インターミッション1-2


 稔は言った。

「食事でもしていかないか」

 陽子は頷いた。

 展望室のレストランへ行く。ここから火星を見下ろすことが出来る。

 極地に見える白い極冠といくつかのクレーター、山々のほかは赤い砂漠が拡がっている。

 その砂漠のあちこちに輝きがある。人類の作ったコロニーだ。

 赤道沿いにある地面の裂け目――マリネリス峡谷。いまや「日本」となっているその部分は、燈火で明るく光っている。それは光のこぼれる惑星の傷跡のように見えた。

「あそこが『日本』だよ」

 稔は指さした。

 フォボスが、エレベータのすぐ側を通り過ぎていく。

 火星最大の衛星であるフォボスは静止軌道の内側を周回しているため、エレベータとは軌道が交差してしまうのだが、対策として軌道エレベータ自体に振動を与えて、楽器の弦のようにしならせて、接近するフォボスを避けるようになっている。

 その光景はちょっとしたスペクタクルとして、火星の重要な観光資源のひとつになっている。


 それから、ステーションに向かって歩き始めた。

 その通路には「エクソダス」の簡単な歴史が展示されている。順路を辿っていくと、

 阿蘇カタストロフを予期し、日本列島にひとが住めなくなることを見越して火星開発を進めた。

 地球で迫害されたひとびとを火星に迎える、「日本人」の新天地をともに造るために。


 それまでの歴史とは、およそ、こんな感じだった。

 阿蘇カタストロフでは、災害そのものや脱出、避難に伴う混乱で、当時日本列島にいたひとびとのおよそ三分の一、三千万人が命を失った。

 残った六千万人も、その大半は不毛の大地になった日本列島に受け入れる余地はなく、異国の地に流出し、不自由な生活を余儀なくされた。

 難民となった日本人はしだいに現地人と軋轢を起こすようになり、各地でトラブルが発生した。

 オーストラリアの収容施設で日本人収容者の暴動が起こり、それが多大な犠牲を伴って鎮圧された事件をきっかけに、火星の「日本」植民地は地球上の「日本人」同胞をすべて無条件で受け入れる方針をとったのだ

 そのとき、火星植民地の総人口は十万人ほどしかいなかった。「同胞」を受け入れるために、全力で拡張工事を行ったのだ。

 しかし火星を「日本」のものにすることは出来ないことになっていた。

 1967年に発効した「月その他の天体を含む宇宙空間の探査及び利用における国家活動を律する原則に関する条約」によれば、宇宙空間は全人類に認められる活動分野で、いかなる国家も主権の主張は出来ないとされた。

 むろん火星もそこに含まれている。マリネリス峡谷の「日本」はつまりは難民キャンプのようなもので「主権」を持つ「国家」ではないとされているが、実質的に「国家」の体裁を整えている。地球上で言うなら、台湾やパレスチナのような「未承認国家」だ。

 そして、地球上が混乱し、国連の力が弱まって、群雄割拠の時代になった。なし崩し的に「国家」と認められるようになったのだ。

 あまつさえ、地球と火星は遠すぎる。火星の「日本」政府は、「日本人」の運命以外のことについては「地球」の国際情勢に不介入を貫く「火星モンロー主義」を取っていた。


 火星の「日本(ひのもと)(ひのもと)」は積極的に「日本人(ひのもとびと)」を受け入れた。

 その結果、人口は働き盛りの世代が多く、子供が少ない、いびつな構成になった。

 集合住宅の建設は間に合わず、定員超過など無視して押し込まれ、複数の家族がひとつの部屋に住むこともあった。

 あてがわれたのは、放射線量が多い高層部に建てられた、即席の集合住宅だった。狭い室内に大人数が住まわされる。十分でないプライバシー。毎日同じ代替食。そして過酷な労働。不十分な医療リソース。即物的な娯楽で生活の苦しさを麻痺させる日々。住民を放射線から防御する隔壁の外側に住まわされたひとたちもいた。だが、劣悪な環境に堪えて火星の生活を続けても、その多くは「二級市民」の待遇を抜け出すことは出来ない。

 さきに移住して特権的な地位を得ていたものたちにくらべて、ニューカマーは限られたパイしか得ることが出来ない。

 結果として、かれらはぞんざいに扱われることになった。

 それでも、地球に残るよりはまし、と考えるひとたちもいた。

 地球上は阿蘇カタストロフによる激しい気候変動で食料生産も大幅な低下を来し、治安が悪化し各地で紛争が頻発するようになった。

 地球の国々には、「亡国の民」である日本人を助ける余裕などなかったのだ。

 そのため、火星は積極的に「日本人」を受け入れ、労働力として投入したのだ。

 既得権益をホールドしたオールドカマーと、底辺で喘ぐニューカマー。次第に社会は分断されていった。

 それも、昔々の話……だったはずだ。



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