第21話 ライトお兄ちゃん②
****
「……タカヤは……まだ寝てるのか?」
「そうみたい。この子いつも勉強とか頑張ってるから、ちょっと疲れてたのかしら」
「しかし……今日本部に来てからずっと寝ているだろう……? いくら何でも、少し寝過ぎじゃないか……?」
「……そうよね、そろそろ地球に帰る時間だし起こさなきゃ」
春子は優しい手つきで、タカヤの体をトントンと叩きます。
「タカヤ? 起きて、タカヤ……タカヤ?」
……異変に気がついた諄弌が春子の隣に来て、タカヤの肩を掴んで乱暴に揺すりました。
「タカヤ! おい、起きろ! タカヤ!」
どれだけ揺すっても、呼びかけても、タカヤの瞼は動きません。
初めて聞いた諄弌の大声に驚いて、ちょうど部屋の前を通りかかったヒカルが慌てて扉を開けて入って来ました。
「父さん⁉ どうしたの、そんなに大きな声出して……」
「……タカヤが、目を覚まさない! ヒカル、今すぐ医務室から人を呼んできてくれないか!」
****
「信じがたいですが……この子は宇宙風邪にかかっています」
医務室から来た黒いETは、タカヤを診察して……重い口を開きました。
宇宙風邪はこの宇宙に昔からある病気です。
発症すると眠ったまま目を覚ますこと無く、そのまま体が内側から蝕まれていく……以前までは不治の病として恐れられていました。
「宇宙風邪って……地球人はかからないんじゃなかったんですか⁉」
ヒカルが黒いETに詰め寄ります。
「……聞くところによると、この子は地球の外で産まれたそうですね。その後もここ、ポスリコモスで過ごす時間が長かったなら……本来地球人が持っているはずの、地球で培うことの出来る抗体が少なかったのかもしれません……本当にお気の毒です、まだお若いのに」
黒いETは、心底可哀想なものを見る目をタカヤに向けました。
「お気の毒……? 一体、どういう意味ですか……?」
春子が声を震わせます。
「……確か、宇宙風邪には特効薬が出来て、以前のような治らない病では無くなったのでは……?」
諄弌が問うと……黒いETは視線を逸らして少し考えてから、覚悟を決めたように三人の方を向きました。
「宇宙風邪の唯一の特効薬は、プニプヨ星に生育するモジェリという花です。しかしこの花は……地球人にとっては恐ろしいほどの猛毒です、花びら一枚飲ませることは出来ない。そして……悲しいことですが、モジェリの花を飲むこと無く……この病気が治った事例は今まで聞いたことがありません」
……静かな部屋には、黒いETの擦るような足音だけが聞こえます。
「……つまりこの子には、私たちが出来ることはありません。持って一ヶ月……はっきり言います、二度と目を覚ますことはないでしょう」
黒いETは、扉の前で一度だけ振り返って目を細めると
「本当に……お気の毒です」
そう一言残して、部屋の外へと出て行きました。
****
「ごめんなさい! ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいっ!」
……ライトは擦り切れて血が滲むほど、額を床に擦りつけて土下座を繰り返します。
「ライトくん! もうやめて……」
春子が縋って止めても、ライトはもう一度、二度、三度……涙で濡れた床に頭を打ち付けました。
「ごめんなさいっ……僕が! 僕が遊園地になんて連れて行ったから! 僕の所為で、ごめんなさい、ごめんさい……っ」
「……顔を上げてくれ、ライト君」
諄弌は跪いて、ライトに言葉をかけます。
その声は妙に落ち着いていて、でも……その目は、どこを見ているかわからないほど……とても虚ろで。
「……もう、謝らないで欲しい。ライト君の所為じゃない……俺たちだって、まさか地球人が宇宙風邪にかかるなんて思っていなかった」
立ち上がった諄弌は、ベッドの方へ歩いて行くと……そこで眠るタカヤの前髪を優しく掻き上げて、そのまま愛おしそうに頭を撫でました。
それでも……タカヤの瞼がほんの少しでも、動くことはありません。
「……ねえ、父さん。タカヤは起きるよね……?」
ベッド脇の椅子に座ったヒカルは、タカヤの手を握ったまま、ぼんやりと呟きます。
「だって、こんなに温かいのに……いつも寝てるときと、何にも変わらないのに……もう二度と起きないなんて、そんなの……信じられるわけないじゃないか……」
……これ以上無いほど泣き腫らしたヒカルの目から、また涙が零れます。
「ねぇ、タカヤ……起きて? お願い、お願い……ねぇ、お願いだから……!」
春子は優しくタカヤの頬に触れて……その手を離さないまま膝を折り、泣き崩れました。
……真っ白な床に伏したまま、ライトはそのむせび泣く声を聞くことしか出来ませんでした。
****
「タカヤー、聞いてくれよ。また仕事でやらかしちゃってさぁ」
