第3話




§



 フラれた翌日も、実くんは大学へと通い、講義に出席する――と言っても、もう既に必修科目はほとんど取り終え、単位も足りているし、今朝の講義も選択科目だった事から、別に頑張って受ける必要もないんだけど、でも律儀にも君は講義を受ける。



 君は一人暮らしだから、気を緩めると自堕落になってしまう事を恐れ、大学に通う事で生活サイクルを保っているのかもしれない。来年は社会人だし。



「おーい、実」



 五限目の講義が終わった時の事だった。

 帰ろうと身なりを整えていると、不意に背後から名前を呼ばれて、実くんはピクリと肩を反応させる。そしてゆっくり振り返る。振り返りながら、声の主が誰かは見当が付いて、男の子の声ならそれは百パー平輝くんだ。中原平輝くん。



 一昨年まで一緒に活動していたボランティアサークルのメンバー。同い年の彼とは一年の時、サークルを介して仲良くなって、その関係は実くんがサークルを辞めた後も続いている。



 実くんの数少ない友達の内の一人――数少ないって言ったけど、残るは平輝くんの彼女である凛ちゃんだけ。彼女もまた、ボランティアサークル仲間だった。



「おい実、聞いたぞ。麗奈ちゃんと別れたんだって?」

「・・・・・・・・・・・・」



 つい先日の事なのにもう知れている事に、実くんは呆気に取られる。

「今朝たまたま麗奈ちゃんと会ったから、その時『実とはどう? 上手くやってる?』って聞いたら『別れた』って言うからさ」



 平輝くんはそう言って、鮮度の高い情報の入手元を自ずから語る。あくまでたまたまであるらしい。



「麗奈ちゃん、いい子だったのに勿体ない」



 と、平輝くんは茶化すように言った。それに実くんは無反応を示す。示す、つまりあえて無反応を装ったという事だけど、軽口に付き合えるほどあっけらかんとはしていないから、なにも答えない。乗ってこないと見るや平輝くんは話を変えて、



「ところで今日この後、予定空いてる? 今さ、先に講義終わった凛が後輩連れてご飯食べてるんだけど、よかったら一緒に行かない? てか行こうぜ。お前普段付き合い悪いし、たまには付き合えよ」


「えぇ・・・・・・」



 随分と強引な勧誘に、実くんは面倒臭そうな顔をするけど平輝くんは「いいじゃん、なあ?」と軽く肩を叩きながら追及してくる。

 実際、今日はバイトもないいし予定は空いてる。気分は乗らないものの、普段から声を掛けてくれる平輝くんの歩み寄りには、それなりに厚意も感じているから、毎度断るのも忍びないと思っている。ので、今日は「分かったよ」と誘いに乗る事にした。



 すると平輝くんは殊更嬉しそうにはにかんだ。

 彼の笑顔には表とか裏とか、打算とか下心とかがなくて、なんの勘ぐりもいらない純粋な笑顔だから、実くんは彼の笑顔は信用してる。



§



 二人はキャンパスを後にして、凛ちゃんの待つ駅前のチェーン店の居酒屋へと向かった。



 十一月に差し掛かり、夜風が随分と染みるようになった。二人は軽く身震いしながら自然、足早に目的地へと向かう――そしてほどなくして到着。 店内に足を踏み入れると店員さんが声を掛けてくるので連れである事を伝えると、凛ちゃんの待つ四人掛けのテーブル席に案内された。



 すると、そこで一足先に食事をしていた凛ちゃんが軽く手を上げて二人を労う。



「平輝、実、お疲れー」



 その声に平輝くんは笑顔で応え、実くんは軽い会釈くらいで留める。



 そしてもう一人、凛ちゃんの隣には女の子がいて、実くんはその子と目が合う。お互いに初対面とあって軽く会釈し合い牽制を挟みながら注意深く視線を向け合う。

 実くんがどんな感想を抱いたかは別として、私的には可愛い子だな、という印象を受けた。



 少しふっくら体型で、でも別に太ってる訳じゃなくて。胸とか大っきい。なんだかパッと見、炊きたてのご飯みたいだと思った。いやこれは褒め言葉として受け取ってもらいたいんだけど。



 で、見た目はまだあどけなさが残っていて童顔、なんだけど、でもしっかりとした芯を感じるのは、太い筆先で引かれたような眉毛がそういう印象を与えているからかもしれない。顔立ちにメリハリが利いて、自立した印象を受けた。



 軽い挨拶を済ませた後、平輝くんは奥側の席、実くんは通路側の席に座る。実くんの向かいの席には初対面の女の子で、もう一度顔を覗き見ると、再び彼女と目が合う。

 すると、



「は、初めまして」



 相手の方から声を掛けてくれる。少し緊張で声が上擦っていたけど、実くんは先手を打たれたみたいになって、「あぁ、うん。初めまして」と人見知りしてしまう。



 それを見た凛ちゃんが助け船を出してくれて、「この子は百地小米ちゃん。後期の講義で知り合って、友達になったんだ。実と同じ経営学部で今、二年生。うちらの二個下」と説明があった。



