7.エンマコオロギ

「やあテツヤ君、お楽しみのところ誠に申し訳ない」と艦長。

普段よりかなりハイテンションになっている俺に少々とまどっている。

ジャックは艦長の後ろで思わず苦笑い。

ヨシミツとシズコに支えてもらい、俺はやっとの事で立ち上がる。

「少しの時間いいかね?」と艦長。

俺は笑いながらうなずき、艦長らと共に宴会場を後にする。

酔ってフラフラの俺を支えているヨシミツとシズコの他に、タカシと何故かゴキまでもが後ろからついてきた。

俺はてっきりロビーにでも行くのかと思っていたのだが、ちょっとした会議室のような小部屋に通され少し緊張する。

どうやら最初に思ったとおり、ロビーで談笑程度の簡単な話ではないらしい。

ジャックが部屋のドアを閉め鍵をもかける。

ただならぬ雰囲気になり、酔いも幾分冷めてきた。

俺とシズコ以外は艦長とは初対面なので、とりあえず簡単に挨拶を済ます。

「早速ですが、何かお困りの事でも?」と俺。

「この様な事、君たちに相談していいのかどうかわからないが…」と艦長。

「何でもいいから言ってみて!だって友達でしょ!」と、この部屋の空気をまるで察知していない気楽なシズコ。

艦長はシズコに向かってニコリと笑い、重たそうに口を開き始めた。

「私の友人が働いてるシンガポールの病院に重症の心臓病患者である少年が入院しているんだ」と艦長。

「近いうちに手術をしないと極めて危険な状態に陥る可能性もあるらしい」と話しを続ける。

「それと俺たちとどういう関係が?」とヨシミツ。

「いいから最後まで話しを聞け!」とタカシ。ヨシミツを叱り飛ばす。

「心臓の手術をするには大量の血液が必要なんだ」と艦長。

俺たちはうなずく。

「だが、その少年の血液型がRhマイナスのAB型と極めてまれな血液型だと判明したんだ」と続ける。

「そんなに珍しい血液型なんですか?」とゴキ。

艦長はうなずきながら「シンガポール国内では調達できず、私がアメリカ本国で知人の病院に分けてもらい、今日極秘に沖縄へ持ち込んだところなんだ」と少し落ち着かない様子。

「何故、極秘なんです?」とタカシ。

「それは…」と艦長。

しばらく話そうか話すべきでないか考え込んだ様子のあと、

「実はその少年は北朝鮮国籍なんだよ」と絞りだすように話す。

「北朝鮮!」と口を揃えて俺たち。

「何故、北朝鮮国籍の少年がシンガポールに?」とゴキ。

「どういう経緯でシンガポールへ入国したかは定かではないが、地元のNGO団体に母親と共に保護されていたらしい」と艦長。

「その時に体調が急変し、NGOの職員が友人の病院にその子を連れて駆け込んだと聞いている」と話を続ける。

「病院は何故受け入れたんです?」とタカシ。

「私の友人によれば、医者として当然の事をしただけと言っているが、どうやら病院ぐるみでかくまっているという話だ」と艦長。

「事がバレたら国際問題にも発展しかねない危険な状況だ」と頭を抱える。

「病院側が血液を国際手配すれば、すぐ手術ができるのでは?」とゴキ。

艦長は抱えていた頭を上げながら

「このような事態だと公に手配するのはどうやら無理のようだ」と続ける。

「じゃあ、正式なルートで人道支援すればどうです?」とヨシミツ。

「そんな事をすれば手術は受けられても、そのあと本国に強制送還されかねないぞ!」とゴキ。

俺は話を聞いていて不思議に思い

「どうして艦長がそんな状況下であるにも関わらず、その子のために血液を提供しようとしているんですか?」と聞いてみる。

「実は一ヵ月程前、その子に会ったことがあるんだが…」と艦長。

「その子は重病にもかかわらず驚くほど透き通るような綺麗な目をしていて、驚いた事を覚えている」と話し始める。

「会った人、誰にでも愛想を振りまく、とても愛らしい子でな…」と少し間をおいた後、

「まるで五年前に交通事故で亡くなった息子が生き返ったような気がしたんだよ」と目を潤ませる。

何か言おうとした俺たちに「いいんだ」というような素振りを見せ、

「年も息子が亡くなった時と同じ七歳になったばかりだという話しだ」と艦長。

「七歳って言ったらいちばん可愛い盛りじゃない?」とシズコも涙目になっている。

「息子が事故にあった時、私は洋上にいて、…何もしてやれなかった。手を握ってやる事も…」と艦長の頬に一筋の涙が流れる。

しばらく沈黙のあと

「すまない。君たちにこのような話しなどをして…」と艦長はハンカチで涙を拭う。

「死んでしまってから初めて気付く事かもしれないな。その人が自分にとっていかに大切な存在だったかを…」とタカシ。

「もっとたくさん遊んでやればよかった。もっと一緒に過ごす時間を作ってやりたかった。そんな後悔ばかりしているよ。せめてその子を助ける事によって息子への償いができたらと…」と艦長。

「じゃあ俺たちにその血液をシンガポールまで運べと?」と俺。

艦長は机に両手をついて

「身勝手な事を頼んでいるのは十分わかっている。シンガポールへ持ち込む方法が見つからず、路頭に迷っていたところへ君たちがここに来ている事をジャックから偶然聞いたんだ」と頭を下げる。

