第22話 今度こそ、二人で①

****


ここは宇宙警察本部三階。

 真っ白な廊下に置かれている長いベンチに、ショースケは座っていました。

「ネェ、ショースケ」

 ショースケの膝の上で、ロボットのツバサが声をかけましたが……ショースケからの返事はありません。

 いつものお気に入りの青いカバンを隣に置いたまま、ただただ、ぼんやりと……もう数時間、ショースケは白い床と……地球から持ってきたタカヤのバッジを見つめています。

 何度見ても、そこには『特級』の二文字が書いてありました。

 ……あの日も、この日も、ああ、あの時も……きっとずっとそう書かれていたのでしょう。

「ツバサ」

 ショースケはほんの少し頭を持ち上げて、久しぶりに声を出しました。

「ナニ、ショースケ」

「ツバサは……タカヤが特級なこと知ってたんだよね」

「ウン」

 ツバサはいつものように触覚を揺らしたりはせず……わざとロボットらしく淡々と答えます。

「……じーちゃんも、ライトさんも、知ってたんだよね」

「ウン」

「……そっか」

 そう答えると、ショースケはまた、タカヤのバッジをぼんやりと見つめ始めました。



 それから一時間ほどして、まだベンチに座ったままのショースケとツバサの元へ肖造がやって来ました。

「ショースケ、ツバサ。タカヤは……この言い方が正しいのかはわからんが、一命を取り留めた」

 ……ショースケとツバサはバッと顔を上げます。

「まだ安心は出来んが、このまま順調に行けば直に回復するじゃろう」

「ヨカッター……ハカセ、アリガトー!」

 ツバサはやっと触覚を振って、ショースケの膝の上でぴょんっと一回跳ねました。

「ネェ、ショースケ! タカヤ ブジ ダッテ! ショースケ……?」

「……じーちゃん、何で僕に……タカヤが特級だって教えてくれなかったの」

 疲れ切った目を真っ直ぐ肖造に向けて、ショースケは尋ねます。

「……タカヤと……ショースケ、お前のためじゃよ」

 肖造はショースケの隣に腰掛けました。

「ワシはどうしても、タカヤのためにお前とコンビを組ませたかった。じゃがショースケ……お前は相手が特級だと知ったら、きっと……今のように自然に接することは出来んかったじゃろう」

 ……ショースケはまた、タカヤの鈍く光るバッジに目をやります。

「……黙ってて、すまんかった。タカヤにはワシから口止めしていたんじゃ、アイツを責めんでやってくれ」

「……別に、怒ってるわけじゃないよ」

 膝の上のツバサをベンチに降ろして、タカヤのバッジをポケットに突っ込んで、ショースケは立ち上がりました。

「ただちょっと、寂しいだけ」

 そう言って、ショースケは歩き始めます。

「どこへ行くんじゃショースケ」

 ……肖造の声に返事すること無く、カバンをベンチに置いたまま、ショースケは真っ白な廊下の先に消えていきました。


****


「博士」

 ベンチに座っていた肖造に、いつものメイド服に身を包んだルルが声をかけます。

「スイさんとティナさんが、時目木町に無事到着したそうです。後の細かい案内等はメグに任せてあります」

「ありがとう、ルル……タカヤもショースケもライトもここへ来とるからな。二人が代わりに少しの間、時目木町を担当してくれると言ってくれて助かったわい」

「それと……」

 ルルは少し言いにくそうに俯きます。

「……ライトさんがお呼びです。博士の研究室で待っているから来て欲しいと……」

「……そうか。わかった、すぐ向かう。ルル、ツバサと……このカバンを頼めるか」

 肖造はツバサを抱き上げてルルに渡すと、ショースケが置いて行ったカバンをベンチに残し、重い腰を上げて研究室へと向かっていきました。


****


「んー……のどかなところねー」

 時目木公園の時計台の上。

 吹きさらしの屋根の下に置いてある緑のベンチに座って、スイは抜けるような青空を見上げていました。

「それにしても、タカヤに何があったのかしら……博士にも、とても聞けるような雰囲気じゃ無かったから急いでここに来たけれど……心配ね、ティナ」

 ……隣のティナが何も喋らないので、スイは話を続けます。

「ショースケも座って俯いたままだったし……そうよ、ショースケが持ってたバッジ……あれ、タカヤのよね。まさか特級宇宙警察だったなんて……道理ですごい力が使えるわけよ」

