第20話 ライトお兄ちゃん①
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「はぁ……ちょっと、遅くなっちゃったかな……っ」
ライトは県内で有数の進学高校の制服に身を包んだまま、宇宙警察本部の二階にある真っ白な扉をノックしました。
「はーい!」
中から元気な声が聞こえて、ライトは扉を開きます。
「あ、ライトお兄ちゃんお帰りなさい! 来てくれたんだ!」
「ただいまヒカル君。来るに決まってるだろ、今日は大事な日なんだから」
ヒカルは真っ白な部屋の中にある、これまた真っ白な机の上で黒いランドセルを広げて、どうやら小学校の宿題をしていたようです。
「……その様子だと、まだ産まれて無いみたいだね」
「うん……母さん大丈夫かな。おなか痛そうだった……」
しょんぼりと目を伏せてしまったヒカルの背中を、ライトは隣に座って優しくさすりながら明るく笑って見せます。
「大丈夫だよ。ねぇヒカル君、弟と何して遊びたい?」
「え! えっとね、俺いろいろ考えてるんだー! まずはキャッチボールでしょ、それから一緒に本も読みたいし。あ、あとお絵かきとか! えへへ、あとねあとね……」
「あはは。いっぱいあるんだね」
「あ! もちろんライトお兄ちゃんも一緒にするんだよ!」
「え、僕も?」
「当たり前じゃん! みんなで一緒に遊ぶの楽しみだなー……早く産まれて来ないかな」
その時、遠くからバタバタと足音が近づいてきて、二人のいる部屋の扉がコンコンと激しくノックされました。
扉が大きく開かれて、息を切らした諄弌が部屋に入ります。
「……ライト君も来てくれたんだな、ありがとう……無事産まれたよ」
「本当⁉ 父さん!」
「ああ、ヒカル。母さんも無事だ……後でみんなで会いに行こう」
「あの……僕も行っていいんですか?」
ライトが少し不安そうに尋ねると、諄弌はきょとんと目を丸くしました。
「むしろ……来ないのか?」
「いえ! 行きたい、です……!」
「……是非来てくれ。春子も、産まれた子どもも喜ぶよ」
諄弌はいつもはあまり表情を崩しませんが、この日ばかりは嬉しそうに笑います。
産まれた子どもの名前は、石越タカヤ。
このポスリコモスにある宇宙警察本部で……いえ、おそらく……地球の外で初めて産まれた地球人です。
****
「ね、ねぇヒカル君! これってどうしたらいいの⁉」
小さなマットの上に寝転がって、ロンパース姿で手足をパタパタ揺らしているタカヤを前にライトは困惑しています。
「えっとね、まずここのボタンを外して……両足を片手で持ち上げるんだよ! 俺やったことある!」
「こ、こう?」
「そうそう。あ、待って? やっぱり先にオムツのシールを……」
……二人がもたもたしている間に、タカヤはフニャフニャと泣き出してしまいました。
「ああ泣いちゃった! ごめんねタカヤ君、すぐ綺麗にしてあげるからね!」
「ライトお兄ちゃん、お尻拭いてあげたら次はこの新しいオムツをね……」
「な、なるほど……」
ライトは悪戦苦闘しながら、なんとかオムツを形にします。
「よし! 出来た、これでいいかな?」
……と、なんとか無事オムツは替え終わったものの、今度はタカヤが泣き止みません。
「た、タカヤ君どうしたのー? お腹空いちゃったかな? それとも眠い?」
おそるおそるやわらかーい小さなタカヤを抱き上げて、ライトは自分の体をゆっくり揺らします。
「よしよし、良い子良い子……お願い、泣き止んでー……?」
フニャフニャ泣いていたタカヤは、少しずつウトウトとして来て……どうやら眠りについたようです。
「よかった……寝たみたい。眠かったのかな」
ほっとしたライトが、先ほどまで寝転んでいたマットの上にタカヤを置こうとすると……タカヤは再び、今度は火が付いたように泣き出しました!