「俺からも頼むよ。お前なら何とかしてくれると思って艦長もここまで話したんだ」と俺に向かってジャック。

他のみんなも俺を見る。

俺は黙ってしばらく考え込む。

せっかくの酔いがすっかり覚めてしまった。

艦長の気持ちは痛いほどわかるが、俺一人ではどうする事もできない。

また、タカシやヨシミツ、シズコたちを敢えて危険にさらす事もしたくない。

失敗すれば国際問題にも発展しかねないこの任務は俺には少し荷が重すぎる。

タカシが「俺は引き受けるぜ!こう見えても俺だって二人の子持ちだ。こんな話しを聞いたあとに引き下がれるかよ」と俺を睨む。

ヨシミツとシズコも俺を見てうなずいている。

「私の責任で足りるのなら引き受けてみてはどうだろう。他に何か問題があるかな?」とゴキ。

ゴキもたまにはいい事を言う。

みんなにここまで言われたのなら、もう何も問題はないだろう。

「わかりました。やってみましょう」と俺。

早速、作戦準備にとりかかる。

今回の作戦を簡単に整理すると、

「人知れず、かつ安全にシンガポールの病院へ血液を届けるには、一体どのようにすればよいのか?」という事である。

「上空からパラシュート降下でいいんじゃないですか?」とヨシミツ。

「バカかお前は!そんな事したらものすごく目立つだろうが!極秘任務だっていう事忘れたのか!」とゴキが怒鳴る。

「何もバカ呼ばわりしなくてもいいじゃないですか!」とヨシミツ。

頬っぺたをふくらませ、得意のイジケモードに入る。

「じゃあ、普通の観光客のフリして持ち込んじゃえば?」とシズコ。

俺はあきれて「それができるのなら艦長がとっくの昔にやっているだろうが!それに血液を持った観光客をお前は今まで見たことがあるのか!」とシズコに怒鳴る。

「そんなに怒らなくてもいいじゃないですかー!」とシズコ。

俺を睨み返し逆ギレ状態である。

こいつら真面目に考える気があるのかと思いイライラしているとタカシが

「思い切って税関強行突破なんてのはどうだ?映画みたいでかっこいいじゃねえか」と更に追い打ちをかける。

俺とゴキがタカシをキッと睨みつけると、

「おいおい、ここでは冗談も通じないのかよ!」とタカシはその場で居直る。

チラリと艦長を横目で見ると、はだけた浴衣でワイワイガヤガヤやっている俺たちを見ながら目をパチクリさせている。

もしかして俺たちに頼んだ事を後悔しているのかもしれない。

結局、作戦会議は深夜にまで及んだが、有効な策は何一つ見つからなかった。


翌日の朝。

本日の予定は沖縄の観光名所である首里城や万座毛などをバスで巡る事になっている。

俺たちはバスツアーをキャンセルし、ホテルに残る。

無理を言って6号車の世話係を青果サブチーフのカズアキに頼んだ。

カズアキはヨシミツと違って無茶な頼みでも、いつも快く引き受けてくれる。

その反面ヨシミツは、一応引き受けはするのだが、絶えずひとこと文句が多い。

お客たちを送り出したあと俺たちは、ホテルのレストランで遅めの朝食を摂る。

時間はすでに午前10時をまわっている。

艦長に相談を受けてから、もう12時間以上も過ぎてしまった。

「こんな所でのんきに朝飯しなんか食ってていいのかよ」と言いながらもタカシはうまそうにウインナーをほおばる。

「お前たちがふざけてばかりいるから、こんな事になっているんだろ」とパンをかじりながら俺。

シズコが赤い色をしたゼリーを口に運びながら

「たいちょーだって怒っているだけで何もしてないじゃない!」とチクリ。

当たっているだけに何も言えない。

ヨシミツはといえば、俺は何も関係がないというような顔をして大きな口を開け、大盛りのサラダを食べあさっている。

そこへ「おい!お前たち大変だ!」とゴキの声。

かなりあわてた様子でレストランへと駆け込んでくる。

「テツヤ!のんきに飯なんか食ってる場合じゃないぞ!」とゴキ。

俺の腕をつかみレストランの外へと連れ出そうとする。

俺は何が大変なのかよくわからないまま、食事の途中で外へと連れ出された。

「まだデザートが残ってるんだけどなー」と言っている俺の事など全く無視して、ゴキは昨日使った会議室のような小部屋へと俺を押し込む。

タカシとヨシミツ、シズコも後を追って部屋へと入ってきた。

「緊急事態だ!」とゴキ。

そんな事を言われても俺はデザートを食べ損ねたので気分が悪い。

「シンガポールの病院に入院している少年が…」とゴキは一人で慌てふためいている。

あまり大した事でもないのにゴキはすぐ慌てふためくので、みんなでクスクス笑っていると

「何がおかしいんだお前ら!」とゴキ。

顔を真っ赤にしながら

「心臓病の少年が危篤状態に陥ったと、たった今ハワード艦長から連絡が入った!」とものすごくデカい声。

「えー!」と一斉に声を揃えて俺たち。

「24時間以内に手術をしないと命の保証はできないらしい」とゴキ。

「24時間以内っていったら明日の、今の時間までですよ!」とヨシミツはあたりまえの事をわかりにくい言い方で説明する。

「とりあえずジャックに連絡してくれませんか?」とゴキに向かって俺。

ゴキは「よし!わかった!」と部屋を飛び出していった。


30分後「テツヤ!どうするんだ!」と息を切らしながらジャックが部屋に飛び込んでくる。

「どうするもこうするも、お前は何も考えていないのかよ!」とジャックに向かって俺。

「何かの役にたつかと思って、とりあえずF‐14を一機、那覇空港の格納庫に運び込んである」とジャック。

「よし!でかしたぞジャック!それで奇襲作戦といくか!みんな準備にかかれ!」と俺。

だが「テツヤ、F‐14の航続距離は3200Kmしかないが大丈夫か?」とジャック。

俺は急いで地図を広げ、沖縄とシンガポールとの距離を確認する。

「ゲッ!4300Kmもあるぞ!」と俺。

「片道分の燃料さえ足らねえじゃねえか!」と俺に向かってタカシ。

ヨシミツが「途中で補給すればいいじゃないですか!」とあいかわらず何も考えずに適当な事を言っている。

俺たちが極秘任務だと再三言っているにもかかわらず、今だにバカな事ばかりを言っているヨシミツに向かって

「お前は途中で給油させてくれる空港を知っているのか?空中給油機はどこにある?教えてくれ!」とゴキ。

マヌケなヨシミツにひとり切れかかっている。

