第15話 あの日の涙の先の夢
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これは、今から一年ほど昔のお話。
ここは日本から遠く遠く離れた国にある、とある大きな一軒家。
その中の一室、四方を背の高い本棚に囲まれた薄暗い部屋の中で、ショースケはうつ伏せに寝転がって本を読んでいました。
といっても…この本はもう何十回読んだかわかりませんから、先の展開から結末まで暗唱できるほどよく知っています。
ショースケは大きなあくびをして本を閉じると、肩まで伸びた寝癖だらけの金髪を邪魔くさそうに払いました。
学校に行かなくなった理由も、お外に出なくなった理由も、今となってはよく思い出せません。
始まりはそんなに深刻な理由では無かったような…なんだかちょっと嫌なことがあったとか、なんとなく周りとなじめなかったとか…無理に理由を探すとすれば、そんなものだった気がします。
ただ漠然と…毎日が、見える物の全部がひどく空っぽに思えて。
以前は面白かったはずのアレにもコレにも興味が持てなくなって。
…そんな自分が、世界中のみんなから嫌われているような気がして。
何もかもに色が無くなったような日々が、昨日も今日も過ぎていきます。
そりゃ…この部屋に溢れんばかりにある本たちに登場する物語の主人公は皆、『自分から動かなければ始まらないよ』と嫌というほど言ってきますが…
「ああもう、全部めんどくさいなぁ…」
ご飯もそういえば昨日の夜から食べていませんし、シャワーだって数日浴びていません。
でもそれでよくて、だってどうでもよくて。
ふわふわの白い…前は白かったブランケットに顔を埋めて、ショースケは目を閉じます。
「…ずっと寝てたいな。そしたら何にも考えなくて済むのに」
…数十分後、眠っていたショースケは部屋の扉をドカドカと叩かれる音で目が覚めました。
この容赦ない音はきっと祖父、肖造でしょう。
放って置いたらいつまでも叩き続けるでしょうから、ショースケはよたよたと起き上がって仕方なく扉の鍵を開けました。
「おうショースケ! 久しぶりじゃのう、一ヶ月ぶりか⁉」
…肖造の大きな声は、いつも静かな部屋で過ごしているショースケには少々耳障りです。
「じーちゃん何の用? 僕寝てたんだけど」
「かーっ! お前また寝とったんか、そんなんじゃいつか体から根っこが生えて来るぞ!」
「いいじゃんか生えても。別に困んないよ」
全く、肖造はいつもリアクションが大げさで困ります。
ショースケはさっきまでと同じように、ブランケットにくるまってゴロンと寝転がりました。
そのまま目を閉じてもう一度夢の世界へ行こうとしましたが…肖造がはちゃめちゃに騒がしいのでどうもそれは叶いそうにありません。
「…それで? 僕に何の用で来たの?」
「もちろん! ショースケ、お前を連れ出しに来たんじゃ!」
やっぱり…聞かなくてもわかっていました。
肖造はここ数ヶ月この部屋に来ては、やれ虫取りだ釣りだ無人島だの言ってショースケを外へ出そうとするのです。
「いつも言ってるじゃん、僕行かないよ…めんどくさい。そもそもじーちゃん、ちょっと前までは気が済むまでここに居ていいって言ってくれてたのに…何でそんな無理に連れ出そうとするの」
「じゃってショースケいつまでも気が済まないんじゃもん。ワシ待ちくたびれたわい」
寂しそうにため息を吐いて、肖造は続けます。
「しかしつれないのー。以前のお前は、僕は天才だーって何をするにも目を輝かせておった。ワシの発明品にも、ちょっとしたことにも、じーちゃん見せて―って興味津々じゃったのに」
「知らないよ昔の話なんて。…仕方ないじゃん、この世界がつまんないのが悪いんだよ」
ショースケは寝転がったまま、ブランケットを両手でぎゅっと握ります。
