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 混乱の一途を辿る地球をよそに、新たな「日本」である火星植民地は着々とその面積を拡げていった。

 マリネリス峡谷の天蓋で覆われた部分の面積は増えていき、最初のうちは不安定だった気候も徐々に安定するようになった。余裕のある土地には樹木が植えられ、水が湛えられた。エネルギーは潤沢にあったので、どんな問題でもエネルギーを投入して解決することがよしとされた。地球上では諸々の制約があって出来なかったことだ。

 いくらあざ笑われようが、国家の機能を地球以外に移すのは正しい選択だったのだ。

 地球から火星を攻める軍備はどこの国も持っていないし、その余裕もない。どの国も侵略することはできない。地上の混乱とは、全くの無縁だった。


 むろん、地球を離れたところに人間の住める場所を作り出すのは容易な道ではなかったし、「日本人」を地球から呼びよせることにも様々な抵抗と困難が発生した。

 しかし地球での生活を諦めた「日本人」は、ぞくぞくと火星を目指した。

 2250年、火星にも軌道エレベータが建造された。地球上の「日本」からの移民は、ますます増えていったのだ。


 火星開拓が順調に進捗したのは、また、二一世紀後半に核融合が実用化されことも大きかった。

 地球上で核エネルギーを利用するのにネックになっていた問題は三つある。事故発生の懸念。使用済み核燃料、高レベル放射性廃棄物の処理。最後が核物質の軍事利用やテロリストに奪取される可能性である。しかし、地球から十分離れた宇宙空間で使う限りは、これらの懸念は無用なものだ。

 しかし、大量破壊兵器として開発された経緯や諸々の核事故によってひとびとのあいだに培われた忌諱感を払拭し、宇宙空間で本格的に使われるようになるには、一定の時間が必要だった。

 まずは深宇宙探査に核分裂炉が使われ、月や火星、小惑星帯への有人飛行が行われるようになると、イオンロケットやヴァシミールロケットへの電力供給源として一般化していった。

 核分裂より効率的で安全性も高い核融合エネルギーは、主に宇宙空間で使われるようになった。核融合エンジンを搭載した宇宙船で、火星への道行きは、わずか数日にまで短縮された。


 そして、地球と火星の距離も、日本に幸いしたのだ。

 光速の制約で、地球と火星のあいだで通信を往復させると、最接近時でも約六分半のタイムラグが発生する。いちばん離れる外合時には四四分にもなる。リアルタイムでの情報流通は出来ないし、グローバル金融システムからも独立せざるを得ない。それが火星――日本を、地球とは別の経済圏として自立させることを可能にしたのだ。

 無論、簡単に攻めてこられる距離ではない。宇宙空間に日本を脅かすような勢力は存在しなかった。

 そのため、火星の「日本ひのもと」は地球圏の混乱とは無縁だった。他国の経済的な失策のせいで日本の経済が脅かされることはないのだ。経済は着実に成長を続け、国民すべてにベーシックインカムが支給され、一定レベルの生活を保障できる状況に至った。

 国民は飢えることも欠乏に苦しむこともない。「戦争」も他国からの干渉もない。


 そして、西暦2287年。元号で言うなら、建和10年。

 火星の「日本ひのもと」に居住するひとびとは、一億人を超えた。

 火星に再建された首都である「東京とうけい」は人口三千万を超え、人類文明の新たな中心地となっていた。

 天蓋が張られた峡谷ぜんたいの可住地面積は、かつて「日本」が地球上にあった頃を上回っていた。

 低地には水が湛えられ「海」も作られた。地球の植生を移植して峡谷の斜面には「森」が育てられ、動物も放たれた。阿蘇カタストロフで擾乱された「日本列島」の生態系が再現されつつあった。

 それでも、大量の土地が余っている。平野には一大農産地が作られ、穀物などは激しい気候変動に見舞われている地球に輸出している有様だ。


 かつて地球にあったのと同じ字だが異なる読みの「東京とうけいは「日本ひのもと」の首都として、揺るがぬ繁栄を築いていた。

 その首都の名前に、これほど相応しいものがあるだろうか。

 また、天蓋のかかった峡谷内の「日本ひのもと」要所には地方都市が造られ、JR火星のリニア鉄道が都市間を繋いでいる。

 まだ残っている広大な地面は農地や緑地に使われた。「日本にほん」の植生を再現した様々な木々が植えられ、環境の恒常化に一役買っている。

 また、峡谷最深部には海水が湛えられて「海」が再現され、魚や海獣が放されて水産物の養殖やフィッシング、いくつものマリンリゾート施設が作られている。

 都心部や周辺部の「新都心」には巨大な高層ビルが針山のように立ち並んでいる。高いものは2000メートル上の天蓋に届きそうだ。

 火星の低重力とカーボンナノチューブをはじめとする新素材で、地球上の常識を覆すような建築が可能になった。

 また、かつての地球時代を再現した建築物も多く、「東京駅」、「丸の内」、「渋谷」、「新宿」などは、地球の「東京とうきょう」を再現した街並みが造られ、その賑わいは20世紀後半から21世紀初頭、絶頂期と呼ばれた頃の様相を呈していたのだ。

日本ひのもと」は20世紀後半以来の繁栄期を迎えていたのである。


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