そこへ「またひとつ問題が持ち上がってしまったんだが…」とハワード艦長が、少しやつれた表情をしながら部屋へと入ってくる。

「まだ何かあるんですか?」と、もういい加減にしてくれと思いながら俺。

「運が悪いことに今、シンガポールへ台風が接近中だというニュースが入ってきた」と艦長。

俺たちからため息が漏れる。

「かなり大型で強い台風らしい」と艦長は落胆の表情を隠せない。

もう万事休すかと半分あきらめかけていると、突然、部屋のドアが勢いよく開き、中にいた俺たちはビックリする。

「また何かたくらんでやがるなお前ら…」とバスツアーに出かけたはずのタナカさんがドアの外で仁王立ちしている。

タナカさんの強面を初めて見たハワード艦長とジャックは少し引き気味である。

「なんで俺に何も相談しねえんだ」とタナカさんは朝から少し酒が入っているのか、何だか目つきが怪しい。

ゴキが部屋の隅にタナカさんを呼び寄せ現状を説明する。

「おい、あの恐い顔したオッサン一体誰だよ?」と俺に向かって小声でジャック。

「あれでもウチの整備長だよ。逆らったりしようものなら半殺しにされるかもしれないから気をつけろよ」とジャックを意味もなく脅かしてやる。

「マジかよ!」と単純なジャックは真に受けてビビっている。

ゴキから現状を聞いたタナカさんは

「航続距離の問題は俺が何とかしてやる。台風に関してはテツヤ、お前が何とかしろ!」と相変わらずの怒り口調。

「F‐14に目一杯、外部タンクをぶら下げても、シンガポールには届かないと思いますが…」とタナカさんにビビりながらジャック。

「これだから素人は困るんだよな」とタナカさん。

何故か勝ち誇った表情をしている。

「いいか、よく聞け」とタナカさんは机の上に白い紙を広げ、何かを描き始める。

「ここが沖縄でこちらがシンガポールだ」とタナカさんは紙の上にふたつの点を書く。

点と点の間を指でなぞりながら

「ここからここへ行きたいのだが燃料が途中で切れてしまう。さあどうする?」とジャックに向かってタナカさん。

「それがわからないから困ってるんじゃねえか!」とジャックはタナカさんに言いたいところだと思うが、ビビっているのか何も言わない。

「途中で燃料が切れてしまうのなら、シンガポールに届く位置まで航空機を運べば済むことだろうが」とタナカさん。

あまりにもヨシミツ的な考えに一同、目がテンになる。

シズコが「そんな事言ったって空母はどこにもないじゃない!」とタナカさんに噛み付く。

タナカさんに対して強気なシズコにジャックは尊敬の眼差しを送る。

「何も航空機を運べるのは空母だけとは限らんぞ」とタナカさん。

「他に何が?」とタカシ。

「俺たちが沖縄まで乗ってきたアレを使うんだよ」と言いながらニヤリと笑う。

「ジャンボジェット機!」と声を揃えて俺たち。

「そうか!バラして積み込めば何とかなりますよね!」とヨシミツ。

ゴキが「バカかお前は!着陸する場所がないって言ってるのに、一体どこで組み立てようってんだ!」とまたもや切れかけている。

バカなヨシミツの事など放っておけばいいものを、ゴキは先程からひとりで反応している。

「簡単に言えばジャンボジェット機の背中にF‐14を乗せて、目的地近くまで運べばいい」とタナカさん。

「そこでF‐14を切り離せば余裕でシンガポールに届くだろうが…」と恐い顔に似合わない笑みを浮かべる。

「そんな事、簡単にできるのかよ!」とさすがにタカシ。

ジャックが「アメリカでは航空機の実験によくその方法を使っている。技術的には可能なはずだ」と何故か得意気な顔。

「でも、タイムリミットまで残り24時間を切ってるんですよ!間に合うんですか?」とタナカさんに向かって俺。

「こんな事もあろうかと思って、整備隊の連中は全て待機させてある」とタナカさん。

部屋の外からドヤドヤと整備隊のメンバーが入ってくる。

「航空機の事は俺に任せておけ!きっちり時間内に仕上げてやる」と言い残し、タナカさんは整備隊の連中と共に部屋から出ていった。


1時間後、那覇空港。

俺たちは空港の片隅にある格納庫へと入る。

格納庫内には俺たちが沖縄まで乗ってきたジャンボジェット機と

ジャックが持ち込んだF‐14の2機が並んで収められている。

「入ったらしっかり鍵をかけておけよ!」とタナカさん。

「怪しいヤツは絶対入れるんじゃねえ!」とずいぶん警戒している。

そのわりには入る時の合い言葉が「山」・「川」とメチャクチャ簡単だったり、裏口が開けっ放しになっていたりと、警戒している割りには、やっている事がいい加減である。

タナカさんはジャンボジェット機の上によじ登り、何やら大がかりな装置を取り付けている。

「これでF‐14を固定するんだ。見てろよ!」とタナカさん。

俺たちに機体を切り離す装置を動かして見せる。

「それって一度切り離したら、もう使えないんじゃないの?」とシズコ。

「それがどうした?こんな物、何回も使う必要があるのか?」とタナカさんはシズコを睨みつける。

「じゃあ、切り離されたF‐14はどうやって沖縄まで帰ってくればいいの?片道分の燃料でさえ足らないって言ってるのに…」とシズコ。

それを聞いてタナカさんは「あっ?」と言いながら持っていたスパナを下に落とした。

「今まで気付いてなかったんですか!」とヨシミツ。

バカなヨシミツなどに言われてしまったタナカさんは

「うるせえ!俺のやる事に文句言うな!」と逆ギレ。

そばにいた整備士に八つ当たりする。

「どうするんですか?もう時間があまりありませんよ」と八つ当たりされた整備士。

「黙ってろ!今、考えているんだ!」とタナカさん。

ジャンボジェット機の背中の上で何故かアニメの一休さんみたいにあぐらをかいて瞑想にふけりだす。

10分経ってもタナカさんは全く動く気配がない。

俺はだんだんイラついてきて

「タナカさん!早くしないとタイムオーバーになるってば!」と下から叫ぶ。

「わかった!わかった!」とふてくされた態度でタナカさん。

はしごを使って下に降りてくる。

「帰って来る時にも積める様にすれば何も問題ないだろ!」とタナカさんは投げやりな言い方。

「10分間も考えて、たったそれだけですか?そんな事なら誰でも思いつきますけど…」とタカシ。

俺は「帰路もF‐14を積んで戻ってくるのはわかりましたけど、どうやって積むつもりですか?」と聞いてみる。