「で、こっちが桐崎実くん。つい先日フラれたばかりだから、優しくしてあげてね?」

「おい、ちょっと」



 平輝くんは小米ちゃんに向けて紹介を済ませると、余計な一言に実くんが即座に反応し、一睨み利かせて牽制を入れる。

 けれど平輝くんは悪びれもせず「ははは」と笑って軽く流すので、実くんはつい溜め息。



 二人のやりとりを聞きながら小米ちゃんは、どうリアクションをすればいいのか分からず、とりあえず苦笑いを浮かべていた。



「それよか二人ともなに飲む?」

 冗談もほどほどにして凛ちゃんがメニュー表を差し出してくる。

 既に二人の前には二つのグラスと、空になったやきとり皿が一つ置いてあった。



「俺はビールかな。実は?」



 即答する平輝くんに対し、実くんは少々決めあぐねていた。

 見れば皆、アルコールを頼んでいて自分だけソフトドリンクにするのはどうなのかと思案している様子。



「実はお酒弱いもんね。別にソフトドリンクでもいいんじゃない?」



 という凛ちゃんの気遣いを受けつつ、皆に迎合してレモンサワーを頼む事にした。



 一度、飲み物だけを注文して、グラスが運ばれてくるまでの間に料理をなににするか決める一同。

 四人でメニュー表を見ながら、やきとりやらからあげやらポテトフライ、シーザーサラダなど、思いおもいに食べたい物を注文していく。



 そして二人のお酒が運ばれてくると、平輝くんが音頭を取って、「実の傷心を労って、かんぱーい」とか弄ってくるので、実くんは心底やめて欲しそうな顔をするも、凛ちゃんと小米ちゃんは笑顔でそれに応えグラスを鳴らす。



 実くんは一口、お酒を煽ると小米ちゃんが「私もお酒強くないですけど、飲みやすいですよねレモンサワー」と話し掛けてくる。

 小米ちゃんはどうやら、初対面であっても話しかける事に苦手意識を持たない女の子のようだ。



 一方の実くんはと言うと、まだ小米ちゃんに対する人見知りが見受けられ、話しかけられて少し身構えている様子だった。

 まだ打ち解けるには、会って間もない。



 そんな態度を見てか、凛ちゃんは場を温める会話として、実くんにまずは話を振った。



「それにしても珍しいよね、実が飲みの場に来てくれるなんて。本当に失恋を慰めて欲しかったりして?」



 茶化すように笑みを浮かべながら軽口を叩く凛ちゃんに、実くんは短い溜め息を吐きながら、「違うってば」と端的に否定を示す。

「たまにはこんな日があってもいいだろ? 酒飲んでスカッとしようぜ」



 次いで平輝くんが声を弾ませながらそう言うと、実くんは呆れ混じりに「お前はいつも楽観的で羨ましいよ」と悪態を吐くので、「言うねぇ」と、全く意に介する様子もなく一口、ビールを煽る。グラスに付いた泡が目減りした量を教えてくれて、一口で結構な量がなくなっていた。この調子ならすぐにおかわりするだろう。平輝くんは左利きで、飲みの席になるとつい飲み過ぎる嫌いがあって、お酒を覚えて間もない頃は、それで痛い思いもしてきた。今はその教訓も活きて、それなりにお酒の付き合い方は覚えている筈だけど、それでも酒飲みの性は変えられない。



「あんまり飲み過ぎないでよね? 割り勘なんだから」



 と、そこは彼女である凛ちゃんが窘める。すると平輝くんはにへらぁ、と笑いながら「分かってるわかってる」と軽い調子で応じる。本当に分かっているのか定かじゃない。 二人がやりとりをする中、小米ちゃんが話を戻して、実くんに向き直る。



「桐崎先輩は、お二人とはどういった仲なんですか?」



 すると実くんは端的に、サークル仲間だった事を明かす。「俺たち三人は、サークルで繋がった仲なんだ。一年の時からの付き合いなの」



 平輝くんが補足すると、小米ちゃんは「へぇぇ」と感嘆の声を漏らしつつ、「それ聞くと、恐縮です・・・・・・」と言うから凛ちゃんは笑って「なんでよ」と即座に切り返す。



「でも実、付き合い悪いからな。遊びや飲みに誘っても、なにかしら理由を付けて断ってくるし、大学にいる時だって同じ講義受けてるのに一人、前の席に座ってるしさ。――もう少し絡もうぜ?」

「あぁもう、うざい・・・・・・」 唐突に肩を組んで悪絡みしてくる平輝くんに、実くんは疎ましそうに顔を歪ませる。勿論、信頼関係の下、成り立ってるので平輝くんは真に受けたりしない。



「小米ちゃん、もし大学でこいつ見かけたら話しかけてあげてね? 放っといたらすぐ一人になろうとするから」


「ははは・・・・・・いいんですかね? 一人になりたいだけなんじゃあ?」



 冗談として受け取りつつも、実くんの内心を慮るように彼女は言う。けど平輝くんは軽い調子で「実のは構って欲しいってアピールだから」と、冗談を続けた。

 隣で軽口ばかり言う友人に、実くんは辟易とした様子で無視を決め込む。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る