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 2101年。

 22世紀最初の年、火星のマリネリス峡谷にある入植地が、予期された巨大天変地異に備えて作られる「第二の日本」として正式に決定されたのだ。

 決定的だったのは資源の有無だった。月には利用可能な資源が殆どなく、地球圏にスペースコロニーを建造するためには地球上から資材を持ち上げる必要があり、いずれにせよ地球の影響を逃れられない。

 資源に関しては火星も似たような状況ではあるのだが、小惑星帯から資源を採取する場合でも、火星の方がエネルギーがはるかに少なく済む。

 化学ロケットよりもはるかに高性能な核融合エンジンの実用化で、エネルギー問題は解決し、火星には恒久的な基地が作られつつあったのだ。

 さらに、赤道に平行して伸びるマリネリス峡谷という大峡谷の存在も、火星が好適である大きな理由のひとつだった。

 峡谷の全長は東西に4000キロメートル、幅は最大で700キロメートル。崖に挟まれた内側の総面積は日本列島よりも広い。

 この巨大な裂け目上部に天蓋を張り、空気を満たせば、内部を居住可能にすることができる。火星まるごとの環境を改造したり、ドーム都市を表面あちこちに建造するよりも、大規模な居住空間を作るのははるかに容易だと思われた。

 この時点ではまだ峡谷を覆う天蓋は未完成で、最深部のトンネルに作られた地下基地が「日本」とされた。

 2111年には火星自治政府の設立が発表されたのだ。

 その間にも、阿蘇カルデラ中央火口丘の噴火は、散発的に数十年続いた。注意深く観測が続けられ、住民の退避や資産の避難、原発など噴火が発生したときに危険を及ぼす可能性がある施設の撤去など、準備は次第に進んでいった。

 そして正式に火星移住計画――E計画が始動したのは2120年だ。

 一部分に天蓋が完成し、壁で峡谷を区切って内部が与圧されるようになった。10万人がこの新たなる大地に入植し、諸設備が整えられつつあった。

 一方、地球上は21世紀の混沌を引きずっていた。二一世紀初頭から軋み始めていた国際協調の枠組みは瓦解し、「地域大国」が群雄割拠する時代へと逆戻りしていたのだ。

 気候変動によってダメージを受け、国家の枠組みすら流動的になりつつあったこの時代、日本政府の火星移住計画はただひとつの大型プロジェクトと言ってよかった。


 予告されていた巨大噴火がついに始まったのは、2165年10月7日のことだとされている。

 噴火は中岳の山麓からはじまった。山体が裂けて噴煙が高く吹き上がり、成層圏を越えて高さ数十キロに達した。

 かつては伸びやかな牧草地として知られた草千里、かつての火口の跡も、激しい爆発が起きて大地は裂け、天空にまで達する真っ黒な煙の柱が立った。

 続けて阿蘇カルデラの草原からいくつもの噴気が生じ、黒い噴煙になっていった。耳を聾する地鳴りとともに裂け目は広がり、噴煙に続けて火山弾が噴き出した。山麓一帯は噴出物に埋まった。

 外輪山の内側にリング状の割れ目火口が出現し、阿蘇カルデラはひとつの巨大な噴火口になった。

 爆発の音は日本列島を越え、ロシア沿海州や香港でも聞こえたと言われる。

 マグマだまりが急速に上昇し、地上すぐのところまで到達していることを、密に張り巡らされた観測網は感知した。


 気象庁より「今回の噴火は被害規模が日本全土に及ぶ巨大噴火に発展する可能性が高い」との警告が、正式に発せられたのだ

「巨大噴火切迫」の情報がもたらされたとき、特大災害法に基づいてまず、九州全島に退避命令が発動された。事前に定められていたプログラムに従い、北側のひとびとは関門海峡や瀬戸内海、あるいは外洋を渡って本州や四国に向かい、シェルターに退避した。

 鹿児島港や宮崎港、志布志港からは客船のみならず貨物船や護衛艦も動員され、ピストン輸送で避難民を運んだ。

 しかしそれでも、全住民を退避させるにはかなりの時間が必要だった。無論、避難を拒否するものもいた。巨大噴火が迫り来ることそのものを信じていなかったり、「どうせ死ぬなら生まれた土地で」と留まり続ける老人を説得するのは難しかった。

 行政機関や地域の有志はそんなひとびとを戸別に訪問して避難を呼びかけ続けたが、一定時間が過ぎると危険が生じるため活動を終了させることになり、かれらを「見捨てる」ことにしたのだ。

 九州以外の住民も、北海道へ、あるいは海外へと順次避難していった。噴火が激しくなるにつれ、成層圏に達した火山灰で旅客機の運航が不可能になり、船舶での脱出に切り替えられたが、その船の数はいくらあっても足らなかった。

 噴火の規模はどんどん大きくなっていく。割れ目は外輪山全域の内側を縁取るように生じ、噴煙と火山弾は外輪山を超えて、熊本市や大分、別府の市街地にも激しく叩きつける。コンクリート製のビルも破壊され、まるで無差別爆撃の跡のような惨状を作った。


 クライマックスは翌年早々にやってきた。

 静止軌道上の気象衛星は、巨大な円形の噴煙が成層圏に拡がり、みるみるうちに九州全域を覆うのを記録していた。

 近景を映したのは、無人の熊本市内に設置されたリモートカメラだった。

 間断なく降り注ぐ火山弾で壊滅した市街、残骸しか残っていない熊本城が映る。もはや街はひとけがなく、動くものもない。廃墟と化した町並みの向こうに、むくむくと盛り上がる煙の塊が接近してくるところで、信号が途絶えた

 火砕流が襲った面積は、当初の想定よりもはるかに広かった。中心部の熊本のみならず九州の都会、福岡、北九州、佐賀、長崎、佐世保、別府、大分、宮崎までも埋め尽くし、一部は瀬戸内海を渡って、対岸の四国や山口県にも達した。

 鹿児島市は直撃を免れたが、火砕流の前面に発生する火砕サージと呼ばれる高温の爆風が、街をなぎ払った。コンクリートの建物も破壊され、可燃性のものはすべて焼失した

 火砕サージは広島以西の中国地方、高知以西の四国も襲った。山林は炎上し、炎が放つ光とときおり閃く火山雷だけが、黒と灰色の世界を照らしていたが、その光景を見る人間はいなかった。

 宇宙から日本列島を見下ろすと、直径100キロ、高さ50キロの巨大な雲の柱が九州の真ん中から突きだしている光景が映る。

 雲の柱は火山雷がところどころで明滅し、一瞬周囲を照らす以外、どこまでも漆黒だ。

 雲は西側にたなびいて、日本列島の大半を覆い尽くし、北海道の北側がわずかに見えているだけだ。そして噴煙の帯はそのまま北太平洋を横断して、先端は北米大陸にまで達している。

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