「ジャンボジェット機もF‐14も途中で降りる所がないとなれば、方法はひとつしかないだろう」とタナカさん。

「まさか空中ドッキング!」と俺。

タカシが「戦闘機の真下は死角になるんだぜ!どうやってジャンボジェット機の背中に降りろっていうんだよ!」と珍しくタナカさんに噛み付く。

「それを今から考えるんだろうが!」とタナカさん。

はしごを再び上へと、よじ登っていった。

そのあと色々な方法を模索してはみたが、結局空中ドッキングしか方法がなく、それに向けて準備が開始された。

「たいちよー、がんばってね!」とシズコ。

俺がF‐14に乗るなんて誰一人ひとことも言ってないのに、周りの空気はそのような雰囲気になってしまっている。

「これがジャンボジェット機とF‐14をつなぐアームだ。F‐14側で操作できるようになっている」とタナカさん。

見るとF‐14のランディングギアがはずされ、代わりにロボットアームのような金属性の取っ手が取り付けられている。

これでジャンボジェット機の背中に取り付けられたステーをガッチリ掴むという手筈のようだ。

「真下は死角になるからこれでのドッキングは無理だよなー」と俺。

「そう来ると思って3本のギア全てにモニターカメラを取り付けた」とタナカさん。

「コクピットのモニターで確認できるようになっている」と俺にコクピットを見せる。

ただでさえ窮屈なコクピットなのに更に3台の小型モニターが狭い所に無理矢理押し込まれている。

「メンバーの配置はどうする?」とゴキ。

「お前がF‐14を操縦していくとなると、ジャンボジェット機のパイロットとF‐14のレーダー要員が必要になるな」と続ける。

やはり俺がF‐14を操縦する事はすでに確定済みのようである。

俺はタカシとヨシミツ、シズコを見回し、

「ジャンボジェット機はタカシとシズコが操縦してくれないか?ヨシミツは俺とF‐14に乗れ」と告げる。

「えー!」とヨシミツ。

「俺と心中するのはイヤか?」と俺。

ヨシミツに向かってニヤリと笑いかける。

「イヤですよー!だって来週、友達とカラオケの約束があるし、見たかった番組を家で留守録してるんですよ!」とヨシミツ。

ヨシミツらしい、ささやかな生きがいである。

「タカシは操縦の手順をシズコに指導してやってくれ!ヨシミツは俺とジャックから指導を仰ぐ!」と言ってそれぞれの配置に付く。

F‐14は通称トムキャットと言われる既にアメリカ海軍から退役した戦闘機である。

主翼が速度に応じて変形する後退可変翼を装備している。

コクピットは単座のF‐15とは違い、パイロットとレーダー要員が分かれた復座の二人乗りである。

「作っているメーカーがF‐15とは違うけど大体わかるよな?」とジャック。

「クライスラーに乗ろうがトヨタに乗ろうが運転は全部同じだろ?それと一緒だよ」といい加減な説明。

「ジャックさんは以前これに乗ってたんでしょ?何で今回は乗らないんですか?」とヨシミツ。

「ジャックは今、免停中なんだよ。乗ったのがバレたら大変な事になるからな」と俺はヨシミツにウソを言ってやる。

本当はチームに一人でも部外者が入る事によって統率が乱れるのを恐れているからである。

俺たち4人は今まで互いに助け合いながら、いくつもの試練を乗り越えてきた。

俺はヨシミツに命を預ける事はできるが、ジャックにはまだ預ける事はできない。

そんな俺の気持ちなど全く知る由もないヨシミツは

「えー!そんなー」とやんちゃ坊主みたいに腕をブンブン振り回している。


2時間後、機体を真っ黒に全塗装されたF‐14がクレーンに吊り下げられ、

ジャンボジェット機の背中へと固定される。

今回の作戦は極秘の為、ひと気のない夜間に実施される事になった。

そのため目立たないようにF‐14を真っ黒に塗装し、国籍表示や識別番号なども全て消した。

「なんかコオロギみたいな色ですね」と真っ黒に塗られたF‐14を見上げながらヨシミツ。

「じゃあ、お前の意見を取り入れて、こいつのコールサインをエンマコオロギにでもするか?」と俺。

「えー!ただ言ってみただけですよ!」と笑いながらヨシミツ。

「ブラックスナイパーとかミッドナイトホークなんて言うカッコイイ名前にしましょうよ」と俺に提案する。

「そんな名前なんか、いかにも怪しいだろ?エンマコオロギなら無線を傍受されても何をやってるんだか、わかりにくいから都合がいい」と俺。

「マジっすか?カッコ悪いからやめましょうよー」とヨシミツは俺に懇願する。

だが、そんなヨシミツの願いなど聞き入れるはずもなく、F‐14のコールサインはエンマコオロギと決まった。


更に2時間後、ついに問題の血液が到着。

チタン製ボトルの内側にガラスコーティング施した特製の容器に入っている。

偵察の際、敵などの撮影に使うカメラポッドを改造した容器の中に入れ、

目標へ向かって投下する事になっている。

細長い筒状をしたカメラポッドの中に保冷剤や緩衝剤などを詰め込み、血液の入った容器を慎重に入れる。

「テツヤ!投下の際、あまり衝撃を加えるな!血液に万一の事があったら全てが水の泡だからな!」とタナカさん。

ミサイルなどを装着する機体下部のパイロンに、カメラポッドを取り付けながら俺に向かって叫ぶ。

俺はポッド投下用のパラシュートを点検しながら

「高度100m、時速250Kmで進入したとして、投下のタイミングは目標の500m手前くらいかな?」と独り言。

それを聞いて

「高度100mで速度は時速250Km。投下のタイミングは目標の500m手前だと今、言ってなかったか?」と俺に向かってタナカさん。

「確かにそう言いましたけど…」と俺。

「それじゃあダメだ!」と一喝される。

「時速250Kmだと秒速に換算すれば1秒間に約65m進む事になる。

500m手前でポッドを投下してからパラシュートが開くまで1.5秒と考えると、パラシュートが開いたあとにはまだ、目標まで400mも離れている事になる。

それにポッドの落下速度を考えても高度100mでは高すぎる」とタナカさん。

「じゃあ、どうすれば?」と俺。

「中途半端な距離では台風の風にパラシュートが流されてしまうぞ。極秘任務なら、なおさら正確に目標へ向かって投下しなければいかん。従ってポッド投下は目標の手前300m。高度50mで突入するんだ」とタナカさんは凄い形相で俺を睨む。

