三.同年 天地始粛(てんちはじめてさむし)

 翌日、尚衡が困じ果てた顔で筝と葛篭を運んできた。茜が皆原城から持ち込み、別棟に置き去りになっていた数少ない私物だ。それから鷦鷯城で仕立てられた小袖や腰巻なども、中曲輪から届けられたらしい。本気で、彰衡は茜を側室から降ろそうとしている。


 中曲輪は一段高い土塁の上に築かれているため、西曲輪から様子は窺えない。届いた荷は、貸し与えられた離れの間に運び入れるほかなかった。


 そこから更に半月ほど経ち、六槻国の加賀見館から家人や侍女らが到着した。だがそこに、尚衡すら予想していなかった人物がいた。


「兄上様!」

「……珊瑚さんご殿、何ゆえここに」


 長引く逗留を見越して、殺風景寄りだった屋敷内に葛篭や調度があれこれ運び込まれる中、高く上がった声を尚衡は困惑顔で主屋の庭に迎え入れる。


「何ゆえって、兄上様が文を寄越したのではないですか。しばし鷦鷯城の屋敷で暮らすから、人手がほしいと」

「そうだが、何もそなたに侍女の真似事をしてもらおうと思ったわけでは」

「構いません。久しぶりに鷦鷯の城下町にも来てみたかったですし。それに」


 尚衡の苦言に弾けるような笑顔で応じていた視線が、不意に後方、広縁に立っている茜に向けられる。


 歳の頃は十代後半といったところか。……異母妹と同じ年頃であり、異母姉が姿を消した年頃でもあると思うと、胸がつきんと痛んだ。丸顔には愛嬌があるが、目鼻立ちは意外にくっきりとしている。「可愛い」か「美人」か、意見が割れそうだ。


 瞬時に茜の額から爪先までを検分した大きな目には、何故か値踏みするような色を感じた。直後にそれを裏付ける発言を放つ。


「兄上様の奥方になられる方にも、ご挨拶をしたいと思いまして」

「!」


 その一言は、生半可な大砲よりも強い威力で、尚衡と茜に命中した。急ぎ尚衡が弁明にかかる。


「何を言うか、太守様の勘気が解けるまでお預かりするだけだと、そう文にも記しただろう」

「だっていずみ、泉太郎せんたろう様はそう言ってたわ、まだ姉様が亡くなって二月しか経っていないのに!」

「そうだ、ならば解るだろう、まだ私もそなたも婚儀は行えない」

ひかる大将は正室の四十九日が明けてすぐ、おもかげの前に手を出したじゃない!」

「創作を現実に持ち込むな!」


 流鏑馬よりも矢継ぎ早に交わされる大小二人の遣り取りに、茜は嘴を挟めずにいた。しかしその分、素早く推論を組み立てる。元来、前に出るよりも一歩退いて物事を冷静に観察するのが得意な性分だ。


 兄上様、姉様の呼称からして、彼女は瀬名家の妹姫だろう。泉太郎の名は初耳だが、流鏑馬の参列者か鷦鷯城内の者と見た。瀬名家の嫡女が亡くなって二月程度ということは、辛うじて忌中と四十九日は明けたから神事に参加できたものの、夫も妹も、まだ服喪の真っ只中だ。喪の期間は死者との続柄次第で異なるが、妻・兄弟姉妹の場合は同じ三月である。光大将と俤の前は王朝時代より有名な長編大作の登場人物なので、あまり関係ない。


 茜が勝手な推察を巡らせている間も、喧々諤々の言い合いは続く。しかし一向に平行線のまま、埒が明かないと、妹姫は一方的に宣言した。


「とにかく! わたしもこちらに住まわせてもらいます!」


 喧嘩腰に言い切り、妹姫は梔子色の小袖の裾をやや乱しながら沓脱石に草履を散らし濡縁に上がる。そのまま奥に去ろうとして、くるりと振り返り「瀬名家次女、珊瑚にございます。どうぞよしなに」と茜に一礼して行った。愛想よく笑ってみせたつもりだろうが、あまり成功していたとは言いがたい。


 小さな野分たいふうのような来訪に、尚衡は疲れた息を漏らし、茜に詫びる。


「……見苦しいところを申し訳ない。何分幼い……と言う言い訳はそろそろ通じない歳なのだが、昔から言い出したら聞かないところがある」


 実の妹ではないから、尚衡もあまり強く叱れないのだろう。茜は緩くかぶりを振った。


「いえ、大丈夫です。……兄姫えひめ様がお若くしてお隠れになって、まだ気持ちの整理がついていらっしゃらないのでしょう」

「そう言ってもらえると助かる。思ったよりも騒々しい暮らしになりそうだが、どうか勘弁してもらいたい」


 やや苦笑し、尚衡は荷を解く家人たちに指示を出すべく主屋に上がる。広いその背は、問えば徳永家と青砥家の事情は明かしてくれたけれど、瀬名家の内情に踏み込むことを拒んでいるように見えた。


 それも仕方のないことだろう。尚衡にとって、茜は飽くまで主君からの預かり者、瀬名家とは赤の他人である。


 だから、それに疎外感を覚える自分がおかしいのだ。そう結論づけ、茜は一礼して離れへと戻った。

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