部屋の扉を開いたヒカルは真っ直ぐ、奥にある……あの日からタカヤが眠ったままのベッドへ向かいます。
「いろんな人に迷惑かけちゃうし、相変わらずコンビは決まらないし……はは、タカヤだったらそういうの上手く出来そうだな」
……管がいくつも繋がった、少し軽くなった体を抱き上げて、ヒカルは棚に置いてあるウェットティッシュを使ってタカヤの体を拭き始めました。
「くすぐったくは……ないか。タカヤって昔からくすぐっても全然笑わないもんなー、俺はすぐ笑っちゃうのに」
全身を優しく拭いてあげて、服を整えて……最後に新しいウェットティッシュを使って顔を撫でます。
「そうだ! 一階のカフェにさ、新メニューが出たんだよ。タカヤがいっつも食べてる赤いグミみたいなやつの新しい味だって!」
おでこを撫でて、頬を撫でて。
「……起きたらさ、一緒に食べに行こうな」
……後ろから扉をノックする音が聞こえたので、ヒカルは袖で乱暴に自分の目元を何度か拭いました。
「あら……ヒカル、来てくれてたのね」
「母さんいらっしゃい。あ、タカヤの体拭いておいたよ」
ヒカルは立ち上がって、近くに置いてある椅子をもう一脚、春子のために持ってきます。
「ありがとう……タカヤ、綺麗にしてもらえてよかったねー」
その椅子に腰かけて、春子は掛け布団の端から出ているタカヤの手を、両手でキュッと包み込みました。
……春子の髪は以前よりも乱れていて、体も少し痩せたようです。
「……母さん大丈夫?」
「大丈夫よ、ヒカルだってしんどいのに……心配してくれてありがとうね」
「……父さんは仕事?」
「うん。本当はコンビでのお仕事の途中なんけど……諄弌がタカヤのところに行っておいでって少しだけ時間をくれたの。ああでも、もうすぐ戻らなきゃね」
「あのさ……仕事、二人でしばらく休んだら?」
ヒカルがそう言うと、春子は目をきょとんとさせて……ふわりと、ヒカルの頭を撫でて寂しそうに笑いました。
「そう言って……ヒカルだって休まないんでしょ?」
「俺は……だって、タカヤがその方が喜ぶと思って……」
「……私たちだって同じよ。タカヤは昔から、仕事頑張ってる私たちが好きだって、かっこいいって……自分が熱を出したりすると、看病のために私たちが仕事を休むのをひどく嫌がってたじゃない?」
春子は掛け布団を少し捲って、呼吸で小さく上下するタカヤの胸にそっと手を当てます。
トクントクンと揺れて、ほんのり温かくて……
「……タカヤにとって、かっこいい母さんでいたいの。そうしないと……タカヤが起きたときに、きっとガッカリさせちゃうわ」
名残惜しそうに手を離し、掛け布団を戻して……春子は椅子から立ち上がると、タカヤの額に一つキスを落としました。
「さぁ、そろそろ諄弌のところに戻らないとね!」
「うん。俺も仕事に戻るよ……そうだ、母さん……ライトお兄ちゃんに会った?」
「……それが、私もあの日から会ってないの。いつもの研究室にはいないみたいで……大丈夫かしら、無理をしてないといいけど……」
****
「……ライト、まだ休まんのか」
肖造は特殊な鍵を使って、本部の地下にある小さな部屋に入りました。
薄暗い部屋の中に一つだけ点る明かりの下では、ライトが机に齧り付いて作業を続けているようです。
「ライト、聞いとるのか」
……声は届いているのかいないのか、返事はありません。
ため息を吐きながら近づいた肖造は……ライトの側に置いてあるガラス瓶の中に入っている、白い種に気が付きました。
「その種……モジェリの種か」
……ライトはその言葉に反応して、やっと顔を上げました。
両目は真っ赤に充血して、ひどい隈が出来て、髪だってボサボサで……いつも身なりを整えていた真面目なライトは見る影もありません。
「……肖造おじさん来てたんですね。聞いてくださいよ」
ライトは散乱する書類の中から、一枚の紙を引っ張り出します。
「見てください……モジェリは種の段階では地球人に毒性のある成分は含まれていないんです。つまり生育環境、外的要因によって毒を帯びるようになる……それなら、毒性の無い環境で育てることが出来れば……地球人が飲めるモジェリの花が作れるはずだ」
机の上に並んだ小さなガラス容器の中には透明なゼリーが入っていて、さらにその中にはモジェリの種が一つずつ埋められています。
……ただ、そのどれも芽吹いてすらいません。
「今度はこの薬品を使ってみようと思って。これには植物の成長を早める効果があるし」
「ライト」
「ああそうだ、こっちの栄養剤も。これはプニプヨ星の大気中の成分と似ていて」
「ライト!」
小さな部屋に、肖造の声が響きました。
「……わかっとるじゃろう? モジェリは花が咲くまでに……地球の時間なら二年以上はかかる。とても間に合わん」
「……なんで、なんでそんなこと言うんですかっ⁉」
ライトは衝動的に肖造の胸ぐらを掴みます。