「高度50メートル!」とすぐそばでデカイ声。

見るとヨシミツが、いつのまにやらタナカさんのすぐ後ろに座って、今のやりとりを聞いていたようだ。

「うわー!」とビックリしてタナカさん。

知らない間に後ろにいたヨシミツに気付いて、猛烈に驚いている。

ヨシミツもそんなタナカさんを見てビックリし、

「うわっ!」と声を上げながらその場でひっくり返った。

「高度50メートルなんて無茶ですよ!ちょっとしたビルくらいの高さくらいしかないじゃないですか!」とひっくり返った体を起こしながらヨシミツ。

「それをやるのがお前らの仕事だろ!泣きごと言うくらいなら最初から引き受けるんじゃねえ!」とタナカさん。

工具片手にF‐14のコクピットへと潜り込んでいった。


日も完全に落ちた午後8時。

作業も一段落し、俺たちは軽い食事を摂る。

タカシ、ヨシミツ、シズコらと共に、おにぎりをパクつきながら軽い打ち合せをしていると、

入り口の方から「おとうさーん!」と子供の声。

見るとタカシの娘たちが、こちらに向かって走ってくる。

「どうしたんだ!お前たち?…」とあわてた様子でタカシ。

それどころか俺の家族とヨシミツ、シズコの両親までもがゾロゾロと格納庫の中へと入ってくる。

みんな唖然としているなかゴキに事情を聞くと、重大任務を前に家族と一緒にくつろいでもらおうと、粋に計らったつもりらしい。

極秘任務の割りには随分オープンである。

「こんな事して機密が外にバレたらどうするんです!」とゴキに怒りながら俺。

「大丈夫だ!任務の内容は知らせていない。新型戦闘機のテストをやると言ってある」とゴキ。

わざわざ沖縄に家族と来て、そこで戦闘機のテストだなんてわざとらしいウソが通じるはずがない。

「隊長さん!この子の事、よろしくお願いいたします!」とヨシミツのお母さん。

俺の前で深々と頭を下げる。

俺は恐縮してしまい「はあ…どうも…」と何だか変な調子。

「ヨシミツ!しっかりしなさいよ!隊長さん達に迷惑かけないようにね!」とお母さん。

「わかってるよもう!うるさいなあ!」とヨシミツは照れているのか素っ気ない態度。

それからというもの、シズコのお母さんからケーキの差し入れはいただくわ、タカシの娘たちのゴム跳びに付き合わされるわで任務に対する集中力がだんだん薄らいでいく。

意外にも家族には、ゴキの単純なウソがバレていないようである。

「また何か厄介なもの引き受けたんでしょ?」とゴム跳びをやっている俺に向かって妻のミユキ。

どうやらミユキにだけはゴキのウソが通じないようである。

「あんたの事だから大丈夫だと思うけど、一応これを持っていきなさい!」とミユキ。

俺に何かを手渡す。

見ると、カエルのアップリケが付いたお守り袋のような謎のアイテム。

「おい!何だこれは?」と言う俺を尻目にミユキは向こうへと走り去っていった。

「無事カエルように…ってか?」と隣から俺の手にある謎のアイテムを覗き見ながらタカシ。

「これって手作りじゃねえか?お前幸せもんだなー」とタカシは俺を冷やかす。

「そんな事ないって!」と俺は照れ隠し。

袋の中身を見たら俺の好きなミルクキャラメルが3粒入っていた。


午後10時、本日の那覇空港は悪天候のため閉鎖され、あたり一面真っ暗になっている。

時折強く吹く風で、格納庫の屋根がギシリと音をたてる。

「おいおい!こんな風の中で離陸できるのかよ!」とタカシ。

「大丈夫だ!」とタナカさん。

「350トンもの機体に30トンのF‐14が積んである。多少風に流されるかもしれないが、離陸には対しては全く影響がないだろう」と俺たちの方を見て珍しくニコリと笑う。

