第2話





§



「別れて欲しいの」



 麗奈ちゃんから、おもむろに切り出された。

 ――別れて欲しいの。

 付き合って二ヶ月。早々の破局に、しかし実くんは驚きはなく、やっぱりか、というようなニュアンスが表情から見て取れた。



 無言で俯いたまま、返事をするのもままならないといった様子だけど、表情からは色んな感情が読み取れる。



 ――昨日、麗奈ちゃんから連絡があって、『会って話したい』と短いコメントが送られた。



 それだけでもう、察するものがあって、実くんは気が重そうだったけど、でも今逃げたとしても、それは早いか遅いかの違いでしかない事は分かっているから、それなら早く終わらせてしまいたいと、実くんは彼女と会う事を承諾し、そして今日、カフェで落ち合う事となった。



 先に着いたのは彼女の方で、スマホから座席の場所が送られてきたので、実くんはお店に着くと、それを頼りに辺りを見渡し、彼女の姿を探した。そして見つけた窓際の四人掛けのテーブル席。実くんは重い足取りで彼女の元へと向かう。麗奈ちゃんはスマホを弄って視線を落としていたから直前まで実くんが来ている事には気付かなかったけど、気配を感じておもむろに顔を上げると、目が合って、すると僅かに表情が引き締まるのを確認した。



「おはよう・・・・・・」と、実くんは言う。どんな風に切り出せばいいのか分からなくて、とりあえず場を繋ぐ為に一言挨拶をした感じ。で、彼女はと言うと、「座りなよ」と、素っ気ない。向かいの空席に座るよう促す。ので「ぁ、うん・・・・・・」と、実くんは挨拶を無視された事に居たたまれなさを感じつつ、彼女に言われた通りそそくさと席に座る。座るや否や、麗奈ちゃんはメニュー表を差し出してきて、「なにか頼む?」



 そう言う彼女の手元にはコーヒーカップがあって、容器には半分ほどが残っていた。

「・・・・・・それじゃあホットコーヒーを」



 実くんはメニュー表も見ずに即決する。考えてる間の沈黙と彼女の視線を避けてのものかもしれない。



 注文を聞いて、彼女は「うん」相槌を打って呼び出しのベルを鳴らす。若い女の子の店員さんがやって来て、トレイに乗せたおしぼりと水を差し出した後、「ご注文承ります」と、流暢に応対する。実くんは「ホットコーヒーを、レギュラーで」と端的に言うと、



「畏まりました。他にご注文はございますか?」と聞かれるので、「いえ、以上で」と言って、そこで注文が締め切られる。



 店員さんがキッチンへと去って行くと、再び沈黙が流れる。その沈黙は沈痛なもので、実くんは居たたまれない。水を少しだけ煽り、喉を潤す。そのワンアクションを起こした後、麗奈ちゃんはおもむろに口を開いた。グラスをコトリ、とテーブルに置いた後、彼女は切り出す。



「突然呼び出してごめんね? 用事とかなかった?」



 麗奈ちゃんは気遣わしげに言うので、実くんは恐縮しながら「だ、大丈夫だよ」と言う。言った後、また沈黙が流れるから実くんはグラスに入った再び水を煽る。



 彼女は彼女で、注文の品が来るまでは本題に入るつもりがないらしく、その間はずっと黙りこくり、スマホをいじっていた。実くんは、ただジッと座ってる。



 で、少ししてさっきとは別の女の子の店員さんがやって来て、ホットコーヒーと豆菓子を実くんの前に差し出して、「ごゆっくり」と言って立ち去っていくけど、その決まり文句は二人にとって皮肉だ。



 実くんは湯気の立ったコーヒーカップを持ち上げ、恐るおそるカップに口を付ける。コーヒーカップの縁は肉厚とはいえ、淹れたてのコーヒーは当然熱く、ほんのちょっとしか口に含めない。



 実くんがコーヒーを飲む傍らで、麗奈ちゃんも残りのコーヒーを減らしていく。今の一口でカップにまた一つ、コーヒーの黒ずみが付けられ、それは目盛りのように、残りの滞在時間を示しているようだった。