……でも、ずっとまともに寝ても食べてもいないライトは体に力が入らず目が眩んで……すぐにその場に座り込んでしまいました。
「大丈夫か、ほら……ちょっとは休め」
「嫌だ……やらなきゃ、タカヤ君が……」
「お前まで倒れたらどうする」
「……僕なんて……どうなっても、いい、から……」
……ライトはそのまま、気を失うように眠ってしまいました。
「どうなってもいい訳がないじゃろ……馬鹿ライト」
肖造はポケットに入れていた栄養ドリンクや食べ物を出して机の上に置くと、薄暗い部屋を後にしました。
****
タカヤが目覚めなくなってから二十日ほどが経過したある日。
……諄弌がひどくぼんやりと、タカヤの眠るベッドの脇の椅子に座っていると、部屋の扉をノックしてヒカルが入ってきました。
「父さん、来てたんだ。母さんは仕事?」
「……ヒカル」
息を漏らすように小さく、諄弌は声を絞り出します。
「ついさっき……医務室の隊員がここへ来て、タカヤの様子を診てくれたんだ」
……先に続く言葉が嫌でも感づいて、ヒカルは今すぐ自分の耳を塞いでしまいたいのに……体は動いてくれません。
「……病気の進行が想定より早いって……あと、数日持たないらしい」
「……そうなんだ」
……もっと、『嘘だ』とか『信じない』とか、『絶対治る』とか言えると思っていたのに……気がついたら、ヒカルはそう返事をしていました。
タカヤの腕がどんどん細くなっても、体を拭いてあげたときに肋骨の凹凸が顕著にわかるようになっても、繋がる管が増えていっても、絶対治るって信じて……いや、信じようとして。
でも、本当はずっと気付いていました。
……気付かないフリをしていただけでした。
そしてそれはきっと……目の前に居る諄弌も、ここに居ない春子も同じでした。
「……春子を呼んでくる。ヒカルは……タカヤの側に居てやってくれないか」
部屋の前に立って話を聞いていた肖造は、足早にその場を離れてチューブ状の透明エレベーターに乗り込みました。
最上階に着いて、自身の研究室の奥にある資料室への扉を開けて……一番端の棚に隠すように置いてあった、古くて傷だらけの金属の箱を手に取ります。
歪んで開きにくい箱をやっと開くと、そこには厳重に閉じられた小瓶が入っていて……その中には赤と青の光をチカチカと放つ、真っ黒な石が輝いていました。
「これを……使う日が来たか」
****
「肖造おじさん! 見てください!」
部屋に入ってきた肖造に、ライトは珍しく笑いかけます。
肌はくすむだけくすんで、めっきり痩せて……そんな指先で、ライトは小さなガラス容器を摘まみました。
……中に入っているモジェリの種からは、注意して見ないと気がつかないほど小さな芽が出ています。
「ついに芽が出たんですよ! 後はこれを……花が咲くまで持っていければ……!」
「……ライト、タカヤのことで」
「わかってます……」
肖造の言葉を遮るように呟いたライトは、力なく腕を降ろすとガラス容器を机の上に戻しました。
「……諄弌さんが来て、教えてくれました……一度でも、会いに来てやって欲しいって。でも、僕は……タカヤ君に会うのが、怖い」
声が震えて、あの日からずっと我慢していた涙が溢れます。
「……あの子が、いなくなるのが、それを認めるのが怖い……ごめんなさい、ごめんなさい……」
「ライト」
肖造は歩み寄ると……今まで見たことの無いほど真剣な眼差しを向けました。
「タカヤのことで話がある。ワシに付いて来てくれんか」
****
「肖造さん、お話って……」
部屋に入ってきた肖造の方を向いた春子は……その後ろにいるライトに気がつくと、すぐに走り寄りました。
「ライトくん……!」
「……春子さん、ずっと顔も見せずにすみません……」
……部屋の奥には、あの日から変わらずベッドがありました。
ベッドの側には諄弌とヒカルが立っていて、そしてそのベッドの上には……ずっと見ないふりをしていた光景が広がっています。
「……タカヤ君」
近くへ行って、頭を撫でて……大好きだよと、言ってあげなきゃいけないのに、足がどうしても動きません。
……立ち尽くすライトの横で、肖造は口を開きました。
「タカヤを、助けられるかも知れん」
部屋にいる全員が、一斉に肖造の方を向くと……肖造は白衣のポケットの中から、ガラス瓶に入った黒い石を取り出しました。
「これはコスモピース。ワシも詳しく知っているわけでは無いが……恐ろしいほどのエネルギーを持つらしい。そして……この石は生物の体に取り込まれることで力を発揮すると聞いている。タカヤの体にこの石を使えば、病を打ち消すことが出来るかも知れん」
……コスモピースと呼ばれたその石は、赤と青の光を放ち……まるでこの世のものとは思えないほど、美しく……禍々しい見た目をしています。
