四.同年 虹始見(にじはじめてあらわる)

 夜が明け、桜たちは丸一日かけて三人の少女たちをそれぞれの里の親許へ送り届けた。最後の一人を一宮の鳥居前町の隣の里に送り、四人は共に脇街道へと旅を進める。


 令に定められた正規の宿駅ではないがそれに準じた規模の町をみっつほど越え、ようやく、東林道六槻国と九重国、中陸道一方国の国境を流れる巴川に辿り着いた。『辻中将物語』にも登場する地であり、ここを舟で下ればいよいよ神領に入る。


 翌日の船旅に備え、四人は川を望む町に一晩宿をとることにした。しかしその日は丁度六斎市の日で、さくらとかえでは揃って繰り出し、落ち着きのない性分に慣れた桜と朝景も、生温い目でそれを見送った。いつものように、日が暮れる頃には戻ってくる、そう信じて疑わずに。


 けれども夜が訪れ、更に夜が明けても、双子は戻ってこなかった。


 一睡もせずに帰りを待っていた桜と朝景は、一日中町の住人たちを尋ね回り、周囲に広がる森にも足を伸ばした。だがどちらの姿も見つけられないまま、また夜が巡って来る。その夜にも勿論、双子は帰ってこなかった。


 二度目の夜明けを迎え、憔悴した桜に、朝景がとんでもない提案を口にする。


「……於市様。こうなれば仕方がありません、早く京へ向かいましょう」

「ふざけるな、あんな幼子を見知らぬ土地に捨て置いて行く気か」


 あまりの非道に桜は激昂した。達者とはいえ十歳を数えたかどうかの童たち、特にさくらは危険な目にも遭い、置いていかれることにあれほど怯えていたのに。しかし朝景は怯まず「そうではなく」と続ける。


「これだけ探しても見つからない以上、あとは山の民の力を借りるしかありません。ですがそのためにはそれなりの金子が要る」


 山の民、或いは山人とはこの時代、山賊とほぼ同義語だが、一方で、報酬次第で戦働きや忍働きをする優秀な透波でもあった。彼らを頼れば人探しはそう難しいことではないだろうが、今の二人の持ち金では到底足りない。


 ゆえに、一刻も早く京へ上り、青蓮寺家の財力を恃む必要がある。王朝時代と比べると公家の懐具合は決して芳しくはないらしいが、人探しを山の民に依頼する程度は造作もないはずだ。


 母娘の再会でまず金の無心をするのかと眉を顰めかけたが、自分の都合でここまで双子を連れてきた桜に否と言える道理はなかった。殆ど眠れなかったまま、渡しの舟に乗り込む。


(双子……)


 焦点のぼやけた視線で細波の立つ川面を眺めながら、桜は今頃、その存在に疑問を覚えた。


 最初から奇妙と言えば奇妙だった。真夜中の森でごっこ遊び、見ず知らずの自分たちについて国境も越え、盗人を見抜き、土蔵からの脱出を発案して実行して。それらをいとも平然と行っている。言動すべてに人を食ったようなところがある。……そもそも、双子が揃っていること自体珍しいのだ。畜生胎と卑しまれ、片方はすぐに殺されるか、よくても他家に養子に出されてしまう。特に男女の双子は、心中した恋人たちの生まれ変わりと忌避された。


(中将と大君ごっこ……)


 逃避行に失敗した二人は、観念して京と東国に分かれ、それぞれ別の人生を歩んだという。


 添い遂げられなかった魂が、今一度人の姿を借りて運命を別たれた地を目指し、今度こそ共に新天地へと旅立つ――――……。


(……まさか)


 我ながら突拍子もない発想に一人小さく苦笑する桜を、朝景が硬い表情で見つめる。


 昼頃、旅人を乗せた渡し舟は一方国の川岸へと辿り着いた。こちらの岸にも、すぐ見えるところに街道沿いの宿駅があり、その手前に関所、それに神領の入り口らしく大鳥居が聳える。だが神領は遍く参詣者を受け入れる懐深き聖地、関所も形ばかりのもので、規定の関銭を払えば特に詮議されることもない。