…わかっています、世界には面白い物がたくさんあることも、それらから目を逸らしているだけのことも。
そして…自分が本当は、この生活から抜け出すことを望んでいることも。
でも、今のショースケには…それがどうしてもわかりたくないのです。
「そーか、つまらんか…。じゃがしかし!」
肖造はニカリと笑います。
「そんな毎日も今日で終いじゃ! 今回の行き先はすごいぞ? なな、なんと! ワシと行く宇宙の旅『ポスリコモス二泊三日旅行』じゃ!」
ポケットから見慣れない形のクラッカーを取り出すと、肖造は嬉しそうに紐を引っ張ってニョニョーンと大きな音を鳴らしました。
…この変な音、おそらく肖造の発明品でしょう。
ショースケは耳を塞ぎながら最大限に顔をしかめます。
「じーちゃん…もしかしてまだ僕を宇宙警察にしようとしてるの」
「あたり前田のクラッカーじゃよ。お前はキラキラ粉を使っておるETの姿を見ることが出来る…つまり、宇宙警察になれる資格がある! これでならないなんてもったいないじゃろ!」
「もう何回も断ってるのに…。そういえばじーちゃん、宇宙警察関連の本をいくつか勝手にこの部屋に置いたでしょ。…まぁ暇だったから読んだけどね」
何となく癪なので、ちょっと面白かったとは伝えたくありません。
「おお、あの本読んでくれたんか。しかし一部は宇宙公用語で書かれてたはずじゃが…?」
「じーちゃん宇宙公用語の辞書も一緒に置いてってたでしょ。だからそれ使って読んだよ」
「ほーお? さすがワシの孫じゃな! やっぱりお前は天才じゃ」
肖造はガシガシと乱暴に、ショースケの丸い頭を撫でます。
…褒められて少し緩みそうになった口元を、ショースケはぎゅっと真一文字に結び直して肖造を睨みました。
「そ、そんなこと言って…どうせじーちゃんも本当は、僕のことどうしようもないヤツだって思ってるんでしょ」
すぐさまそれを否定しようとする肖造の声をかき消すように、ショースケは続けて言葉を吐きます。
「とにかく! 僕は宇宙警察になんてならないしポスリコモスって所にも行かない! …話は終わり? 僕もう一回寝るから、おやすみー」
ショースケがそっぽを向いて目を閉じると…何だか、体にまとっているブランケットがうぞうぞ動いたような…。
「ワシは行くか行かないか聞いとるんじゃない。行くんじゃ、ショースケ」
肖造が手に持ったリモコンのボタンを押すと、突然ブランケットのふわふわの起毛がずるずると伸びて、ショースケの体を絡め取りました。
「えぇえええええ⁉ 何これ! た、助けて! お手伝いさーーーん‼」
「叫んだって無駄じゃ。お手伝いさんにはショースケは二泊三日で出かけるから、と言って休暇を与えておいた」
ショースケはそのままブランケットにぐるぐる巻きにされてしまいました。
肖造はそれを担いで、脇に脱ぎ捨てられていたショースケの靴を掴むとズカズカと出口へ向かいます。
「うぇえええん…ひどいひどい、マムとダッドに言いつけてやる…っ」
「当然、そのマムとダッドの許可ももらっとるに決まっとるじゃろ。エルヴィーラもショータもお前を心配しとる…もちろんワシもじゃ。安心しろ、取って食ったりせん。ポスリコモスは楽しいぞー」
そのまま外へ出た肖造は広い庭をこれまたズカズカ歩いて、隅っこに置いておいたワープ装置を起動させます。
そして一切の躊躇無く、ショースケ諸共それをくぐって行きました。
****
見慣れない空、嗅ぎ慣れない匂い、聞き慣れているわけがない言語…。
賑やかなポスリコモスの街の中心にある広場で、ショースケは一緒に連れて来られたブランケットを頭から被って震えていました。
「いつまで布被っとるんじゃショースケ。ほほいっ!」
変なかけ声と共に、肖造はブランケットを奪い取ってポスエッグの中に収納します。
「うわぁあ何すんのじーちゃん! うぅ…眩しい…」