「しかし正直……何が起こるかはワシにもわからん。失敗する可能性も……もし上手くいったとしても、タカヤが……お前たちが今よりずっと苦しい思いをする可能性だってある」
「肖造さん」
春子は一歩前へ出ると、深く頭を下げました。
「お願いします、その石を……タカヤに使ってください」
……すぐに諄弌も隣に並び、頭を下げます。
「俺からも……お願いします、肖造さん」
「……言って置くが、成功する保証は無いぞ」
「……わかってます。それでも……どうしても」
顔を上げた春子と諄弌の目が、揺らぐことはありません。
「もう一度タカヤが目を覚ます、その可能性が欲しいんです」
「時間もない……始めるぞ」
肖造はベッドに眠るタカヤの上で、厳重に閉じられたガラス瓶の蓋を開けました。
瓶の中からコスモピースが滑り落ちて、タカヤの胸元に触れた、その瞬間。
コスモピースは目も開けていられないほど眩しい光を放つと、まるで溶け込むよう形を変えて、タカヤの体の中に取り込まれていきました。
すると、タカヤの全身が黒く染まって……ヂカヂカと赤と青のまだら模様に光り始めます。
……それはまるで、タカヤの体そのものがコスモピースになったようでした。
五人が固唾を飲んで見守っていると……次第に体の色が元に戻って。
瞼が、ピクリと動いて。
……タカヤが目を覚ましました。
しかし……その目の中には以前と異なり、無数の赤と青の星々が輝いています。
「みんな……集まってどうした、の……?」
タカヤは寝たままみんなの顔を見渡して……肖造を見ると、その動きを止めましたが……すぐに春子とヒカルに抱きつかれて、首をそちら側に向けました。
「タカヤ! タカヤ……っ!」
「母さん? どうして泣いてるの?」
「うわぁああん……タカヤぁあ……!」
「兄ちゃんまで……俺が寝てる間に何かあった? ……え⁉ 父さんも……ライトお兄ちゃんも泣いてるの⁉」
タカヤは何が起こっているのかわからず困惑しながらも……もう一度、確かめるように肖造の方を見ます。
……目が合った肖造は、パチンと一つウインクをして見せるだけでした。
****
「タカヤ、調子はどうだ?」
ヒカルが嬉しそうに部屋に入ると、ベッドに座って勉強をしていたタカヤが顔を上げました。
「兄ちゃん、来てくれてありがとう。調子は……うん、大丈夫!」
「そっか! それならよかった……って、タカヤまた夏服着てるのか。掛け布団も使ってる様子が無いし……この部屋そんなに暑いかな?」
「うーん……なんか、着込んでるとちょっと苦しくて」
「ふーん? それもあの……コスモピースってやつの影響なのかな?」
ヒカルはタカヤの隣に座ると、持ってきた紙袋を膝の上に置いて中身を探り始めます。
「そうそう、これ買ってきたんだ! 一階のカフェの新メニュー! タカヤが好きなやつの新しい味だって。昼食もまだだしお腹空いただろ?」
紫色のグミのようなものがたくさん入った箱を、ヒカルはタカヤに手渡しました。
「……うん、嬉しい。兄ちゃんありがとう!」
……コスモピースのエネルギーで満たされたタカヤの体が空腹を感じることはありませんし、この食べ物だってみんなが喜ぶから好きなことにしているだけです。
でもヒカルの気持ちがとっても嬉しいので、タカヤは紫色のそれをいくつも手に取って、喉元を締めて強引に飲み込みました。
扉がノックされて、今度はおずおずとライトが顔を出します。
「タカヤ君、調子は……あ、ヒカル君も来てたんだね」
ライトは両手に大量……と言う言葉では足りないほど大量の手土産を持っています。
「あ、ライトおに……ライトさん。って、もしかしてそれ全部タカヤに……?」
「もちろんだよヒカル君。これはタカヤ君が興味ありそうな本でしょ、こっちは美味しいお菓子で、これは滋養強壮にいい飲み物。それと今グラクラ星で流行ってるらしい玩具に……」
あっという間に机の上は、ライトからの手土産で埋め尽くされて山が出来てしまいました。
「ライト……さん、って……何事も加減を知らないよね」
ヒカルはため息を吐いて呆れています。
「だ、だって全部タカヤ君に渡したくて……ごめん、迷惑だった?」
「ううん、俺は嬉しいよ! ありがとうライトさん!」
タカヤはそう言って笑うと……ふと、照れくさそうに口元に手を当てます。
「あはは。兄ちゃんに釣られて、俺もライトさんって言っちゃっ……」
突然、タカヤはふらついて隣に座るヒカルの体にもたれかかりました。
「タカヤ⁉」
「……ごめん、大丈夫だから」
そう言って笑ったタカヤの顔色は真っ青です。
「大丈夫じゃないだろ! 休んだ方がいい……うるさくしてごめんな、俺は仕事に戻るよ」
「僕も行くよ……タカヤ君、無理しないで。お大事にね」
ヒカルとライトが部屋を後にして……タカヤは一人、ベッドの上に横たわり真っ白な天井を見上げます。
「……また、迷惑かけちゃったな」
