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「地球外への脱出を推すのは、それもあるのか」
「そういうことだ」
村上は鯛の刺身を箸でつまんで、口に運ぶ。
「無論、現在の段階ではどれかひとつに絞る必要はない。三つのプランを併行して進めるのが望ましいだろう。しかし、たとえば今後一〇年以内に発生したときは、実質的に最初のプランしか、実行できないことにはなる」
「噴火を予知することは、出来ないのか」
その質問を伊沢が引き取った。
「予兆を察知できる可能性はあります。しかし、発生の直前に予知したところで、避難できる日本人は一握り、いやひとつまみにもなりません。数年、数十年、あるいは世紀単位のスパンをもって、この問題には対処していかなければなりません」
「歴代の政権は、この件を知っていたのか」
伊沢はこの国で長らく与党を担っていた政党に属している。釘宮よりは、実態に通じているはずだ。
「いえ……なかなか、本腰を入れてくれなかったのです」
「そうだろうな……百年後のことに責任を持て、と言われても」
「カルデラ噴火の可能性は以前から知られていた。基礎研究の名目で予算が割り振られてはいたが、いつまでもアンダーグラウンドの研究とするわけにも行かないだろう。この辺で、大々的に予算をつけるべきなのだ」
そこに伊沢が進言する。
「総理。じつは以前から省庁横断の委員会が作られ、内々の検討が進んでいたのです。わたしが責任者でした。ある程度案を煮詰めてからご説明申し上げようと思っていたのですが、この機会になってしまいました」
「なるほど……そこまで切迫しているのか」
「いまが、いい機会だと思ったのです」
「なるほど……きみはやはり、やり手だな。そういえば、きみは『RA』一期生だったはずだ。
そして文科相だったとき、『RA』を大々的に推進したのだったな。あれのおかげで、世の中は変わりつつある……」
二世議員とは言え、30代で議員になってすぐに閣僚までのし上がった伊沢も、おそらくは「新しい日本人」なのかもしれない。
村上は問いかける。
「今やすべての『天災』は『人災』なんだ。人類の文明が進歩して、自然現象に対する知見が増えていったとき、自然災害が発生して人的、物質的な被害が出るのは、結局は対策が至らないためだ。そして究極的にはどこかが責任を負い、避けうる努力をせねばならない。火山の破局的噴火だろうが、巨大地震だろうが、隕石の落下だろうが、この地球上に起こる災害はすべて『人災』なんだよ」
「……」
「おれはずっと人間に興味のない男だった。研究一筋で、結婚もしなかった。政治にも興味がない。人間の世界で起こるせせこましい出来事、出世とか、恋とか、愛とかには関心がないんだ。おれが心血を注いできたのは、百万年、一億年の地球の歴史の解明だった」
「しかしおれも人間だ。日本人だ……年に一度の状況では役に立たなくても、1万年に一度の状況には役に立ってみせる。その気概がなくて、なんの地質学者だろう」
駄目を押すように、口を開いた。
「釘宮。政治家とはなんだ。何のためにいるんだ」
「……」
その言葉で、釘宮は「政治」のせいで苦汁をなめてきた過去の自分を思い返した。
「国民を活かすのが、政治だろう」
釘宮は、言葉を返すことはなかった。秘書官が耳打ちする。
「……さて、時間だ。東京に帰るとするか」
釘宮は席を立った。去り際、村上に声をかけた。
「ありがとう。久しぶりに話ができて、嬉しかった」
そして、帰りの道中、釘宮は考えた。
この時点の日本の総人口、一億と三百万人をどう避難させるか。ひとり残らず――それは無理だろうが、ひとりでも多くの「日本人」、この列島に住むひとびとを救うこと、その計画を立てることこそ、今という時代に国の舵取りを任された自分に課せられた使命ではないのか。
「国家百年の大計、か……なるほど、それは自分が考えなくてはならないことだな」
釘宮総理は、自分の辿ってきた道行きを思い返していた。
釘宮が生まれたのは1985年、大分県別府市だ。生家は豊かではなく、教育にも理解はあったとはいえなかった。勉強が嫌いなのに学校に行っても仕方ないだろうと思って、高校を卒業してすぐに社会に出たが、身分の安定した正社員は狭き門の時代だった。何社か応募したがよい返事はなく、結局、故郷を離れて非正規雇用の派遣労働で糊口を凌ぐことになった。
そして大不況がやってきた。派遣切りに遭い、着の身着のまま宿舎を追い出された。故郷にも帰れなかったが東京にも身を寄せるところはなく、都心の公園に作られた「派遣村」で炊き出しを受ける羽目になってしまった。
しかし、この体験が釘宮をして、社会問題や政治に目を向けさせるきっかけになったのだ。どうにか再就職に成功してからは通信制の大学を受講し、政治学を専攻した。さらに、「派遣村」で知り合ったひとたちの伝手で、選挙活動のボランティアや政治家の秘書として政治に関わるようになった。
標準よりは遅かったが、40を過ぎて結婚をして、子供も出来た。
長く裏方の仕事を続けたのち、中道右派の小政党から出馬した。国会に議席を得たときは、五十歳を過ぎていた。総理はおろか、大臣になることも考えられない経歴だ。しかし政党の離合集散によって党首の座を引き受け、さらにこの国の政界が何度目かの流動状態になったとき、連立内閣をまとめられる人材として総理に担ぎ上げられたのだ。73歳のときだった。
半世紀前、ホームレス同然の失職者だった自分が、総理にまでなっているとは――。
みずからの道行きの数奇さを思ったが、すぐにその感慨を打ち消した。
――しかし、もはや自分のような経歴のものが、この国のトップに立つことはないだろう。
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