矢を立ててくれる。
『小米ちゃんならいると思うから、連絡入れとくよ。てゆうか連絡先知ってるっけ?』
『しらない』
そう言えば二人とも、連絡先は交換してなかったね。
別に連絡先くらいその場で気軽に交換して、付き合いがないと思えばすぐに削除すればいいのだし、聞けるタイミングがあれば聞けばいいのだ。こんな風に、いざという時困る事になるなら尚更だ。
平輝くんは小米ちゃんに連絡を入れるのと共に、君からIDを聞き出し小米ちゃんに君の連絡先を教える。すると少しして君のスマホに小米ちゃんから連絡が入った。これで細かいやりとりなどを直接本人と話せるようになった。
再度、平輝くんから事後報告があって、君は『ごめん、ありがとう』と謝辞と謝意を重ねる。
見えないところで第三者同士が自分の為にやりとりをしている事に君は、申し訳なさを感じているのだと思う。実くんは普段、人との接触を避ける事が多いから、緊急事態とはいえ困った時だけ助けを求める事に都合のよさも感じているかもしれなくて、だからその申し訳なさと、こんな都合のいい自分の為に色々よくしてくれた事への感謝が『ごめん、ありがとう』に集約されている気がする。
平輝くんから小米ちゃんへと会話を引き継ぐと、短いやりとりを何度か交わして、後は彼女がやって来るのを待った。その間に、先に玄関のカギを開けておく事にした君はありったけのエネルギーを振り絞って布団から這い出た。頭を抑えながらフラつく身体で玄関のカギを開け、それから冷蔵庫からペットボトルの水を取り出し、ゴクゴク飲むと、布団の隣に置いておいて、また横になる。
それからスマホで、カギは開けてある事を小米ちゃんに伝え、君は眠りに就く。
§
「・・・・・・せんぱい、・・・・・・先輩」
名前を呼ぶ声が聞こえる。その声が段々と鮮明になるけどそれは単に実くんの意識が覚醒に歩み寄っただけで、声量が上がったという意味ではない。
目を覚ますと、目の前には小米ちゃんの姿があった。
かがみ込み、君の顔を心配そうに覗き込んでいる。
「大丈夫ですか、先輩・・・・・・?」
「・・・・・・あぁ、うん。ごめん、来てくれて」
そう言うと、小米ちゃんはかぶりを振るも、少しだけ苦笑する。
「本当に風邪引いちゃいましたね」
「・・・・・・あぁ、うん」
それには返す言葉がない。
君は曖昧に返事をした。
小米ちゃんも、ちょっかいはそれくらいにして看病を優先する。
「近くのスーパーで色々買ってきました。よかったら今から雑炊でも作ろうかと思うんですけど、ごはんまだですよね?」
「うん・・・・・・なにも食べてない」
「流石に少しくらい口にしとかないとダメですよ。体力落ちるばかりなんで」
「布団から出るのもやっとなんだ・・・・・・」
「そのまま寝てて下さい。その間にごはん作るので。台所借りますね?」
「うん・・・・・・その」
「はい?」
「ありがと・・・・・・」
随分と潮らしい態度に、一瞬小米ちゃんは呆気に取られる。でもすぐに気を取り直して、「大丈夫ですよ」とニコッと笑って応えた。
実くんが横になっている間、小米ちゃんが台所で調理を開始する。前に、調理器具の確認と、冷蔵庫のチェックが入る。
ここで実くんがほとんど自炊しない事がバレる。
「包丁がないっ・・・・・・!」
と言う小米ちゃんの悲鳴に近い声がキッチンで聞こえてきた。
実くんは手捌きが苦手な事から調理用はさみを愛用している。と言ってもほとんど使っているのを見た事がない。既に工場でご丁寧に均等にカットされた野菜を使っているからだ。
そうは言いつつも、今回作るのは雑炊だから包丁の出番はないので不便はない筈だ。 しかし炊飯器は空なのにどうやって今からおかゆを作るのかと思ったけど、用意周到にも小米ちゃんはパックごはんを買ってきていた。それを温めている間に鍋に張った水を沸騰させていく。電子レンジがチンと鳴ると、すぐに取り出してそれをお鍋に入れてごはんをほぐし、そこに溶き卵と雑炊の素を入れ、混ぜる。少し煮たら容器に入れて、塩を少々ときざみネギ、もみのりをパラパラと散らして梅干しを乗せたら完成。食器棚からスプーンを物色し、ステンレスと木製の二種類あったので木製スプーンを選び取る。ついでにトレイも探したけど、勿論そんな物はある筈もなく、直接持ってリビングに運ぶと、テーブルに一旦それを置いて、それから実くんを起こす。
「桐崎先輩、料理出来ましたよ。起きられますか?」
「大丈夫・・・・・・ありがと」
力ない声が返ってくる。君はゆっくりと身体を起こすと、咄嗟に小米ちゃんが背中を支える。上体を起こすと、実くんは頭を抑える。ちょっとの動きで頭痛がするようだ。