 ……やっぱりティナが何も喋らないので、スイは眩しく照りつける太陽を、指の隙間からに睨みつけました。

「今の時期はこんなに暑いのね……地球に戻ってくるのも久しぶりだもんね」

「お姉ちゃん……」

 ……ふと口を開いたティナは泣いていて。

 スイはそれに気付かないフリをして……空気が澄んで、遠くまで良く見える山々を眺めながら返事をします。

「なぁに」

「わたしね、知ってたの」

 やわらかい風が、二人の間を吹き抜けました。

「タカヤくんが特級なことも……コスモピースの力で無理をしてて、危険な状態なことも知ってたの。それで……いつか、怖いことが起きるんじゃないかって、思ってたの」

 ポツリポツリと、ティナは小さく呟きます。

「タカヤくんが言わないでって……怖い目をしてて。もし言ったら、タカヤくんに嫌われてしまいそうで……誰にも言わなかった」

 夏の終わりが近いことを示す、突き刺すような蝉の声と、どこかから聞こえる鳥の声が時計台の中で反響して。

「でも……わたしが誰かに言ってたら、こんなことにならなかったのかなって。少なくとも……もし、ショースケくんに言ってあげてたら……あんな悲しい顔させないで済んだかなって……」

涙が零れて、乾ききった床のタイルの上に染みを作ります。

「……止められても、例え……タカヤくんに嫌われても……言わなきゃ、いけなかったなぁ……」

……スイは黙って、ティナの体を抱き寄せました。

 二人の心とは裏腹に、天気はうざったい程の快晴です。


****


 薄暗い研究室には、ライトが一人立っていました。

 扉を開けて肖造が中に入ると……ライトはすぐに肖造に詰め寄ります。

「どういうことですか、肖造おじさん」

「……何のことじゃ、ライト」

「とぼけないでくださいよ!」

 目を逸らそうとした肖造の胸ぐらを両手で掴んで、ライトは声を張り上げました。

「……どうして、タカヤ君があんなことになったって僕が伝えたとき、貴方驚かなかったんですか! それどころか、タカヤ君の……コスモピースのための特殊な治療設備まで、ここにすでに準備してあった!」

 ……何も言わない肖造を睨み付け、ライトは言葉をぶつけ続けます。

「まさか……知ってたんですか? 時目木町にイレギュラーな存在が来ることも、それでタカヤ君が……こうなることも! 知ってて、僕に黙ってて……タカヤ君をあんな目に遭わせたんですか⁉」

「お前に教えてたら……どうなったんじゃ?」

 肖造は場に似合わない、妙に落ち着いた声を発しました。

 その様子に少し恐れを感じ、胸ぐらを掴んでいた手を離したものの……ライトはさらに言い返します。

「それは……級の高い隊員に応援を頼むとか……そうだ、先日春子さんと諄弌さんがここに戻っていたんだから、二人にも手伝ってもらっていれば!」

 ……思わず、肖造は乾いた笑いが零れました。

「はっ……コスモピースの力を使ってもああなるような存在に、お前らが勝てるわけないじゃろう」

 その顔が、今にも泣き出しそうに見えて……今度はライトが口を噤みます。

「勝てもしないのに……お前らは向かって行くんじゃろう? そうしたら……無意味な被害が増えるだけじゃ」

「でも……そうだ! 肖造おじさんだってタカヤ君と同じ特級でしょう⁉ 貴方の技術があれば……!」

「ワシが!」

 俯いた肖造が、肩を震わせて叫びました。

「ただの……模倣品のワシの技術が、アイツに勝てるわけがないじゃろう……!」



 ライトが部屋を後にして、肖造は一人、薄暗い部屋で眩しい画面を前に座っています。

 画面には、春子と諄弌が乗るUFOへの通信を開始するためのボタンが表示されていて……でもまた、そのボタンを押すことが出来ないまま、肖造は画面の電源をブツンと切りました。