 そのはずなのだが、朝景は敢えて門の手前で足軽へと歩み寄り、それを受けた足軽は、桜と朝景を番所ではなくその奥の間へと通した。


 どういうことかと訝しんだ桜だったが、疑問を口にする間もなく、そこにいた者を認めて凍りつく。


 畳敷きの奥の間には、役人ではなく先客が――――否、追っ手がいた。


「…………れん兄上様」


 少数の近習を供に、上座に座した三歳上の異母兄の姿に、桜は棒を呑んだように立ち竦む。膝の震えを止められない。


 そんな異母妹に、彼……煉次郎柾熾れんじろうまさおきは、凛々しい面を不機嫌に歪めて円座から立ち上がった。鍛えた長身と険しい眼差しが相まって、威圧感は尋常ではない。


「随分と遅かったな、このうつけ者が」

「どうして、どうしてここが」


 低い声で蔑まれてなお、疑問が桜の口をついて出る。溺死の偽装が露見し、上京が想定され、更に陸路ではなく海路を上って神領を経由する。それらすべてを、悉く読まれていたというのか。


 柾熾は無言で軽く顎を動かす。示されたその先は――――。


「……透次?」

「…………」


 信じられないといった桜の声に目に、朝景は居た堪れないように俯く。その反応ですべてを悟った。


「…………裏切ったのか……?」

「………………」


 朝景は応えない。視線を合わせようともしない。


「裏切りはどっちだ。この阿呆が」


 柾熾が桜の腕を鷲掴む。朝景は、桜の乳兄弟としては手酷い裏切りかもしれないが、徳永の家臣としては当然のことをしたまでのこと。いや、乳兄弟としても、本来であれば諫言こそが忠節であったはず。


 けれども桜は、徳永家の姫として、青砥家に対し、何より徳永の家に対し民に対し、この上ない裏切りをしようとしていたのだ。


「おまえよりもこの者のほうがよほど徳永のことを考えている。言っておくが、おまえの底の浅い謀りごとは、最初からすべて筒抜けであったのだぞ」


 異母兄の言うことには、計画は端緒から逐一、朝景を通して徳永家当主に報告されていた。翻意させられない場合、実行前に押さえるのではなく敢えて策に乗ることを提案したのも父や庶兄だった。逐電から一夜明け、馬に乗り、表路の橋本関はしもとのせきを通って九重国に入った柾熾は幼子を連れた徒歩かちの二人を追い抜き、予定通り一方国の関所で待ち構えていたのである。


「おまえのような身の程知らずは一度痛い目を見るほうがいいのだ。油断も隙もない世の中というものが少しは理解できたか」

「………………」


 抗う気力も根こそぎ奪われ、桜は魂が抜けたように立ち尽くす。従順になった異母妹を見下げ果てた目で一瞥し、柾熾は片膝を折り下を向いた朝景に言い捨てる。


「御苦労だったな。――――あとの沙汰は追って待て」


 密告したとは言え、朝景は立派に主家の姫の逃亡の片棒を担いだ者。何も知らなかった美弥とてそれは同じだ。二人がこの先、如何なる処罰を受けることになるか。


 朝景は微動だにしなかったが、桜は力任せに異母兄の腕を振りほどく。柾熾が片眉をひそめた。


「おまえ、」

「いいえ煉兄上様。私は城へ戻ります。……だから透次と美弥のことは不問に処してください。二人は私に強いられ欺かれただけ。何も非はない」


 朝景が弾かれたように顔を上げた。頷かなければ従わないと暗に告げる異母妹の眼差しに、柾熾はやがて浅く息を吐く。


「…………いいだろう」


 存外容易く折れた一言を受け、桜は微かに頬を緩める。しかしそれも束の間。


「――――などと言うと思うたか。他人を巻き込みたくないのであれば、今一度己が立場を弁えよ」

「! 兄上様っ」


 無情に告げる声に桜は喚くが、いつの間にか二人の供人に丁重ながらも一分の隙なく両脇を抑えられ、逃げることも食ってかかることも叶わない。


 こうして、桜は捨てたはずの城へと戻ることになったのだった。――――消せない胸の痛みと共に。

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