自分は長い間、病に侵されて眠っていて。
みんなが、必死に助けてくれて。
それは嬉しいことで、ありがたいことで。
……そうでなくちゃ、ダメなのに。
「……なんで、目覚めちゃったんだろう……なんて。はは……俺って、最低だ」
真っ白な天井は、どこまでも真っ白なままで……見たくなくて、タカヤは目を閉じました。
「本当……なんでここにいるんだろう」
****
「……コスモピースのエネルギーが強大過ぎて、タカヤの体には強い負担がかかっておる」
諄弌と春子を自身の研究室へ呼んだ肖造は、タカヤの体のデータを見せながら二人に説明します。
「……正直、何時そのエネルギーが暴走してもおかしくない状況じゃ。もし暴走すれば、タカヤの体は無事ではすまんじゃろう」
「そんな……」
春子の震える肩を、諄弌は横から支えます。
「何か……タカヤを助ける方法は無いんですか」
「方法は今のワシにはわからんが……可能性ならある」
肖造が自分のポスエッグを取り出して操作すると……空中にいくつも画像が浮かび上がりました。
その画像の中に……真っ白な小さな惑星が一つ。
「この星は……惑星トリスタル。遠い遠い……恐らく、今は荒れ果てた星じゃが……ここに一人、生物が残っておるはずじゃ。名前はエイギス……そいつの中には、もう一つのコスモピースがある」
……二人の驚くような視線から目を逸らすように、肖造は話を続けます。
「……そのコスモピースを使って、タカヤの中のコスモピースの力を相殺することが出来れば……タカヤを元の人間に戻せるかも知れん」
もう一度肖造がポスエッグを操作すると、空中に浮かぶ画像は全て消えてしまいました。
「春子、諄弌。二人にはその生物、エイギスをここへ連れてきてもらいたい。危険を伴うかも知れんが……頼めるか」
「……はい。是非、やらせてください」
春子と諄弌は同時に頭を下げます。
「それでは支度をしてすぐに出発します。極力早いほうがいいでしょう」
「……待て」
肖造は目を伏せると、小さな声で尋ねました。
「ワシが何故、そんなことを知っておるのか……理由を聞かんのか」
「……はい」
「……そうか、気をつけて行けよ」
「はい!」
二人は扉の前で振り返り一礼すると、足早に研究室を出て行きました。
「………全く、気を使いおって」
****
「ヒカル、ライトくん。私たち、少し長い旅に出ることになったの」
二人を前に、春子は明るく笑ってみせました。
「だからその間、タカヤのことをよろしくね!」
「……それは、タカヤ君の……コスモピースに関することを調べに行くんですか?」
ライトの問いかけに、諄弌は荷物をまとめる手を一度止めて答えます。
「ああ……タカヤのコスモピースを取り除いて元の人間に戻す……その方法を探しに行くんだ」
「そ……そんなこと出来るの?」
目を見開いたヒカルに、諄弌は珍しく口角を上げました。
「ああ……出来るさ。必ずな」
荷物を全てポスエッグに入れて、諄弌と春子は歩き始めます。
「父さん、母さんもう出るの? ……タカヤに会っていかないの?」
「……だってタカヤに会ったら、心配で行けなくなっちゃうかも知れないもの! だから、タカヤには二人から伝えておいて」
振り返った春子は笑ってそう言うと……もう二度と振り返りません。
「それじゃあ、行ってきます!」
****
タカヤが目を覚ましてから、もうすぐ一ヶ月が経とうとしています。
もうとっくに新学期は始まってしまっていますが……タカヤは入院している、ということになっています。
その理由は……
「うーむ、やりおったな」
肖造の目の前には真っ二つに折れたベッド、焦げた壁、ボコボコに凹んだ床……そして申し訳なさそうに俯くタカヤがいます。
「ごめんなさい、また……力のコントロールに失敗しちゃって……」
「お前が謝ることはない。それだけコスモピースの力は強大じゃ、むしろ今日はよくこれだけで抑えられたわい。体調はどうじゃ?」
「体調は……大丈夫ですよ? 元気です」
「嘘つけ」
肖造はタカヤに軽ーくデコピンすると……白衣のポケットから取り出したポスエッグを、杖の形に変形させて一振りしました。
するとみるみるうちにベッドが、壁が、床が元の姿へと戻っていきます。
「調子悪い日が続きすぎて慣れてきただけじゃろ。ほれ、寝とかんかい」
「ううん……前よりはずっといいのは本当ですよ? それにしてもすごいですね、いつ見ても魔法みたいだ」
タカヤは掛け布団を使わずに、元に戻ったベッドに横になりました。
「この部屋は形状記憶材質を使って作られておるからな。戻すのだって楽なもんじゃ」
肖造は杖をポスエッグの形に戻して、またポケットの中に仕舞います。
「すみません……いつもありがとうございます」
「いちいち謝らんでええわい。ところで……それは何じゃ、手紙か?」