地球の空だってしばらく見ていないのに、いきなり異星の空だなんてショースケにはハードルが高すぎます。
「しっかりせんか。ほら見てみろ、今日のポスリコモスの空の色は…うーむ、野菜みたいな色じゃな」
オレンジと白と緑がマーブル模様になったような地球では絶対に見られない空模様を、ショースケはやっとこさ薄目で見上げました。
…と、その時。
肖造のポケットの中のポスエッグがブルブルと震えました。
それを右手で掴んで…肖造はとびっきりの苦い顔をします。
「すまんショースケ、仕事サボっとったのがライトにバレた。ワシちょっと本部に行かなきゃならんくなったから一人で遊んどってくれ!」
「え、え、え⁉」
「大丈夫じゃ、ここは良い街じゃから」
そりゃ悪いよりマシですが…ショースケにとっては良けりゃいいという話でもありません。
「それじゃ、後で迎えにいくからの! あ、街の外に繋がるゲートはくぐるなよー。危険なモンスターがおるからな」
肖造はよくわからない機械を取り出すと、ドロンとその場から消えてしまいました。
「嘘っ⁉ じーちゃん置いていかないで!」
****
さて、肖造が本部へ行ってしまって一時間。
ショースケは…それはもう見事に迷子になっていました。
というのもあの後、見知らぬ真っ黒で大きなETに話しかけられたり、その隣にいた細長ーいETからは何だかヌルヌルした串刺しの物を押しつけられそうになったり…!
もう何がなんだかわからないまま、ショースケはパニック状態で逃げ回っていたのです。
そして今…じめじめとした暗い路地裏で、体育座りで泣きながら震えているのでした。
久しぶりに走って足はガクガクと痛いし、家に居たところを無理に連れてこられたので着ている部屋着はヨレヨレだし、心細いし…ショースケの気分はもう最悪です。
「…きっとさっきのETたちは、よそ者の僕のことが気に入らなくて攻撃しようとしてたんだ…! 何がポスリコモスは楽しいだ、すっごく怖いところじゃないか。じーちゃんのバカバカバカ!」
そんな風にぼやいていると…
「ビー?」
…近くで何か聞こえた気がしました。
「ビービー」
「な、なに…? 何の音?」
ショースケが座ったまま頭をもたげたところ…
「ビーーーーー!」
ベチョリと、生ぬるい何かがショースケの顔面に貼り付きました。
「ぎゃぁあああああああっ⁉」
ショースケは咄嗟にそれを掴んで引き剥がして投げ捨てます。
「なになになに⁉ うわ何かちょっと口に入った! 不味い!」
袖で口元をゴシゴシと何度も拭っていると…
「ビ、ビ…」
投げ捨てられた何かがにゅるにゅると動き始めました。
体長は三十センチほどで鮮やかな水色のそれは、宝石みたいにキラリと反射する紫色の瞳をショースケへ向けます。
そして長く伸びた両耳をはためかせながら、タコのように何本もついた足をくねくね動かして、もう一度ショースケの方へ近づいて来ました。
「ひ、ひぅ…」
ショースケはもう怖くて声も出ません。
「ビービービービー…ビ?」
水色の生物は自分のプヨプヨの体の中に足を一本突っ込むと…体内からひし形の塊がたくさん入った瓶を取り出しました。
そして瓶の蓋を開けてひし形の塊を一つ、自分の足と足の間にある口に入れてガリガリと噛むと…瓶からもう一つひし形の塊を取り出して、それをショースケの口元にぐいっと押しつけました。
「ひぃ⁉」
「ビービー」
どうやら食べろと言っているようですが…無理無理無理、こんな不審なもの口に入れられるわけがありません!
ショースケが泣きながら口をぎゅっと閉じて抵抗していると…
「ビーーーーー‼」
しびれを切らしたのか、水色の生物は残りの足を使ってショースケの口元を強引に引っ張ります。
そしてショースケが力負けして口を少し開いてしまったのを見逃さず、ひし形の塊をショースケの口内へグリッと突っ込みました!