「……タカヤを頼むと、言われておったのになぁ」

「のう……春子、諄弌。ワシは……どうしたら良かったんじゃ」


****


「ヒカル、食べ物を買ってきたわ。タカヤはどう?」

 特別治療室に戻ってきたエイギスは、椅子に座っている……目元を赤く腫らしたヒカルに声をかけました。

「ありがとう、エイギス。見てよ……タカヤの体が元に戻ってきたんだ」

 エイギスから紙袋を受け取って、ヒカルは部屋の中心にある、大きくて透明なボールのようなものを指さしました。

 その中では、タカヤが目を閉じています。

「まぁ、本当ね。さっきまでは……言いにくいけれど、とても地球人とは思えない見た目だったものね」

 エイギスがそう言うと、ヒカルも頷きました。

「うん……戻って良かったよ。俺にはよくわからないけど……肖造さんが言うには、タカヤが今までエネルギー貯蔵庫に溜めてたコスモピースのエネルギーと……この、虹色の何かの塊? のおかげでタカヤはギリギリ助かったんだってさ」

 ヒカルが指をさした先にある、部屋の天井に取り付けられた虹色の光をピカピカ放つエネルギーの塊は……以前タカヤが惑星ミッシェルでETの胸元から掴み取ったものです。

 それを見上げながら、エイギスは手を口元に当てました。

「これ……なんだか知ってる気がするの」

「知ってる?」

 ヒカルの問いかけに、エイギスは長い首を傾げて睫毛を揺らします。

「ええ。懐かしいというか……変よね、初めて見たのに」


 二人が話していると特別治療室の自動ドアが開いて、青いカバンを肩から掛けたルルと、その腕に抱かれたツバサが入ってきました。

 ツバサはすぐに腕の中から飛び降りて、タカヤの入った透明なボールへと駆け寄ります。

「タカヤー! オキテ タカヤー!」

「こらツバサ! 揺らしたりしたらダメだ、ほらこっち」

 ヒカルがすぐにツバサを抱き上げました。

「ネェ ヒカル。 タカヤ ハ モウスグ オキル?」

「うーん、肖造さんは明日くらいには起きるんじゃないかって言ってたよ」

「ソッカー……タカヤ ハヤク オキテネ。イッショ ニ アソボウネ」

 ツバサは三本の触覚で、透明なボールの表面を優しく撫でました。

「ところで……ヒカルさん、エイギスさん、お二人はずっとこの部屋にいらっしゃいましたか?」

 ルルは右手を頬に当てて、困ったように首を傾げて尋ねます。

「ワタシは少し離れていた時間もあるけれど……ヒカルはこの部屋にずっと居るわよね?」

「うん、大体二時間くらいは居るかな。どうかしましたか?」

「実は……ショースケさんの姿をしばらく見ていなくて。もしかしてこの部屋に来ていないかなと思ったのですが……」

 心配そうな表情を浮かべてルルが俯いていると、ヒカルの腕の中でツバサがバタバタと手足を動かしました。

「ショースケ、ヒドインダヨ、ルル! チキュウ カラ イッショニ キタノニ、ボクノコト オイテ ドッカ イッチャッタノ!」

「どっか……どこに行くとかは言っていませんでした? ツバサさん」

「バショ ハ ワカンナイ。デモ、アッチ ニ イッタヨ!」

 ツバサは触覚をピッと前に倒しました。

「あっち……ではさすがにわかりませんね。とにかく、もう少し探してみます。ツバサさんも一緒に来ていただけますか?」

「アイアイサー」

 ルルはツバサをヒカルから受け取って抱き上げると、透明なボールの中で眠るタカヤへ深く一礼します。

「ルル、もしこの部屋にショースケが来たら伝えるわね」

「ありがとうございます、エイギスさん。それでは……タカヤさんをよろしくお願いしますね」

 自動で開いたドアの前でもう一度深く礼をして、ルルとツバサは特別治療室を出て行きました。


****


 ショースケは一人で、どこまでも白い廊下を歩いていました。

 宇宙警察本部の中はまるでいつも通りで、ショースケの横を忙しそうな隊員たちが走り抜けていきます。

 きっととても賑やかなはずですが……ショースケにはその声が、その音が、妙にくぐもって聞こえて。

 頭の中にも霧がかかったようで。

 ぼんやりと……ただ、どうしてもあの場に居たくなかったから、足を動かしていました。



 そのまま歩いて歩いて、気が付くとショースケは出口と真逆にある、一階搭乗口エリアに来ていました。

 ここでは今からUFOに乗って宇宙へ旅立つ、たくさんの隊員たちが準備を進めています。

 ……少し疲れてしまったショースケは、端の方にある椅子に腰掛けて、その様子を眺めていました。

 そういえば、スイとティナと……タカヤと、惑星ミッシェルへ行ったときもここへ来て、ワクワクしながら青いUFOに乗り込んだのでしたっけ。

 ……なんだか随分と昔のことのような気がします。


 ポケットに手を入れて、タカヤのバッジを裏を向けて取り出して……それを見ながら、ショースケはまたぼんやりと考えます。

 ……どうしてタカヤは教えてくれなかったのでしょう。

 どうして肖造も、ライトも教えてくれなかったのでしょう。

 わかっています、理由があることは……でも。

 もし自分が、もっと強かったら?