「はい。友達が俺の家のポストにお見舞いの手紙を入れてくれてるみたいで。たまに帰った兄ちゃんがまとめて持ってきてくれるんです」
「そうか、じゃが……お、多くないか?」
手紙は大きな箱が二ついっぱいになるほどあって、さらにそこから少し溢れています。
「あはは……レンっていう子が毎日くれて。それもいつも一枚じゃないんです。ありがたいですね……早く、学校に戻らないと」
眉を下げてちょっと困ったように笑いながら、タカヤは大切そうに手紙を見つめました。
「さすがタカヤ、モテるのー……そうじゃ、お前に言わなきゃならんことがあったわい」
一つ大きなあくびをした後、肖造はベッドの縁に座ります。
「ワシのこと……その様子じゃ誰にも言ってないみたいじゃな」
「……はい。肖造さんから話すことが無い限り、俺からは喋りませんよ」
「そうか……全く、お前ら親子はよく似とるわい」
……その時、肖造のポケットの中でポスエッグがブルブルと振動しました。
肖造はそれを引っ張り出して握ります。
「……じゃあタカヤ、ワシは行く。ゆっくり休むんじゃぞー」
背中越しに手を振って、肖造は部屋を後にしました。
……タカヤはそのまま目を閉じて、少し昔を思い出します。
……初めてその気持ちが芽生えたのは、いつのことだったでしょうか。
そうです……何年も前、家族で日帰り旅行に行った帰り道。
タカヤは後部座席に置かれた、まだ少し大きいジュニアシートの上で、カタンカタンと小刻みに揺られていました。
前を見れば、運転をしている諄弌と助手席に座る春子が、楽しそうに今日のことを話していて。
隣では、遊び疲れたヒカルが首をカクカク揺らしながら眠っていて。
窓からは、キラキラと輝く……砂がいっぱい入ったバケツをひっくり返したような、満点の星空が見えました。
楽しくて、嬉しくて。
この空間が、この日々が、とってもとっても幸せだと思って。
だから、タカヤは心から……
……目を開けてため息を吐くと、タカヤはベッドから立ち上がります。
「……あれ? これ、肖造さんの落とし物かな」
床に落ちている、くちゃくちゃになった一枚の紙を拾い上げて、タカヤはベッドの上で広げてみました。
「会議の日程表……大事なものかも。そうだ、届けに行こう。今は調子いいし」
****
「春子、諄弌。長旅ご苦労じゃったな……そうか、その子が」
肖造の研究室に戻ってきた春子と諄弌は、一人の見慣れない生物を連れています。
見上げるほど背が高くて、細くて……この世のものとは思えないほど美しい生物は、鈴が鳴るような声を発しました。
「はじめまして、ワタシはエイギス。まぁ……うふふ!」
エイギスはふわりと、長い睫毛を揺らして笑います。
「どうした、何か面白いことがあったか?」
肖造が尋ねると、エイギスが長い首を横に振ります。
「いいえ。ワタシ、地球人って大好きなの。春子も諄弌もとっても優しいもの! それで、貴方も地球人だから嬉しくなってしまったのよ」
……その言葉を聞いた肖造は……まるで時間が止まったかのように、思わず言葉を失ってしまいました。
……だって、もしもコスモピースの力を持っているなら……そんなことを言うわけがないからです。
「ちょっと、来てもらってもいいか……エイギス」
肖造はエイギスを奥へ呼んで、その体を調べて……呆然としました。
だってその中にあったのは……コスモピースとは似ても似つかない、ありふれたエネルギーの塊だったからです。
「春子、諄弌……事情が変わった」
エイギスには奥の資料室に入ってもらい……三人は手前の研究室で話をします。
「事情が変わったって……もう一つのコスモピースは?」
春子の質問に、肖造は答えにくそうに口を動かしました。
「それが……入ってなかったんじゃ。つまり、エイギスの中のコスモピースを誰かが意図的に抜き取ったことになる……まずいことになった」
「まずいこと……? 肖造さん、説明していただけますか」
諄弌が鋭い視線を向けます。
「……コスモピースはこの宇宙でおそらく一番のエネルギーを秘めた石じゃ。使い方によっては……どんなものだって、星だって壊せてしまうじゃろう。そんな力をもし、ろくでもない奴が手にしたらどうなるか……最悪の場合、この宇宙が揺らぐかも知れん」
肖造は俯いて……二人の顔を見られないまま話し続けます。
「そして、このコスモピースに敵うものは……同じコスモピースしか無い。もし、本当にコスモピースが悪用されたその時は……今のままだと、タカヤに戦ってもらう必要がある」
「タカヤに……⁉」
春子は悲鳴にも似た声を上げて、咄嗟に自分の口を塞ぎました。
「ああそうじゃ。その場合、コスモピース同士のエネルギーのぶつけ合いになる。そうなればおそらく……タカヤの体は持たん。例え相手に勝っても、相打ちで壊れてしまうじゃろう」
