幕間.

某年 蛙始鳴②

 本格的な夏を待たず、梅雨前の日差しは既にきついほどに眩しい。しかし二人と一匹の寛ぐ広縁は、丁度庇の陰が色濃く落ちていて、心地のよい風が庭から吹き込む。


「そもそも桜の花って、武家と相性が良いようで悪いんだよな」

「そうなの?」

「散り際の潔いのが好まれてるんだけど、潔すぎるんだよ。花の盛りが短いって厭う向きもある」


 栄華の時は儚く、だからこそ美しく刻まれる。


「ふうん。でも、綺麗なのに縁起が悪いって、まさに一の姫そのものね」

「まあ今となっては少数派の意見だと思うけど」

「そうねえ。歌舞伎とかも、桜吹雪の演出がよく使われてるし」


 帝は西国の京に御座すが、文化経済の要、暁津洲一の大都市がここ榎本城下であることに異を唱える者は今やいないだろう。京には風格があり、榎本には活気がある。


「それに川内判官や山科更衣然り、生き延びたって伝説が生まれるのは、その死を哀れみ惜しむ声が多かった証拠だ」

「山科更衣もだけど、伝説にまでなるなんて、どれだけ美人だったんだろう」


 千花の陶然とした言葉に、頼晏は眦の切れ上がった両眼を細めて苦笑いを浮かべた。容姿も身のこなしも、彼は全体的に猫のような印象を与える。


「あんまり美人にばっかり肩入れするなよ」

「だって、花や景色は美しさを愛でるのに、人もその美しさを褒め称えて何が悪いの」


 曇りのないまなこで主張し、千花はふと頼晏の語り出しを思い返す。


「ねえ。徳永家には美人の三姉妹がいた、って言ったでしょ。残りの二人には何か逸話はないの?」

「ああ、そうだな……」


 千花の注文に、頼晏は見聞の記憶を掘り起こそうとする。


「……一の姫が自害だか出奔だかしたから、代わりに二の姫が青砥家に輿入れしたんだけど。っていうかこれも、ちゃんと一の姫が嫁いだって話もあってややこしいんだけど。とにかくその輿入れした姫を巡って、青砥家でもひと悶着あったみたいだ」

「どういうこと?」

「輿入れの数年後、青砥家で御家騒動が起こって当主が兄から弟に代替わりしたんだ。そのきっかけが、徳永の姫を巡っての争いだったらしい。弟が姫に横恋慕したのか、姫が弟を誘惑したのかは説が分かれるところだけど」

「すごい、二の姫こそ立派な傾国の美女じゃないの」


 その美貌で兄弟を惑わせ、家中かちゅうを乱したのか。淑女の皮を被った悪女、姉妹ともども、「美しい花には棘がある」を体現したような曲者だ。


「じゃあ、二の姫は弟の妻として、ぬくぬくと余生を過ごしたの?」


 兄嫁が夫の死後に家財と共に弟に継がれることも珍しい話ではないが、彼女の心境はどうだったのだろう。嬉々として勝ち馬に乗るべく弟を誘惑したのか、泣く泣く兄と引き裂かれて生涯慕い続けたのかで、かなり評価は変わる気がする。


 しかし、頼晏の話の続きはそのどちらにも該当しなかった。


「それが、二の姫の消息はそこでぷっつり途切れてるんだ。美人薄命、前夫の後を追うように衰弱死したとも、逆に前夫を裏切った罰が当たって早死にしたとも言われてるけど、でも」

「『でも』?」


 曖昧な語尾を聞き逃さず、千花は身を乗り出す。食いついた、と言うように頼晏の目が光った。


「御家騒動の一年後に、当主の姉姫がとある家に嫁いでるんだけど、それがどうも、養子に出ていた庶兄のところらしい」

「え? さすがにそれは有り得ないんじゃないの」


 本当に昔、まだ京が中の六州にあった頃は異母兄妹の婚姻もあったようだが、さすがに今は禁忌と見做す傾向が強い。たとえ事実としても、後世に伝えることを目的とした記録に露骨には残さないだろう。それに、二の姫と当主の姉姫の話がどう関わりがあるのか。


 千花の当然の指摘に、頼晏は狙い通りとばかりににやりと笑った。


「その姉姫こそが、まさに消息の途絶えた徳永の姫なんじゃないかって話。国主や国衆が、自分の愛妾や親族家臣の娘を養妹養女として嫁がせるのは、当時そこそこある話だったから」

「最終的に二の姫を手に入れたのは、当主の座とは無縁だった庶兄ってこと?」

「飽くまで、そういう説もある、ってこと。まあ徳永家と違って青砥家は今も七尾国主として健在だから、そうおおっぴらに語られる醜聞じゃないけど」


 単なる兄妹婚でも禁断の香りが匂い立つのに、なんと好奇心を刺激する逸話だろう。漁夫の利を攫った庶兄をしたたかと評すべきか、三兄弟を手玉に取った二の姫を末恐ろしいと言うべきか。やんわりと窘められた千花は、瓦屋根の向こうの蒼穹に、美しき諍い女を思い描こうとする。


 それにしても、と千花はしみじみと呟く。


「『私のために争わないで』なんて台詞が許される姫い様が、まさか実在してたとはねえ」

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