そんな事より悪天候のために空港が閉鎖された事は、極秘任務の俺たちにとっては幸運である。

あとで空港側への下手な言い訳を考えなくても良いからだ。

「さあ出かけるぞ!」と俺。

耐Gスーツを身に付け、ヨシミツと共にF‐14へと乗り込む。

タカシとシズコもジャンボジェット機に乗り込み、格納庫の巨大な扉が開きはじめた。

誘導灯も何もない真っ暗な闇の中へ、F‐14を背中に乗せたジャンボジェット機がゆっくりと出ていく。

通常は自力走行で滑走路まで向かうのだが、今回はお忍びなのでトーイングカーに滑走路まで引っ張っていってもらう。

エンジンを停止させ、航行灯や室内灯などを全て消したジャンボジェット機が静かに誘導路を走行していく。

「アナザースカイよりエンマコオロギ、まもなく離陸する。準備はいいか?」とタカシの声。

「エンマコオロギ了解!準備完了だ!」と俺。真っ暗な滑走路に目をやる。

F‐14のコールサインはエンマコオロギになったが、ジャンボジェット機のコールサインは元々の愛称であるアナザースカイのままである。

ジャンボジェット機が離陸位置に到着し、トーイングカーがはずされる。

「エンジン始動!」とキャプテンシートに座っているタカシの声が無線機を通じて聞こえてくる。

それに続き「了解!」とコパイシートに座っているシズコの声。

風の音しか聞こえなかった滑走路にエンジン音が響きだす。

「エンジン出力正常、計器類全て異常なし」とタカシ。

「よし!離陸してくれ!」と無線の向こうでゴキ。

エンジン音が高くなりジャンボジェット機が滑走を開始する。

戦闘機のコクピットに座り、手ぶらで離陸するのは初めてである。

誘導灯が消えている真っ暗な滑走路を、ノーズギアに付いている着陸灯だけを頼りにジャンボジェット機はどんどん加速していく。


「ブイワン!…ブイアール!」とシズコの声。

ジャンボジェット機の機首が上がり始める。

背中に乗っているF‐14が重たいのか、なかなか離陸しない。

「隊長、なかなか浮き上がりませんね」とヨシミツ。

「そうだな…」と俺がまだ言い終わらないうちに

「ああーっ!滑走路がそこでなくなっていますよ!」とヨシミツがデカイ声。

見ると、近くしか照らす事のできない着陸灯が、もう既に滑走路の終わり部分を照らし出している。

「タカシ!どうした!?」と俺。

「うわー!」とヨシミツの叫び声。

ジャンボジェット機は滑走路の先端部分をかすめながら、ようやく宙に浮き始めた。

「わるい!わるい!」とタカシ。

「那覇空港の滑走路は3000mだったな。俺はてっきり3500mくらいあると思ってよ!ハハハ…」と笑ってごまかしている。

「ハハハ…じゃねえだろ!それくらい事前に調べておけよ!」と俺。

「無事に離陸できたからいいじゃねえか!そんなにガタガタ言わなくてもよー!」とタカシ。

そこへ強い横風がジャンボジェット機に吹き付ける。

「うわっ!ヤバいですよ!」とヨシミツ。

F‐14とジャンボジェット機をつないでいる金属製のアームが、強風でガタガタと音をたてる。

「ネジの締め忘れか何かだろ」と俺。

「そんな呑気な事言ってる場合じゃないですよ!ジャンボジェット機からはずれちゃったら大変じゃないですか!」とヨシミツは一人でオロオロしている。

見ると、さほど揺れていないジャンボジェット機に比べ、俺たちの乗っているF‐14は異常なくらい揺れている。

無線でタナカさんに問い合わせる。

「やっぱり揺れるか?」と無線の向こうでタナカさん。

「多分、はずれる事はないと思うが、一応気をつけておいてくれ」とあたかも他人事のよう。

どいつもこいつもいい加減である。

ジャンボジェット機はレーダーに映らないよう、高度1000mの低空を維持しながらシンガポールへと向かう。

「フー、離陸後のコーヒーは格別だな」

「そうですねー」

と無線の奥からタカシとシズコの会話が聞こえてくる。

「あの二人、コーヒーなんか飲んでますよ!」とヨシミツ。

俺たちは高度1000mの低空を飛んでいるので、まだ酸素マスクを装着していない。

そのためかヨシミツのデカイ声が思い切り耳に入る。

先程から後ろでガタガタとうるさいヨシミツに

「これでも飲んで静かにしてろ!」

とコクピット内の収納ボックスからステンレス製の魔法瓶を取り出し、肩ごしにヨシミツへ渡してやる。

「あっ!これトマトジュースじゃないですか!」とヨシミツ。

「血液輸送時にトマトジュースって隊長も良いセンスしてますねー」と言いながら喉を鳴らしてゴクゴク飲み始める。

「あっ!バカヤロー!文句あるならそんなに飲むんじゃねえ!」と俺。

強引に体を捻じ曲げ、ヨシミツの持っている魔法瓶を取り上げようとする。

「あっ!ちょっと待って下さい!あとひと口…」と往生際の悪いヨシミツ。

「うわっ!バカ!そんな事したらこぼれるだろうが…!」と俺。

ジャンボジェット機の背中に積まれたF‐14の狭いコクピットの中で、俺たちの醜い争いはしばらくの間続いた。


「そろそろ出番だぞ!」とタカシの声。

現地時間の午前2時、俺たちの乗ったジャンボジェット機は、まもなく台風の強風域へと突入する。

後ろで大口を開けて寝入っているヨシミツを起こし、ジャンボジェット機からの離脱準備を始める。

「ヨシミツ!現在位置をチェックしろ!」と俺。

「ふぁい…」とまだ半分寝た声でヨシミツ。

重大任務の前にも関わらず、豪快な高いびきで眠るヨシミツの神経は、俺も一目おいている。

単純にバカなだけかもしれないが…

「現在位置確認OK!レーダー作動異常なし!」とヨシミツ。

「了解!エンジン始動準備完了。エンマコオロギ、これよりエンジンを始動する」と俺。

今までジャンボジェット機の上で、ヨシミツと同じように眠っていたF‐14のエンジンに火が入る。

「エンジン出力正常、計器類全て異常なし。これよりエンマコオロギ、離脱準備に入る」とタカシに無線で連絡する。

「アナザースカイ了解、いつでも離脱OKだ!高度と速度をそのまま維持する。気をつけていけ!」とタカシ。

エンジン出力を対気速度に合わせて調節する。

「航行装置、全て正常!前方、障害物なし!」とヨシミツ。

「よし!離脱するぞ!」と俺。

F‐14とジャンボジェット機をつないでいるロボットアームを解除する。

大した音もせず、静かに両機は離れ始める。

「離脱完了!高度1500mまで上昇する!」とジャンボジェット機に向かって俺。

「アナザースカイ了解!俺たちはここで旋回待機に入る」と無線の向こうでタカシ。

「たいちょー!ガンバってね!ヨシミツ君も気をつけて!」とシズコの声。

ここまでF‐14を乗せてきたジャンボジェット機が次第に遠くへと離れていく。

「なんだか急に寂しくなってきましたね」と離れていくジャンボジェット機を見つめながらヨシミツ。

「おふくろさんが恋しくなってきたか?」と俺。

少しヨシミツを冷やかしてみる。

「そんなんじゃ、ないですってば!」と何故かムキになるヨシミツ。

何を隠そうヨシミツは結構な親孝行者である。

おふくろさんの誕生日や母の日には、必ずプレゼントを買って帰るし、手伝いで食料品の買い出しをしている姿もよく見かける。


「だんだん風が強くなってきましたね」とヨシミツ。

下に目を落とすと海面が風波で、あたり一面真っ白になっているのが暗いながらも見てとれる。

F‐14の風防に当たる雨粒も、幾分強さを増してきたようだ。

「あれっ?」とヨシミツ。

「どうした?」と俺。

「レーダーに何か映ってますけど…」と不思議そうな声でヨシミツ。

レーダー画面に目をやる。

確かに何かぼんやりとしたものが、5時方向あたりから俺たちに近づいてくる。

「こんな悪天候の中、飛んでいる物好きが、僕たち以外にもいるんですねえ」とヨシミツはのんきに笑っている。

