3.ジョージ・ワシントン
「俺は今、ジョージ・ワシントンに乗艦しているんだ。そこの乗組員なら誰でも知ってるぜ。何しろ日本から戦闘機を操縦して民間人が来るのは初めてだからな、みんな大騒ぎになってるよ」とジャックは笑いながら答える。
と、その時政府専用機から無線が入る。
「スカイウォーカーダイジュ、何があったんだね?」と心配そうに機長のヨシカワさん。
俺は怪しい機影の正体は米軍機であった事と、乗っているパイロットは自分の知り合いで、これから一緒に護衛に参加してもらう事を告げる。
「ああ…それならよかった。いやあ…一時はどうなるかと思ったよ…」とヨシカワさんはひと安心の様子。
「おいジャック。俺たちをビックリさせたお詫びに護衛に付き合えよ」と無線を入れる。
「わかったよ!」とジャックは吐き捨てるように言いながら俺の横に滑り込む。
ジャックの機体はF/A-18、通称スーパーホーネットと呼ばれるアメリカ海軍の戦闘機だ。
俺たちのF−15は単座の一人乗りだが、ジャックが乗っているF/A-18は見たところ複座型のF/A-18Fのようで、操縦と兵装が分かれている複座の二人乗りである。
「ジャック、お前の後ろに乗っている相棒を紹介してくれよ」とコクピットにいるジャックを横目で見ながら俺。
ジャックはあわてて俺のほうを振り向き、手で合図しながら
「ゴメンゴメン、すっかり紹介するのを忘れてたよ。相棒のナタリーだ」と俺に紹介する。
「よろしくテツヤ。あなたの噂はジャックから聞いてるわ」と女性の声。
俺はまさか女性だとは思いもしなかったので急にあせってしまい「あっ!こちらこそ…よろしく…」としか言えなかった。
ジャックはそれを聞いて「お前は相変わらずだな!相手が女だとわかると急に態度が急変する。昔から全然変わってないな」
と大笑いしている。
「それよりお前の向こうを飛んでいる可愛い猫ちゃんを紹介してくれよ」とシズコの機体を見ながらジャック。
俺は「ああ…、部下のシズコだ」と一言だけ紹介する。
「よろしくおねがいしまぁーす」とまさしく猫なで声でシズコ。
ジャックは意表を突かれたのか「えっ!…あっ…えー!」としか言わない。
俺は大笑いして「ジャック!お前もよく人のことが言えたもんだな!俺より態度が急変してるぜ!」と今のお返しをしてやる。
パイロットのジャックは俺と同い年の33才。アメリカ本土に妻と一男一女を残し、現在単身赴任中である。
一方レーダー要員のナタリーはシズコよりふたつ年上の27才。話を聞くと以前ニューヨークでダンサーを目指して勉強していたらしいが、ふとしたきっかけで海軍に入隊し現在に至るらしい。
年が比較的近いせいかシズコとナタリーは意気投合し、首相の護衛中なのも忘れて無線を使って夢中になっておしゃべりしている。シズコはジョージ・ワシントンにヴィトンショップや免税店はあるのかやら馬鹿な質問をしているし、ナタリーはナタリーでそんな馬鹿げた質問にまじめに答えている。
俺とジャックはそんな会話に入る隙間もなくコクピットの風防越しに顔を見合わせ、ジャックは呆れたというようなゼスチャーで手のひらを上に向け首を横に振っている。
だがお互い酸素マスクとサンシールドで顔を覆い隠し、昆虫のような顔になっているので、表情まで確認する事はできない。
太陽も西へ傾きだし、そろそろ夕暮れがせまりだした頃、政府専用機から無線が入る。
「スカイウォーカーダイジュ、そろそろ安全空域に入る。ここまでのエスコートどうもご苦労様でした。帰路もまたよろしくお願いします」と機長のヨシカワさん。
俺は機体を専用機のコクピットが見える位置に移動し
「どうも!まだ先はもう少しあるから脇見をしないで安全運転でお願いしますよ!」
と風防越しに手を振りながら答える。
シズコも専用機の向こう側でコクピットに向かって手を振っている。
「ハハハ、そちらこそお気をつけて。帰る時には空母での話よろしければ聞かせてください」と笑いながらヨシカワさん。
「そちらこそよかったらハワイのお土産、お願いしますね」と俺。
するとシズコが「あっ!わたしシャネルのお財布、頼んでもいいかなあ…」といきなり話に割り込んでくる。
「バカ!俺が言ったのは冗談だ。本気で頼むな!」とシズコを叱り飛ばす。
「あら、どんなのがいいの?買ってきてあげてもいいわよ」と急に女性の声。
羽田空港で一緒にコーヒーを飲んだフライトアテンダーのチーフが俺たちの無線のやりとりを聞いていたらしい。
「えっ!本当にいいんですかあ?キャー!うれしー」とシズコ。
早速シズコはどのようなタイプの財布とか、金額はいくらくらいまでなら大丈夫など、必死になって説明している。
「お金のことは心配しないで。今日のお礼に私からのプレゼントよ」とフライトアテンダーのチーフ。
「やったー!ラッキー!」とシズコは声を弾ませる。
まったく遠慮というものを全く知らない困ったヤツである。
俺は俺でそんなシズコが少しうらやましくなりついつい「いいなー。俺もバハマ産の葉巻きでも頼もうかなー」と独り言のように言ったら
「よろしければ私からプレゼントしましょうか?」と機長のヨシカワさんが急に割り込んできてビックリする。
俺はシズコへの示しがつかないので心とは裏腹に
「冗談ですよ!ご心配なく」とさり気なく遠慮する。
それを聞いていたジャックが
「テツヤ!遠慮するな。もらえる物は何でももらってしまえ!」
と俺の心を見透かしたかのようにしゃしゃり出てくるので思わずあわててしまい
「黙れジャック!余計なこと言うな!」とつい口調を荒げてしまった。
欲しいものは何の躊躇もなくもらってしまうシズコやジャックのような性格が本当にうらやましい。
政府専用機が安全空域に入りハワイの方向へ軽く旋回を始めた。