「雑炊作りましたよ。出来たてなので少し冷ました方がいいと思いますけど、先に飲み物いります?」
「うん、冷たいの」
「分かりました」
そう言って小米ちゃんはキッチンからグラスを取って来て、冷蔵庫からペットボトルのお茶を手に取り、注いだ。ボトルとグラスを両方持って戻ってくると、グラスを手渡す。君はありがとうと言ってからゴクゴクとお茶を飲む。熱で水分がカラカラなのか、すぐに飲み干した。
「雑炊もらってもいい?」
そう言って君は容器に手を伸ばすので、小米ちゃんはその手を制する。
「布団から出られないなら、私が食べさせてあげますけど」
「え・・・・・・や、それはちょっと・・・・・・」
君は言い淀む。
でも小米ちゃんは慎重な面構えをして言った。
「布団の上で直に容器を持って食べたりしたら、万が一にも溢したら大変じゃないですか」
「いや、テーブルを寄せたらいいから・・・・・・」
「横向きの姿勢で食べるの辛くないですか?」
「まぁ・・・・・・」
「なら食べさせてあげますから。男の人って風邪を引いた時、女の子に食べさせてもらうのが理想のシチュエーションなんでしょう?」
「そんな事言ってるの、高校生までだよ・・・・・・」
「それなら、高校生の頃の気持ちを思い出して下さい」
「なんだそれ・・・・・・」と君は溢しつつ、きっと内心では嬉しいに違いない。こんな可愛い子に食べさせてもらって嬉しくない男の子がいるだろうか?
小米ちゃんは容器とスプーンを持つと、一掬いして一度、ふぅ、ふぅと湯気を冷ましてから実くんの口元に運ぶといったオプションまで追加してくれた。熱で顔が赤いから、羞恥心がバレなくていいね。「はい、どうぞ」と言うのを合図に実くんはおもむろに口を開けると、小米ちゃんはゆっくりとスプーンを口内に差し入れる。実くんが口を閉じると、ゆっくりとスプーンを引き抜いた。もにゅもにゅ口を動かしながら小米ちゃんが「熱いですか?」と聞くので「大丈夫。美味しい」と答える。
「お口に合ってよかったです」
はにかみながら二口目を掬って再び口元へ。小米ちゃんがゆっくりと食べさせてくれるので、食事自体は少ないのに結構な時間が掛かってしまったけど、温かいものを食べた事で実くんの表情が和らぐのが見て取れた。
「お薬買ってきたので、食後三十分経ってから飲んで下さいね」
そう言って小米ちゃんはスーパーの袋から風邪薬を取り出すので、実くんは横になりながらお礼を言った。
「ありがとう。お金はちゃんと返すから、レシート残しておいてくれてる?」
「はい。でも余計な物も買ってしまったと思うので、全額はいらないですよ」
「そういう訳にはいかない」
と君は食い下がる。
「でも・・・・・・」
「いいから。――それより」
と話が長引くのを危惧してか、君は話を変える。
「百地さん、大学へは行かなくて大丈夫? 抜け出して来てくれたんじゃないの?」
「えぇ、まぁ。でも大丈夫ですよ一度くらい休んだって。講義内容は友達に教えてもらえますし。でも次の講義は必修なので行かなきゃいけないので、そろそろ出ますけど、一人でも大丈夫ですか?」
「うん・・・・・・ごはん食べたら少しよくなったよ」
「それはよかったです」
相槌を打ちつつ小米ちゃんはテーブルに買ってきたものを色々と並べる。
「もしまた体調が優れない時の為に側に飲み物とインゼリーと置いておきますね。冷えピタも買ってるんですけど、まだ冷たくないので冷蔵庫でもうしばらく冷やした方がいいですね。保冷剤とかあるなら、ハンカチとかに包んで代用出来ますけど。それと、汗とか掻いてるなら着替えた方がいいですよ。お風呂に入るのは避けた方がいいですけど、気持ち悪いなら濡れたタオルで身体を拭くだけなら、手伝いますけど」
「いや、いい。大丈夫だから・・・・・・」
あれこれ世話を焼いてくれる小米ちゃんに君はつい呆気に取られ、素っ気ない返しになるけど勿論ありがた迷惑に思っている訳じゃなく小米ちゃんの手厚過ぎる介抱に引け目を感じているだけだ。
実くんは気持ちだけ受け取って小米ちゃんに帰ってもらう。もう、次の講義まで時間がない。
小米ちゃんは帰り間際まで心配してくれたけど実際、実くんの顔色はさっきより幾分よくなってるのは明らかだった。
最後はそれを安心材料に小米ちゃんは帰っていった。
再び一人になって室内が静寂に包まれると、さっきまでの話し声の残響が、耳を澄ませば聞こえそうだった。
実くんは横になり、ソッと目を閉じる。まだ薬は飲んでないから、ただ目を閉じただけだ。でも君の表情は、眠りに就いたみたいに安らかだった。
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