五.同年 霜止苗出③
城下を離れ、月を待つ星々だけが照らす田園の細道。背負う荷も少なく、ただ手に手をとった二人の男女が歩いていく。
「このまままっすぐ京に上がりますか?」
「いや、せっかくだ、日宮には参拝していこう。京に上って落ち着いたら月宮詣もしてみたい。どちらの道にも、先人が詠んだ歌枕や景勝地があるはずだ」
「承知いたしました」
朝景の恭しい言葉にどちらからともなく笑い、桜が冗談交じりに呟く。
「……それにしても、残念だ」
「? 何がです?」
「この道。春であれば、満開の花の下の逃避行だったろうに」
季節は間もなく八十八夜を迎える頃。郊外も抜け、畦道には、大ぶりの枝を天に伸ばした
最初に旅に出たときは蕾の頃だった。目まぐるしい道中で知らないうちに満開を迎え、愛でる間もなく散ってしまったのだろう。今は青葉の梢が夜風にさやいでいる。
それを見上げた朝景は、やはり戯れ言のように笑った。
「……於市様が、王朝時代の山科更衣や
暁津洲きっての佳人のみならず海を隔てた大国の美姫まで引き合いに出され、桜は苦笑する。
「そうだな。国と引き換えにしたんだ、それに匹敵するだけの功績は残さないと」
朝景も笑い、ふと思い出したように言う。
「そう言えば……、於市様が見える少し前、かえでが来ました。さくらも無事でしょうか」
「え? ……さくらなら私のところに来た」
唖然と呟き、思わず桜は足を止め、もう随分と遠ざかった城山を振り返ってしまう。最初から最後まで不可思議だったあの童女が来たから、桜は己の心を見つけられた。義務を放り出し権利を投げ去り、国を捨ててでも選びたいと思った。……それは、もしかしたら朝景も同じだったのかもしれない。
「……いったい、なんだったんでしょうね、あの二人は」
同じ方角を見遣った朝景が今更のように呟く。唐突に現れ忽然と消え、そしてまた、突如として現れた。
一度は中将と大君が浮かんだ桜だったが、今度はまったく別の名を口にする。
「…………赤御前……?」
ざあっ、と枝葉を揺らす風が吹いた。
中陸道の朝廷から帝位を奪い北山道に興った北王朝、遷都を含むその三百年の歴史の果てに滅亡した名家と、乱世の幕開けの影に囁かれる伝説の童女。常に赤い被衣を纏い、とある地方の謂れには、おそらくは同類の、黒衣の童子と行動を共にしていたとも伝わっている。……今から百年以上も前の話だ。
それは人に非ず、人の形をした鬼、禍福の兆し。訪れれば隆盛へと導き、去れば衰亡へと突き落とす。
果たして徳永家には、そのどちらを呼び込むのか。
自分たちが消えたあとの城の命運を思い、二人はしばらくその場に佇んでいた。
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