俺たちもそろそろ空母へ向かう準備をするため専用機の反対側を飛んでいるシズコをこちらへ呼び寄せる。
シズコは機体をクルリと反転させながら専用機の上を通過し俺とジャックの後ろに着いた。
「ジャック、案内よろしく頼むぜ」と俺。
「案内するのは航法担当のナタリーだ。俺はただ操縦してるだけだよ」とジャック。
F/A-18Fは操縦と航法を二人で分担しているのでパイロットは操縦だけに専念できる。
それに比べ俺たちのF−15は操縦も航法も全て一人でやらなければならないので、操縦がやたら複雑で面倒である。
「それじゃあナタリーよろしく」と俺はナタリーの方に向かって手で合図をする。
「了解、テツヤ。はぐれない様にちゃんと付いてきてね」と俺のほうを向いてナタリー。
「ジャック、左へ25度旋回して。テツヤ、シズコ行くわよ」とナタリーはキビキビした口調で指示を出す。
ジャックとナタリーの機体が旋回に入る。俺たちも政府専用機のコクピットに向かってお別れの合図をしながら旋回に入る。
専用機が徐々に俺たちから離れていく。あちらはこれから南国のパラダイスへ。俺たちは太平洋上に浮かぶ鋼鉄の船に2泊3日。
えらい違いである。できる事ならあちらの機体に飛び移りたい気分だ。
ジャックとナタリーの機体は旋回を終え、徐々に高度を落とし始める。俺とシズコもそれに続く。
「テツヤ、艦に着いたら久しぶりに飲まないか?みんなでパーッと盛り上がろうぜ」とジャック。
「オッ!いいねえ。またお前の作ったマティーニ飲ませてくれよ」と喉を鳴らしながら俺。
ジャックはカクテル作りが趣味で、いつもカバンの中にはシェーカーやミキシンググラスなどと共に小瓶につめたリキュール類がぎっしりと詰まっている。腕もプロ並みでレパートリーは50種類以上。俺の知っているカクテルは全部作る事ができる。
その中でも俺のお気に入りはマティーニでジャックの作るやつはとにかくうまい。
「たいちょーは飲むことになるとやたら元気になりますね。それより私はお腹がペコペコだよー」と疲れた声でシズコ。
それを聞いてナタリーが「艦に着いたらすぐ食事よ。今夜はあなた達の歓迎パーティーをやるみたいだからいっぱいごちそうがでるかもね」とシズコをなだめる。
「本当に! 私、マックの照焼きバーガーが食べたいなあ」とシズコは相変わらず調子はずれの事を言っている。
太陽も沈みかけ、あたりが薄暗くなってきた頃、遠くの方に小さな灯りが見えはじめてきた。
「見えてきたぜ。あれがジョージ・ワシントンだ」とジャック。
見渡す限り何もない太平洋の真ん中に数点小さな灯りが頼りなさそうに浮かんでいる。
空母ジョージ・ワシントンを含めた空母打撃群だ。
「えーっ!あんな所に着陸するのー!」と驚いた声でシズコ。
シズコが驚くのも無理はない。上空から見る空母はただの点にしか見えない。
とても航空機が着陸できるとは思えないほど小さく見える。
「シズコ、見た目に惑わされるな。あれでも俺たちの基地と同じ200mくらいの滑走路はあるはずだ」と俺。
「あるはずってどう言うことですか?降りたときに20mしかなかったらどうするんです。海に落ちちゃいますよ!」と怒った口調でシズコ。
「ハハハ、心配するな大丈夫だ。テツヤの言うとおり滑走路はしっかり200mはあるぜ。さあ行こうか」
と言いながらジャックはランディングギアと着艦フックを降ろし着艦体制に入る。
「まずは俺様がお手本を見せてやる。しっかり見ておけよ!」とずいぶん威張った口調でジャック。
それを聞いて俺は「おーおー偉そうに。2年前に貸した300ドルのライター、未だに返さないのはどこのどいつだ?」とジャックに言ってやる。
「あっ!そっ!それは…」とジャックは不意を突かれ、いきなりうろたえる。
ジャックの動揺と連動してジャックの機体が安定性を失い少しふらつき始める。
「ジャック何やってるの!しっかりしなさい!」とナタリーがジャックを叱り飛ばす。
「テツヤ!あなたも変なこと言わないで!」とついでに俺も怒られた。
それを聞いていたシズコが「やーい、たいちょーがナタリーに怒られたー」と笑っている。
ジャックは体制を立て直し最終アプローチに入る。
俺とシズコは少し高度を上げてジャックの着艦を拝見させてもらう事にする。
空母の着陸用滑走路は船の進行方向より少し左に傾いているので俺たちは空母の右ななめ後ろから徐々に近づいていく。
空母の白い航跡がはっきりと見えてきた。ジャックは滑走路に合わせ機体を小刻みにコントロールしている。
機首を少し上げた状態でジャックは空母の滑走路に吸い込まれるように見事着艦。と同時にワイヤーケーブルが機体のフックに引っ掛かり急停止する。
ジャックが無事に着艦したのを見届け、俺たちも空母に降りる準備をするため旋回に入る。
「どうだテツヤ。こんな感じだ、軽いもんだろ?」と無理に冷静さを装いながらジャック。
声の裏側では少し荒くなった息遣いを必死にこらえてるのが何となくわかる。
「すぐに降りるからそこで酒でも用意して待っててくれよ」とジャックに言いながら再度アプローチするため空母の脇をUターンし、今通ってきたラインを引き返し始める。
「シズコ、お前から先に降りるか?」とすぐ横を飛んでいるシズコに無線を入れる。
「えー!なんで私からー?」とシズコ。
「たいちょーは私を先に行かせて安全を確認してから、そのあとゆっくり着艦しようと考えているんでしょう?そんなの絶対嫌ですよ!」と何故か怒った口調で俺に返答をする。
俺は考えてもいなかった事を言われて少しムッとし「わかった、じゃあ俺から先に着艦する。後で降りられないから助けてくださいと言われても知らないからな」と言いながら空母の方向に向かって旋回を開始する。
「スカイウォーカーダイジュ、着艦を許可する。ギアとフックを確認後、着艦体制に入れ」
と随分偉そうな口調でジョージ・ワシントンの航空管制から無線が入る。
「スカイウォーカーダイジュ01了解。ただいまより着艦体制に入る」と返答をしながらランディングギアと着艦フックを降ろし空母に向かってアプローチを開始する。
「スカイウォーカーダイジュ、侵入角度良好。いいぞ、そのままだ。そのまま真っすぐに進め」
と偉そうな航空管制官は俺たちを全くの素人だと思っているようだ。
滑走路の白線が徐々にはっきりと見えてきた。機体の姿勢を整え最終アプローチに入る。
着艦フックを引っ掛けるためのアレスティングワイヤーが夕日に反射してきらきらと輝いている。
デッキにいる甲板員たちの姿や動きなども鮮明に見えてきた。
機体の姿勢を保ちながらいつも自分の基地に降りる要領でランディングギアを空母のデッキに落とす。
それと同時に着艦フックがワイヤーに引っ掛かる感触が体に伝わり、ものすごい逆Gを伴いながら機体は瞬時に停止。
周りから拍手や歓声が湧き起こる。
乗組員たちの盛大な歓迎に一瞬とまどいながらマーシャラーの指示に従い機体を滑走路から移動させる。
指し示された場所に機体を停止させ風防を開けると、がっちりとした体格の甲板員らしき黒人男性が
「見事な着艦だったぜ!お前さんなかなかやるじゃないか!」と真っ白な歯を見せながら俺に話しかける。
俺は酸素マスクをはずしながら「あっどうも!」とその黒人男性に笑顔を返す。
座席ベルトをはずしながら後ろを振り向くとシズコがランディングギアとフックを降ろし、すでに着艦体制に入っている。
俺が着艦フックを引っ掛ける事によってグーンと引き伸ばされたアレスティングワイヤーがシズコの着艦に備えて懸命に巻き取られている。ワイヤーは約45秒程で元の状態に戻され次の航空機の着艦が可能となる。
シズコが最終アプローチに入った。
いつもどおり安定した姿勢を保ちつつ、ゆるやかな滑り台を降りてくるような感じで空母のデッキに舞い降りてくる。
まるで鳥がふわりと地上に降り立つかのごとく滑走路にランディングギアを滑り込ませ、着艦フックで見事にアレスティングワイヤーを捕らえた。
凄まじい轟音と共に無事シズコも着艦。軽くバウンドしながらキティーちゃん号がワイヤーを引き伸ばしながら急停止する。
俺が着艦したときよりも大きな歓声が沸き起こる。おそらく俺よりシズコの着艦のほうが見事だったからだろう。
シズコはわざと俺を先に着艦させ、そのあと俺よりもカッコ良く着艦して優越感に浸ろうと考えていたのかもしれない。
そう勝手に解釈し始めたらだんだん腹が立ってきた。
だがシズコの正確な着陸には俺とタカシでさえ未だかなわないので仕方ない。
機体を降りジョージ・ワシントンの甲板に降り立つ。
「よお!見事だったぜ」と言う声に振り向くとジャックが満面の笑みを浮かべながらこちらへ歩み寄ってくる。
ジャックとは2年ぶりの再会である。お互いガッチリと握手し抱き合い肩を叩き合う。
ジャックはアメリカ人の割には小柄なほうで身長は俺と同じ170cmぐらいだろうか。
金髪の髪を短く刈り込んでいわゆる日本語で角刈りみたいな髪型をしている。
顔はまずまずのいい男で、根っからの明るい性格をそのまま映した、そんな顔立ちをしている。
不意に周りが急にざわめき出す。
見るとシズコがヘルメットを脱ぎ、その中から長い黒髪がさらりと肩に落ちたところだった。
まさかこのような女性が戦闘機を操縦して空母に舞い降りるとは誰も想像していなかったみたいで、みんなあっけにとられている。
「たいちょー!」とうれしそうな顔でヘルメットを振り回しながらシズコがこちらに走ってくる。
シズコを紹介しようとジャックのほうを振りかえるとポカンと口を開けたまま周りの人間たちと同じようにあっけにとられた顔をしている。
俺のとなりに走り寄ってきたシズコをジャックに紹介する。
「こんにちわーはじめまして!」と屈託のない笑顔でシズコ。
「あっ…ああ…こちらこそはじめまして」とジャックは我に返りシズコと握手をする。
そこに「あら!テツヤ!結構いい男じゃない?それにシズコはすごくキュートね!」という声。
見るとジャックの後ろからブロンドヘアーを頭の後ろで綺麗にまとめたスタイルのいい長身の女性がこちらに向かって歩いてくる。
「あれが相棒のナタリーだ」とジャック。
「えー!あれがナタリー?」と俺は思わず声に出してしまった。
ナタリーはスタイルもさる事ながら顔立ちもパリコレに出てくるスーパーモデルのような、とても綺麗な顔立ちをしている。
雑誌やテレビでしかお目にかかれないといったような感じの美女だ。
今度は俺がさっきのジャックみたいにポカンと口を開けてあっけにとられてしまった。
「テツヤ、顔が馬鹿みたいだぞ」と言うジャックの声で我に返る。
俺はあわてて開けていた口を閉じ「うるさい!お前ほどじゃないぞ!」と照れ隠しをする。
「はじめまして、よろしくね」とナタリー。俺に向かって手を差し出す。
「あっ!…どうも…よろしく」と何故か少し緊張しながらナタリーと握手をする。
「テツヤ、紳士は女性が手を差し延べたら手の甲に軽くキスをするものよ」とナタリー。
俺は意外なことを言われてどうしていいかわからなくなり、その場に呆然と立ちすくんでしまった。
ジャックとシズコが俺のほうを見てニヤニヤと笑っている。
「冗談よテツヤ!そんな事で照れるなんて何だか可愛いわねあなた」と笑いながらナタリー。
俺はますます頭の中がカーっとなり思わずジャックの胸に軽くパンチをする。
「ごめんごめん、笑って悪かったよ。まあ許せ」とまだ笑いながらジャック。
「たいちょーが照れるとおもしろーい」と横でシズコが更にはやしたてる。
と、そこへ「ジョージ・ワシントンへようこそ。お待ちしてましたよ」という声に俺とシズコが振り向く。
見ると、どこにでもいるような普通のおじさんといった感じの中年男性が笑いながら近づいてくる。
俺はてっきり機関長か甲板長あたりの人だと思って「どうも、こんちは」と適当に挨拶したら
「ジョージ・ワシントンの艦長だ」と一言ジャック。
俺はあわてて「ジャック!それを早く言えよ!」と笑ってごまかしながら艦長に挨拶をしなおす。
「艦長のハワードです。つまらない所だとは思いますがゆっくりしていって下さい」と丁寧な挨拶。
俺は少し緊張してたせいか「どうも、お世話になります」とまるで旅館にでも来たような挨拶しかできなかった。
ジャックたちと共にデッキから下へ降りようとしたとき
「ずいぶんふざけた機体だな。戦闘機は遊園地の乗り物じゃないんだぜ」という声。
振り返るとパイロットと思われるひょろりとした白人の男が無表情な顔で俺たちを見ている。
たぶん俺たちのオバQやキティーちゃんの絵がペイントされた機体の事を言っているのだと思ったが、そのまま無視して階段を降り始める。
「それに何だ?そのチャラチャラした女は。それでまともに空で戦えるのか?」と言う声に階段を降りていた足を止める。
機体のことや俺のことをとやかく言われても別に構わないが、部下の悪口だけは聞き逃すわけにはいかない。
降りていた階段を引き返す。
「おい、よせ!相手にするな!」と制止するジャックを振り切りデッキに戻る。
「あんた随分偉そうだが実戦経験はあるのか?」とその白人に向かって俺。
「実戦経験はないが腕には自信があるぜ。今まで俺に勝ったヤツはいない」と自信満々にその男。
俺はため息をつきながら「実戦経験がないヤツは問題外だ。これ以上俺たちに話しかけるな」と言い残し再び階段を降り始める。
「おい!待て!だったら俺と勝負しろ!」と急にその男は声を荒げる。
俺は階段を降りながら「勝つとわかりきっている相手と勝負してもつまらないからな。
それに時間と燃料の無駄遣いはしたくないんだ」とその男に言ってやる。
「何をこのー!」と無表情だった男の顔が怒りへと変わる。まるでテレビの大魔人みたいだ。
俺のほうへ向かって来ようとした男を後ろにいた相棒だと思われる白人の男が羽交い締めをして制止する。
「おい離せ!この野郎!」と言う声を後ろで聞きながらデッキ下の階へと降りる。
シズコは案の定、目に涙をいっぱい溜めてうつむいている。
「あんなヤツの言う事なんか気にしなくていいのよ。みんなに嫌われてるんだから…」とナタリーがシズコを慰める。
デッキ下の通路を歩きながら「あいつはバージルといってな、一応ここのナンバーワンパイロットなんだ」とジャック。
「一応ってどういう事だ?」と俺はジャックに聞き返す。
「実はあいつ海軍提督の御曹司なんだよ。だから対戦訓練などではいつもあいつに、わざと勝たせてやるのが暗黙の了解みたいになっているんだ」と嫌そうな顔をしてジャックが答える。
俺は思わず「何で提督の御曹司ごときにそこまでしてやらなければならないんだ!お前達は国民の税金を使って遊んでいるのか!」とジャックに詰め寄る。
ジャックは少し後ずさりしながら「俺たちも好きでやっているわけじゃないんだ。どうやら上からの圧力がかかっているようなんだ。仕方ないだろ!」と困惑した顔で俺に反論する。
と、そこへ「シマタニさんとスエナガさんですね。お部屋へご案内します。こちらへどうぞ」と水兵の格好をした若い乗組員が俺たちに話しかける。
シマタニとは俺の苗字なのだがスエナガとはなんとシズコの苗字である。フルネームをスエナガ シズコというのだが、おしとやかそうな名前とは似ても似つかない性格と容姿なので俺も最初に聞いたときはつい笑ってしまった。
「じゃあ、また後でな」と言い残しジャックとナタリーは更に下の階へと降りていく。
ジャックたちを見送りながら俺たちも若い水兵に案内され、長い通路を歩き始める。
「こちらです。どうぞ」と言う声に案内され部屋へと入る。
さすが船という事もあって部屋はそんなに広くはないが、ちゃんとしたベットに机と椅子が整然と置かれている。
「わーすごーい。テレビとシャワールームまでついてるー」とシズコが驚いた表情で部屋中を見回している。
「おい、ここは俺の部屋だぞ。お前は違う部屋だろうが!」とベットに座ってすっかりくつろいでいるシズコを部屋から追い出す。
「たいちょー。あとで空母の中探検しようねー」と言いながらシズコは水兵と共に部屋から出ていった。
部屋に届けられていた荷物の中から着替えを取り出す。持ってきたキャンパス地のバックには3日分の下着と洗面用具、それにジーンズとTシャツが数枚入っている。
サバイバルツールなどが収められた重たいベストとフライトスーツなどを脱ぎ捨てジーンズとTシャツに着替える。
その格好でベットに寝転がりテレビを見ながらウトウトとしていると突然ドアを激しく叩く音。
びっくりして飛び起きドアを開ける。
「たいちょー遊びに行こっ!」と笑いながらシズコ。
「何だお前!その格好は!」とシズコの姿を見て思わず大声を出す。
シズコは何を考えているのかシルクの白いブラウスに薄いピンク色のフレアースカート。
おまけにヒールの高いパンプスまで履いている。どう考えても空母とは縁遠いいでたちだ。
「お前、あのでかいボストンでわざわざそんな服持ってきたのか?」と思わず聞いてしまう。
「わざわざとはどういう事ですか?私いつもこんな格好してるじゃないですかあ」とシズコは頬っぺたを膨らませる。
言われてみればシズコが休みの日に基地へ何度か差し入れを持ってきてくれた事があったが、
来るときはいつもその様な格好をしていたのを思い出す。
ちなみにチビリンことヨシミツは「俺様はパイロットだ!」と言わんばかりにいつもフライトジャケットを着込んで粋がっているし、タカシといえばヤンキーの名残りか赤のカーディガンに白のハイネックといったスタイルが多いような気がする。
俺は着る服にはあまりこだわらないので、妻のミユキがどこかで買ってきてくれた物を適当に着ているが、アニメの主人公みたいにいつも同じ服を着ていることが多い。
「さあ、早く早く!」とシズコが俺を急かせる。
「おっおい!もう少し後にしないか?疲れて少し眠たいんだよなー」とボサボサになった頭をかきむしりながら俺。
「やっぱりおじさんはイヤねー。ゴロゴロしてばかりいると、どんどんお腹が出てきちゃいますよ!」
とシズコに痛い所を突かれる。
最近、不摂生の影響か少し腹が出てきてズボンがきつくなったので、妻のミユキに頼んでワンサイズ大きいズボンを買ってきてもらったばかりだ。
シズコのしつこさに根負けして仕方なく、ハイヒールを履いたシズコと一緒に空母の探検へと旅立つ。
途中で迷うと困るので部屋への帰り道を確認しながら空母の艦内をぶらぶら歩いていると、
シズコの格好が魅力的に見えるのか、若い乗組員たちがすれ違うたび口笛や奇声をシズコに投げかける。
中にはウインクしてるヤツまでいる。
「あっ!今の人かっこいい!」「オエッ!気持ちわる!」などシズコは相変わらず言いたい放題だ。
通路の先に何かを見つけたのかシズコが急に走り出す。
「たいちょー!売店があるよ!早く来て!早く早く!」と20mくらい先の所でピョンピョン飛び跳ね一人で大騒ぎしている。
近くを歩いていた乗組員たちが何事かというような表情でシズコを見ている。
俺は恥ずかしいので他人のふりをしていたが、すれ違う乗組員たちが俺の顔を見てクスクスと笑うので完全にバレてると思いあきらめ、シズコの所へ走り寄る。
「おい!恥ずかしいから大声を出すな!」とシズコを叱り飛ばすが、シズコはそんな事とは関係もなしに
「たいちょー見て!いっぱいお菓子が売ってるよ!あとでいっしょに食べよ!」と全然気にも留めていない。
売店には日用品や雑貨、お菓子などの軽食や薬品などが所狭しと並べてある。
まるでドラックストアーを思いきり圧縮したような感じだ。
「あっ!これ頼まれてたんだー」とシズコが1枚の絵はがきを手に取る。
「そんなもの誰に頼まれたんだ?」と俺。
シズコは棚から数枚の絵はがきを抜き取りながら「羽田空港で泣かされたあのメガネの人だよ」と答える。
そういえば羽田空港を出発直後に「さっき空港であのメガネと何話してたんだ?やたらうれしそうにしてたけど…」
と聞いた覚えがあったのを今、思い出した。
シズコの話によるとあのメガネはカミヤマという名前で、以前からこの空母ジョージ・ワシントンのファンだったらしい。
プラモデルやら写真集などジョージ・ワシントングッズをいろいろ持っているらしいがそれに飽き足らず、今度はジョージ・ワシントンから投函された絵はがきが欲しくなり今回の任務をチャンスとばかりにシズコに頼みこんだらしい。
「お前、泣かされた割にはずいぶん親切だな」とシズコと一緒に絵はがきの品定めをしながら俺。
「本当はたいちょーに頼もうかと思っていたらしいんだけど、たいちょーを怒らせたので頼みづらくなり仕方なく私に頼んだみたいだよ。何かお礼してくれるって言うから引き受けちゃった!」と笑いながらシズコ。
シズコが無償でそのような頼みごとを引き受けるのは珍しいと思ってはいたが、やはり打算的なたくらみは健在であった。
「あっ!これにしよー。たいちょーどう思う?」とシズコは手に取った数枚の絵はがきの中から一枚を取り出して俺に見せる。
見ると海を航行中のジョージ・ワシントンが写された、ものすごく平凡な絵はがき。
俺は選んでやるのが面倒なので
「ああ、いいんじゃないか。きっとメガネも喜ぶだろうよ」と適当に返事をする。
そんな事とは知らずにシズコは結局その平凡な絵はがきを選んだ。
袋いっぱいのお菓子とジュース、それに絵はがきとサインペンを購入しシズコは上機嫌で売店を後にする。
「たいちょー!早く郵便局へ行こ!」とシズコはお菓子の入った袋を振り回しながら走り出す。
このジョージ・ワシントンには郵便局もあるので乗組員たちは祖国へ手紙を送ったり、また自分宛ての手紙を受け取ったりする事もできる。
売店の人に言われたとおりに通路を進むと決して郵便局とは呼べない代物の受付けみたいなカウンターが目に入る。
「Post Office」と書かれていなければ通りすぎるところであった。
早速シズコは買ってきたサインペンでメガネの住所やらメッセージを絵はがきに書き込んでいる。
俺が隣から覗き込むと「エッチ!見ないで!」と凄い目で睨まれた。
仕方がないので俺もシズコにつられて買った絵はがきを自宅の家族宛てに送ろうとペンを走らせる。
「I Love New York」と印刷されたジョージ・ワシントンとは全く関係のない絵はがきに
「このはがきはきっと、俺がそちらに届いた後に届くだろう」とこれもまた全く意味のない事を書き、受付けの人に手渡す。
普段、手紙など書く習慣がない俺は、このような時に気の利いたネタがなくて困る。
それに比べシズコは随分熱心に文字を書き込んでいる。
「あのメガネに何でそんなに用事があるんだ?」とシズコに聞いてみるが、シズコは俺の事を全く無視してひたすらペンを動かし続けている。
シズコの絵はがきが書き終えるのをイライラしながら待っていると、
「こんな所にいたのー。随分捜したのよ!」と急に息を切らした声。
びっくりして振り向くとナタリーが少し怒った顔をしながら俺たちに近づいてくる。
「艦に着いたらすぐ食事って言ったでしょう!いったいどこに行ってたの?」とナタリー。
シズコは動かしているペンを止め「空母を探検してたんだよ!」と満面の笑顔でナタリーに答える。
ナタリーはため息をつきながら「テツヤ!あなたがついていながら何やってるの!」と手を額に当て、頭が痛いというようなゼスチャーをして見せる。
ナタリーに怒られるのはこれで2度目だ。
シズコの絵はがきが書き終わるのを待ち「さあ行くわよ。急いで!」とナタリーに連れられ郵便局を後にする。
ナタリーの後ろを歩きながら「お前が探検しようなんて言うから、またナタリーに怒られたじゃないか!それにあんなにたくさん何を書いていたんだよ!」と少しムッとした口調でシズコに尋ねる。
「お礼に欲しいものがあったら遠慮なく書いておいて下さいってあのメガネの人が言ってたから、とりあえず今欲しいもの全部書いたんだよ」と悪びれた様子もなくシズコ。
「全部っていったいどれくらい書いたんだ?」と早足で歩きながら俺。
シズコはナタリーと俺に遅れまいと少し小走りしながら「えーと、シャネルのトートにヴィトンのポーチでしょ。
それにグッチの財布にエルメスのスカーフ、それから…」とシズコの口から出るのはブランドの品々ばかりである。
絵はがきを見たメガネの驚く顔が目に浮かぶ。可哀想だが頼んだ相手が悪すぎた。お気の毒に…
シズコのブランド話がまだ延々と続きそうなので「わかった、わかった、もういい」と、とりあえずシズコを黙らせる。
シズコの欲しいものは大抵いつも彼氏かブランド品である。彼氏の場合は「新しい彼氏ができた」とか「彼氏と別れた」という話しを今まで10回以上も聞いているし、ブランド品の場合はシズコに無理やり話を聞かされたおかげで俺も随分流行のブランドに詳しくなった。
新しい彼氏が出来るそのたびに、何かブランド品を貢がせているみたいだが、クラブのコンパニオンやキャバ嬢みたいにもらったものをすぐ質屋に入れて換金しているというふざけた事はしていないみたいなので、とりあえず俺も黙って見過ごしている。
もっとも俺がシズコにとやかく言う義理はないが…
ナタリーの後に着いて迷路のような艦内をグルグル歩き回っていたら、自分が今どこにいるのかさっぱりわからなくなってしまった。
今さら一人で部屋へ戻れと言われても、もうどうする事もできない。
さんざん歩かされたあげく着いた先の扉を空けると「ウォー!」と怒涛のような声。
ビックリして、あたりを見まわすと100人以上はいるだろうか、茶色や迷彩柄などの軍服に身を包んだ乗組員たちが一斉にこちらを向き拍手している。
「よお!遅かったじゃないか!」と、がっちりとした体格の黒人男性が俺に手を差し延べる。
俺が着艦した直後に「見事な着艦だったぜ!お前さんなかなかやるじゃないか!」と甲板で話しかけてくれた、あの男だ。
差し出されたハムのような太い腕とまずは俺が握手、続いてシズコにも手を差し延べる。
シズコは格闘家のようにデカイその男にビックリしたのか、引きつった顔をしながら恐る恐る握手している。
真っ白な歯を見せながら男は俺とシズコにビールの入ったグラスを手渡す。
まずはその男と乾杯!俺は喉が乾いていたせいかグラスに入ったビールを一気に飲み干す。
「あんたたちの歓迎パーティーだ。楽しくやろうぜ!」とその男。
普通、日本での歓迎パーティーというと料理を目の前に、おあずけをくらった犬のごとく偉い人の挨拶をまずは聞き、その後、乾杯の音頭をとる人がしゃしゃり出てきて
「我が社の益々の発展と○○君の活躍を願って…カンパーイ!」
などという言葉の後に周りの人間たちとグラスを当て合い、その後やっと料理にありつけるといった感じが一般的である。
しかしここでは俺たちの歓迎会というのはただの名目で、それをダシに皆勝手に飲み食いし騒いで楽しんでいる。
パーティーが日常的なアメリカならではだろう。その方が俺としてもくつろいで楽しめる。
「では今日の主役から一言挨拶を!」なんて言われる事もないし…
代わる代わる挨拶に来る乗組員たちと言葉を交わしながら格闘家のようにデカイその男が運んできてくれるフライやらステーキやらボイルした野菜などをつまみ、空腹を満たしていく。
シズコには女の子だからといって気を使い、ケーキやらプリンみたいなデザートなども持ってきてくれる。
シズコもその男が優しいのに気づいたのか、だんだん笑顔を見せるようになってきた。
その男は名前をサミーといってニューヨークのハーレムで生まれ育ったらしい。
ここではデッキで航空機の離陸を担当しているという話だ。
俺が先ほど「I Love New York」と印刷された絵はがきを自宅にいる家族宛てに送ったという話しをしたら、サミーは白い歯をムキだしにして喜び「ニューヨークはいい所だぜ!俺の両親と兄弟は今でもそこに住んでいるよ。機会があったら一度来るといい。普通の観光客が行けない所もしっかり案内してやるぜ!」と上機嫌だ。
サミーとニューヨークの話で盛り上がっていると突然後ろから俺の肩越しに、銀色のライターを持った手が伸びてくる。
以前どこかで見たことのあるジッポーのライター。
ライターを持った手の主を振り返って見ると茶色い海軍の軍服に着替えたジャックが少し酔ったのか、顔を紅潮させて笑っている。
「お前に会ったらいつでも返せるようにと、いつも持ち歩いていたんだぜ!」ともっともらしい嘘を言いながら、ジャックは俺にライターを手渡す。
俺が2年前ジャックに貸した、プレミア付きのジッポーだ。通し番号が刻印されていて値段は当時300ドルもした。
飲んでいる席でジャックに貸したらそのまま持ち去られ、ひどく頭にきた覚えがある。
「お前にそのライターを返したらタバコに火をつける道具がなくなって困るんだよな。何か替わりの物をくれよ」と相変わらずジャックはイヤしい。
俺は近所の居酒屋でもらった「居酒屋 源さん」と書かれた100円ライターをジャックにくれてやる。
「えー!こんなの!」とジャックは不満そうな顔をしているが
「タダでもらって文句を言うな!イヤなら返せよ!」と取り上げようとしたらジャックはあわてて源さんのライターを胸のポケットにしまい込んだ。
ジャックとサミー、俺にシズコ。そして後から用事を済ませてきたナタリーも加わり5人でお互いの昔話や家族のことなどの話題に花を咲かせる。
ジャックが以前、俺と飲んだ時の帰り道に用水路に落ち、ひざ下しかない水深の所で泣きながら溺れているところを俺が笑いながら助けたという話で一同爆笑していると
「おい!静かにしろ!」という耳障りな声が俺たちに投げかけられ、急にその場がしんとなる。
ムッとしてあたりを見渡すと、先ほど俺たちにいちゃもんをつけた海軍提督のバカ息子バージルが、相変わらずの無表情な顔で俺を見ているのが目に止まる。
俺は楽しいひとときに水を差され、少しムカついてきたので
「さっき俺たちにこれ以上話かけるなと言ったのがわからないのか!目障りだからあっちへ行ってろ!」とつい声を荒げてしまった。
俺はアメリカ海軍の軍人でもなければアメリカ国民でもない。提督の息子だろうと大統領の親父だろうと好きなことが言える。
俺の言葉に腹を立てたのかバージルが殴りかからんとばかりの勢いで俺に向かってくる。
とそこへサミーが俺とバージルの間に割って入る。
「いくら提督の御曹司だろうと俺たちの大事な客に手を出す事は絶対に許さん!どうしてもと言うのなら俺を倒してから行きな!」と仁王立ちになったサミーがバージルに凄みをきかす。
「おっお前…甲板員のくせに何だ…偉そうに!」と少したじろぎながらバージル。
そこへ「甲板員のくせにとは何よ!サミーにあやまりなさい!」と急にシズコが怒りだしビックリする。
自己中心的なシズコが人の事で怒るのは珍しい。それはきっと図体の割に心が優しいサミーの事が随分気に入ったからだろう。
「甲板員だからといって差別するのは許さないわよ!あんたたちパイロットも甲板員がいなけりゃ空を飛べないでしょう!提督のドラ息子っていうだけで、そんなに威張るんじゃないわよ!」とシズコは凄い勢いだ。
バージルはシズコの勢いに圧倒されたのか目をパチクリしている。が、しかし急にうす笑いを浮かべたかと思うと
「じゃあその勢いで俺と空で勝負してみないか?こんな所でいがみ合っているより、その方がスッキリするだろう?それとも恐くて勝負できないのかな。お嬢さん?」とシズコを兆発する。
「上等じゃない!やってやるわよ!」と兆発に乗ってシズコ。
俺はあわてて「おい!こんなヤツの相手になるな!バカかお前は!」と言いながらシズコを後ろへ追いやる。
「じゃあ、お前が勝負するか!」と俺に向かってバージル。
どう見ても俺より年下のヤツに「お前」と呼び捨てられるのは我慢できないが、ここで兆発に乗ったらこのバカ息子と同じ頭脳レベルにまで落ちてしまうと思い、とりあえず
「俺は勝つとわかりきっている相手とは勝負しないって言っただろう」
と捨てゼリフを吐き、バージルに背中を向ける。
「じゃあ、お前が俺に勝つ事ができたら欲しいもの何だってプレゼントしてやるよ。そんなに自信があるのなら、やってみたらどうだ?」と提督のバカ息子はかなりしつこい。
俺は背中を向けたまま「ジャンボジェット機でもくれるのなら勝負してやってもいいぜ」と冗談でムチャクチャな注文をつけてやる。
「わかった。ジャンボジェット機でいいんだな?」とバージルがあっさり答えるので俺はビックリして振り向き
「お前、ジャンボジェット機って何かわかってるのかよ!」と世間知らずのバカ息子に聞いてみる。
「わかってるよ。ボーイング747ジェット旅客機の事だろ?俺が負けたら手配してやるよ」とバージルは平然とした顔。
俺はバカ息子の頭の中の構造が知りたくなり
「お前小さい頃、どこかで頭を強くぶつけたことはないか?」と聞こうとしたら
「たいちょー!そんな事はどうでもいいからアイツをこてんぱんにやっつけてやりましょうよ!」とシズコが凄い形相で俺に訴えかける。
よほどくやしかったのか目にはあふれんばかりの涙をいっぱい溜めている。
鼻水まで垂らしかけているシズコの顔に圧倒されてしまい、俺は渋々「わかった、わかった。お前の好きなようにさせてやるよ」と勝負を承諾してしまった。
それを聞いたバージルは「よし!決まりだな!じゃあお前は何を賭けるんだ?」と俺は考えてもいなかった事を言われドキッとする。
ジャンボジェット機につりあう物など持ち合わせていないし、家に帰っても高価な物はスズキ アルトかニンテンドースイッチくらいだ。
俺はとっさに「じゃあ、これでどうだ!」とポケットにあったジャックに返してもらったばかりのジッポーライターを水戸黄門の格さんみたいにバージルの目の前に付きつける。
一斉に周りがカクっとなるのを肌で感じる。俺もこんな物しか出せない自分が我ながら恥ずかしい。
「わかった。いいだろう」と真面目な顔でバージル。
今度は俺も含めてみんながズッコケかける。
バカ息子の頭の中はさっぱり理解できない。
バージルはニヤリと怪しい笑いを浮かべながら
「じゃあ明日、格納庫で待ってるぜ!」と言い残し食堂の奥へと消えていった。
バージルのおかげですっかりその場がシラけてしまったので、俺の部屋で飲みなおそうという事になり会場を後にする。
通路に出て再び複雑な艦内をぐるぐると歩き回り10分程で部屋に到着。中に入る。
しつこく遠慮していたサミーもシズコが強引に連れて来た。
みんな思い思いの場所に座り再びビールで乾杯!
ジャックは持ってきたカバンの中からカクテルに使うリキュールなどの小瓶を取り出し、机の上に並べ始める。
「わあ!すごーい!」とシズコが目を丸くする。
ずらりと並べられた小瓶を前にジャックは「さあ、何がいい?遠慮なく言ってくれよ!」と自慢げな顔。
俺は早速、お気に入りのマティーニを注文する。ナタリーはソルティードッグ、サミーは相変わらず遠慮しながらジントニックをそれぞれ注文。シズコはさんざん考えたあげく
「わたしチューハイにしようかな」と一言。
それを聞いて俺は思わず一人で爆笑してしまう。他のみんなは何で俺が笑っているのかわからないみたいでキョトンとした顔をして俺を見ている。
ジャックがあわててカクテル全集みたいな本を取り出し、載ってもいないチューハイを必死になって捜しているので余計に笑いがこみ上げてきた。
俺は涙を手で拭いながら、チューハイはジャパニーズカクテルで日本の酒場ではどこにでも置いてあるが、その様な本には載っていないという事をジャックやみんなに教えてやる。
そんな俺を見てシズコが
「たいちょー、どうしてそんなに笑うんですかあ?」と口を尖らせる。
俺は笑いをこらえながら
「ゴメンゴメン、日本に帰ったら胃に穴が空くほどチューハイを飲ませてやるから勘弁しろよ」
と手を合わせ、シズコに向かって謝る。
ジャックは持っていた本を閉じ
「じゃあ、とりあえずシズコちゃんにはモスコミュールでも作ってやるよ」と言いながら背の高いタンブラーにウォッカを注ぎ始める。
鮮やかな手つきでジャックはライムジュースやジンジャエールを次々とグラスに注ぎ込んでいく。
瞬く間にモスコミュールが出来上がり、シズコの前にグラスが差し出される。
シズコはグラスを手にとり恐る恐る口を近づけてみる。
ひとくち飲み「おいしー!」と満面の笑顔。
それを聞いてジャックは俄然気を良くし、慣れた手つきでシェーカーなどを使い、次々とカクテルを作り上げていく。
ソルティードッグを器用に作りながら「バージルの言ったことはまんざら嘘でもなさそうだぞ」とジャック。
俺はマティーニをひとくち飲み「バージルの言ったことって何のことだよ」とジャックに聞き返す。
ジャックはチラリと横目で俺を見ながら「ジャンボジェット機のことだよ。実はあいつの親父は海軍提督でありながら凄い資産家でもあるんだ。旅客機の1機や2機など何ともないかもしれないぜ」と出来上がったソルティードッグをナタリーに差し出しながら答える。
俺は他人事のように
「へえー、海軍提督ってそんなに儲かるのかよ。でもジャンボジェット機もらったところでウチにはそんなでかいガレージないから困るんだよな」とつぶやき、グラスに残ったマティーニを一気に飲み干す。
「何も海軍提督がそんなに儲かるわけじゃなくて、もともと金持ちの家系だって話だぞ。旅客機を入れるガレージくらいおまけで付けてくれるんじゃないか?」と笑いながらジャック。
ふと隣をみるとシズコが長旅で疲れたのかベットに持たれかけ、寝息を立ててスヤスヤと眠っている。
やれやれと思いシズコを揺り起こそうとすると
「待ってテツヤ、私が部屋まで連れてってあげるからそのままにしておいてあげて」とナタリー。
「じゃあ、俺も手伝うよ」とサミーは飲み終わったグラスを置き、シズコを軽々しくヒョイと抱きかかえて立ちあがる。
まるで俺が子犬でも抱きかかえるような気軽さだ。
「じゃあ俺はこれで失礼するよ。今夜は楽しかったぜ」とサミー。
シズコを抱きかかえたままナタリーと共に部屋から出ていく。
ドアを閉めようとするサミーの背中に向かって「また明日いっしょに飲まないか?」と俺。
サミーは白い歯を見せて顔をクシャクシャにしながら俺のほうを振り向き何度もうなずく。
ドアがパタンと閉まる。
部屋に視線を戻すと相変わらずマイペースのジャックが、自分で作ったジンリッキーをやたらうれしそうな顔をして飲もうとしているので取り上げて替わりに飲んでやる。
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