……薄暗い研究室の中は、どこかで機械がカチカチと小さく鳴る音だけが響いたかと思うと……途端に恐ろしいほど静まり返ります。
隣の春子の体が、今にも泣きだしそうに震えているのがわかって……諄弌は春子の手を握ると、少しだけ目を閉じて……開いて、真っ直ぐ前を見据えました。
「……つまり、コスモピースを見つけて来ればいいんですね」
その言葉に俯いていた春子が顔を上げたので、諄弌は優しく笑いかけて、その手をさらに強く握ります。
「悪用されるより……タカヤの体が限界を迎えるよりも先に……もう一つのコスモピースを見つけてしまえば良い」
「じゃが……どこにあるか検討も付かんのじゃぞ。そんな状態で闇雲に探すというのが……どれだけ無謀なことかわかっておるのか」
肖造は顔を上げて言葉を返しましたが……諄弌のその目を見れば、もう止められないことはわかります。
「……それでも、可能性が無いよりずっといい。行かせてください」
「……私からも、お願いします。行かせてください」
お互いに握っていた手を離して、二人が深く頭を下げたのを見て……肖造も覚悟を決めて、自分の両頬をパンっと叩きました。
「わかった! ワシのとっておきの宇宙船を貸してやろう!」
肖造が椅子に座り大きなディスプレイに触れると、次々と画面が浮かび上がり……研究室の至る所から音が鳴り始めます。
「食料、燃料、その他諸々……大量に必要じゃな。十分で準備する、ワシに任せておけ」
「肖造さん……何から何まで、ありがとうございます!」
もう一度春子が頭を下げると、肖造は椅子をくるりと回して……厳しい顔つきで振り返りました。
「じゃが……二人には悪いが、これを貸すにはワシから一つ条件がある」
「条件……?」
「……最悪の可能性に備えて、タカヤにはこれから特別宇宙警察としてコスモピースの力を使ってもらいたい。まともに使えない今の状況では話にならん。それに……もしコスモピースの力を狙う輩が現れた時に、自分の身を守ることにも繋がるじゃろう」
春子がすぐに、身を乗り出すように口を開きます。
「それは……危ないことなんじゃないんですか? もの凄いエネルギーなんでしょう? タカヤに耐えられるんですか?」
「ワシにも……やってみんとわからんよ」
「そんな、あの子に何かあったら……! ねぇ諄弌、やっぱり……」
「春子」
諄弌はいつもより少し大きな声を出しました。
「俺は……肖造さんを、タカヤを信じる。コスモピースのことも、この先どうなるかも……何もかもわからないことばかりなんだ……俺たちも、覚悟を決めないか」
「でも……!」
少し俯いた春子は……気が付きました。
さっきまで握っていた諄弌の手が、小さく震えていることに。
……不安なのは決して、自分だけでは無いのです。
春子は首をプルプルと振って、目元を袖で強く擦ると……今度は自分から、震えている諄弌の手を強く握りました。
「取り乱してごめんなさい。もう大丈夫……肖造さん」
笑って、春子は前を向きます。
「タカヤを……よろしくお願いします」
「ああ、わかっとる……さぁ、準備はすぐ出来る。今のうちに息子たちに会いに行ったらどうじゃ」
肖造はまたディスプレイを操作しますが……二人は動く気配がありません。
「どうした、行かんのか」
「……はい」
諄弌がそう返事をすると、春子も頷きます。
「……長い間、会えなくなるぞ」
「わかってます。でももし……会って、離れるのが嫌で出発を渋って、その分だけ間に合わなかったりしたら……私、きっと自分が許せません」
……春子がそう話すと、今度は諄弌が何も言わずに頷きました。
「……そうか。少し待っとれ、まもなく……準備は終わる」
空中に浮かんでいた画面は次々と消えて……最後にディスプレイにボタンが一つ表示されます。
……少し躊躇いそうになる心を抑え込んで、肖造はボタンに手をかざすのでした。
……落とし物を届けに来たタカヤは、肖造の研究室の前に座り込んでいました。
コスモピースの力によって聴力を何倍にも高めたタカヤは、部屋の中で三人が話す声を静かに聞いて……立ち上がると、足音をさせないようにその場を後にします。
ゆっくりと歩いていた足は、研究室から離れるごとに早足に、そして駆け足になっていって。
……気が付くと、タカヤは笑っていました。
それは、今まで感じたことの無い……いつもの作り笑いじゃ無い、心の底からの高揚による笑いでした。
……どうやら今の自分には、とてつもない力があるようです。
そのコスモピースの強大な力を使って、たくさんの人の役に立つこと。
そして……もう一つのコスモピースの脅威から、この宇宙を守って……。
それこそが、どうしようもなく空っぽな自分が……何にも無くて、嘘吐きで、大っ嫌いな自分が……ここにいる意味で、役目なのではないでしょうか。
……そうです! きっと、そうに違いありません!