「民間機か?」と俺。

「さあ?何でしょうか?」とヨシミツ。

そのあと間髪入れずに

「隊長!レーダーに映っているのは2機です!」と急にデカイ声。

レーダー画面を確認する。

ひとつだとばかり思っていた機影が知らぬ間にふたつに分かれている。

「ヨシミツ!現在位置は?!」

「マレーシアの領空に入っています!」とヨシミツ。

「まずいな…マレーシア空軍のスクランブル発進かもしれん」と俺。

「高度を落とすぞ!」と言いながら俺は操縦桿を倒し、急降下に入る。

「隊長!空戦になったら大変ですよ!こちらは丸腰なので勝ち目がありません!」とヨシミツ。

ヨシミツの言うとおり、このF‐14にはミサイルはおろか、バルカン砲の弾さえも装填されていない。

さすがのジャックもそこまでは持ち出せなかったようだ。

「ああっ!そろそろ機首を上げないと海面に激突しますよ!」と、あせった声でヨシミツ。

「まだ大丈夫だ!」と俺。

台風で真っ白に泡立った暗い海面が、凄い勢いで迫ってくる。

「ウッヒャーッ!」とヨシミツ。

サウナの後、冷たい水風呂の中へ思わず飛び込んでしまった時のような声を出す。

操縦桿を力いっぱい引き上げる。

機体がミシリときしむ音。

海面を大きくえぐりながら、機体の体勢を立て直す。

「フー!隊長はいつもムチャクチャですね!」と大きく息を吐きながらヨシミツ。

俺に言わせれば、土産のことをドサンと読むようなヤツに、ムチャクチャと言われる筋合いはない。

「ヨシミツ!今の高度は?!」と俺。

「ゲッ!ウソ!たったの10mですよ!」とヨシミツ。

どうりで海面の水しぶきが風防にも当たるはずである。

「もう少し高度を上げないと危ないですよ!」とヨシミツは半分裏返った声。

「そんな事はわかってる!相手のレーダーに捕捉されているんだ!これ以上、高度を上げられるか!」と俺。

「ああっ!向こうから高波が…!」とヨシミツは後ろでギャーギャーとうるさい。

俺はそんなヨシミツに構わず、荒れた海面すれすれを時速1200Kmで爆走する。

「ヨシミツ!絶えず高度を確認しておけ!こちらは操縦で手一杯だからな!」と必死に機体をコントロールしながら俺。

「りょ!了解しました!現在高度は9m!対気速度はマッハ1.3です!」とヨシミツ。

飛行機を操縦しているというよりは、猛烈に速いモーターボートを運転しているような感覚である。

強い雨と激しい波しぶきのおかげで、前方の視界もままならない。

「ところでヤツらの動きはどうなってる?」とヨシミツに向かって俺。

「まだこちらに向かっています!」とヨシミツ。

「わかった!旋回して様子をみる!」と言いながら俺は操縦桿を左に倒し、急旋回に入る。

機体を90度傾けたF‐14は、荒れた海面を切り裂くようにして鋭い弧を描きだす。

「うわっ!翼が波に当たりそうですよ!」とヨシミツ。

普通に見れば小さな波でも、音速で飛んでいる俺たちにとってはコンクリートの塊と同じである。

翼を少しでも引っ掛ければ一瞬であの世行きだ。

機体を180度旋回させ、ヤツらの正面に回る。

「隊長!逃げるのなら逆方向じゃないですか!」とデカイ声でヨシミツ。

俺はヨシミツの言葉を無視し、ヤツらに向かって正面から突進する。

「そんな事したらヤツらに撃墜されますよ!」とヨシミツは大慌て。

俺は先程、小さな半島を横切った事を思い出し、その半島の先端に機首を向け始める。

「ヨシミツ!外部燃料タンクの残量は?」と俺。

「まだ半分程残っていますが、それが何か?」とヨシミツ。

「燃料タンクをオトリに使う。地上で爆発させて墜落したと見せ掛けるんだ!」と俺。

レーダーにチラリと目をやる。

「そんな単純な手に引っ掛かりますかねえ…?」とヨシミツ。

偉そうに俺を見下した言い方をする。

「だったら他にいい方法があるのか!」と少しムッとしながら俺。

「いや…その…あの…」とヨシミツは後ろでウジウジし始める。

「レーダーをよく監視しておけ!」とヨシミツに言いながら半島の先端に向かって突き進む。

しばらくすると荒れた海面の向こうに、ぼんやりと陸地らしきものが見えてくる。

「ヨシミツ!ヤツらまでの距離は?」と俺。

「150Kmまで迫っています!」とヨシミツ。

「了解!半島の先端付近に民家などがないか確認してくれ!」

と言いながら俺は機体のスピードを更に上げる。

波間の向こうに見え隠れする陸地が徐々に近づいてくる。

「隊長!半島は全て原生林です。民家などは一軒もありません!」とヨシミツ。

「よし!タンクを投下したら半島沿いに南下するぞ!タンクが爆発したか視認してくれ!」と俺。

操縦桿を軽く引き、高度を少し上げる。

半島の先端付近はゴツゴツした岩場になっているようだ。

少し右に旋回し目標を定める。

「今だ!」と俺。

機体の下に装着されている外部タンクを岩場めがけて投下する。

「どうだ…?」

闇の中にパッとオレンジ色の光が放たれる。

「イエーイ!隊長!やりましたよ!見事爆発しました!」と嬉々としてヨシミツ。

「ヤツらにも見えたんじゃないですか?」と興奮しながら俺に話しかける。

「ああ、この距離まで引き付けたんだ。きっと見えてるはずだ」と俺。

すかさず操縦桿を右に倒し、機首を南に向ける。

「まだ安心できないぞ!ヤツらの動きに注意しておけ!」と俺。

密林の間を縫うように南へと向かって爆走する。

「隊長、ヤツら追っかけてくると思いますか?」とヨシミツ。

「さあな」と俺。

「僕たちの小細工がバレていたりなんかして…」とヨシミツは得意のウジウジした言い方。

「そうかもしれんな」と俺は適当に返事をする。

「あー!隊長!前に山が!」とヨシミツは急にデカイ声。

操縦に全然集中できない。

俺はだんだんイライラしてきて

「ヨシミツ!俺の事はどうでもいいからレーダーをちゃんと監視しておけ!」と叱り飛ばす。

ヨシミツは人生に全く影響がない事でも、すぐにウジウジ考え込む変な癖がある。

以前、ヨシミツはコンビニでコカコーラとペプシコーラのどちらを買ったらいいのか、5分間にわたり迷っていた事がある。

俺はペプシコーラを勧めたのだが、俺の勧める理由には何の根拠もないと言われ、結局話とは全然関係のないジンジャエールを買っていった。

全く困った男である。


俺たちのF‐14はレーダー網から逃れるため、半島から海岸伝いに超低空を飛行しながらシンガポールへと向かっている。

「ヨシミツ!ヤツらの動きは?」と俺。

「燃料タンクを爆発させた地点に向かっているようです。うまくごまかせて引き返してくれるといいんですが…」とヨシミツ。

「わかった!引き続き注意していてくれ!」と俺。

海岸沿いから内陸部へと進路を変える。

山あいの谷を縫うように飛行していると、突然「うわっ!」とヨシミツのデカイ声。

ビックリして山へ激突しそうになる。

「たっ!隊長!ヤツらが爆発地点を通過しました!」とヨシミツ。

「それでもなお、こちらに向かって飛行中です。引き返す気配がありません!」とオロオロした言い方。

「何だって!」と俺。

レーダーを確認する。

ヨシミツの言うとおり、タンクを爆発させた地点をヤツらは既に通り過ぎている。

「やっぱりあんな子供だましの作戦なんかじゃ無理だったんだ」と半泣きでヨシミツ。

「子供だましで悪かったな!」と俺。

やはり、人工物が何一つない大海原と密林の上では、

超低空を飛行したからといって、レーダー網から逃れられるという訳ではないらしい。

「どうするんですか?隊長…」と力のない声でヨシミツ。

既にあきらめモードに入っている。

「こうなりゃ開き直って逃げるしかないだろ!」と俺。

高度を上げてアフターバーナーに点火する。

