オオカミの皮をかぶった羊 3
久しぶりの地元は、昔よりも暖かく感じた。隣に酢谷が居たからか、結婚の証が左手薬指にあったからか、それともただ単純に、連続ドラマのクレジットにのるような役に就ける程度には売れたからか。
ここは渋谷みたいに巨大広告もないし、電波ジャックなんてものもない。でも自分が広告を担当しているシャンプーが売られているコーナーに、自分の顔を見つけたときは、思わず顔がほころんだ。
明日になれば、酢谷と合流する手筈になっている。本当なら私はまだ東京に居て、仕事をしているはずだけれど、はなからそんな予定はない。つまり、酢谷を騙して私は今地元に居る。
「莉央。」別に深い意味はない。ただ家族に会って報告しないといけないと思っただけ。姉の声に振り向き、歩み寄りながら自分への言い訳を重ねる。
家族に報告するため帰省すると言えば、酢谷は是が非でも同行しようとするだろう。でも酢谷に、家族の前にいる私を見られたくはなかった。
一番弱い部分を見せるべきである家族になる相手に、弱い部分を見せたくないと思うのは、人間として間違っているのだろうか。
「莉央が突然帰ってくるって言うから、お姉ちゃん驚いちゃった。」そう言いながら髪を耳にかける姉の手には、指輪も華美なネイルもない。なのに、私の所作よりずっと美しく感じてしまった。
「でもこういう機会でもないと、家族みんな集まらないもんね。」姉は会わない間に長かった髪をばっさり切り、モデルを辞め、今ではサロンを経営しているらしい。半分はモデル時代に稼いだお金で、もう半分は両親から資金援助をしてもらった。そんな話を聴いたのは、つい最近のことだった。
別に秘密にしていたわけではないんだろう。サロン経営の話も、資金援助の話も、『訊かれなかったから話さなかっただけ』。そこには後ろめたさすらない。
姉はちらりと私の広告を見ながら、心から嬉しそうにふふ、と笑った。「すごいね、莉央。うちの広告もやってよ。」そんな風に言いながら身体をひるがえす姉のラインは、やっぱりモデル時代の名残があって。また暗い気持ちが湧いてきてしまった。
「お姉ちゃん、自分で広告してるじゃん。」姉が経営しているサロンの広告を、東京のマンションの一室で観た私の驚きなんて、姉は一生想像すらできないんだろう。こちらからすれば、姉のサロン経営すら寝耳に水だったのに。
「まぁね、やっぱりその方が安上がりだから。」あどけなく笑う姿を見て、改めて確信する。あぁ、やっぱりこの人には悪意なんてない、と。いつの日か、私がもっと売れるか、姉のサロンが本格的に全国展開するか、どちらが先かはわからないけれど、そんな『いつの日か』。
有名サロンの美人社長と、女優Rioが姉妹だという情報がどこからかリークされて、よくわからないコラボだとかが展開されるんだろう。そしてきっとそのたびに、「女優のRioよりも姉の稲垣莉香の方が美人だ」なんて意見が錯綜するんだろう。
前を歩く姉の後ろ姿を見るだけで、どうしようもない劣等感に苛まれる。産まれた瞬間から蝶よ花よと愛されてきた姉は、愛を当然のように甘受できる。姉にとって自分への愛は『当たり前』で、存在を疑うことすらなく、だからこそ周囲に対しても存分に愛を振りまくことができる。
姉が歩くだけで春が舞うようなあたたかさがあり、みんなが振り向く。売れている芸能人特有のオーラとは違う、愛されてきた人間特有の陽気。私がきっと、一生掴めない『空気』。そして誰もが認める美貌とスタイル。屈託のない笑顔を向けるから、より一層人を惹きつける。
姉はきっと、カメラマンに「君、目が怖いよ」なんて言われたことはないんだろう。「見ている人が幸せになるような目をして。芸能人でしょ? 愛されて当然みたいな顔してよ」。
「莉央? 」いつもの幻聴かと思った呼び掛けは、本物だったようで、姉は車の鍵をくるくると回しながらきょとんとした顔をこちらに向けていた。
「帰ろ。パパもママも待ってるよ。」家に帰るため、姉が車で駅まで迎えに来てくれた。つまり今はただのツナギで、帰省の間の事象でしかない、映画だったら映像化もされないつまらないシーン。
だから私はさっさとアクションを起こして、とっととこの時間が済むのを待てばいいのに、重い劣等感が身体を動かしてくれなかった。「莉央ぉ? どうした? 」身体が動かない恐怖も、自分の身体なのにコントロールが効かなかったことも、きっと姉は経験したことがない。
私が、埋まらない穴と治らない傷のために結婚したと言えば、きっと姉は少し困ったように愛想笑いをした後、「まぁいつか莉央にもいいことあるよ。頑張っていればみんな幸せになれるんだから」とでも言うんだろう。わかりやすい悪意を持って攻撃してくる人と同じくらい、善意で容赦のない正論をぶつけてくる人も怖い。
自分の家庭環境は幸せだったと断言できるのに、こんなふうに間違った道を選んでしまったのは、なんでなの。なんで私とお姉ちゃんはこんなにも違うの。
「も〜莉央? マリッジブルーには早くない? 」動けなくなって車に乗れない妹に対し、姉はわざわざ車を降りて声をかけてくれる。愛されることに慣れている人は、他人に愛を振りまくことにも躊躇がない。そんな姉の振る舞いを目の当たりにするのは久しぶりのはずなのに、なぜかデジャビュめいものを感じてしまうのは、どこか酢谷と似たものを感じるからなんだろうな。
あーあ、本当に嫌だ。消えたい。酢谷の透明マントは家族に対して有効じゃないって知っているのに、今すぐ駆けつけてほしいとすら思っちゃう。
こんなにも弱くて脆い私を見たら、きっと酢谷は愛想を尽かすんだろうな。幻滅されて別れを切り出されて伊藤のもとへ送り出してあげるのが最適解だとわかっているのに、それをしたら弱い自分がスポットライトの下に放り出されるようで、怖くてできない。
酢谷、あのね、あんたが好きな私は、全部お姉ちゃんの模倣なの。スポットライトに当てられた場所で私は「Rio」を演じているだけで、「Rio」の中身や所作は全部お姉ちゃんの真似っ子なの。そして多分それを知ってるのは、伊藤だけなの。
酢谷と家族を合わせたくなかったのは、絶対お姉ちゃんに惚れちゃうから。酢谷、私さ、気付いてるからね。自分が嫌になったり、身体が硬直して動かなくなったりしているとき、あんたの顔がちょっと曇ってること。
そうやって、あんたが顔を曇らせるのは私の部分で、酢谷が好きだと言うのはお姉ちゃんの部分なの。だからあんたと家族を会わせたくないの。会わせて私のたったひとつの武器を失うくらいなら、「彼が会いたがらないの」なんて家族に言ってあんたを悪者に仕立て上げるくらい、私はずるいやつなの。
本当の自分をさらけ出せるのは、家族の前だけ、なんて。それだけ聴けばきっとみんな理想の家族だなんだと言うんだろうけど、だからこそ私は酢谷に家族といる私を見られたくない。
大丈夫、私だって役者だから。たまに綻びを見せても最後まで「酢谷が愛した稲垣莉央」を演じてみせるから。だから、お願い。ずっと私に騙されて。
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