……真っ暗だったタカヤの世界に、大きな光が差しました。
それはタカヤにとって、どんな光より眩しくて……たった一つの希望に見えました。
****
それから一週間ほどが経った頃。
ドカドカ足音が近づいてきて……本部の最上階にある、肖造の研究室の扉が乱暴に開かれました。
「肖造おじさん! 聞きましたよ……タカヤ君を特別宇宙警察にするなんてどういうつもりですか!」
ライトは睨むように肖造へ詰め寄ります。
「どういうことも何もそういうことじゃ。コスモピースはもの凄い力を秘めておるからな……宇宙警察にその力を貸してもらいたいと思うのは当然じゃろ」
「そんな理由で……あの子を危険に晒すんですか⁉」
……春子と諄弌以外には、タカヤに待ち受けるかもしれない最悪の可能性を話していません。
特にライトには……話せばきっとひどく動揺して、自分のせいだと取り乱してしまうことは目に見えています。
肖造はもう……あの日々のようなライトは見たくありません。
「とにかく、これはもう決まったことじゃ。そうじゃライト、お前に頼みがある」
肩を震わせるライトに、肖造は淡々と話を続けます。
「タカヤが直に小学校に戻りたいらしい。まあ、力のコントロールも上手くなって来たし、もう少しすれば問題ないじゃろう。そこで、お前には近くに住んでタカヤの……コスモピースの様子を見守ってもらいたい」
「近くに……? 一緒に住んだらいいじゃないですか。タカヤ君はまだ小学生ですよ?」
「……ワシもヒカルもそう言ったんじゃがな。家では気が抜けて、力が暴発するかもしれないからとタカヤが断って来たわい。安心しろ、タカヤが一人にならんようにそれなりのロボットを作って渡すつもりじゃ」
少し離れた机の上には、それらしい作りかけの丸っこいボディが置いてあります。
そして……その奥に見慣れない、これまた作りかけの人型のボディが一つ。
「これは……アンドロイドですか?」
「そうじゃ。ライト、お前のお世話係じゃよ。それも超高性能、ワシの最高傑作になりそうじゃ」
「ええ⁉ 僕、そんなのいりませんよ! 自分のことくらい自分で出来ます!」
興味ないと言わんばかりに顔を背けるライトに……肖造がでっかいため息を吐きました。
「あのなー……お前はタカヤが心配みたいじゃが、ワシはお前の方がよっぽど心配じゃ! 家事は一つもまともに出来んし、体を壊すようなことばっかりしおって! そんなお前をサポートしてくれる子を作っとるんじゃろうが! ありがたく受け取らんかい!」
「わ、わかりましたわかりました!」
肖造のあまりの権幕に、ライトは仕方なく首を縦に振ります。
「全く……というわけで、時目木町でのタカヤのことはお前に任せたからな、頼んだぞ。さー……ワシは作業に戻るかのう。さあライトも帰った帰った!」
右手をシッシッと振って、肖造はライトに背を向けると作りかけのロボットの元へと歩いて行きました。
「全く、肖造おじさんは本当に勝手だ! それにしても……タカヤ君が、特別宇宙警察なんて……」
無理やり研究室を追い出されたライトは、誰もいない、しんとした白い廊下で佇みます。
「あの子に何かあったら……僕は、どうしたら……」
****
気づけば、タカヤが病に倒れてから二か月が経ちます。
……長い間お世話になった白い部屋の真ん中で、タカヤは目を閉じていました。
今日はタカヤが初めて、特別宇宙警察として仕事をする日です。
内容はまだ知らされていませんが、タカヤは嬉しくて嬉しくて……ずっとそわそわして。
すると、部屋の扉がノックされました。
「……ライトお兄ちゃん。どうしたの?」
「いや……タカヤ君が気になって。今日から、特別宇宙警察の仕事があるんだろ?」
ライトは……タカヤとは別の意味でそわそわしているようです。
「うん、もう少ししたら行ってくるよ」
「あのさ……そのこと、なんだけど」
自分の服の胸元をぎゅっと握って、ライトは意を決したように口を開きました。
「……やめない?」
「え?」
「だから……特別宇宙警察として活動するの……やっぱり、やめて欲しいんだ」
ライトの声は震えています。
「コスモピースの力を使ったら、タカヤ君にどんな影響があるかわからないし……タカヤ君がさ、嫌っていえば……きっと、肖造おじさんもやめてくれると思うんだ」
「でも、もうそういう風に話が進んでるから……みんな待ってるし」
「タカヤ君」
今にも泣きだしそうな声で、瞳で、ライトはタカヤを見ています。
「お願い、だから……」
……ライトにこんな顔をさせているということは、きっとこれは正解じゃないのでしょう。
いつもみたいに笑顔を作って、わかったと言えばライトは笑ってくれるでしょう、でも。
これは……タカヤが初めて掴んだ、嘘じゃない本当の……希望なのです。
「……大丈夫だよ、気を付けて活動するから」
「でも、もしもがあったら……!」
「大丈夫」
「でもっ」
「大丈夫だって言ってるじゃないですか!」
……口をついて出たその言葉に、誰よりもタカヤが驚いていました。
ライトは目を見開いて……呆然としています。
「タカヤ、君……?」
「ごめん、最近いっぱいお仕事の話してるから……でも、これからはその方がいいですよね。ライトさんともお仕事することになるでしょうし」
タカヤはライトに背を向けて、扉に手をかけました。
今ならまだ間に合います。
振り返って、ごめんね嘘だよって言えば……ああでも。
もうどれだけ取り繕っても、ライトお兄ちゃんにとっての『いい子』には、戻れません。
「それでは、行ってきます」
「待って! タカヤく」
……続きを聞くことなく、タカヤは扉を閉めて歩き始めました。
ズキリと痛む胸も、何故だか零れた雫も無視して……自分の為だけに歩き始めました。
****
あの日、家族で日帰り旅行に行った帰り道。
楽しくて、嬉しくて。
この空間が、この日々が、とってもとっても幸せだと思って。
だから、タカヤは……
心から、この世界から消えてしまいたいと思いました。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます