6.アナザースカイ

「おーい!テツヤー!」とデカイ声。

昼の3時過ぎ、店の食堂でヨシミツとコーヒーを飲みながら休憩してるとゴキがいきなりドアを乱暴に開け、肩で息をしながら入ってくる。

「ウワッ!びっくりした!」とヨシミツ。

「た、た、大変だ!テツヤ!どうしよう?」とゴキ。

俺とヨシミツは何が大変なのかさっぱりわからないので、最初キョトンとしていたが

ゴキの慌てようがあまりにもおかしいのでヨシミツと二人顔を見合わせて思わず笑ってしまった。

「おっ!お前ら!笑ってる場合か!」とゴキ。

「まあ、これでも食べて落ち着いて下さいよ」とヨシミツはテーブルに置いてある麦チョコをゴキに勧める。

ゴキはおもむろに麦チョコをひとつかみ口に入れると一枚のファックスを俺の前に置く。

送信元は東京国際空港、宛先はスカイウォーカーダイジュ様となっている。

ファックスの内容を読んで俺は思わず飛び上がる。

食堂を飛び出してママチャリにまたがり、基地に向かって立ちこぎする。

ゴキもゴツい運搬用の自転車に乗って俺のあとを追いかけてくる。

基地に着くなり急いで司令室から東京国際空港管理部へと電話をかける。

「早く何とかしてもらえないでしょうか?」と電話口の向こう。

俺は「急にそんなこと言われても困りますよ。もう少し待って下さい」と懇願するが

「このままだと駐機料がどんどん加算されていくだけですよ」と冷たく突き放される。

「はあー」とため息をつきながら受話器を置く。

横で電話のやりとりを聞いていたゴキが

「このまま放置しておけば莫大な金額を請求されかねないぞ。ウチにはそんな予算はないし…困った…」と頭を抱える。

そんなところへ後から追いかけてきたヨシミツが司令室へと入ってくる。

「どうしたんですか?二人とも…」と心配そうな顔でヨシミツ。

「これを見ろ!」とゴキ。ファックスをヨシミツの前にかざす。

「えー!うそー!隊長宛にアメリカからジャンボジェット機が届いたんですかー!」


「トゥルルルルル…」と電話の音。

夜の10時、動物のドキュメンタリー番組を観ながら涙をこらえてウルウルしていると

「あんた電話よ」とミユキ。

電話に出るなり「お久しぶりですテツヤさん!」という声。

「もしかしてバージルか?」と俺。

「ジャンボジェット機送りましたけど喜んでいただけましたか?」とバージル。

俺は「やっかいな代物を送りつけやがってこのやろう」と思ったがバージルの気分を害さないように気を使いながら、

気持ちはうれしいが受け取る事ができないので送り返すというような事をやんわりと伝える。

「えー!そんなー」とバージル。

俺は中野基地には構造上ジャンボジェット機が着陸できないことや、他の空港に預けるにしろ

莫大な駐機料がかかるし、そして何よりジャンボジェット機をもらう件は以前きっちりと断っていることなどを挙げ、何とか送り返せないかとバージルを説得する。

だが、「親父が男同士の勝負で約束を守らないのはけしからんって怒っているんですよ!

命まで救ってもらった恩を忘れたのかって怒鳴られましたし…」とバージルにもいろいろ事情があるらしい。

「とりあえず駐機料などの諸経費はこちらで何とかしますので…」と言うバージルの言葉にひとまず安心し電話を切る。

俺の電話での会話を聞いていた義父が「テツヤ君、今の話は本当か?」と聞いてくるので首を軽く縦に振ると

「こっ!これは中野市制始まって以来の一大事だ!」と一人で騒ぎ出している。

「また一波乱ありそうね」とミユキ。

「まあ、がんばって!」と笑いながら俺が飲み終わったビール瓶を片手に台所へと入っていった。


数日後、店の入り口やレジ周りに「チャーター機で行く沖縄ツアー3泊4日へ抽選でご招待!」とポスターが張り出される。

「旅行へ招待だなんて初めてなんじゃないの?」とショッピングカートを片づけながらシズコが

ポスターを見ている俺に近づいてくる。

そこへちょうど社長が通りかかる。

「おおテツヤ!この企画いいだろう?先日アメリカから届いたジャンボジェット機で行こうと思うんだがお前、操縦していってくれないか?」といきなり平然とした顔でムチャクチャな事を言う。

俺は思いきりズッコケてやろうかと思ったがお客がいるので思いとどまり

「ひとことも相談なしで勝手に決めないで下さいよ!」と社長に詰め寄る。

その様子を見たゴキがあわてて飛んできて俺をなだめるが、社長は

「お前の事だからジャンボジェット機くらい軽く操縦できるだろう」とひとこと言ったあと、ニコニコ笑いながら店の奥へと消えていった。

「またやっかいな事になったな」とタカシが帯状になった値札シールを手にぶら下げながら近づいてくる。

「いかなる困難でも逃げずに真正面から立ち向かっていくのがお前の信条じゃなかったのか?」

とタカシに痛いところを突かれる。

「でも今回はちょっとなあ」と俺。

タカシは値札シール振り回しながら

「少なくともFー15よりは快適な空の旅が楽しめると思うぜ。俺も協力してやるから一発ビシッと決めてみないか」と俺に笑いかける。


一週間後、Fー15で東京国際空港羽田へとタカシと共に向かう。

羽田空港へ到着しジャンボジェット機が格納されている大きな建物の中に入っていく。

間近にみる機体はさすがにデカイ。これを大型客船に例えるならさしずめF−15は公園の手こぎボートだろう。

機体はまだ何もペイントが施されてなく、銀色の外板が照明に光り輝いている。

「これはジャンボジェットのダッシュ400型で装備の電子化により二人乗務で運行できるようになっています」と係りの人から説明を受ける。

「座席数は569席あり就航当時は世界最多の座席数を誇っていた機体です」という説明に俺達は

「へー」とか「ホー」意外の言葉を忘れてしまっている。

「で、何か質問はありませんか?」とボケーっと突っ立っているだけの俺たちに係りの人が話しかける。

俺は我に返り「操縦はどんなもんでしょうか?」と肝心な事を聞いてみる。

「えっ!ご自分で操縦されるおつもりですか!?」と係りの人。

「はっ、はい…」と何故か申し訳なさそうに俺。

「まず無理だと思いますよ。通常、他の機種からこの機種に乗り換えるのに最低6ヶ月の

訓練が必要となっています。これはあくまでも大型ジェット旅客機に何年も乗務していたパイロットを対象にしての話ですがね」と冷たくあしらわれる。

「戦闘機とは比べものにならないくらい挙動が鈍いですし重量がある分、慣性もかなりつきますので操縦は経験があるパイロットに頼まれたほうがいいのでは…」と係りの人。

そこへ遠くのほうから「カツン、カツン」とこちらに向かってくる足音が聞こえてくる。

「やあ、お久しぶり!」とその人。

肩章がついた紺のジャケット、袖には金の4本ライン。

「あっ、ヨシカワさん!」と俺。

「お前、知り合いなのか?」とタカシ。

「ああ、首相の護衛をやった時に政府専用機の機長をされていたヨシカワさんだ」とタカシに紹介する。

「どうも初めまして」とタカシ。ヨシカワさんと握手する。

「一度フライトシュミレーターで操縦を体験されてはいかがですか?

操縦できるかどうかはそれから判断すればいい」と微笑みながらヨシカワさん。


後日、再び羽田空港。

今日はF−15をすべてオーバーホールに廻しているので

在来線と新幹線を乗り継ぎ3時間程かけてここまでやって来た。

俺とタカシの他にヨシミツとシズコまでもが用もないのにおもしろ半分で付いてきている。

「ヨシカワさーん!」とシズコ。待ち合わせ場所に現れたヨシカワさんに駆け寄っていく。

「やあ、来てくれたんですか」とヨシカワさんも久しぶりに会うシズコに目を細める。

「早速ですが用意してありますので行きましょうか」とヨシカワさん。

俺たちのためにわざわざこの日、シュミレーターを空けておいてくれたらしい。

扉を開けるとそこには家と言ってもおかしくないほどの大きさのシュミレーターがドーンと据え付けられている。

思わず「うわー」と声の出る4人。シュミレーターの内部へと案内される。

「このシュミレーターは実機と全く同じに作られているのはもちろんですが、機体の振動や離着陸の際に強く吹く横風なども実際と同じように体験できます」とヨシカワさん。

早速コクピットにタカシと二人で座る。

俺の座った左側のキャプテンシートから見るとエンジン出力を調節するスラストレバーが

戦闘機とは逆の右側に付いている。

そして何よりの違いは操縦桿がスティック型ではなく両手で握るような半円形になっている事だ。

ヨシカワさんから前面にあるディスプレイの見方や各種計器類の位置、そしてレバーやスイッチなどの操作方法をおおまかに聞く。

「基本的にこれだけ理解していればジャンボジェット機を飛ばすことができます。残りの事柄は順次やっていきましょう」と言いながらヨシカワさんはシュミレーターのスイッチを入れる。

カラーディスプレイや計器類に明かりが灯りだす。窓の外には実際の景色と変わらない鮮明な画像が写し出される。

ヨシカワさんの指示通りエンジン出力を少し上げタキシングを開始するが、いきなりひとつ目の曲がり角でメインギアが脱輪、操縦中止となる。

「たいちょー、いつ飛ぶんですかあ」とシズコ。

「ハハハ、機体の大きさを考えて下さい。メインギアはコクピットより相当後ろにありますから…」とヨシカワさんは苦笑い。

再び挑戦。何とか滑走路までたどり着き、エンジン出力を最大にして滑走を開始する。

普段カタパルトによって打ち出されている俺にとって、この加速の悪さは少々イライラする。

機首上げ速度に達した所で操縦桿を軽く引く。

ゆっくりと機首が上がり続いてメインギアが地面から離れる。

地面からの振動がなくなりコクピットが静かになってところでタカシがランディングギアレバーを操作し車輪を胴体に格納する。

「じゃあまず最初のポイントに向かいましょう。方位270度に旋回して下さい」とヨシカワさん。

言われたとおり操縦桿を左に回すが、すぐには機体が反応しない。

イラついて更に操縦桿を切ると、やっと機体が左に傾き始めた。

しばらくして警報が鳴り始める。

「ああ…!機体を傾け過ぎてますよ。ほとんど真横になっているじゃないですか!」とヨシカワさんがあわてる。

急いで操縦桿を逆に切るがすぐには戻らない。

「おいおい!回り過ぎたぞ!早く逆に旋回しろ!」とタカシ。コクピットの中は大騒ぎである。

なんとか、ひととおりのコースを廻り、最後の着陸では「ドスン!」と大きな衝撃。

「えっ!もう接地したの?」と俺。

タカシが「わざわざ接地までの距離を100メートル間隔でカウントダウンしてやったのに何やってんだよ!」と怒っている。

「そんな事言ったって最初からわかるかよ!」と俺も逆ギレ。

「おおっ!早く逆噴射しないと滑走路を飛び出しますよ!」とヨシカワさん。

あわてて逆噴射レバーを倒すが、時すでに遅しである。機体は見事に滑走路を突き抜けた。


コクピット後方の座席にすわり、今のフライトでの問題点や注意点をヨシカワさんより厳しく指摘される。

操縦席には代わってヨシミツとシズコが座り「ワハハ!キャハハ!」と騒ぎながらムチャクチャな操縦をして遊んでいる。

ヨシミツは「最高速度更新だ!」と言いながらマッハ1さえも出ないジャンボジェット機を急降下させマッハ2以上で飛ばしているし、シズコはシズコで機体を宙返りさせようとして途中で失速し墜落しそうになっている。

それを見ながらクスクス笑っている俺に気づいたのかヨシカワさんが二人に向かって

「おやおや!一台何億円とする機械ですから壊さないようにして下さいよ!」とあせっている。

結局丸一日かけ、やっと離陸から着陸までの行程がとりあえずはこなせるようになった。


「おい!ちょっと俺に代われ!」

「バカ野郎!今始めたばかりだ!」

自宅のリビング、夜8時。

ゴールデンタイムのテレビをタカシと陣取り、プレステの旅客機操縦ゲームを二人で奪い合いながらやっている。

「そんなので操縦できるようになるんですか?」と首をかしげながら義母。

「観たい番組があるんだが何とかならんか…」と困った顔で義父。

そしてミユキが

「いい大人が二人で何やってんだか…」とあきれている。

結局深夜11時にタカシが操縦桿を可動範囲以上に回して「バキッ」と壊すまで俺達の練習は続いた。


「弁償ですよ!弁償して下さい!」と眉をつり上げてヨシミツ。

翌日の夕方、精肉のバックヤードで昨晩タカシがぶち壊した旅客機操縦ゲームのコントローラーをヨシミツに謝りながら返す。

「そんなに怒るなよ。今夜カラオケおごってやるからさ!」と俺。

「じゃあ好きな物を好きなだけ頼んでいいですか?」とヨシミツ。

「そんなの、お安いご用さ!」と調子に乗って俺。

結局タカシと折半でヨシミツをカラオケボックスに招待するという事で事態は何とか収まった。


「何でお前までついてくるんだよ!」と誘ってもいないのにノコノコついてくるシズコに向かって俺。

シズコは下手の物好きというか音痴のくせにカラオケ好きである。

以前、珍しく民謡を歌っているシズコを感心して見ていたら、実は森高千里の「17才」を熱唱していた。

「いいじゃん!だって男ばかりのカラオケなんてつまらないでしょ!」とシズコ。

今日のメンバーをよく見ると俺とタカシ、そしてヨシミツとシズコの他に整備長のタナカさんや整備隊の若い連中が数人、そして何故かゴキまでもがニコニコ笑いながらついてくる。

「お前らはカラオケ代、自分で払えよ!」とタカシがあせりながら整備隊の若い連中に叫んでいる。

部屋に入るなり、いきなりゴキが谷村真司の「昴」を入れて歌い出す。

途端にみんなのテンションが下がり、一日の疲れがドッと出る。

ヨシミツはインターホンでビール、酎ハイ、ワイン、ピザ、そして焼きそば、トンカツ定食などメチャクチャな数を注文している。

「今日は俺のおごりだあ!」と若い連中にヨシミツ。

それを聞いてタカシがいきなり鮮やかな回し蹴りをヨシミツのケツにヒットさせたのは言うまでもない。

「そういえば招待旅行の詳細が決まったぞ」と「昴」を歌い終えてごきげんのゴキ。

「招待客は全部で400名だ。飛行機に空きが169席できるからお前達の家族も連れていっていいぞ」と額にびっしりとかいた汗をハンカチで拭いながらゴキが続ける。

ゴキが持っている旅行の詳細が書かれた紙を、隣で覗き見していたタカシがいきなり「えー!」と大きな声。

「おっ!おい、何だよ」と俺。

「出発まであと一ヶ月しかないぞ!」


4日後、なんとかヨシカワさんとスケジュールを合わせ、とりあえず俺一人で実機訓練に臨んだ。

タカシは明日の売り出しの準備に人手が足りず、やむなく今回は断念した。

屋外に出された巨大な機体へタラップを使って乗り込む。

コクピットの位置が地上から10メートルくらいはあるため、眺める景色は最高にいい。

戦闘機と比べると滑走路の端まで非常によく見渡せる。

「さあ行きましょうか」と右側のコパイシートに座っているヨシカワさん。

慎重に機体をタキシングさせ無事に滑走路の入り口まで到着。

管制塔に離陸許可をもらい滑走路へと進入する。

「キーン」という音と共に巨大な機体が滑走開始。だが燃料をほとんど積み込んでいない為か、

身軽な機体は滑走路の真ん中あたりで浮かび上がる。

空港の上空を離脱したのを確認し、ひとつめのポイントに向かって慎重に旋回を始める。

「いいですよ、その調子!」とヨシカワさん。

だがテレビゲームのやりすぎで、子供だましみたいな操縦桿に慣れてしまった手は何だかぎこちない。

やはり本物は本物でありゲームはあくまでもゲームである。

でも今回は、いざとなったら隣のヨシカワさんに操縦を代わってもらえるので少しは心強い。

滞りなくひととおりのコースを無事巡り滑走路に着陸。

ヨシカワさんには「ナイスランディング!」と拍手をもらった。

駐機所に戻ったあとはコクピットでの座学である。

通信機器や予圧装置、またトラブルがあった場合の対処法などヨシカワさんの講義は夜遅くまで続いた。


「ここにパンツ入れておくからちゃんと毎日履きかえなきゃだめよ!」とミユキ。

旅行の出発日まで2週間。

結局、操縦技術が出発まで間に合いそうにもないという理由で俺とタカシは東京で合宿する事になってしまった。

店は本社からの助っ人で何とかまかない、基地はヨシミツとシズコが休みなしで待機するという事でみんなに迷惑をかける事となった。

「じゃあ行ってくる」と俺。

庭にいる愛犬ガバチョの頭を撫で、ガレージのスズキアルトに乗り込む。

タカシを家まで迎えに行き、東京へ向かって車を走らせる。

途中で立ち寄ったサービスエリアでフランクフルトを食べながら休憩していると

「あの人シンクロの人じゃない?」と観光バスから降りてきたおばちゃん。

途端に俺達の周りにおばちゃん達の人だかりができる。

「写真撮って!」「サインして!」とおばちゃん達は俺をケツで「ドン!」と脇へ追いやりタカシ一人に群がっている。

天皇陛下の訪問で一躍中野基地は全国的に有名になったが、ルックスのいいタカシとシズコが大々的にテレビに映ったおかげで俺とヨシミツはほとんど出番がなかった。

「ちょっとあんた!シャッター押してくれる!」とおばちゃんにカメラを強引に押しつけられるありさまである。

おばちゃん達に殺到されてヘロヘロになったタカシを車に引きずり込み、逃げるようにサービスエリアを後にする。

タカシのフランクフルトについていたケチャップとマスタードは、おばちゃん達の服によってきれいに拭かれ跡形も残っていなかった。


翌日の朝、空港近くのホテルから機体が置かれているハンガーへと車で向かう。

ホテルからハンガーまではちょうどタバコ一本分の距離だ。

今回の合宿はホテル代から受講料のようなものまでが全部バージル持ちである。

おまけに民間の旅客航空会社では事業用操縦士資格や定期運送用操縦士免許などを持っていることが必要らしく、俺達がジャンボジェット機を操縦する事に対して役所や省庁などがひと騒ぎしていたが、なんとアメリカ大統領の口利きでそれらもすべて免除になった。

日本はアメリカには弱いのである。

ハンガーに着いてからしばらくするとメガネをかけた神経質そうな男がこちらの方へと向かってくる。

服装からして多分パイロットだろう。

髪型は理想的な七三分けになっている。

昨日よりヨシカワさんは太平洋路線を飛んでいるとかで、代わりの教官がしばらく俺達の指導をしてくれる事になっている。

俺達の前に立ち「サエキと申します。よろしく」とその男。

銀縁のメガネに軽く手をやる。

俺達も「よろしくお願いしまーす!」と笑顔で挨拶するが、サエキと名乗るメガネの男はそんな俺達に笑顔ひとつ見せず、クルリと回れ右をしたかと思うとスタスタと一人でタラップの方に歩いていった。

仕方なく俺達もあとについて行こうと思った矢先、メガネの男はタラップの一段目でつまずき、

「ガン!」という大きな音をたてて階段におもいきり膝をぶつけた。

「ううっ!」と言いながらその場にうずくまるメガネ男にあわてて俺達は駆け寄る。

「おい大丈夫かよ!すごい音がしたぜ!」と見事な転び方に半分笑いながらタカシ。

俺は笑いをこらえるのに必死で声が出せない。

メガネ男は何も答えず必死に痛みを我慢しながら足を引きずるようにしてタラップを登っていった。

コクピットでの座学が始まる。

ヨシカワさんと違ってメガネ男は、ひととおりの講義の後には毎回情け容赦ない質問を俺達に浴びせかける。

「これは先ほど説明したでしょう。聞いてなかったんですか?」とか

「何回も同じ事を言わせないで下さい」など質疑応答が結構手厳しい。

午前中の座学が終わりタカシと昼食を摂りに航空会社の食堂へと入る。

トレーにおかずやご飯などを乗せ、空いている席を探していると一人でテーブルに座り、

何かゴソゴソやっているメガネ男の姿が目に留まる。

「ここ空いてますか?」と俺。メガネ男に声をかける。

メガネ男は一瞬とまどった様子を見せたが「ああ、どうぞ」と俺とタカシに目の前の席を勧める。

俺達が食べ始めるとメガネ男はおもむろに工事現場の人たちが持っているようなランチジャーを取り出し、中からご飯やおかずの入った容器をテーブルに並べ始める。

「愛妻弁当ですか?」と笑いながら聞く俺に何も答えず、メガネ男はみそ汁の入った容器のふたを開けようとして失敗し、テーブルの上に中身を全部ぶちまけた。


「おい、あの教官何か鈍くさくないか?」とタカシ。

「私生活はあんな風でもパイロットとして有能ならいいんじゃないのか?」と俺。

食事の後、自販機コーナーでタカシとコーヒーを飲みながら休憩していると

「ああ!ここにいたのか!」と言う声。

見ると仕立ての悪そうな背広を着た、太ったおじさんが俺たちの方に向かって歩いてくる。

「君たちに宿題だ。ホレ!」と太ったおじさんは傲慢な態度で俺達のテーブルに何か書類を投げ出す。

「これは?」とテーブルに投げ出された数枚の紙を指さして俺。

「君たちの資格免除という特例措置の代わりに、国土交通省から毎日レポートを提出して欲しいとの以来が来た」とそのおじさん。

「何でだよ!」と少し怒った口調でタカシ。

いかつい目をしたタカシにビクついたのか

「あっ!私はただこれを届けに来ただけなんだが…」とおじさんは急におとなしくなる。

聞くところによるとおじさんは、俺達を指導してくれている航空会社の総務部の人間で、本当に書類を届けに来ただけらしい。

おじさんが帰ったあとも

「国土なんとかの書類を届けに来ただけで、なにいばってやがるんだ、あのデブは!」とタカシはまだ機嫌がなおらない。

優遇するからレポートを毎日提出しろとは役所や省庁の考えそうな事である。

こんな考えだから税金の無駄遣いは今だに直らないのであろう。


「なぜ滑走路のセンターラインをはずしたんだね。偏流を計算していないからこういう事になるんだよ。もう少しマシかと思っていたけどこんなにひどいとはね」と午後からの飛行訓練で着陸を終えたばかりの俺に向かってメガネ男。

タカシには「なぜあそこであんな操作をしたのかね?もう少し適確な判断をしないとあとがないよ」と午前中より更にエスカレートしている。

ハラワタが煮えくりかえっているような表情のタカシを何とかなだめながら午後の飛行訓練は無事終了。

飛行後の反省をした後、先ほどもらったレポートをメガネ男の前に置く。

「これは何かね?」とメガネ男。

タカシが「国土なんとかが毎日レポートを提出しろってさ!」とふてくされた言い方をする。

俺が「ここに教官のコメントを書いて欲しいんですが」と教官コメント欄を指差すと、メガネ男は「フウ」とため息をつきながらレポートを手に取りながめ始める。

と急に「ガバッ!」と身を起こすメガネ男。

タカシが「うわっ!びっくりした!」と椅子ごと後ろへひっくり返りそうになる。

メガネ男は更にメガネをかけなおし、同じところを食い入るように見つめている。

しばらくたったあと「シマタニさん、短期間でよくあれだけ上達しましたね」と笑顔でメガネ男。

タカシには「飛行のたびにうまくなっていますよ。その調子で頑張りましょう」と先ほどまでとは打って変わって随分態度が違う。

驚いて目をパチクリさせている俺達を尻目にメガネ男はきれいな字で熱心にコメントを書き込んだあと

「それじゃあ、また明日もよろしくお願いします」とずいぶん丁寧に頭を下げ部屋を出ていった。

「おい、一体どうしたんだ?あのメガネ」とタカシ。

返してもらったレポートをタカシと二人で読み返す。

コメント欄には丁寧な字で

「呑み込みが早く指導する私も驚いています」とやら「熱心な態度を私も見習いたいと思います」などと良い事ばかりが書き綴られている。

訳がわからず呆然としている俺に向かって

「これだよ、これ!」とタカシ。

レポートの隅にある一角を指さす。

そこには「本日の教官について指導方法や適性など、気づいた事があれば遠慮なくお書き下さい」とプリントされていた。


「おはようございます!」と朝からデカイ声。

俺達がハンガーに着くと、そこにはもうメガネ男が先に来て待っていた。

「今日もよろしくお願いします!」とまたデカイ声でメガネ。

昨日とは手のひらを返したような態度の違いに俺とタカシはただボーっとメガネ男を見ているだけである。

「さあさあ!どうぞどうぞ!」とメガネ男は張り切って俺達をコクピットへと案内する。

俺達のあとにつづいてメガネ男もコクピットに入ろうとしたら「ガン!」とドアの角に頭を思い切りぶつけた。

これで少しはテンションが下がるだろうなと思っていたら何の事はなく、講義の合間にはあめ玉をくれるわ、頼んでもいないのに缶コーヒーを買ってきてくれるわで気持ち悪いくらいに待遇がいい。

おまけに昼食時には俺達の分までサンドイッチを作ってきてくれた。

「そんなに気を使わないで下さい。俺達、教官に対するコメント欄には変なこと書きませんから…」と俺が言うと

「そっ、そんな欄があるのかね。いっ、いやあ知らなかったなあハハハ」とごまかし方がバレバレである。

その日からヨシカワさんが帰ってくるまでの数日間はまるでVIPのような扱いであった。


10日間の合宿を終え帰ってきたら、出発日まで4日となっていた。

店では業務の合間に招待客のリストをチェックしながら先方に電話をかけて確認をとったり

旅行でみんなに配るお菓子を袋詰めしたりと随分あわただしい。

「何でこんな事、店でやらなくちゃいけないんだよ!本社の仕事だろ!」と受話器を片手にリストを確認しながらヨシミツ。

シズコは隅のテーブルでリボンを使い、何かを作っている。

「何やってんだ?」と俺。

「旅行でみんなが胸に付ける花を作ってるの」と起用にリボンを手でひねりながらシズコ。

「まさか俺達は付けなくてもいいよなあ」と笑いながらタカシ。

シズコは「迷子になるといけないから全員付けるって言ってたよ」と平然とした顔で作業を続ける。

今どき団体旅行で旗を先頭にゾロゾロ歩くのはともかく、胸に花を付けている旅行客がいるのだろうか?

タカシが頭を抱えてうなだれている。あいつは外出時のファッションには結構うるさいのだ。


出発当日、お客の集合時間の早朝6時に合わせ、俺達はなんと1時間前の朝5時に集合させられた。

昨日は休業日前の売り尽くしで忙しかったのと、4日間店を休みにするために夜遅くまで後かたづけをやっていたのでみんな半分寝ているような顔をしている。

5時30分に東京まで行く貸し切りバスが店の駐車場に到着。

急いで自分たちの荷物とジュ−スやビールなどが入った箱をバスのトランクに積み込んでいく。

しばらくするとお客がゾロゾロと集まりだし、それぞれ胸にリボンの花を付けられた後にお菓子の詰め合わせをもらい、次々とバスに乗り込んでいく。

今回は俺達の家族も連れていけるので、俺やタカシの家族の他にヨシミツやシズコなどの家族も顔を見せている。

愛犬のガバチョもひとり置いていくわけにいかず、無理を言って旅行に同行させてもらえるようになった。

だが肝心のガバチョは大勢の人に驚いたのかミユキの横で尻尾を下げたままへたり込んでいる。

事前に予想していたとおり遅刻者が絶対一人は出るとの計算で集合を30分繰り上げていたのが幸いし、出発は予定通り6時45分となった。

15台のバスを連ねて駐車場を出発する。

俺は6号車の責任者となっていたので出発直後からジュースやビールを配ったり、お年寄りの要望に応えて朝早くからカラオケをセットしたりと大忙しである。

途中、タカシがおばちゃんの餌食になったサービスエリアなどを経由し、昼前に羽田空港に到着。

急いで機体の離陸準備にとりかかるため駐機所へと向かう。

俺達のジャンボジェット機は注文どおりピンク色に全体を塗装され、機首のあたりには

この機体の愛称である【アナザースカイ】(※日本語訳 もう一つの空)の文字が英字で書かれている。

そしてその上にオバQやハイジのペーター、そしてドラえもんやキティーといったF−15の

キャラクター達を機体全体に散りばめている。

派手さではポケモンジェット顔負けである。

タカシの服装も光沢のある黒のスラックスに説明のしようがない変な柄のシャツ。

そして赤のカーディガンにレイバンのサングラスとこちらもヤンキー顔負けである。

今回のフライトではヨシカワさんの航空会社より客室乗務員を10名お借りし、それに加えヨシミツやシズコなど、うちの会社から10名を選出。

計20名で客室の管理を行うようになっている。

運行前に操縦士である俺たち二人と客室乗務員全員がキャビンに集まり、出発前のブリーフィングを始める。

一応今回の機長である俺が本日のフライトプランなど大まかな事を伝達し、タカシが気象条件などの細かいことを説明していく。

女性で40才前後くらいだと思われる客室乗務員のチーフからはヨシミツやシズコたちに最低限の知識と緊急時の簡単な対処法などの説明がされる。

とは言ってもヨシミツやシズコたちはお客にビールやジュースなどを運ぶお手伝いさんをするだけなので細かい事は時間の都合で省かれる。

「では、よろしくお願いします!」と俺の声で全員解散、各自持ち場に着く。

しばらくするとバスが連なってこちらのほうに向かってくるのがコクピットから見える。

このジャンボジェット機は特別チャーター機となっているので通常の駐機スポットとは

別の場所に駐機されている。

従ってお客はバスで機体のそばに乗り付けたあと、タラップを登って機内へと入るわけである。

そのバスも空港のバスではなく中野基地から乗ってきたバスをそのまま横付けするため、まさしくドアからドアへ、至れり尽くせりの招待旅行である。

「お父さーん!」とコクピット後方より子供の声。

タカシの下の娘がお菓子の入った袋を手にコクピットへと入ってくる。

続いてタカシの奥さんと上の娘。

最後にミユキがトートバックを肩に掛け、ガバチョを連れて入ってきた。

コクピット後方にある4つの座席は俺たちの家族によって占領される。

気分はまるで家族で行くドライブ旅行だ。

ガバチョはせわしなくあたりを警戒して、臭いを嗅ぎまくっている。

恐らくジャンボジェット機のコクピットに入った雑種犬はガバチョが世界で最初だろう。


離陸準備の合間にはタカシに娘たちが「はい!お父さん!」

と言いながらチョコやキャンディーを口元まで運んであげている。

ほのぼのとしたホームドラマのようである。

だがヤンキー顔負けの服装をしているタカシがコクピットにいるのはとても違和感を感じる。

ガラの悪い男がゲームセンターの飛行機操縦ゲームをひとりで占領しているみたいだ。

かくいう俺もジーンズにパーカーという軽装なので、タカシの事をとやかく言える立場ではないが…


客室乗務員よりドアの閉鎖が完了したとの連絡が入る。

タラップが機体より外され、代わりに機体を後ろへ押してくれるトーイングカーが

コクピットの前に着けられる。

管制塔にエンジン始動の許可をもらいエンジンを始動する。

コクピットのディスプレイにある出力ゲージで4基のエンジンが正常に作動しているか確認したあと、プッシュバックの許可がおり、トーイングカーが機体を後ろへと押し始める。

ゆっくりと後退していく機体を車のバックと同じ要領で操縦桿横にあるステアリングを操作しながら誘導路の方向に機首を向けていく。

足元のラダーペダルでも機体の方向を変えることができるが、それだけでは大きくターンする事はできないのである。

トーイングカーが外されいよいよタキシングを開始する。

スラストレバーを少し開け、フットブレーキをゆるめると350トンもの巨体がゴトリと動き始めた。

横ではタカシが手元のレバーを操作しながらフラップを離陸位置にセットしている。

その後ろでは子供達がAKB48の最新曲を合唱し大騒ぎだ。

ガバチョはというとミユキの膝の上でおとなしくしている。

メインギアを誘導路から脱輪させないよう慎重にコーナーを曲がりながら滑走路の手前に到着。

客室乗務員へ座席につくようキャビンにつながるマイクで指示をする。

着陸する中型機を1機やり過ごして滑走路へと進入、スラストレバーをゆっくりと全開にする。

「ゴー!」という重厚な音を立てながら機体は徐々に加速していく。

さすがに沖縄までの燃料と500人以上の人間を乗せている機体は訓練の時とは違い重たく感じる。

タカシがどんどん上がっていく速度計を見ながら「ブイワン!ブイアール!」とコールする。

機首上げ速度に達したところで操縦桿を手前に引くと、機体はゆっくりと地面を離れた。

「わあ!飛んだ飛んだ!」と後ろでは子供達が大騒ぎである。

タカシはランディングギアを格納しながら管制塔と交信しているが、子供達がうるさいためか相手の声が聞き取りにくいようだ。

だがそんな時でもタカシはむやみに子供達を叱りつけたりはしない。

自分の子供に対しては、ものすごく甘い父親なのだ。

高度500メートル付近で離陸出力から上昇出力へとエンジンを絞る。

機内がぐんと静かになる。

タカシが出力ゲージを見ながら4本のスラストレバーを細かく操作し、4基のエンジン出力が均一になるよう調節している。

高度が3000メートルを越えた所で機体の安定を確認し、オートパイロットのスイッチを入れる。

あとは事前にコンピューターへ入力したコースどおり、飛行機が勝手にウェイポイントと呼ばれる航路上の標識を順繰りにたどって目的地まで連れていってくれる。

まさしく快適な空の旅である。

お昼もかなり過ぎているので客室では用意した弁当が配られているはずである。

今回はコストと手間を省くため招待客には機内食ではなく、地元の業者に頼んだ弁当を用意した。

招待客以外の俺達はなんと弁当持参である。

座席の背もたれを倒してタバコに火をつけたばかりの俺にミユキがコーヒーを差し出す。

タバコを片手に窓の外の景色を眺めながらコーヒーを楽しむ。

戦闘機では考えられない光景だ。

ちなみに民間の航空会社は客室はもちろんのことコクピットも禁煙だが、俺達のジャンボジェット機は全席喫煙OKである。

タカシの家族も弁当を広げ始めた。

ミユキは持参した三段重の弁当箱を空いている場所に並べタカシ達に勧めている。

子供達はミユキの豪華な弁当に「わあ!」と声を弾ませる。

何を隠そうミユキは職業柄、料理の腕前は一流なのである。


「おい!テツヤ!一杯やらないか!」と陽気な声。

トイレに行こうとコクピット後ろの上部デッキに出たところでタナカさんに声をかけられる。

酒には目がない俺なので、周りの人間が本当に飲むと思ったのかタナカさんを黙らせようと大騒ぎになっている。

飛行機での飲酒は気圧の関係で地上よりも数倍酔うのが早いので、普段あまり酔った事のないタナカさんも顔を真っ赤にしている。

「おおテツヤ君!これでも食べて体力つけてがんばって操縦してくれよ!」と少々酒が入ってごきげんの義父がポテトチップスの袋を俺に手渡す。

今、食べてもポテトチップスの栄養が効いてくるのは着陸した後だと言おうとしたが、とりあえず笑いながら袋を受け取る。

結局、社長やゴキに呼び止められるわ、ヨシミツやシズコの両親に挨拶するわで、トイレまでの往復で15分以上かかってしまった。

コクピットに戻ると「ずいぶん遅かったじゃねえか。ウンコでもしてたのか?」とタカシ。

弁当を広げていたミユキや子供達は一斉に「ブッ!」と吹き出す。

タカシは少々デリカシーに欠ける男なのである。

その後は言うまでもなくタカシは子供達に、こっぴどく叱られていた。


俺たちのジャンボジェット機は焼津上空から進路を南西にとり太平洋上へと出た。

これからはしばらくの間、退屈な大海原を延々と飛ばなければならない。

しばらくすると東京コントロールより俺たちの向かっている先に国籍不明機が現れ、現在自衛隊機が確認に向かっているという連絡が入る。

「おい、やな予感がするなあ」とタカシ。

「心配ないよ。民間機が襲われた事はまだ一度もないんだぜ」と俺。

だが心の片隅には俺もタカシと同様いやな予感が漂っている。

先ほどもらったポテトチップスをかじりながらコーヒーをすすっていると

「ダイジュ999便、進路上で国籍不明機2機と自衛隊機2機の間で空戦が発生。直ちに進路変更して危険空域を離脱せよ!」と無線が入る。

あわててコーヒーとポテトチップスを投げだし、オートパイロットを解除して陸地の方角に向かって旋回を開始する。

「タカシ!キャビンにシートベルトのサインを!それと客室乗務員のチーフに連絡をとってくれ!」と俺。

タカシはチーフに乱気流の中へ突入する恐れがあるので乗客に説明するよう、うまくこの事態を

ごまかしている。

「おいおい!こっちの方向に近づいてくるぞ!」とレーダーを見ながらタカシ。

見ると4つの機影がもみ合いになりながらこちらの方へと近づいてくる。

ただならぬ俺たちの気配にミユキやタカシの家族たちが心配そうな顔をしてこちらを見ている。

「大丈夫だ。すぐに収まるよ」と俺は笑いながらミユキたちをなだめる。

ガバチョだけはそんなことより俺が床に投げ出したポテトチップスのほうが気になっている様子だ。


「ダメだ!戦闘空域に巻き込まれる!」とタカシ。

エンジン出力をめいいっぱい上げてはいるが、ジャンボジェット機の速度はたかが知れている。

4つの機影はどんどん俺たちに近づいてきている。

「うわ!ニアミスだぜ!」とタカシ。

俺たちのすぐ上をかすめるように前から一機の戦闘機が猛スピードで俺たちとすれ違う。

その直後にもう一機の戦闘機も高速でそれを追いかけていく。

「自衛隊機が敵に追いかけられているぞ!大丈夫か?」と身を乗り出して外を見ながらタカシ。

その直後「ピピピ!」と言う何やら聞き慣れない音がコクピットに響く。

タカシと二人で音の原因を捜す。

俺は前面にあるカラーディスプレイを見て飛び上がる。

「おい!ロックオンされたぞ!」とタカシに向かってディスプレイを指さしながら俺。

そこには戦闘機と同じようにレーダー照射を受けたときにでる警告メッセージが出ている。

「何で旅客機にこんな機能がついているんだ?」とタカシ。

ふとディスプレイの横を見ると今まで気づかなかったが「アドバンスモード」と記された小さなボタンが点滅してしているのが目に留まる。

タカシと顔を見合わせながら試しにそのボタンを押してみる。

「ピー!」と甲高い音がしたかと思うと俺とタカシの目の前に戦闘機と同じ様なヘッドアップディスプレイがせり出してきた。

それと同時に今まであった操縦桿が収納され、代わりに俺たちが普段使い慣れているスティック型の操縦桿が足元から延びてきた。

「うわ!すげえぜこれ!」とタカシ。

俺はキャビンに通じるマイクで客室乗務員も全員座席に座りシートベルトを着用するよう指示を出す。

ただならぬ状況を察知したのかヨシミツとシズコがコクピットに飛び込んでくる。

コクピットの変貌ぶりに二人が唖然としていると「ビー!」という警告音と共にそこら中のランプが赤一色に染まる。

「やべえ!ミサイルを撃ってきやがった!」とタカシ。

「フレアーがどこにあるか探せ!」とタカシに言いながら俺は機体を急旋回させる。

後ろのミユキたちは「キャー!」と言う悲鳴。

かろうじてミサイルから回避。

はずれたミサイルが何もない空に向かって飛んでいくのをコクピットからも確認できる。

「このままではいつかやられるぞ!」とタカシが横の窓から必死に真後ろの敵を確認しようとしている。

だが戦闘機と違って旅客機の視界はすこぶる狭い。

後ろからシズコが「それなあに?」と新たに飛び出してきたコントロールパネルの中のひとつの

ボタンを指さす。

「バックモニター」と記されたそのボタンを試しに押してみる。

「うお!」っとタカシ。

見るとタカシ側のカラーディスプレイが切り替わり、ジャンボジェット機後方の視界を映し出している。

遠くには敵戦闘機がぴったりと俺たちの後ろに付いている。

そこにまた「ピピピ!」とロックオンされた事を告げる警告音が鳴り響く。

「うわ!今度こそやばいですよ!」とヨシミツ。

「バックモニターに何やら照準みたいなのが付いているぞ」とタカシが言うので

操縦をタカシ側に切り替える。

とそこへ赤い閃光が数発、コクピットの両脇をかすめる。

「ああっ!バルカン砲を撃ってきましたよ!ハギワラさん何とかしないと!」

とタカシに向かってヨシミツ。

タカシは後ろの敵に照準を合わせ「ガン」と記された機銃と思われるスイッチを入れ

操縦桿に付いているトリガーを引く。

と同時にバックモニターからは後ろの敵に向かって飛んでいくバルカン砲の閃光が映し出される。

見事バルカン砲は敵に命中。エンジンから黒煙と炎が噴き出す。

風防がはずれ、敵のパイロットが脱出したところでバックモニターの視界から機影が消える。

「うわっ!すごいすごい!」とシズコが飛び上がっている。

「敵のパイロットもまさかジャンボジェット機の後方からバルカン砲で撃たれるなんて思っても

みなかったでしょうからビックリしているでしょうね!」とヨシミツも興奮している。

「しかし凄い装備が付いているジャンボジェット機だな。エアフォースワンでもここまでの装備は付いていないと思うぜ」とタカシ。

そこへ無線機を通じて

「こちら航空自衛隊!後方の敵機が振り払えない!至急援護を頼む!」と緊迫した声が耳に入る。

いくら危ない状況といえど乗客を500人以上乗せている旅客機に援護を求める戦闘機は

今まで聞いたことがない。

だが、この自衛隊機が撃墜されれば俺たちも相当やばい状況になる。

仕方がないので「ダイジュ999便了解!ただいまより援護に入る。方位270度方向に旋回してくれ」と自衛隊機に無線を入れる。

操縦をタカシから譲り受け、自衛隊機を追っている敵に向かって旋回を開始する。

敵から逃れるため急上昇する自衛隊機に向かってタカシが

「おい!急上昇するな!こちらが旅客機だって事考えろ!」と怒鳴っている。

「ああっ!今度は急降下に入りましたよ!」とヨシミツ。

「しっかりつかまっていろよ!」とミユキたちに言いながら操縦桿を倒し敵機を追いかけるため急降下に入る。

ミユキたちはジェットコースターの3倍くらいの絶叫度にもう声も出せないでいる。

すばやく動く戦闘機をものすごく動きが鈍いジャンボジェット機でとらえるのは至難の業である。

まるでねずみを大型トラックで追いかけているような感じだ。

「早く右に旋回しないと!」「ああー!今度は左ですよ!早く!」と後ろにいるヨシミツとシズコが俺の苦労も知らず、好き勝手にわめき立てている。

敵機が自衛隊機に向かってバルカン砲を撃った瞬間、一瞬敵の動きが止まった。

その瞬間を見逃さず瞬時に敵機をロックオン、ミサイルを発射する。

コクピットの下あたりから打ち出されたミサイルが敵に向かって一直線に飛んでいく。

敵は意表を突かれたのか、あわてて閃光弾を放出しながら旋回するも間に合わずミサイルを左の翼にくらい、スピンしながら視界より消えていった。

「やったー!」とヨシミツとシズコ。

後ろを振り返るとミユキたちは放心状態のまま座席でぐったりとしている。

だがガバチョだけは今の混乱にまぎれて俺が床に投げ出したポテトチップスを全部食べ尽くしていた。

ヨシミツとシズコは座席も何もないところに立っていたのだが、さすが戦闘機乗りと言うべきか

ケロリとした顔をしている。

キャビンに通じるマイクで乱気流通過の際に迷惑をかけた事を乗客に詫び、機体を元の航路に向かって旋回させる。

窓の外には自衛隊機が2機並んで飛んでいる。どうやら2機とも無事だったようだ。

この騒動でかなり無駄な燃料を消費したが何とか沖縄まではもちそうである。

ディスプレイ横にある「ベーシックモード」というボタンを押すと再び「ピー!」という

甲高い音をたてながらコクピットが元の状態に戻っていく。

タカシとふたりで機体損傷の有無や気圧、油圧、電圧系統、そしてエンジンの状態などをチェックした後、俺はキャビンの様子を見に行くため、ヨシミツとシズコを連れてコクピットを出る。

タカシは東京コントロールに先ほど起きた状況を無線で連絡している。

コクピットの後ろにある上部デッキでは案の定、弁当の容器や紙コップなどが散乱し、

乗客はもちろんのこと乗務員までもが全員ぐったりとしている。

が、先ほど泥酔していたタナカさんだけは今の騒動で酔いが覚めたのか

「おいテツヤ、今のは乱気流じゃないだろう。何があったんだ?」としっかりした口調で俺に話しかける。

俺は小声で今起きた状況をタナカさんに説明し、下の階の様子をヨシミツとシズコに見に行かせたあと床に散乱した紙コップなどの容器をタナカさんと二人で片付け始める。

そこへ「ウーン」とうなり声を上げながら弁当の容器に顔を突っ込んでいたゴキが、ご飯粒やソースの付いた醜い顔をこちらに上げる。

「テツヤ、いったい何があったんだ?」と左半分にご飯粒、右半分にとんかつソースのついた汚らしい顔でゴキが尋ねる。

俺はタナカさんに説明した内容と同じ事を再びゴキに説明し、乗客へ上手にごまかしてくれるよう頼む。

ゴキはキャビン全体に通じるマイクを使って、鼻にかかった半分裏返ったような感じの声で、

今の状況を乗客にうまくごまかして説明してくれている。

まるでスーパーの店内において本日のお買い得商品の案内を放送しているような感じである。

ゴキの流暢な語り口を聞いて、気を失っていた客室乗務員や乗客が次々と起き始める。

みんな顔や服に食べ物や飲み物などの汁をベッタリと付け、悲惨な状況である。

乗客の一人は「なんで私がこんな目にあわなきゃいけないのよ!」とゴキに詰め寄っているし、

俺は俺で「あんた本当に飛行機を運転した事があるんか!」と酔っ払いのお年寄りに怒鳴られている。

機内は瞬く間に一大修羅場と化してしまった。

下の客席からはヨシミツとシズコが上がってきて、

「隊長!機内はパニックです!何とかして下さい!」と言ってくるし、

ゴキはご飯粒の付いた真っ青な顔で「テツヤ!どうすればいいんだ!」と、慌てふためいている。

更にコクピットからはタカシが

「テツヤ!何をモタモタしてるんだ!早く戻ってこいよ!」とマイクで呼び付けるわで、まるで俺一人が悪者のような雰囲気になってしまった。

仕方がないのでヘタばっている社長を強引に起こし、意識が朦朧としている間にお客に一人5000円分の買い物券進呈と夕食にてお酒の飲み放題を追加サービスさせる約束を取り付ける。

更に男性客にはコンパニオンの接待サービスと高級ブランデーのボトルサービスも追加させた。

ボトルサービスは俺が飲みたいので追加したのだが、コンパニオンの接待サービスは大いにウケて、事態は終息に向かっていった。


客室の片付けも一段落し、コクピットへと戻る。

コクピットでもミユキの作った三段重の弁当箱が散乱し、床に落ちたオカズをガバチョが尻尾を異常に振りながら、うれしそうに食べあさっている。

今回の騒動でいちばん得をしたのはガバチョかもしれない。

「客室の様子はどうだったんだ?」と何も知らない呑気なタカシ。

柿ピーを食べながらコーヒー片手に笑っている。

俺はタカシから柿ピーを手のひらへ山盛りに分けてもらい、

一気に口へ放り込んだあと、モゴモゴ言いながら客室の状況をタカシに説明する。

「それは大変だったなあ」と他人事のようにタカシ。

柿ピーの袋を口に当て、底に残ったカスをザーッと口の中に流し込む。

俺は人の苦労も知らないで呑気に菓子なんかを食べているタカシに少し腹が立ったので、袋を持っているタカシの手を軽く叩いてやる。

「あーっ!」とタカシ。

袋の口が口元からはずれ、柿ピーのカスがタカシの変なガラのシャツにしこたまこぼれ落ちた。


日も少し傾きかけてきた。

俺たちのジャンボジェット機は徐々に沖縄に近づきつつある。

途中、とんでもないトラブルに遭遇したため、時間は定刻より大幅に遅れている。

客室がメチャクチャになった割りにはケガ人が奇跡的に誰ひとり出ず、とりあえずはひと安心である。

だが、民間航空会社なら、俺のようなパイロットは即刻クビであろう。

戦闘機乗りが旅客機を操縦するのは、やはりすぐには無理だったかもしれない。

目的地が近づきジャンボジェット機は徐々に高度を落とし始める。

あらかじめコンピューターに入力したデータどおりにジャンボジェット機は

自分で勝手に高度を落とし始め、おまけに速度調整までしてくれている。

この機体は自動操縦のまま着陸までできてしまうハイテク機なので、

うちのガバチョでも教えれば操縦できるかもしれない。

だが、すべてコンピューターまかせというのも不安なので、高度1000メートルを切った所で客室にシートベルトのサインを出し、手動操縦に切り替える。

タカシは高度と速度の両方を見ながらフラップを適切な角度に調整している。

最後のウェイポイントを過ぎたところでタカシがギアダウン。

車輪が出た事により機体の空気抵抗が増したのを何となく肌で感じる。

那覇空港の管制塔に着陸の許可をもらい、滑走路に向かって機体を大きく旋回させる。

すっかり日も落ち、あたりは真っ暗になっている。

遠くの方では滑走路の誘導灯がチカチカと点滅して、俺たちに、こちらへ降りろと教えてくれている。

速度を失速寸前まで落とし、着陸に備える。

タカシはフラップの角度を目一杯落とし、翼の揚力を最大にする。

着陸地点まで残り1Kmの電波標識を通過、

タカシが「ワンハンドレット!」と着地までの残り高度のカウントダウンに入る。

進入角度は良好、滑走路が目前に迫ってくる。

「フォーティ…、サーティ…、トゥエンティ…、テン!」とタカシ。

機首を上げエンジン出力を絞る。

次の瞬間、機体が軽くきしむ音。

車輪が接地した事を知らせる滑走路からの振動がコクピットにも伝わってくる。

最初に接地するメインギアとウイングギアは接地と同時にブレーキがかかるようになっているので、上を向いている機体が徐々に水平になっていく。

コクピット下のノーズギアが接地した瞬間、逆噴射レバーを入れる。

機内にエンジン音が響き渡り逆Gがかかる。

機内にはお年寄りや子供も乗っているので、ブレーキのかけ具合には随分気をつかう。

また変な操縦でもしようものならタダでは済まないかもしれない。

今さら遅いと言われればそれまでなのだが…。

速度が時速60Kmまで落ちたところで逆噴射停止。

あとはフットブレーキを使って時速20Kmまで減速させる。

無事、着陸完了。

コクピット後ろの座席ではタカシの子供たちが「お父さん!すごい!すごい!」と大騒ぎである。

「イエーイ!」とタカシは子供たちとハイタッチ。

俺もミユキの方に手を差し伸べハイタッチを試みたが、ミユキは答えてくれなかった。

仕方がないのであとでガバチョとでもやろうかと思う。

管制塔の指示に従い誘導路に入り、今回の駐機場所である38番スポットへと向かう。

後ろではミユキやタカシの家族らがイソイソと降りる準備を始めている。

タカシが「まだシートベルトのサインが消えてないぞ!」

と子供たちに叫んでいるが、当の本人たちは全く聞いていない。

ガバチョもトイレに行きたいのかクンクン鳴き始めた。

コクピットでオシッコでも漏らされたらたまらないので、勝手に機体のスピードを上げ駐機スポットへと急ぐ。

時速20Km制限の誘導路を時速40Kmで飛ばしたので、あっという間に38番スポットに到着。

マーシャラーの指示に従い機体を駐機スポットに停止させる。

やれやれと思いタバコに火を付けようとしたら、

「あんたちょっとガバチョを散歩させてやってくれる?」とミユキ。

「えー!何でだよ!まだ運航後チェックが残っているんだぜ!」と俺。

「ここ掃除したいからタバコ吸う暇あったら手伝ってくれてもいいんじゃない?」

と弁当の汁などで汚れたコクピットを見渡しながらミユキが睨みつける。

タカシが「俺ができる所だけやっといてやるから行ってやれよ」と更に追い打ちをかける。

ガバチョの顔色も青ざめているような気がしたので、仕方なくリードを引っ張ってガバチョを外へ連れ出す。

乗客が殺到している機体出口の脇をすりぬけ、

乗客が向かう到着ゲートとは別に下へ降りる階段でグランドへと降りる。

荷物を運ぶ車や整備車両が忙しく行き交う中、のんびりとガバチョの散歩に付き合う。

ガバチョがジャンボジェット機のタイヤにオシッコをかけていると、

「おーい、テツヤ!」と、聞き覚えのある声。

どこかで見た事のある金髪の角刈り頭がこちらへ向かって走ってくる。

「おお!ジャック!何でここにいるんだよ!?」とビックリしながら俺。

ガバチョは突然の訪問者に驚き、尻尾を丸め俺の後ろへ隠れている。

「ちょっと野暮用があったんでここへ立ち寄ったんだ。ジャンボジェット機の下で犬を散歩させている変わったヤツがいるなと思って見ていたら、まさかお前だったとはな」と笑いながらジャック。

「こいつが噂の愛犬ガバチョか?」とジャックはガバチョに触ろうとしたが、小心者のガバチョは俺の周りをチョロチョロと逃げ回り、ジャックに触らせようとしない。

「しかし、随分派手な旅客機だな」とピンクの機体にオバQやドラえもんなどが描かれたジャンボジェット機を見上げながらジャック。

「この機に乗っていた乗客だけど、何故かみんな小汚い格好してたんだが、お前何か知ってるのか?」とジャックは不思議そうな顔をして俺を見る。

俺はこのジャンボジェット機はバージルからの戦利品で、俺が羽田からここまで大変な思いをして操縦してきた事などをジャックに告げる。

「えー!マジかよ!どうして早く教えないんだよ!これ売ったら一生酒びたりの生活が送れるぞ!」と相変わらずジャックらしいコメントが返ってくる。

そこへ「ジャックさーん!」とシズコの声。

ヨシミツと二人、こちらに向かって走ってくる。

「やあ、シズコちゃん!久しぶり!」とジャック。

シズコはタックルするみたいな勢いでジャックに抱きつく。

「どうしてここにいるの?」とシズコ。

ジャックはシズコにヘロヘロした、だらしない顔を見せながら、

「シズコちゃんの顔を見にわざわざ遠くからやってきたんだぴょーん」と

どこかの酔っ払いオヤジみたいなセリフを吐いている。

シズコはシズコで「キャーうれピー!」と、時々街で見かけるバカップルが交わしていそうな会話である。

そんな二人を尻目に、ヨシミツがひとりポツンと取り残され、ガバチョを連れて少し離れた所でイジケながら遊んでいる。

「ヨシミツ!イジケていないでこっちに来いよ!ジャックに紹介するからさ!」とヨシミツをこちらへ呼び付ける。

ヨシミツはガバチョの頭を撫でながら

「全然イジケてなんかいませんよ!」と何故かムキになる。

どうやらまた俺の余計なひとことが出たらしい。

いつもミユキに怒られるのだが、なかなか直らない。

ヨシミツに沖縄名物のソーキそばをごちそうしてやるという約束で気分を直させジャックに紹介する。

二人はガッチリ握手。ヨシミツの方が少し背が高い。

ジャックは俺と同じくらいの背丈なのでアメリカ人にしては小柄な方だろう。


機体の運航後チェックも終わり、コクピットを出る。

下の客室に降りていくと、ヨシミツやシズコ、そして客室乗務員らと機内清掃業者のおばちゃんたちが、メチャクチャになった客室を大方掃除し終えたところであった。

その中の一人のおばちゃんが俺とタカシに向かって

「あんた達、ここで何やってるの?乗客はとっくに降りてるわよ!いつまでもウロチョロしてるんじゃないわよ!」と怒っている。

俺たちはパイロットとは到底見えないラフな格好をしているので、おばちゃんが怒るのも無理はない。

そばにいた客室乗務員がおばちゃんに走りより、事情を説明している。

事情がわかったおばちゃんは俺たちの全身を見渡しながら「あら、そうなの!」と言ったあと、

俺たちに詫びることもなく、気まずさをごまかす為か不自然な高笑いをしながらその場を去っていった。

残りの機内清掃はそのおばちゃんたちにお任せし、俺たちは機内で簡単なデブリーフィングを済ませる。

機外へ出て到着ロビーに着いたところで再びジャックに呼び止められる。

見るとジャックの隣には、どこかで見たことのある中年の紳士がこちらを向いて微笑んでいる。

「やあ、テツヤ君。元気だったかね?」とその人。

「あっ!ハワード艦長!」と俺。艦長のそばに駆け寄る。

海軍の制服を着ていなかったので一瞬、誰だかわからなかったが、まさしくジョージ・ワシントンのハワード艦長である。

少し離れたところから「かんちょー!」とシズコの叫び声。

シズコは多分、ハワード艦長の事を呼んだと思うのだが、発音が便秘の時に使う薬と同じ発音だったので、到着ロビーにいる大勢の人達が一斉にシズコの方を振り向く。

シズコがハワード艦長に駆け寄ると、みんなの視線はハワード艦長に集中する。

艦長は苦笑い。

だが、屈託のない笑顔を見せるシズコには、さすがのハワード艦長もタジタジの様子である。

「ところでテツヤ君、ひとつ相談があるんだが…」とシズコに抱きつかれ、困った表情をしながら艦長。

「えっ!何かあったんですか?」とビックリして俺。

ジョージ・ワシントンの艦長ともあろう偉い人から相談を受けるのは生まれて初めてである。

「ここでは何だから、今夜君の泊まっているホテルへお邪魔するよ」と言い残しハワード艦長はジャックと共に出口の方に向かって歩いていった。

「相談って何だろう?」と隣でシズコ。

ジャックやハワード艦長に逢えたのが、よほどうれしかったのか、シズコはまだ歯をむき出しにして満面の笑顔のままである。

「さあな、子供のお使い程度の簡単な話ではないだろうな」と俺。

「じゃあ大人のお使いだとしたら高級ブランド毛皮とかバッグなんかを探してきてくれって事かなあ。何か買ってもらえちゃうかも!」と目を輝かせてシズコ。

俺は脳天気すぎるシズコにもう何も言う気がせず、ひとりで出口に向かって歩き出した。

外へ出ると少し離れたところに迎えのバスが15台、所狭しと並んでいる。

俺が担当の6号車に乗り込むと、早速車内からはブーイングの嵐。

俺はジャンボジェット機の操縦が乱暴だった為、乗客がみんな怒っているのかと思ったが、実はそればかりではないらしい。

バスの運転手の話では乗客がバスに乗り込んでから既に1時間以上も待たされているようだ。

乗務員の俺たちが機内から出てくるのには、最初からかなりの時間がかかるという事はわかっていたので、先に乗客だけをホテルに送っていけばいいものを、何故かうちの会社はそういう所には全く気が回らない。

スーパーダイジュは融通のきかない会社なのである。

怒り心頭のお客たちを何とかなだめ、今夜の宿泊先であるホテルへと向かう。

ホテルまでは30分くらいの道のりだが、こんな短時間でもオバサンたちは、飲み物をよこせだのカラオケを入れろだの、もの凄くうるさい。

今まで一度も聴いた事のないほど古いド演歌を聴きながらオバサンたちの世話をしていると、程なくホテルに到着。

駐車場にバスがまだ止まらないうちからオバサンたちは先を争って降りる準備を始めている。

バスの出口付近はおしくら饅頭状態でバスの先頭付近にいた俺は身動きがとれなくなった。

ところ天のように俺はオバサンたちと共に車外に押し出される。

何もそんなに急ぐ必要はないと思うのたが、オバサンたちは何故か皆小走りである。

ホテルのロビーでは570人もの小汚い格好をした人間がドッと押し寄せたので、

ホテルの従業員や他の宿泊客たちが少しパニックになって立ちすくんでいる。

今回は団体旅行なのでフロントに出向くのは代表者だけでいいはずなのだが、それでもオバサンたちは用もないのにフロントに殺到している。

まるでゾンビの集団がフロントを襲っているようである。

旅行添乗員から説明を受けたオバサンたちはベルボーイたちに連れられ、やっとロビーを後にする。

お客が全員部屋へ向かったのを確認したあと俺たち社員も部屋へと案内される。

ここのホテルではペットの持ち込みは禁止されているのだが、俺とミユキはガバチョを無理矢理大きめのボストンバッグに押し込み、他には内緒でこっそり持ち込んだ。

息ができないとガバチョが死ぬかもしれないので、バッグのファスナーを少しだけ開けてある。

ガバチョの鼻先が少し出ているバッグをベルボーイが運ぼうとしたが、あわててバッグを掴みやんわりと断る。

下手に取り扱われてガバチョが「ワン!」とでも言おうものなら一巻の終わりだからである。

大したバッグでもないのに俺が異常なくらい慎重に運んでいるので、ベルボーイが怪しんでいるのかチラチラとこちらを見ている。

冷や汗ものでやっと部屋にたどりつき、ベルボーイをそそくさと追い出したあと、ガバチョをバッグから解放してやる。

この部屋は4人部屋で俺とミユキ、そして義父と義母が泊まる事になっている。

窮屈なバッグから解放されたガバチョはあたり構わず部屋中の臭いを嗅ぎまくっている。

そこへドアをノックする音。

ドアを開けるとタカシの家族たちがドヤドヤと入ってくる。

「ひとっ風呂浴びてこようぜ!」とタカシ。

すでにホテルの浴衣に着替え、タオルでねじり鉢巻きをしてタカシは準備万端である。

子供たちがガバチョとジャレあっている間に洗面所で着替え、ガバチョひとりに部屋の留守番をさせ、全員で大浴場へと向かう。

大浴場は俺たちの団体でごった返し、まさしく芋洗い状態である。

さすがに俺とタカシは大浴場で入浴する気がなくなり、そそくさと外へと出る。

義父は意地でも入りたいらしいのでそのまま放っておく事にする。

ミユキたちも出てこないので仕方なく館内をブラブラと歩いていると、粗末なゲームコーナーが目に留まる。

年甲斐もなくタカシと二人、人目もはばからずに昔懐かしいエアーホッケーで盛り上がっていると、俺たちを呼び出している館内アナウンスで我に返る。

「やばい!もうこんな時間だ!」と時計を見ながらタカシ。

俺も壁にかかっている時計を見て飛び上がる。

宴会の始まる時間から既にもう30分以上も過ぎている。

急いで宴会場へと走る。

「お前、何で早く気付かなかったんだよ!」と言いながらタカシは浴衣のすそをめくり上げて走っている。

「お前があんな所でムキになるから、こんな事になったんじゃねえか!」と俺もスリッパをペタペタ鳴らしながら半ギレ状態。

お互い、罪をなすりつけ合いながら宴会場へと到着。

ふすまを開けると、なんとゴキが目の前で仁王立ちしている。

それを見て「うわ!」っと二人揃ってうしろにひっくり返りそうになる。

「お前がいないから俺が代わりに乾杯の音頭をとったんだぞ!」と俺に向かってゴキ。

何故か半泣き状態である。

ゴキの言うとおり乾杯の音頭は当初、俺がやる予定になっていたが、俺が見当たらないのでゴキが代役をやらされたようである。

アドリブがきかないゴキは、あいさつの段階から噛みまくり、お客の前で恥をかくわ、社長に怒られるわで散々な目にあったようだ。

遅れてきた事をゴキに笑って詫びながら自分の席に着く。

隣の席ではミユキが俺の事など何ひとつ心配している様子もなく、目の前の料理を食べまくっている。

そんなミユキを尻目に、お酌をしながらひととおりのお客に挨拶をし終えた頃には、返杯の酒でかなり酔いがまわってしまった。

ヨシミツやシズコたちと先ほどのゴキの話で盛り上がっていると、

「シマタニ様、お客さまですよ!」と言う声。

振り向くとホテルの仲居さんの後ろでハワード艦長とジャックがものすごく真剣な顔をして立っている。

「あっ!艦ちゃん!」とハワード艦長に向かって俺。

酔っ払って気が大きくなっているせいか、いきなりタメグチである。

艦長が今夜ここに尋ねてくると言っていた事を、俺はすっかり忘れていた。

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