 もし自分が、タカヤが特級だと知っても揺らがないくらい、対等にいられるくらい強かっったら……みんなは教えてくれたかも知れない。


 そんな考えがふと過ったとき……搭乗口が何やら慌ただしくなりました。

 ……どうやら隊員が二人、急に旅立てなくなったらしいです。

 ショースケが他人事のように、騒がしい声を聞き流していると……一人の隊員がズカズカと近づいてきました。

「ねえ、君ちょっといい?」

 隊員は毛むくじゃらな体をグイッと近付けて、ショースケの持っているバッジを覗き込みました。

「君、タカヤ隊員って言うんだね……え、特級なの⁉ ちょうどよかった! 今すごく困っててさ、よかったら助けてもらえない?」

「え? えぇと……」

 ショースケが言葉を返すよりも先に、隊員は話を続けます。

「実は三級のコンビが出られなくなっちゃって。代わりになれる三級以上の隊員を探してるんだ! 特級の君なら十分すぎるくらいだ。場所は惑星ミッシェル、どうかな?」

 ……惑星ミッシェル、以前四人で行った星です。

 ショースケの手の中にあるバッジはタカヤのもので、ショースケ自身は十級なのです……この仕事は絶対に受けてはいけません。

 なのに。

「いいよ、行っても」

「本当⁉ 助かるよ……ところで君、コンビは?」

「……今は別の仕事をしてる」

 ショースケは咄嗟に顔を背けました。

「そうなんだ、まぁ一級以上の隊員は一人での仕事が許可されてるから大丈夫か。……あれ、君よく見たら制服着てないね。忘れちゃった?」

「……うん、今日は仕事のつもりで来たんじゃないから」

「そっか! それなら向こうの貸し出しスペースで借りてくるといいよ。申し訳ないんだけど急いでもらっていい?」

「わかった」

 立ち上がったショースケは足早に貸し出しスペースへ向かい、地球人用の制服を借りると隣の部屋でそれに着替えます。

 そして胸にタカヤのバッジを付けて、もう一度さっきの隊員の元へ戻りました。

「おかえり! 詳しい仕事の内容や地図は君のポスエッグに送らせてもらうね」

 隊員が、持っていた四角い機械をショースケがポケットに入れていたエッグロケットにくっつけると、機械のランプがピカピカと点滅します。

「これでよし! さぁ、君のUFOはこれだよ。自動で惑星ミッシェルに向かうようになってるから操作はいらないからね。それじゃ、頼んだよ!」

 隊員はそう言って肉球の付いた手を振ると、バタバタと他のところへ行ってしまいました。


 赤いUFOに乗り込んで、ショースケは出発のボタンを押します。

 扉が閉まって、機体が大きく揺れてあちこちが光って……あたふたとしている間に、いつのまにか窓の外には、さっきまで居たポスリコモスが小さく見えました。


 大変なことをしてしまいました、バレたら怒られるどころでは済みません。

 不安で震える右手を、ショースケは左手でぎゅーっと押さえ込みます。