「隊長!燃料を捨てた事、忘れたんですか!」と急にヨシミツ。

「残燃料が少なくなったのに、燃料を大量に消費するアフターバーナーを使ってどうするんです!」と、あきらめモードに入っている割りには言っている事が的を得ている。

アフターバーナーは急激な加速が得られる反面、大量の燃料を一度に消費してしまうという難点がある。

ヨシミツの言葉で我に返り、急いでアフターバーナーをオフにする。

燃料節約のため速度を上げられない俺たちに、後方から2機の魔の手が凄いスピードで迫ってくる。

「あーっ!もうおしまいだー!」とヨシミツ。

「まだ独身なのに、こんな所で死ぬなんてー!」と後ろでガタガタとうるさい。

俺は「生きていたってどうせ彼女一人もできないくせに…」と言いかけたが、グッとこらえて喉の奥にその言葉をしまい込む。

「そろそろミサイルの射程距離に入りますよ!」とヨシミツ。

「大丈夫だ。すぐには撃ってこないだろう。その前に警告があるはずだ」と俺。

敵意がない事を示すため、機体の航行灯を点灯させる。

だが簡単に捕まるわけにはいかない。

人間ひとりの命とハワード艦長の思いが無駄に終わってしまうからだ。

と、そこへ「マレーシア領空を飛行中のF‐14、応答せよ」と無線が入る。

「隊長、ヤツらですよ…」とヨシミツ。

無線の応答スイッチは切ってあるので相手に声は届かないはずなのだが、何故かヨシミツは声を押し殺している。

俺は不思議に思い「何でこの機体がF‐14だとわかったんだ?」とヨシミツに尋ねてみる。

「そんなの知りませんよ。どこかで調べたんじゃないですか?」とヨシミツは相変わらず何も考えていない返事。

無線からの呼び掛けに何も答えず無視していると、

「マレーシア領空を南下中のF‐14、聞こえていたら返事をしてくれ。こちらはシンガポール空軍だ」と再び無線が入る。

「シンガポール空軍?」と声を揃えて俺たち。

「何でマレーシア空軍じゃなくてシンガポール空軍なんですかねえ…?」とヨシミツ。

「さあな…?」と俺。

現状が今ひとつ把握できずにヨシミツと二人、ワイワイガヤガヤ騒いでいると、

「F‐14エンマコオロギ!いい加減、返事をして下さい!」と無線の奥からイラついた声。

「はあ…?」と俺たちは再び声を揃える。

「何でエンマコオロギの事知ってるんだ?」と俺。

「どこかから情報が漏れたんですかねえ…」とヨシミツ。

俺たちは頭の中が混乱し、お互いにこれから起こり得る最悪の予測を立て合いだす。

しばらくすると「あのー、すいません…」とまたまた無線の声。

「怪しい者じゃないんで、返事をして下さいよ…」と何故か半泣き状態である。

「こんな台風の中を飛んでる事自体が十分怪しい…」とヨシミツ。

「全くそのとおりだな」と俺。

後ろからシンガポール空軍だと名乗る怪しいヤツらがどんどん近づいてくる。

ヨシミツと共に後ろを振り返る。

航行灯を点滅させた2機の戦闘機がはるか遠くに見える。

「まるでライオンに狙われたシマウマ状態だな」と俺。

「隊長!それを言うならトカゲに狙われたコオロギ状態でしょ!」とヨシミツ。

たとえに関してもヨシミツは随分、設定が細かい。

瞬く間にヤツらは俺たちの後ろに接近して二手に分かれ、それぞれ左右に滑り込んでくる。

垂直尾翼一枚に単発エンジンの外観。

見たところF‐16戦闘機のようである。

「こちらシンガポール空軍のテックス1と申します。エンマコオロギ、応答していただけますでしょうか?…」とF‐16からの無線。

声からすると、まだ若いパイロットのようである。

「私たちはハワード艦長の同志です。あなた方を目的地へ案内するためにやってきました」とずいぶん丁寧な挨拶。

「何だって!」と俺たち。

急いで無線の応答スイッチを入れる。

「あんた達は一体何…」と言いかけた俺に向かって、

「突然おじゃまして申し訳ありません!」とテックス1だと名乗るヤツ。

戦闘機乗りにしては珍しく礼儀正しいヤツである。

話によると、どうやらハワード艦長が裏で作戦工作を進めていたらしい。

ハワード艦長に同調するシンガポールの軍人たちが、極秘で俺たちに協力してくれるという話だ。

「隊長!早とちりもいい加減にして下さいよ!」と後ろからヨシミツ。

「隊長のおかげで物凄く無駄な労力を使ったじゃないですか!」とまるで俺が全部悪いような言い方をしやがる。

以前にも俺は首相の乗った旅客機を護衛している際に、近くを通りかかったジャックを敵だと勘違いした事がある。

今回も同じような事をやってしまったのでヨシミツには返す言葉がない。

俺は「すまなかった…」とヨシミツに一言。

ヨシミツは俺が素直に謝ったのでビックリしたのか

「あっ!…、あの…、いえ…」と言葉に詰まっている。

「エンマコオロギ!目標まであと200Kmです!」とすぐ右を飛んでいるテックス1。

「目標となる病院前にも我々の同志が待機しています!」と今度は反対側を飛んでいるF‐16。

こちらのF‐16はテックス1の僚機で、コールサインをメンフィス3と言うらしい。

テックス1やらメンフィス3など名前が覚えにくく言いにくいので、俺たちはテックちゃん、メンちゃんと呼ぶ事にした。

「テックちゃんってさあ、彼女いるの?」と唐突にヨシミツ。

テックス1はテックちゃんと呼ばれた事にうろたえたのか

「はっ!はい!付き合って3ヵ月になる彼女がいます!」と初対面のヨシミツに思わず告白してしまっている。

「えー!いいなー!」と、うらやましそうな声でヨシミツ。

いくら退屈な夜空とはいえ、このような話題しか出てこないヨシミツが情けない。

ヨシミツはその後も「彼女の歳いくつ?」「性格は?」「女優に例えると何系?」などと随分しつこく聞いている。

テックちゃんは真面目なのかそんなヨシミツに対しても、必死になって質問に答えている。

わざわざ俺たちを助けに来てこんな調子では、テックちゃんも先が思いやられるだろう。


目標まであと100Kmとなり、いよいよ台風の暴風域へと突入する。

激しく機体を揺さ振る風と風防に叩きつける大粒の雨で、普通に操縦するのさえ難しくなってくる。

先程までハイテンションで騒いでいたヨシミツも幾分テンションが下がったようだ。

「目標となる病院は突入時に限り、我々の同志が投光機によって照らしだす手筈になっています」とメンフィス3ことメンちゃん。

「血液が入ったポッドは玄関前に設置したエアーマットめがけて投下して下さい」と今度は彼女とラブラブ中のテックちゃん。

俺は「エアーマットの大きさはどれくらいなの?」とテックちゃんに向かって尋ねてみる。

テックちゃんは「あっ!、あのですね、えーと…」と何故か急にあせりだす。

「多分…、車一台分くらいだと…」とテックちゃん。

「そんなに小さいのかよ!」と急にデカイ声でヨシミツ。

あわててメンちゃんが「いや!五台分はあるかと…」と助け船を出す。

「どっちが正しいんだ!」とヨシミツは再びハイテンション。

相手が自分より弱いと感じると異常に威張るのが、ヨシミツの武器である。

結局、目標地点にいる同志と連絡をとり、エアーマットの大きさは10m四方と判明した。

テックちゃんとメンちゃんは若くて真面目ゆえ、突発的な事にはまだアドリブが効かないようである。

だが、いつも適当な事を言って人を落としいれているヨシミツに比べれば、随分マシだと思うのだが…。

「隊長!エアーマットが10m四方あるといっても、20m先にある茶碗めがけて

米粒を投げ入れるのと同じくらい難しいですよ!」とハイテンションのヨシミツ。

「それをやるのがお前の役目だろ!」と俺。

ヨシミツは「えっ!?」と言いながら、その場で瞬間凍結してしまった。

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