「おぶっ…」
口元を何本もの足に押さえつけられているため吐き出すことも許されず…ショースケは涙でぐちょぐちょになりながらそれを噛みました。
…意外にも味は甘く、シャリシャリとしたキャラメルのようです。
そういえば昨日の夜から何も食べていなかったショースケは、うっかりそれをそのまま飲み込んでしまいました。
すると…
「よかった、やっと食べてくれた! ねぇねぇ何で泣いてたの?」
水色の生物はショースケの口元からやっと足を離して、地面にぺとりと降り立ちました。
「ねぇってば! もしかして迷子?」
…さっきは自分の顔の近くから、今は目の前の地面の上からこの声が聞こえると言うことは…信じがたいですが、これは水色の生物の声なのでしょう。
「ねぇねぇねぇ! ねーえーってば‼」
「うるさいなぁ聞こえてるよ!」
あまりにしつこいので、ショースケはつい返事をしてしまいました。
「聞こえてた! よかったー、お喋り出来ないのかと思っちゃった」
水色の生物は足をにょるにょる動かして、嬉しそうにその場でピョンッと跳ねました。
「さっきのお菓子すごいでしょ? 食べるといろんな星の生物の言ってることがわかるようになるんだ。あ、でも口がある生物限定だけどね」
「な、なるほど…? だから僕にそれを食べさせたかった…ってわけね」
「その通り! ねぇねぇねぇ、ところでさっき何で泣いてたの? 涙を拭ってあげようと思って顔に貼り付いたら投げ飛ばして来るし…キミってなかなか乱暴者だね?」
そりゃ顔に何かが貼り付いて来たら、地球人なら誰だってそうするでしょう。
しかも泣いてた理由は二つあるのですが…もちろん、一つはこの水色の生物の襲来によるものです。
「お、もしかしてクイズ? ボクわかっちゃうよー? えーっとねー」
そんな可能性は微塵も考えていないのでしょう、水色の生物は得意げに耳をパタパタさせながら瞳を光らせました。
「見知らぬ土地で迷子になって心細かったから! どう⁉」
「…まぁ半分は正解だよ」
いろいろ言いたいことはありますが…ショースケにはもう言い返す気力がありません。
「やったー! やっぱりねーそうだと思った! ふふふ…キミはとってもラッキーだね」
「ラッキー?」
「そう! だってボクに見つけてもらえたんだよ? ただいま試験に向けて勉強中の、未来の宇宙警察であるこのボクに!」
水色の生物は伸縮しながらくるくる回って、ウキウキと踊っているようです。
宇宙警察…今のショースケにとってはあまり聞きたくない言葉です。
「…ふーん、君は宇宙警察になりたんだ。…僕、宇宙警察って好きじゃないな」
ショースケがつい、小さく言葉を漏らすと…
「えぇ⁉ なんでなんでどうして⁉ あ! わかったぞ!」
宝石のような瞳をギンギンに見開いて、水色の生物はショースケに詰め寄りました。
「キミは宇宙警察がどれだけかっこいいか知らないんだな? よろしい、ならばボクが教えてあげよう!」
「え、いいよ別に…」
ショースケは露骨に嫌な顔をします。
「遠慮しないの! さ、とりあえず迷子のキミを街の中央広場まで連れて行ってあげないとね! その道中でたーーーっぷり、宇宙警察の魅力を教えてあげる!」
「ええええ…」
余計なことを言ってしまった、と後悔してももう遅いです。
「あ、そういえば名前! ボクはカラン! キミは?」
「…ショースケ」
「ショースケか! よーしじゃあ行こう、まずはつい数日前の宇宙警察の勇姿から! この街の外と繋がっているゲートの奥から、危険なモンスターのタマゴがいっぱい降ってきて。その毛が生えたタマゴは触ったら孵化しちゃうから絶対に触っちゃいけないんだけど…」
****
「…と、いうわけで! 宇宙警察たちは最新の発明品を使って一回も触れること無くその黄緑色のタマゴをたっぷり回収しちゃったってわけ! すごいでしょー…ってショースケ、聞いてる⁉」
「あーうん…聞いてるよ…」
細い路地を通りながらかれこれ地球時間で十五分ほど、ショースケはカランの話す宇宙警察の美談を右から左へ聞き流しています。
「よかった! じゃあ次ね、宇宙警察は何故あんなにかっこいいかなんだけどボクの意見としては…」
…やっと終わったと思ったのにまだ続きがあるみたいです。
「待った! わかった、わかったから…う、宇宙警察ってめちゃくちゃかっこいいねー!」
これ以上聞いては耳にタコが出来てしまいますから、ショースケは無理に口角を上げて見せました。
カランの宝石のような瞳が光を反射してキラキラと輝きます。
「やっとわかってくれたね⁉ いやーよかったよかった! ねぇねぇショースケ、こんなに宇宙警察の魅力を知ったら…やっぱりショースケも宇宙警察になりたくなっちゃったんじゃない⁉」
「え…」
耳をパタパタと上機嫌に動かしながら、カランはじーっとショースケを見つめて来ます。
ここで『なりたくない』と言ってしまったら…先ほどまでの宇宙警察が如何にかっこいいかという話がまたも始まってしまうことは確実でしょう。
「そ、そうだねー…なりたくなっちゃった、かもー…」
嘘をつくのが苦手なショースケは目を大きく逸らしながらそう答えました。
カランの瞳が一際強く、ギラリと光を放ちます。
「わっはー! やっぱりやっぱりそうだよね! じゃあボクたち将来同僚だ!」
何本もの足をぴょこぴょこ動かして、カランは弾みながら駆けだして行きました。
「わ、ちょっと…置いていかないでよ」
ショースケがそれを追って路地を出ると…どうも見覚えのある場所へたどり着いたようです。
…そして場所だけでは無く、見覚えのあるものがもう二つ…。
「さ、街の中央広場に着いたよショースケー! ん? ショースケ?」
一足早くたどり着いたカランが振り返ると…ショースケは街灯の横に置いてあるゴミ箱のような物の後ろに隠れようとしていました。
ですが…正しく頭隠して尻隠さず、という状態で周囲からは丸見えです。
「ショースケ何してんのー?」
「し、静かにして…気付かれるから…!」
そう言うショースケの視線の先には…大きな口から鋭い牙を覗かせる真っ黒なETと、長いクチバシを持つグレーの細長ーいETがいます。
「あの人たちがどうかしたの?」
カランは瞳をキュルキュルと回しながら尋ねました。
「…さっきあのETたちに話しかけられたり、なんか変な物押しつけられそうになって…僕走って逃げ出したからすごく怒ってるかもしれない。うぅ、食べられたりしたらどうしよう…」
「えー? 大丈夫だよー、じゃあボクが聞いてきてあげる! おーいそこの人たちー!」
「え⁉ や、やめて‼」
ショースケの震えた声は届かず、カランはETたちの元へぴょこんぴょこんと跳ねていって何やら話し始めます。
…真っ黒なETがショースケの方へじとりと視線を向けました。
「ひ、ひぃぅ…」
もう生きた心地がしません。
ショースケはそろりとその場を離れようとしますが…真っ黒なETはその巨体からは想像できないほどのスピードでショースケのすぐ隣へと飛んできました!
「うわぁあ! ごめんなさいごめんなさい食べないで‼」
頭をぎゅっと抱えてうずくまると…頭上から甲高い、小鳥のような声が聞こえました。
「さっきはごめんね」
「…え?」
どうやらカランにもらった…というか無理やり口に突っ込まれたひし形の塊の効果が現れているようです、これは真っ黒なETの声でしょう。
「きゅうにはなしかけてごめんね。わたし、このあたりでぬいぐるみをおとしちゃって…どこかでみてないか、ききたかっただけなの。わたし、おおきいから…びっくりしたでしょ?」
少し遅れて、グレーの細長いETもショースケの元へやって来ました。
「私もごめんなさい。貴方が一人で不安そうに歩いていたから…元気付けたかったんです。これ、私の星のお菓子なんです。地球人でも安全に食べることが出来ますよ」
そう言って先ほどと同じ、串に刺さったヌルヌルとした物を差し出しました。
カランがぽよんと跳ねながら、ショースケの周りを回ります。
「ね! 大丈夫だったでしょ? そうだ、さっきこの人たちにもひし形のお菓子あげたから、ショースケの言葉わかると思うよ!」
「そ、そうなの…? ええと…」
ショースケはおどおどと右手を差し出すと…ゆっくり、グレーのETが持つ串に刺さったヌルヌルのお菓子を受け取りました。
「あ、ありがとう…あの、二人とも…僕こそ、さっきは逃げちゃってごめんなさい…」
唾をゴクンと飲み込んで、意を決してショースケはヌルヌルのお菓子を小さく齧ります。
「…! 意外とおいしい…」
ショースケが大きく二口目を頬張ると、それを見ていたETたちは嬉しそうに体を揺らしました。
「ねぇねぇショースケ、ボクにも一口ちょうだいよ!」
「貴方にも同じ物をあげますから。二人で仲良く食べてくださいね」
グレーのETはもう一本、ヌルヌルのお菓子を用意するとカランに手渡しました。
「わーい! ありがとー!」
カランは足の間にある口で吸い込むようにお菓子を舐めます。
「どういたしまして、それでは私はこれで。よい一日を!」
「わたしもいくね。もし、ぬいぐるみみつけたらおしえてね」
グレーのETと真っ黒なETは市場の方へ消えていきました。
カランとショースケは不思議な形のベンチに座って、一緒にお菓子を味わいます。
「えへへ、おいしいね! ショースケ!」
「う、うん。そうだね…!」
空は野菜色。風はやわらかく吹いて…手に持ったお菓子からも、どこかからも甘い香りが漂っています。
ショースケは何だかとっても久しぶりに、自然に笑った気がするのでした。
「ごちそうさまー! ヌルヌルしてたけどすごく食べやすかったねー!」
「うん…イチゴ味の納豆みたいで面白かった、かな」
「イチゴ? なっとう? それってショースケの星の食べ物?」
カランがキャラキャラと瞳を輝かせます。
「そうだよ。イチゴは果物で、納豆は…ネバネバで長ーい糸を引くんだ!」
「ええ! 糸っ⁉ それってコセツベの実みたいな感じかなー!」
「コセツベの実…?」
「ショースケ、コセツベ食べたこと無いの⁉ そうだ、この近くにコセツベのモヨキュ焼きを食べられるところがあるよ! 今から行こう!」
ベンチからぴょこんと飛び上がって、カランは先ほど通ったところとは違う、これまた細い路地へと入って行きます。
「ま、待ってよカラン! 僕、じーちゃんを…まぁいいか、まだ用事終わってないみたいだし。それに…ちょっと面白そうだし!」
ショースケもカランを追って、薄暗い路地へと入っていきました。
****
「コセツベの実はねー美味しいよー! 齧ると中から糸みたいな物がモサモサモサーって出てくるの!」
「モ、モサモサ…それって本当においしいの? まぁ…食べてみたいけどさ」
隣同士に並んでは通れないほど路地は狭いので、カランは前を、ショースケは後ろを歩きます。
「美味しいよー? あ、見て見て! 空の色が変わってきた!」
カランは歩きながら上を見上げました。
野菜色だった空は、今度はまるで揚げたてのフライドポテトのような鮮やかな黄色に変わっていきます。
