第8話




§



 小米ちゃんの看病もあってか、翌日には平熱に戻り、すっかり風邪は治っていた。



 一応、平輝くんや小米ちゃんに連絡を入れておく。するとすぐに返信が来たので、それに返信を打ってから君は普段通り支度を済ませて大学へと向かう。



 一限目の講義を受けながら、再度小米ちゃんに向けたメッセージを考えていた。差し入れの代金を返さなくてはいけないので、休み時間にでも会えないかと申し入れの文章を考えているところだった。何度か打ち直して送信すると、講義中にも関わらず、ほどなくして返信が返ってきた。――昼休みに会う約束をした。







 昼休みに食堂前で落ち合う事になり、待ち合わせ場所に向かうと君は小米ちゃんの姿を遠くから発見する。すると途端、足取りが重くなる。



 向こうも実くんの姿を見つけて、軽く手を振ってリアクションを取るので、君も軽く会釈。

「あ、先輩。体調は大丈夫ですか?」



 対面すると、小米ちゃんは体調を慮ってくれる。それに対し実くんは歯切れが悪い。

「あ、う、うん・・・・・・」



 昨日の件で思うところがあるのかもしれない。

 あまり弱みを見せない君だから、それを見られた事への恥ずかしさみたいなものがあるのかな。

 実くんは、早々に本題に入る。



「昨日は、ありがとう。助かったよ。早速だけど、お金返すね?」

 そう言って君はそそくさと財布を取り出し、お金を返す。小米ちゃんが受け取ると、君は「それじゃあ、」となにやらこの場を後にしそうな雰囲気があって、すぐに小米ちゃんから呼び止められる。