 ややあって、麗奈ちゃんがおもむろに切り出す――否、ずっとタイミングを見計らっていたのは見て取れたから、おもむろに、ではなくて時機を見て、だ。

 麗奈ちゃんは切り出す。



 すると実くんは、緊張の糸が張り、その振動でビクン、と肩を震わせる。



「今日、来てもらった理由なんだけどさ」



 麗奈ちゃんは、切り出す。前置きをして、実くんに身構える準備を与える。それは同時に、自分の心構えの時間でもあったかもしれない。

 実くんは身体を固くしながら、覚悟を固める。



 そして麗奈ちゃんは――、

「別れて欲しいの」

 麗奈ちゃんはおもむろに、そう切り出した。

 それを聞いて実くんは、



「・・・・・・・・・・・・」沈黙する。

 正直、別れ話だという事は分かっていた。し、実くんも覚悟は出来ていたから「分かった」と言う返事は用意して来てる。でもすぐに返事を出来るほど、相手の反応に無頓着じゃない。



 だからすぐには返事が出来なかった。

 ややあって、「・・・・・・そぅ」と。返事をするので精一杯といった声で、反応を示した。

 実くんの返事を受けて麗奈ちゃんは言葉を続ける。



「あなたの事が嫌いって訳じゃないの。あなたはいい人だし優しい人よ」

 ――でも、



「付き合ってからずっと、あなたとの距離が近付く事はなかった」

「・・・・・・・・・・・・」


「あなたはずっと、私に心を開いてくれなかった。表面的には優しくしてくれてたけど、でもそれはご機嫌取りみたいなものだった。ずっと私を臆病な目で見てた。顔色を窺うみたいに」



 そう言う麗奈ちゃんを、実くんは直視する事が出来ない。伏し目がちで、彼女の視線から逃れ、耳を傾けてるだけ。

 そんな彼に麗奈ちゃんは、最期を告げる。



「いつまで経っても信用してくれないなら、悪いけど――これ以上あなたとは付き合えない」



 ――私たち、別れましょう。と麗奈ちゃんはハッキリとした口調で、決別を口にした。

 それは確定的な口調で、もう決定事項かのような効力を感じた。実くんに、承諾以外の選択肢は与えられていないような。



 麗奈ちゃんの言葉を受けて実くんは、少し間を置く。

 そして、ややあってから、



「・・・・・・わかった」



 絞り出すように、重苦しい口調で、実くんはそう言った。 返事が聞けると、麗奈ちゃんは残りのコーヒーを一息に飲んでから、カバンから財布を取り出して、千円札を引き抜き取り、実くんの前に差し出す。



「これで支払い、済ませといてくれる?」



 麗奈ちゃんは立ち上がって、カバンを肩に掛けると、最後に一言、



「じゃあね――」



 とだけ言って実くんの前から姿を消す。

 彼女の足音が遠ざかっていくのを聞きながら、実くんはしばらくの間、呆然とする。



 フラれてショック――だというよりも、こんな事がみたび続いた事にいい加減、疲れているような、そんな様子だ。

 これで三回目。



 前の彼女とも、その前の彼女とも三ヶ月を保たずに破局している。そのどれもが同じ理由で、相手から別れを切り出された。実くんも自身に原因がある事は分かってるし、元々自分に原因を求めがちな性格をしているので、この事実をただただ真正面から受け止める。なんの緩衝材もなく受け止めるものだから、相当ヘコんでる、というか心に穴が空いてしまっているかもしれないもしかしたら。ひゅぅひゅぅ、とぽっかり空いた穴をくぐり抜ける笛鳴りの音が、今にも聞こえてきそうだ。



 実くんは呆然としながら、頭の中で整理を付ける。整理というか、諦め、区切りを付ける。つまりは割り切るという事だ。別れた悲しみの余熱が冷めるまでは、しばらくの間、ここに居座り続けた。

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