「ああ起きちゃった! どうしようヒカル君!」
「お、俺もわかんない……! 母さんと父さんは急に呼ばれてお仕事行っちゃったし……そうだ、タカヤー? これ好きだろ? 泣かないでー!」
ヒカルはオムツやタオルが入った大きなカバンからガラガラを取り出して、タカヤの耳元で優しく振りましたが……それは今は逆効果だったようで、タカヤのぐずりを余計に悪化させてしまいました。
「うぇえん……ライトお兄ちゃんごめーん……!」
「えぇ⁉ ヒカル君まで泣かなくていいんだよ!」
「だってぇ……俺のせいでタカヤがぁ……っ!」
「ああもう、ほらこっちおいで!」
腕の中のタカヤは相変わらずびゃあびゃあ泣いていて、腰元に抱きついて来たヒカルもぐずぐず泣き出してしまって……ライトも泣きたくなってきました。
「どうしたらいいんだ……子守歌でも歌えばいいのか? えーっと……ねーんねーんころーりよー……?」
ライトの微妙に音程が外れた子守歌が、真っ白な室内に響きます。
その時、カチャリと扉が薄く開いた音がしました。
「あ! 春子さん、諄弌さん、戻ってきてくれたんです……か……」
ライトは期待を込めて扉の方を向きましたが……そこに居たのは今にも吹き出しそうな笑いを必死に堪えている肖造でした。
「な! 何の用ですか肖造おじさん!」
あまりの恥ずかしさに耳まで真っ赤にしながら、ライトは肖造を睨みます。
「いや、タカヤの泣き声が聞こえると思って来たら……ライトが歌いだすんじゃもん! ワシもう面白くて面白くて……っ!」
相当ツボに入ったのか、肖造はもう引き笑いが止まりません。
「ぐ……わ、笑うな!」
「いやー、すまんすまん。ライトはよく頑張っとる……ぷ、くく……」
「ああもう! 腹立つなぁ!」
……ライトが怖い声を出したので、びっくりしたタカヤはまた声を張り上げて泣き出して……それに釣られてヒカルも涙が止まりません。
「ああ! ごめん二人に怒ったんじゃないんだ……うぅ、お願いだから泣き止んでよ……」
「それにしても……タカヤが泣いとるのはわかるとして、何でヒカルが泣いとるんじゃ」
肖造はヒカルの目線に屈んで尋ねます。
「うぇ…っ、だって、タカヤが泣き止まないからぁあ……」
「全く、兄のお前がそんなんじゃタカヤも泣きやまんわい。ほれ、見とれよ?」
肖造が着ている白衣のポケットの中に片手を突っ込んで、そのままモゾモゾと動かすと……なんとポケットから出てきたその手は、まるで怪獣の手のように変わっているではありませんか!
濃いピンクのウロコがびっしり生えていて、長く黒い尖った爪が光っていて……あまりのその変わりように、ヒカルはもう釘付けです。
「ええ! すごーい! かっこいいー!」
「そうじゃろー。ほれ、こんなのも出来るぞ?」
もう一度肖造がポケットに手を入れると……今度は細いガラス細工のような手に早変わりです。
「すごいすごい! ねぇ肖造さん、それっていつもの発明品? もっとやってー!」
すっかり泣き止んだヒカルが強請りますが、肖造はプルプル首を横に振りました。
「やじゃもーん、もう疲れたもーん。また今度じゃな」
「えーいいじゃん、やってよーお願い!」
「ダーメーじゃ。さて、次はタカヤじゃな……ほれ、ライトちょっと貸してみぃ」
……ライトは渋々、タカヤをゆっくり肖造に渡します。
「おータカヤ、何をそんなに泣いとるんじゃ。ほーれよちよち」
手慣れた様子で、肖造がタカヤを抱く手をゆらゆら揺らしていると……忽ち、タカヤは泣き止んでへにょりと笑ったではありませんか!