「よかったら一緒にお昼食べませんか?」



 一つ借りがあるからか、そう言われて君は断る事が出来なかった。








 前回同様、実くんだけ食券を買って料理を注文し、小米ちゃんが確保した席に座る。腰を下ろしたところで、小米ちゃんが会話のキッカケとして君の体調について触れる。



「先輩、もう体調は大丈夫なんですか?」

「うん、お陰で。・・・・・・昨日は迷惑掛けてごめん、講義もあったのに」



 実くんは引け目から、申し訳なさそうに終始、口調が弱々しい。

 小米ちゃんはかぶりを振る。



「いえ、全然。風邪が治ってなによりです」



 にこやかに笑ってみせる。気を遣わなくていいよ、という配慮が見て取れた。



「でも先輩。案の定、風邪引いちゃいましたね」



 と。小米ちゃんは冗談を言う。

 すると実くんは伏し目になる。

「それはたまたま・・・・・・」


「普段から食事に気を遣わないと、こういう事になるって事ですね」

「はい・・・・・・」



 ド正論に実くんは頷くしかない。



「てゆうか先輩、キッチンに包丁なかったんですけど」

「え」


「軽く衝撃だったんですけど。なんですか、防犯対策ですか?」

「いえ、違いますけど・・・・・・」

 責められているのかと思っているのか、実くんはたどたどしい返事になる。



「包丁がないのを見て、先輩がロクに自炊してない事は分かりました。包丁がなければ料理は作れないって言ってる訳じゃなくて、意識の問題ですこれは」


「でも最近のスーパーはカット野菜とか豊富だからね」


「でも単価は高いですよね?」


「一人暮らしに丸々一個の野菜は使い切れないし高いよ。僕、料理のレパートリーは広くないから、カット野菜が便利なんだよね」

「野菜炒めしか作れないですもんね」


「チャーハンも作れるよ」

「野菜全然入ってないじゃないですか」

「チャーハンだからね」

「先輩」



 そこで、小米ちゃんが区切りを付けるかのように一言で言葉を区切る。

 すると実くんは小米ちゃんに意識を向けさせられる。

 目が合った。小米ちゃんの真面目な顔が映る。



「一人暮らしするなら、自分の身体は自分で守らないと、昨日みたいな事になるんです。だから自炊はちゃんとした方がいいと思います」


「う・・・・・・それは」



 返す言葉もない。

 でも小米ちゃんは言い負かしたい訳ではなくて、実くんを心配しているだけだった。

 小米ちゃんは言葉を続ける。



「もし先輩がよければ、私、献立考えますよ?」

「・・・・・・。え」



 意外な提案に、実くんは呆気に取られ、目を丸くする。



「先輩でも出来る簡単なレシピ考えますよ」

「え、でも」


「大丈夫ですよ、私献立考えるのとか好きなので。あ、でもありがた迷惑ならやめときますけど。もしよかったらって話です」



 あくまで提案ベース。でも君の為に言ってくれてる話だから、無下に出来る筈がない。



「それはありがたいけど・・・・・・」

「けど?」

「や、その・・・・・・」



 今の「けど」は含みを持たせたというよりただの口癖だったので、小米ちゃんの追撃にすぐには反応出来ない。少し時間を要してから君は返答する。



「ネットで調べれば出てくるし、別に百地さんがしてくれる事はない、というか」


「でも調べなかったからレパートリー少ないんですよね?」

「あ、はい」


「意思の弱い先輩は、他人から厚意を受け取る形でしかやる気を起こせないと思うんですよ」


「サラッとヒドい事言うね」

「違いますか?」

「違いませんが・・・・・・」


「だったら私が厚意を差し出せば先輩もやる気になってくれるんじゃないかと思うんです。私自身、献立を考えるのは好きなので、両者ウィンウィンの関係ですよね?」


「はぁ」

「でも強制じゃないので。あくまで提案ですので、選択権は先輩に委ねます」


「そんな風に僕の意思を尊重されると、無下に出来ないっていうか、選択肢なんてあってないような気が・・・・・・」


「だから、こういう形でないと先輩はやる気起きないんですよね?」

「・・・・・・・・・・・・」


「嫌なら断って下さいね?」



 にこり、と小米ちゃんは微笑む。その微笑を受けて君は観念したかのようにうなだれる。



「・・・・・・いえ、よろしくお願いします」

「はい。では献立はラインで送りますね?」

「分かった」



 こうして二人は、新たな形で繋がりを得る事になる。








 その日のうちに小米ちゃんからラインで献立が送られてきた。

 四限目の講義が終わると、その時には既にラインが送られてきたので、講義中に考えていたんだろうか。



「なにも今日からじゃなくても・・・・・・」



 夕飯の支度に間に合うようにという事だろうけど、その性急さに実くんは愚痴っぽく独り言を溢す。



 出来ればもう少しだけ後回しにしておきたい、みたいなニュアンスがその声音には含まれていて、鈍り切った一人暮らしの体たらくが如実に表れていた。



 そして、献立と共にもう一件メッセージが届いていて、実くんはその文面を見て唖然とする。



『出来た料理は写真で送って下さいね?』



 という一文だった。

 信用されてないんだろうか。 君は戸惑いつつ、返信の文章を打つ。



『なにもそこまでしなくてもよくない?』



 するとほどなくして、小米ちゃんから返信。



『サボらないとも限らないので。でも料理するなら別に写真を撮るくらいなんて事ないですよね?』



 若干煽ってないかな?

 でも確かに写真を撮って送るくらいなんて事はない、一分足らずで出来る事だ、けど、監視されている事に実くんは唖然としているのだ、というかそこまでして管理してくれる小米ちゃんのモチベーションってなに? っていうのもあるかもしれない。



『分かった、送る』

『もし料理が失敗したとかあったら気軽に連絡して下さいね?』



 最後にフォローを添えて、小米ちゃんからの連絡は途切れる。

 そして実くんは早速、帰り道にスーパーへ寄って小米ちゃんの献立表を見ながら食材を買い揃える。



 献立内容はコンソメスープの野菜煮込みと、簡単なものだった。で、例の如く君はカット野菜を手に取る。でもその時いつもと違うのは、カット野菜を手に取る際、逡巡した事だ。自炊を促す為に小米ちゃんは献立を考えてくれた訳だから、その主旨に添うならカット野菜じゃなくてちゃんとした野菜を買うべきなんじゃないのか、という逡巡であると推測出来る。でも家には調理用ハサミしかないから、包丁を買わないと。という事を考えると手間だから結局カット野菜をカゴの中に入れる。ザッと、君の頭の中はこんな思考だったと思う。



 まぁまだ初日だ――ってあれ、そう言えば小米ちゃんは一日分の献立しか送っていなかったけど、翌日以降はどうするのかな?

 流石に毎日献立を考えるのは難しいだろうからある程度のレパートリーを提供して、後はローテーションを組んでもらうというのが現実的なような気がするけど――






 ――という私の推測は外れて、毎日献立が送られる。平日だけじゃなく、土日も。一週間。さらにその翌週も。



 流石にそれは予想してなくて、小米ちゃんに直接会った時、君は遠慮を口にしたけど小米ちゃん自身は好きでやってるからいいと言う。



 そういう問題ではないのだけど、でも実くんは内心では、毎日小米ちゃんから送られてくるラインのメッセージは楽しみにしてる――というのも、ラインでのやりとりを見てみれば、ただ献立が送られてくるだけの一方的なものではなくて、短いラリーながら会話が行われているのだ。



 君はそのラインのやりとりをする時、頬が緩む。

 小米ちゃんとのラインに、楽しみを見出している。

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