幕間.

某年 蛙始鳴③

「そう言えば、きんつばが一切れ残ってるの。お茶も持ってくるね」


 饗応を失念していたことに気づき、千花は一旦席を外す。行きは鼻唄交じりだったが、帰りは肩を落として盆を捧げ持って来ることになった。


 その間、手持ち無沙汰となっていた頼晏は、颯太郎の顔を両手で挟み、わしゃわしゃわしゃわしゃと撫で回していた。さすがに過剰な構いかたに辟易したか、千花の足音に頼晏の手が止まった途端、尾を揺らして縁の下へ潜り込んでしまう。


 茶碗ふたつと共に盆に載せられた菓子に、頼晏が訝しげな顔をする。


「これがきんつば?」

「ごめん。膳の上に置きっぱなしにしてたら、誰かに食べられちゃったみたい」


 奥殿には幼い子女も、身を粉にして働く下女もいる。そんな者たちがこっそり手を伸ばしても構わないと思ってそのままにしていたのだが、頼晏が来ると判っていたら、千花もふた切れ残しておいたし、誰にも見つからないよう隠しておいただろう。


 少し後悔しながら代わりに持ち出したのが、花見の宴で振る舞われたのを持ち帰った千代結びの有平糖。


 以前頼晏が買ってきてくれたこともある金平糖も星粒のようで可愛らしいのだが、細工物の有平糖はその色艶も含めて美しい。桜の花や葉を象ったものは、勿体ないと思いつつ桜が旬のうちに食べてしまったけれど、紅白の千代結びは少しずつ食べようと取っておいたのである。


 頼晏も早速ひとつ摘んで口の中に放り入れる。幸い二人とも甘党だから、千花が好むものを出せば大体外れはない。


 千花もひとつ舌の上で転がし、小さくなったところを噛み砕いて飲み込んでから、先程の話の続きの口火を切った。


「一の姫も二の姫も、なかなかの食わせ者ね。……じゃあ、残る三の姫はどう? 傾国の美女らしい逸話はある?」


 問いかけに、煎茶を啜っていた頼晏は茶碗を一旦盆に戻した。山門出身だけあって、所作には品がある。


「傾国の美女って言えるかは判らないけど。従弟が婚約者だったっていうのが、ちょっと有名かな」

「それ、そんなに珍しい?」


 兄妹婚に比べれば、従姉弟婚は今でも目くじらを立てるほどのことではない。公家や武家の系譜を紐解けば、そんな夫婦は掃いて捨てるほど見つかることだろう。


 千花の疑問に、頼晏は謎かけのように言葉を繰り返す。


「婚約者、っていうのが重要なところ」

「……夫婦にはならなかった、ってこと?」


 確かに、縁談どおり結婚していれば、許婚ではなく夫婦と呼ばれるはずだ。


 そして、最初に語られたとおり、徳永家は泰平の時代を迎える前に滅亡している。三の姫は家に殉じたのか、或いは従弟のほうが討ち死にしたのか。もしくは二人揃って、城と命運を共にしたか。しかしそれではとても傾国とは呼べまい。


 千花はあれこれ可能性を考えてみたが、どれもあり得るし、どれもしっくり来ない。早々に音を上げてしまった。


「ねえ、つまり、どういうこと?」


 いつの間にか茶碗を空にした頼晏は、堪え性のない千花に正解を披露するため口を開く。


「まあ、言ってみればありきたりな話なんだけど」

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