「わ、笑った……! 悔しいけどすごい……!」
ライトは喜びと憎しみが入り交じったような、何とも言えない表情で肖造を見ました。
「おーおータカヤ、笑った顔も可愛いのぉ」
タカヤのもちもちほっぺをツンツンしながら、肖造は顔をほころばせます。
「タカヤー? ワシもうすぐおじいちゃんになるんじゃよー。孫はタカヤと同い年じゃなー……そうじゃ! 二人で宇宙警察になってコンビを組む、なんてどうじゃろ?」
「また肖造おじさんは気が早すぎる話を……でもそうか、ショータ君のところのお子さん、もうすぐ産まれるのか」
「あ、そうじゃ。そのショータがお前の心配をしとったぞ、ライト」
肖造はウトウトとし始めたタカヤをベビーベッドの上に降ろして、ちいさな毛布を掛けてあげながら続けます。
「お前昔から、あまり周りに馴染めんかったじゃろ? まぁその……キラキラ粉を使ったETが見える力があることもその原因の一端じゃろうが。最近は元気でやってるのかってショータが気にしとったわい」
「や、やってますよ……元気に」
「高校はどうじゃ? 友達はできたか?」
「で、でででで出来ましたよ??? お、おおおお弁当だって移動教室だって一人じゃないですよ???」
ライトがあまりにもギョロンギョロンと目線を右往左往させるので……肖造は全てを察しました。
「……ほんと、お前をここに連れてきて良かったわい。安心しろ、お前の居場所はここにあるからな」
「何ですかその目は! ふ、ふふ二人組を作るときに余ったりしないんですからね⁉」
「……ライトお兄ちゃん、友だちいないの? 俺たちがいるからね」
「ヒカル君まで! だからいるってば……クラスの人とも何回か話したことあるんだから!」
必死にライトが弁解していると……部屋の扉がノックされて、仕事を終えた春子と諄弌が戻ってきました。
「ただいまー! ヒカル、ライトくん、タカヤのこと見ててくれてありがとね! あら、肖造さんまで! ……まあ。タカヤは寝てるのね」
「母さん父さんおかえりー! あのね、タカヤね、しょうぞ……」
……肖造は鼻の前に人差し指を立てて、ヒカルにしーっと合図を送ります。
「……タカヤはライトが寝かしつけたんじゃよ。子守歌まで歌っとったわい」
「まあ! そうなの? ありがとうライトくん!」
「え⁉ えぇと……」
肖造の手柄を取っては悪いかと、ライトが肖造の方をちらりと見ると……肖造はライトに向けてパチンとウインクをして見せました。
……その表情に妙に腹が立ったライトは、本当のことを言う気が見事に消え失せます。
「……僕が寝かしつけました」
「そうか……ライト君は抱っこが上手いんだな……俺も教えてもらおうか……」
「う、上手いわけではないですよ? 諄弌さん」
「そうか……? あ、そうだ……ライト君に渡したいものが……」
諄弌がポケットを探って、小さな緑色の石を取り出すと……ライトは途端に目を輝かせます。
「それは! 惑星プローマのイントルベシアントじゃないですか! ま、まさか……くれるんですか⁉」
「おお、見ただけでわかるとは……さすがだな。……ライト君はこういうのが好きだからって……春子と相談してもらって来たんだ……」
「あ、ありがとうございます! すごい……実物初めて見た!」
「なにそれー? ライトお兄ちゃん俺にも見せてー?」
「いいよヒカル君。これはね、とってもすごい石なんだ!」
……春子と諄弌の優しい視線、膝にのってきたヒカルの重みと温かい体温、聞こえてくるタカヤの小さな寝息……そして悔しいかな、隣にいる肖造のニヤニヤした笑みも含めて……この場所がライトの宝物でした。
ここがある限り、自分は何でも頑張れる……そう確信できるくらい、とってもとっても大事でした。
****
「ど、どうかな? ……似合ってる?」
ライトは姿見の前で、真新しい宇宙警察の制服を着た自身の姿を不安そうに眺めます。
「似合う似合う! いいなーライトお兄ちゃん、俺も早く宇宙警察になりたいなー」
「そう言うヒカル君はもうすぐ中学生になるんだよね。月日が経つのは早いなぁ」
「うん。中学生になったら勉強も増えるし部活も始まるし……今までみたいに本部に遊びには来れないかも」
ヒカルはちょっと残念そうに俯きました。
「あ! でも来れる時は来るから、その時は忙しくても遊んでよね!」
「あはは、わかったよ。ヒカル君こそ、お友達ばかりと遊んで僕のこと忘れないでね?」
二人が話していると……外から部屋の扉が開かれます。
「ライトくん、お着替え終わったー? ……あら! とってもよく似合ってるわ! ねぇ諄弌?」
「そうだな春子……ライト君も、立派になったなぁ……ほら、タカヤも見に行くか……?」
諄弌は抱いていたタカヤを、ゆっくり床に降ろしてあげました。
タカヤは音の鳴る靴をピッピッと鳴らしながらよちよちと歩いて行って……ライトの足下にぎゅっと抱きつきます。
「らーとにーちゃ、かっこいー!」
「本当? タカヤ君ありがとう!」
ライトはタカヤを抱き上げると、やわらかーいそのほっぺたに思う存分頬ずりしました。
そのままぽんぽんのお腹をツンッとつつくと、タカヤが驚いたようにキャタキャタ笑うので……ライトはそれがあんまり愛おしくて、つい何回もつついてしまいます。
「タカヤ君は本当に可愛いなぁ……! お給料が出たらいっぱい玩具買ってあげるからねー」
「本当、ライトお兄ちゃんはタカヤに甘いよなー」
「ヒカル君だって十分甘いだろ!」
「仕方ないじゃん、だって可愛いんだもん! ……っていうかライトお兄ちゃんばっかりズルい! 俺もタカヤ抱っこしたい!」
ライトとヒカルが言い合っていると……側で微笑ましそうに見ていた春子が、思い出したように口を開きました。
「そういえば……ライトくん、肖造さんとコンビを組むことになったらしいわね?」
……それを聞くと、ライトは途端に苦虫を噛み潰したような顔をします。
「そ、それは……お互いコンビを組まずに一人で研究したいっていう……要は利害が一致しただけで。とにかく、僕が望んでそうなったわけではありませんからね!」
「あら、そうなの?」
「そうなんです! だからあんまり他の人には言わないでくださ……」
そこまで話したところで、ライトのズボンのポケットの中に入っている紺色のポスエッグがブルブルと震えました。
抱いていたタカヤをヒカルに渡して、ポケットに手を入れてそれを握ったライトは……はぁーっと深くため息を吐きます。
「すみません……ちょっと肖造おじさんに呼ばれたので行ってきますね。全く、いつも訳わかんないことで呼び出すんだから……でも、今日こそは大事な用事かもしれないもんなぁ……」
ライトは心底面倒くさそうに、重い足取りで部屋を出て行きました。
「ねぇ諄弌?」
「どうした、春子」
「確か肖造さんって……誰ともコンビを組まないことで有名だったわよね?」
「……ああ。コンビ制度なんて面倒くさいと……一人が一番だっていつも言っていたな……」
「それが、ライトくんが一人で研究したいって希望を叶えるためにすぐにコンビを組んであげるなんて……ふふ、ライトくん愛されてるわね!」
……さて、そんなライトが適当に肖造の研究室の扉をノックして乱暴に開き、真っ先に目に飛び込んできたのは……
「おお! ライト来たか、見ろ! すごいじゃろー」
……自称宇宙一面白いらしい、もう何が何だかよくわからないほどド派手な鼻眼鏡をかけた肖造で。
「……もしかして用事って、それを見せたかっただけですか?」
「もちのろんでそうじゃけど?」
……ライトはギリギリと歯を噛み締めながら、肖造の尻に回し蹴りを食らわせたい気持ちを必死に抑えるのでした。
****
真っ白な宇宙警察本部二階の廊下に立っているライトは、小さな窓からこっそりと、四歳になったタカヤが部屋の中で遊んでいるのを見ていました。
……春子と諄弌はおそらく仕事に行っていて、ヒカルも学校が忙しいのでしょう、タカヤが一人でこの部屋で遊んでいるのは決して珍しいことではありません。
では何故ライトが部屋に入らず覗くようなことをしているのかと言うと……タカヤの遊び方が気になるからです。
……前々から思っていたものの、タカヤの遊び方は少々変わっています。
タカヤが遊んでいるのは、ライトが一年ほど前に買ってあげた幼児用の簡単なパズルなのですが……それを無表情で黙々と組んで、完成させてはひっくり返してまた組んで……何とそれを飽きることも無く三十分以上繰り返しているようなのです。
ライトはずっと見ていたわけではありませんが、先ほど通りすがりに見た時と玩具の配置が一つも変わっていませんから……きっとそういうことなんでしょう。
数日前に見たときはずーっと天井を見上げていましたし、またその前はお絵かき帳に平仮名を『あ』から順番に数時間ほどひたすら書き続けていたり……正直に言うと、ライトは少し心配しているのです。
さて、そんなタカヤはまたパズルを組み終わり、ひっくり返そうとして……はたと窓の外にいるライトに気が付いたようで、さっきまでの無表情が嘘のようにニコーッと笑って手を振ってきました。
ライトも手を振り返して、やっとタカヤのいる部屋の中に入ります。
「タカヤ君、パズルで遊んでたの? ずっとやってたみたいだけど……それそんなに楽しい?」
タカヤは不安そうなライトの表情と声色を感じ取って、より一層にっこりと笑って見せます。
「……たのしーよ、だってライトおにーちゃんがくれたんだもん! おれ、このパズルすき!」
「そ、そっか! それならいいんだ!」
ライトが嬉しそうに笑ったので、タカヤも嬉しくなってえへへと笑いました。
……好きって言ったらライトが……みんながいつも喜んでくれるから、タカヤは好きって言葉を使うことにしていました。
「ねぇタカヤ君、パズルもいいけど……他のことして遊ばない?」
「ほかのこと……?」
「うん。何かしたいことない?」
「したいこと……」
……ここで一瞬、ライトが近くにあるお絵描きセットに目を向けたのをタカヤは見逃しません。
「おれ、ライトおにーちゃんとおえかきしたい!」
「お絵描きか! 実は僕もそれがいいんじゃないかと思ってたんだ」
ライトが笑ったので、タカヤも笑います。
……良かった、ちゃんとライトの言って欲しいこと……正解が言えたみたいです。
ライトとタカヤは並んで、机の上で絵を描き始めました。
「ライトおにーちゃんはなにかくの?」
「僕は……そうだな、ネコさんを描こうかな」
「じゃあおれも、ねこさんかくー!」
いろんな色のクレヨンを使って、二人は絵を描き進めて行きます。
「そうだ、タカヤ君は保育園に行き始めたんだよね? どう、楽しい?」
「えっとね、おれがひとりでいたら、レンがあそぼーって、てをつないでくれてね! それでね、レンとカズとミオとあそんだの!」
「そうなんだ! もうお友達が出来たんだね……羨ましい……」
宇宙警察になって数年、やっぱりライトには友達が出来ません。
「ライトおにーちゃんどうしたのー?」
「い、いや何でも無い! ほら、ネコさん描けた!」
……ライトは美術的センスもなかなか独特です。
「わ……すごーい! えっとね……ここのぴんくとむらさきのしましまもよう? すっごくいいとおもう」
「タカヤ君もそう思う? 僕もここ結構気に入ってるんだー」
ライトが自信ありげにそう言うので、おそらく褒めるポイントは合っていたのでしょう……タカヤはちょっとホッとします。
「タカヤ君は……黒ネコを描いたの?」
「うん。おれくろねこさんすき」
タカヤの描いた黒ネコは、丁寧に隙間無く、この上なく真っ黒に塗りつぶされていました。
「タカヤ君は塗るのが上手だね、すごく綺麗だよ」
そう褒められたタカヤが困ったように笑ったタイミングで……ライトのお腹がきゅーっと力なく鳴ります。
「ライトおにーちゃん、おなかすいたの?」
「あはは……そういえばしばらく何も食べてなかったな。ねぇタカヤ君、一緒に一階のカフェに行って何か食べない?」
「……うん! たべる!」
ここで断ったらきっとライトは何も食べないでしょうから、タカヤはコクンと大きく頷きました。
真っ白で長い廊下を、二人は手を繋いで歩きます。
「タカヤ君は何が食べたい?」
「え、えーっと……あ! あかい……ぐみみたいなやつ、たべたい!」
以前家族でカフェで食事をしたときに食べた物を、タカヤは咄嗟に答えました。
「いいね。あれ好き?」
「う、うん! すき!」
タカヤがそう答えて、いつものようにライトの表情を確認しようとしたその時。
近くの部屋……治療室の扉が突然ガチャンと開いて、中から大きなモンスターが飛び出しました!
モンスターはひどく興奮しているようで、鋭い視線を幼いタカヤにギロリと向けます。
「危ない! タカヤ君!」
ライトが咄嗟にタカヤを抱え込むように抱きしめると……暴れるモンスターの鋭い爪が、ライトの右腕をザクリと切り裂きました。
「ライトおにーちゃん!」
「痛ってぇなぁ……! ……大丈夫だよ、タカヤくん……怪我は無い?」
……モンスターはすぐに、集まった宇宙警察たちによって捕獲されました。
抱きしめられたままのタカヤには傷は見えませんが……自分を抱きしめる手の力が、少しずつ弱くなっていくのがわかります。
「ライトおにーちゃん! ライトおにーちゃん……っ!」
小さくて無力なタカヤには、泣きじゃくりながらライトをぎゅっと抱きしめ返すことしか出来ませんでした。
「ただいまタカヤ君……ごめんね、怖い思いしたよね?」
腕に虹色の包帯のような物を巻いたライトが、タカヤの待つ部屋に戻って来ました。
「……ライトおにーちゃんだいじょうぶ? いたい?」
「あはは、大事に見えるだろうけど……ちょっとした傷だよ。全然大丈夫、だから泣き止んで?」
泣きじゃくって目が真っ赤になっているタカヤを、ライトは優しく抱き上げます。
「だって、ライトおにーちゃんけがしちゃった……おれをたすけてくれたから……」
ひっくひっくと呼吸をしながらも、タカヤの口は止まりません。
「ごめんなさい……ごめんなさぁい……っ」
「何で謝るの? 僕はタカヤ君が守れて嬉しかったよ」
「だっておれも、ライトおにーちゃんの……みんなをまもりたいのに……いっつも、よわくて、なきむしで、なんにもできないからぁ……」
「まだ小さいのにそんなこと気にしてるのか……ねぇタカヤ君?」
ライトはタカヤとおでこをコツンと合わせます。
「お願いがあるんだけど……ライトお兄ちゃん頑張れーって言って?」
「う……? ライトおにーちゃんがんばれー……?」
タカヤは涙を目にいっぱい溜めて、不思議そうに呟きました。
「うん、ありがとう! ……僕ね、タカヤ君にそう言ってもらえたら力が湧いて、何だって出来るような気がするんだよ。きっと他のみんなだってそうだ。だからね、何にも出来ないなんて言わないで?」
怪我をした方の手で、ライトはタカヤの涙を優しく拭います。
「タカヤ君がいてくれるだけで、それだけで十分なんだから。ね?」
「そーなの……?」
「うん、そうだよ」
……ライトのポスエッグが、ポケットの中でブルブルと震えました。
「……ごめんね、お仕事に戻らなきゃ。タカヤ君一人で大丈夫?」
「うん……もうだいじょうぶ。ありがと」
優しくタカヤを降ろして、ライトは振り返りながら扉を開きます。
「それじゃあ、いってきます」
「いってらっしゃい! ライトおにーちゃん!」
手を振って笑顔で見送って、扉が閉じた瞬間に……タカヤはふっと、パズルをやっていた時のような無表情に戻ります。
「おれのせいだ」
「おれをまもったから、ライトおにーちゃんがけがした。おれが……いるから」
「……てしまいたい」
ぽそりと呟いて、タカヤは気が付いたように首を横に振ります。
「……ううん、もっと……みんなのやくにたたなきゃ」
****
「ねぇねぇねぇ! に、似合ってる⁉」
数年前ライトがしていたのと同じように、ヒカルは真新しい宇宙警察の制服に袖を通して、前から横から後ろから、姿見で自分の姿を眺めていました。
「だから似合ってるってば。さっきから何回も言ってるのに……ふふ、よっぽど嬉しいんだね」
ライトは微笑ましく、鏡の前でくるくる回るヒカルを見ています。
「そうだ、ヒカル君? 春子さんと諄弌さんがね、ヒカル君の合格祝いに食事会でもやろうって。何が食べたいか考えておいてって言ってたよ」
「え、本当⁉ じゃあねー、俺は母さんの作ったハンバーグがいいかなー!」
「あはは、ヒカル君は昔からハンバーグ大好きだもんね。しかし、あの小さかったヒカル君がもう宇宙警察になったのか。びっくりだよ、ねぇタカヤ君?」
ライトは隣に立っているタカヤに笑いかけました。
「うん。兄ちゃん毎日遅くまで勉強頑張ってたから、俺もすごく嬉しいよ!」
「ありがとうタカヤぁあ……うぅ、俺の人生いつも崖っぷちだけど、今回こそはもう落ちたかと思った……ギリギリだったけど合格できて本当良かったよ……」
……相当絶望的だったのでしょう、ヒカルは半泣きです。
「全く、ヒカル君は泣き虫なところも変わらないね」
「な! 泣いてないって! とにかく、これでライトおに……いや、ライトさんとは仕事仲間だね!」
「え、何その呼び方」
ライトはきょとんと目を丸くしました。
「だってさー……その、いつまでもお兄ちゃんって呼び方してたら、なんか……かっこ悪いじゃん? これからはさん付けで呼ぼうと思って! ほら、お仕事だったら敬語で話す時もあるかもしれないし!」
ヒカルは腰に手を当てて、胸をぐーっと反らして見せます。
「別に構わないけれど……本当に今から呼び方変えられるの?」
ライトが揶揄うようにクスクス笑ったので……ヒカルはむっとしてすぐに言い返しました!
「出来るってば! ライトおに……ライトさんはいっつも子ども扱いするんだから!」
「ほら、出来てないじゃん」
「うううぅ……とにかく! これからはライトさんって呼ぶから!」
ヒカルが拗ねてそっぽを向くと……ふと、地球の時間とは違う時を刻む、ここポスリコモスの時計が目に入ります。
「……ん? げっ、もうこんな時間⁉ 研修の集合時間過ぎてるじゃん! お、俺行ってくる!」
ヒカルは机の上に置いていた自分のオレンジ色のポスエッグを握ると、ドタドタと慌ただしく部屋を出て行きました。
「あはは……先が思いやられるなぁ」
「兄ちゃんならきっと大丈夫だよ」
苦笑いをしているライトに爽やかに笑いかけて、タカヤは真っ白な机の前の真っ白な椅子に腰掛けると、地球から持ってきたであろう大きなカバンを開いて勉強道具を取り出しました。
「あれ、今から宿題? タカヤ君は本当に勉強熱心だよね……って、ん?」
……タカヤが広げている問題集を、ライトは二度見……いや、三度見します。
「えっと、タカヤ君ってさ……今春休みで……次は小学三年生、だよね?」
「うん、そうだよ?」
小さい文字に難しい漢字……どうみてもその問題集は三年生向けではありません。
「こ、こんなに難しいの解いてるの……? それに、横に置いてあるこの本……これって宇宙警察試験の対策用教本だよね? もしかしてこの勉強もしてるの……?」
「うん。将来宇宙警察になってみんなの役に立ちたいから、勉強は早いほうがいいと思って」
分厚い中を少し開いてみると……細かい字で書き込みがびっしりされています。
本には開き癖がたくさん付いていて、表紙には無数の細かい傷が刻まれていて……一体どれだけの時間これを使って勉強しているのでしょう。
「すごいな……って! いやいや感心してる場合じゃない!」
ライトはブンブン首を振って、タカヤの両肩を掴みました。
「タカヤ君、ちゃんと休んだり遊んだりしてる⁉ そりゃ勉強するのは悪いことじゃないけど……さすがにちょっと心配だよ!」
「大丈夫だよ? 休みの日とか、誘ってもらったら友達と遊んでるし。夜はちゃんと寝てるんだから」
「ううん……でも……」
ここで、ライトの頭に妙案が浮かびました。
「そうだ! ねぇタカヤ君、今日はもう勉強は止めにして僕と遊びに行かない? 僕この後は予定無いんだ!」
「ライトお兄ちゃんと遊びに?」
「うん! 場所は……そうだ、この間出来たばかりのポスリコモス遊園地なんてどうかな?」
「遊園地……でも、ライトお兄ちゃんお仕事頑張って疲れてるんじゃ……」
タカヤが返事に困っていると、ライトの眉が少しずつ下がっていきます。
「えっと、行きたく、無い?」
「……ううん! 行きたい! ライトお兄ちゃん連れてって?」
「良かった! じゃあ早速行こう!」
ライトは嬉しそうに、少し音程の外れた鼻歌を歌いながら身支度を始めました。
……ライトが喜んでくれる……遊園地自体にはさほど興味はありませんが、行くには十分過ぎる理由です。
タカヤは椅子から立ち上がると、着ていた長袖シャツの上から薄手の上着を羽織りました。
「あら、あなたたち出かけるの?」
宇宙警察本部の出口付近に居たスライム状の隊員が、ライトとタカヤに声をかけました。
「今、ポスリコモスでは宇宙風邪がすごく流行ってるでしょう? あなたたち何も対策していないようだけど……って、まぁ! あなたたち地球人じゃない、それなら安心ね!」
……あまり他の隊員と話し慣れていないライトは、少し緊張しながらも返事をします。
「あはは、そうなんですよ……ご心配ありがとうございます、行ってきますね」
隊員に軽く会釈をして、二人は街へと出て行きました。
「ねぇライトお兄ちゃん、地球人は宇宙風邪にかからないの?」
「そうだよタカヤ君。なんでも……地球の食べ物とか環境とか、そういうものによって抗体が作られるらしくて、今まで宇宙風邪にかかった地球人はいないんだ。宇宙風邪の予防にも、地球の物質が使えるんじゃないかって研究されているところなんだよ」
「そうなんだ。ライトお兄ちゃんって物知りだね!」
「あはは……タカヤ君に褒められると何だか照れるな。あ、見えてきたよ! 地球の遊園地を参考に作られてるだけあって、やっぱり賑やかだな」
大きくてド派手な看板には、これまた大きく宇宙公用語で『ポスリコモス遊園地』と書かれています。
「ほら! タカヤ君行こう!」
「うん!」
遊園地の中は、宇宙風邪が流行っているからか意外と空いていて。
危険を感じるほどスリル満点なジェットコースターに乗って、かわいらしいETから風船のようなものをもらって、甘いような酸っぱいような味の赤い飲み物と青い飲み物を半分ずつ飲んで。
……そのどの魅力も、タカヤには正直よくわかりません。
でも、隣のライトが楽しそうに笑ってくれるから、タカヤはそれが嬉しくて……来てよかったと思ったのでした。
一日たくさん遊んでたくさん笑って、夢のような時間を過ごして……そうして二人はまた、いつも通りの生活に戻るはず、だったのに。
……異変が起こったのは、遊園地に行った次の日の夜のことでした。
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