 ……でも、もし、もし。

 もしこの仕事を自分の力だけで終えることが出来たら……もっと強くなれる気がしたのです。

 タカヤと対等に……なれる気がしたのです。


****


 UFOは以前来たときのようなエメラルドグリーンの草原では無く、沼地の真ん中にあるピンクの大きな岩の上に着陸しました。

 辺り一面粘度の高そうな黄色い泥に覆われていて、ぶくぶく泡が立つその沼は……一度足を突っ込んでしまえば抜け出せそうにありません。

 ショースケはUFOからそーっと出てくると、岩の上に恐る恐る足を伸ばして降り立ちました。

「うう、滑ったら終わりだよ……ええっと、目的地は……あっちかな」

 エッグロケットでもらった地図を確認して、ショースケは遠くの景色に目をやります。

 目的地はイアル山の近く。

 そこにあるらしい泉から湧いている、特別な液体を汲んでくることが今回のショースケの仕事です。

「イアル山っていえば……あのオンガイルゴンが住んでるところだよね……」

 以前襲われた記憶が蘇って、ショースケは身震いしましたが……自分の体を抱きかかえて必死に震えを抑えると、ぎゅっと眉間にシワを寄せて前を向きました。

「……行こう。急いでほしいって言われてるし」


 エッグロケットの中からスカイボードを引っ張り出し、それに乗ったショースケは、後ろに付いたボタンを押してから右ハンドルをグルリと捻ります。

 スカイボードは沼の上を滑るように、なかなかのスピードで前へと進み始めました。

 ……あの日タカヤに見せたスカイボードの新機能である水上走行、まさかこんなに早く……こんなところで使うことになるとは思いませんでした。


 どこまでも続いているんじゃないかと思われた黄色い沼地をやっと抜けて、さらにその先の水色の山を一つ越えて……ショースケは赤褐色の岩場に辿り着きました。

 大きな石がゴロゴロと転がっていて、砂混じりの風が吹き荒れ……ショースケは口に入った砂粒をペッペッと吐き出します。

「泉は確かこの辺りなんだけ……ど⁉」

 急にブワッと突風が吹いて、スカイボードはバランスを崩すと、近くの大きな岩に正面からぶつかってしまいました。

「わっ! いたた……ってエネルギーのパーツが割れてる⁉ 大変だ!」

 ショースケは急いでスカイボードから降りて、前側に付いているドーム状の部分を触って確かめます。

「よかった、走れないほど壊れてはないみたい。これが壊れたら僕本当に遭難しちゃうもんな……」

 ショースケはほっと胸を撫で下ろしました。

「でも、ここではこれ以上使わない方が良さそうだ。ということは……うーん、歩くしか無いか……」

 スカイボードをエッグロケットの中に戻して、ショースケは岩場を進み始めます。

 これ以上砂が口に入らないように左腕で口元を覆ったまま、岩を登ったり降りたり……疲れて止まってしまいそうな足を一生懸命動かしました。

 

 そうしてしばらく歩き続けていると……にわかに砂混じりの風が止んで、嗅いだことのないフルーツのような甘い香りをのせたやわらかい風が吹きます。

 足下にはさっきまでのゴツゴツした岩とは打って変わって、ふわふわの金色の草が生い茂り、前を向くと……金色の小さな泉が光を反射してキラキラと輝いていました。

「あった! 泉……きっとこれのことだよね!」

 ショースケはエッグロケットの中から大きな瓶を取り出すと、泉の水を汲み始めました。

「いっぱいに入れて、後はこれを持って帰ればいいんだよね」

 瓶の口スレスレにまで金色の水を入れてギュッと蓋を閉めると、ショースケはそれを再びエッグロケットの中に戻します。

「さて! 帰らなきゃ……なんだけど……」

 ショースケはフラフラと、ふわふわの草の上に腰を下ろしました。

 ここまで歩いてきて、緊張感からずっと気を張っていて……正直お腹もぺこぺこだし、もう動けないほどヘトヘトです。

「ちょっとくらいなら休んでいいかなぁ……ここ、あったかいし……眠く、なってきた……」


****


「みゅー?」

 ……妙にやわらかい何かが顔に触れて、ショースケはやっと目を覚ましました。

「んー……なにぃ……? って、本当に何⁉」

 薄いピンク色の体をしたそれは、ショースケの両手に収まってしまいそうなほど小さくて、おまんじゅうのようにまん丸で、クリックリの黒い瞳を真っ直ぐショースケに向けています。

「みゅーん」

「な、何この生き物⁉ ああ、あんまりくっついて来ないで……!」

「みゅーん!」

 薄ピンクの生き物は、立ち上がったショースケの足にスリスリと甘えてきました。

 ……仕方なく、ショースケはそれを両手で掬って抱き上げます。

「うーん……警戒心も無いし、多分何かの子ども……だよね? 親はどこに行っちゃったんだろう」

 周囲をキョロキョロ見回しても、ふわふわの金色の草原が広がっているばかりです。

「さっきまでの道で生き物には会わなかったし、やっぱりこの先から来たのかな?」

「みゅーん」

 ……残念ながら翻訳機を使っても会話は出来そうにありません。

「そうだ! タブレットで何の生き物か調べてみれば……って、そういえばカバンに入れっぱなしで持ってきてないや……。あ、あのね、君!」

 ショースケは生き物をのせた手のひらを、顔の高さまで上げて話しかけます。

「僕もう行かなきゃいけないんだ。だから……その、ここに置いていくけど許してね!」

 そう言って生き物を金色の草の上に置くと、ショースケはさっきまでの道を引き返し始めました……が!

「みゅっ、みゅ、みゅぎゃぁあああああああああっ!!!!」

 小さな生き物はやわらかい体を波打たせながら、信じられないほどの爆音で泣き叫びました!

 咄嗟にショースケは耳を両手で塞ぎますが……そんなもので防げるような可愛いらしい音量ではありません、耳がもげそうです!

「え、え⁉ そんな泣かないで……!」

「ぎゃぁあああああああああああああっ!!!!!」

「わかった! わかったから!」

 ショースケは急いで生き物に近づいて、もう一度優しく抱き上げました。

「親を探せばいいんでしょ! 一緒に居てあげるから……だからお願い、これ以上泣かないで……」

 たった数秒泣き声を聞いただけですが、ショースケはもうゲッソリしてしまって……もう一回あの泣き声を聞いたら、今度は本当に耳が取れてしまうかも知れません。

 そんなショースケの気持ちも露知らず、生き物は嬉しそうにニコーッと笑いました。

「みゅっ!」

「……仕方ない、行こうか。えーっとこの先は……本格的にイアル山のふもとだね、注意しないと……」

 ショースケは生き物を抱えたまま、予定には無かった道を歩き始めました。

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