「この色の空って珍しいんだよ、ラッキーだねショースケ! …あれ、ショースケ?」
カランが振り返ると…ショースケは少し離れたところで立ち止まり、屈んで何かを見ているようです。
「ショースケ、何見てるの?」
「これ、なんだろう? ふわふわで黄緑色で…ぬいぐるみかな。あ、もしかしたらさっきの真っ黒なETさんの落とし物かも!」
ぬいぐるみのような丸い何かにショースケは手を伸ばします。
「ふわふわで黄緑色…? って待ってショースケ! それに触ったらダメー‼」
駆け寄ってきたカランの声が届くより前に、ショースケはそれを抱き上げました。
すると…
丸い何かに生えていた黄緑色のふわふわの毛がバサリと全て抜け落ち、深い青色の中身が現れてぐにゃりぐにゃりと波打ち始めます。
「え、なになに⁉」
ショースケが急いで何かから手を離すと、地面に落ちたそれはどんどん大きくなって…ショースケの身長の二倍、いや三倍近くまで、まるでミミズのように長く伸びていきます。
「さっきショースケが触ったの、この間宇宙警察たちが回収してたモンスターのタマゴだよ! まだ回収出来てないのがあったんだ! 急いで逃げるよ!」
カランはショースケの腕に足を巻き付けて、引っ張りながら細い路地を走り出しました。
モンスターは長い体をずりずりとひねりながら、口も目もついていない頭を振り回して二人に迫ってきます。
「意外に速い…このままじゃ追いつかれちゃう…! あ、そうだ!」
走りながら後ろを向いたカランは、怯えるショースケにいつもより小さな声で話しかけます。
「いい? ショースケ。この先に十字路があるから、そこで二手に分かれて隠れよう! ボクは左に、ショースケは右ね。右の道には大きな物置があるから、その中に入って!」
「わ、わかった…っ」
ショースケは息を切らしながらなんとか返事をしました。
「よーし、じゃあ行くよ! せーの!」
カランのかけ声に合わせて、二人は左右に分かれて走り出しました。
右の道に入ったショースケは急いで物置の扉を開けて、その中に何とか体を押し込みます。
…少し離れたところから、モンスターの体が地面と擦れる音が聞こえてきました。
両手で口を押さえて、息を潜めて、ショースケはただモンスターが通り過ぎるのを待ちます。
ずるり、ずるり…モンスターの進む音が近づいて来て…ずるりずるりと、そのまま遠くなって行って。
どうやらモンスターは、二人に気がつかず先の道を進み始めたようです。
ショースケはほっとして、ふぅっと一つ息を吐くと、物置の中で壁を背に座り込みました。
そうしたら…
ほんの少しバランスが崩れたのでしょう、物置の中に入っていた背の高い道具が一つ、ゆっくりと倒れてバタンと音を立てました。
その瞬間…ずるりずるりずるり、モンスターが引き返して来たのでしょう…音は次第に近く、大きくなっていきます。
そしてとうとう、…物置の扉がガタンと外から強く叩かれました。
ガタン、ガタン…扉が衝撃で少しずつ開いていって、深い青色のモンスターの体が隙間から見えて。
もう一度モンスターが体を大きく振りかぶったのがわかって…もうダメだと、ショースケが強く目を瞑ったその時。
「おい! …そこのモンスター!」
反対方向の道から…カランの震えた、でも張り上げた声が聞こえました。
「こっちに来い! こ、怖くないぞ、ボクは未来の宇宙警察なんだから!」
モンスターはすぐに体をひねって、ショースケが中にいる倉庫の前から離れてカランの方へと向かっていきます。
「ショースケ逃げてー!」
カランの声とモンスターが這いずる音が少しずつ遠ざかります。
…ショースケは壊れかけた倉庫の扉を少し開いて顔を出しました。
このままでは自分を助けてくれたカランは、モンスターに追いつかれてしまうでしょう。
そうだ、今度はショースケが声を出してモンスターの気を引くのはどうでしょうか!
そうすればカランは助かるかもしれません。
それにある程度距離が離れていますから、ショースケもモンスターから逃げ切れる可能性だってあります。
それがいい、そうしよう!
……なのに。
どうして、口は半開きのまま声が出ないのでしょうか。
どうして、自分は倉庫からゆっくり静かに抜け出して…どうして、カランと逆方向に走り出したのでしょうか。
…遠くからカランの悲鳴が聞こえて、ショースケは思い切り耳を塞ぎます。
もう一度聞こえて、それでも足は止まらなくて。
そして、もう一度…今度は小さな悲鳴が聞こえて、ショースケが少しだけ振り返った時。
鮮やかな黄色の空から眩しい光が降ってきて、小さなブラックホールのような渦が現れたかと思うと、モンスターはその渦の中へと…いとも簡単に吸い込まれていきました。
「大丈夫か! …ちいと我慢しとくれ」
遠くでカランの体を抱えているのは…肖造でしょうか。
肖造はすぐにカランを本部へ送ると、こちらに気が付いたのか走って来ます。
「ショースケ! 大丈夫じゃったか⁉」
…ショースケは何も言えなくて、ただただ地面を見つめながら、今頃ポロポロと涙が溢れて来るのでした。
****
「いやー…ワシ、ライトに言われて本部で仕事してたのに、『ポスリコモスに初めて来た孫を街に置いてきた』って言ったらライトにすっごい怒られてのう。『いますぐ孫の元へ行け』って…それでショースケの元にワープしたらモンスターが暴れておって…ワシは血の気が引いたわい」
宇宙警察本部にある医務室の前のベンチに、肖造とショースケは二人で座っていました。
…ショースケはずっと俯いたままです。
「…のぉショースケ。あの子は友達か?」
…友達なんてずっといないのでショースケには判断出来ませんが…そうだったらいいな、なんて少しだけ思ったりしていました。
でも、もう…合わせる顔がありません。
「…今回のことは完全にワシら宇宙警察のミスじゃ。回収していないタマゴが無いかの確認が足らんかった。…怖い思いをさせたな、ショースケ。もう地球へ…」
「ねぇじーちゃん」
ショースケがふいに口を開きました。
「…さっきモンスターを吸い込んだあれって…じーちゃんの発明品だよね?」
「ああ、そうじゃ」
肖造はそう答えます。
「…そっか」
「じゃあ…もし僕がじーちゃんみたいに発明できたら、あのモンスターを倒せたかな」
「…もし僕に勇気があったら、もし、僕に力があったら…僕を助けてくれたあの子を、見捨てて逃げたりしなかったのかなぁ…」
…涙を流すショースケの隣で、肖造はただ前を向いています。
「ねぇじーちゃん、…僕、宇宙警察になる」
ヨレヨレの部屋着の裾で、ショースケはぐいっと涙を拭いました。
「もう逃げたくないから…変わりたい、変わるんだ!」
「…そうか」
ショースケの背中を一度だけポンと、肖造は叩きます。
「それならたくさん勉強せんといかんな。まずは宇宙公用語が喋れるようになって、それから各惑星の特徴も覚えんといかんぞ。試験は…大体半年後じゃな。ギリギリじゃぞ、やれるか?」
「やれるじゃない、やるんだよ。…出来るさ、僕…天才だもん」
ショースケはベンチから立ち上がりました。
「じーちゃん、僕…地球に帰るよ。すぐに勉強を始めないと間に合わない」
「…あの子に会ってからじゃなくていいんか? 直に目を覚ますぞ」
「…今の僕じゃ…カランに会えないよ…」
そう言って、ショースケは医務室に背を向けます。
「…そうか。気を付けて帰れよ」
肖造がポケットから小さな機械を取り出して操作すると、この星に来た時と同じワープ装置が現れます。
ショースケは少しだけ立ち止まった後、それをくぐって、地球へと帰って行きました。
****
「ねぇなんで泣いてるの? もしかして迷子? ふふ…キミ、まるでボクの友達みたいだね!」
空はあの日と同じ野菜色。
じめじめとした暗い路地裏でうずくまって泣いているETに、背中のバッジを輝かせながら水色の宇宙警察は笑いかけます。
「キミはとってもラッキーだよ! 未来の特級宇宙警察…まぁ今は新米宇宙警察の、他でもないこのボクに見つけてもらえたんだから!」
紫の宝石のような瞳で、宇宙警察はパチンとウインクをして見せました。
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