2.エスコート

「痛っつつつ…」

ベッドから起き上がると頭がズキズキ痛む。

昨晩はヨシミツとハメをはずして少し飲みすぎたらしい。

頭を抱えながら一階のリビングに下りるともうみんな出かけて誰もいない。

時刻はもう朝の9時をまわっている。

俺の家族は妻のミユキとその両親、そして愛犬ガバチョの4人と一匹である。

いわゆる俺は簡単に言えばマスオさんである。子供はまだいない。

妻は義母と喫茶店を営んでいる。義父は中野市役所で助役をしているらしい。

ガバチョがしきりにクンクンと散歩のおねだりをするので仕方なく着替えて外へ出る。

俺が休みの日はいつもガバチョの散歩を押し付けられる。

ガバチョの名前の由来は昔人気があったテレビ番組「ひょっこりひょうたん島」の

「ドン・ガバチョ」から来ている。

が、うちのガバチョはメス犬である。

名前をつけてしばらくたってからメスと気づいたのだが、そのときにはもう「ガバチョ!」と

呼ぶと反応して尻尾を振るようになっていたので名前を変えることができなくなってしまった。


ガバチョの散歩を終えて顔を洗い、妻の店へ朝飯を食いに出かける。

店は車で5分くらいの所にあるが昨晩ヨシミツにタクシーで送ってもらった為、

愛車スズキ アルトは店の駐車場に置きっぱなしである。

仕方がないので義母のママチャリにまたがりペダルをこぎ出す。


店に入ると「よお!」と聞きなれた声。ふり向くとタカシが家族で来ていた。

タカシは奥さんと二人の娘の4人家族。窓際のテーブル席でモーニングセットを食べていた。

タカシは元ヤンキーだった為か結婚も早く、上の娘はもう中学1年になる。

元ヤンキーの名残りかどうかわからないが、タカシはいつも整髪料をこってりと付け、今日も朝からオールバックでビシっときめている。

俺は対照的に寝ぐせだらけのボサボサ髪である。

奥さんは女優の菜々緒に感じが似たなかなかの美人だが、やはり髪はロングで金髪に染めている。

この手の夫婦の子供はショートカットの場合だと何故か後ろ髪だけ長く伸ばしているパターンが多いが、タカシの小学4年生になる下の娘もやはりそんな髪型をしている。


「昨日はかなり飲んだようだな。目が真っ赤に充血してるぜ」とタカシ。

タカシたちが座っているテーブル席に近いカウンターに腰を下ろしながら

「ああ、頭が痛くて大変だよ。財布の中身も大変なことになってるけど…」と目をこすりながら答える。

「あんた調子にのってまたムチャクチャ飲んだんでしょ!」とカウンターの中から妻のミユキが怒っている。

「ヨシミツ君にきちんとお礼を言っときなさいよ。わざわざ遠回りして送ってくれたんだから…」とミユキはやたらとうるさい。

「わかってるよ。それよりホットコーヒーとAセットをくれよ」と説教を断ち切るように朝飯を注文する。

「まったくもう…」とブツブツ言いながらミユキはカップにコーヒーを注ぎはじめる。

妻のミユキは俺より4才年下の29才。

お客さんからよく「女優の長澤まさみに感じが似ているね」と言われるらしいが本人はあまりうれしくないらしい。

「酒も程々にしないとな。今に体を壊すぜ」とトーストをかじりながらタカシが笑っている。

「ああ、でも今日は既にぶっ壊れてるよ」とコーヒーをすすりながらあくびまじりに俺。

タカシは俺と違って酒を全く飲まない。以前、宴会で無理やりビール1杯飲ませた事があるが、

そのままぶっ倒れて大変な事になった。


俺とタカシは意外にも外では仕事の話などはほとんどしない。ましてや空の上での話などは絶対しない。

家族や周りに心配をかけないためだ。だから話題は決まって最近ハマっているゲームや趣味などの話が多い。

最近出た戦闘機のシュミレーションゲームは完成度も高く俺もタカシもすっかりハマっている。

戦闘機の動きも本物にかなり近いし、ディスプレイなんかも実にリアルだ。

それに一番いいのは撃墜されても死ななくて済むことだろう。

だが俺もタカシも最終ステージは未だにクリアーできないでいる。

また、タカシの娘が教えてくれたRPGもなかなかおもしろい。タカシの家や俺の家などで時々下の娘に指導を受けるが、物覚えが悪いといつも怒られている。

でもタカシよりはマシらしい。


ゆで卵をコーヒーで流し込んでいると急に上空を横切るようにジェット機の爆音が聞こえる。

音からするとたぶんF−15だと思うが、俺とタカシはここに居るしヨシミツは恐らく二日酔いで

飛べないだろうから、シズコかどこかの自衛隊機だろう。

俺もタカシもそんな事は無視してバラエティー番組の話に花を咲かせている。


「あのひこーきスゲー!」と近所の子供たちが騒いでいる。

窓から上を見上げるとキティちゃんの顔が描かれた垂直尾翼が目に入る。シズコだ。

シズコはやたらロールしたり急旋回したり急上昇したりと随分派手に飛び回っている。

「あいつ一体何やってんだ?」とタカシが不思議そうな顔をして空を仰いでいる。

「さあな、また誰かに叱られたんじゃないのか?」とタバコに火を付けながら俺。

シズコは少しでも強く叱ったりすると、すぐ目に涙をためて泣き出してしまうのでやっかいだ。

そんな時に飛ばせるとムチャクチャな飛び方をするので多分今回もそうだろう。

「シズコちゃん、見かけはあんな事するような娘に見えないけどカッコイイわねえ…」

とタカシの奥さんが額に手を当ててシズコの機体を目で追っている。


昨日置きっぱなしの車を店まで取りに行くと妻のミユキに話していると、タカシが車で送ってくれるというので朝飯の代金を支払って店を出る。

ミユキは家族であろうが何だろうが絶対に金を取る。

1円足りともまけないところは経営者として頼もしい。

タカシの車はランドクルーザーのフル装備でフォグランプやウィンチ、ルーフキャリアなど随分

いろいろな車外装備が付き、車内も8スピーカーデッキやカーナビ、マッサージシートなど

俺のスズキ アルトとはリムジンとリヤカーの違いくらい豪華だ。

広々としたリアシートに子供二人と乗り込む。本皮張りシートは座りごこちもすごくいい。

矢沢永吉のSOMEBODY'S NIGHTを聞きながら子供たちとドラクエの話しで盛り上がっていると

10分程で店の駐車場に到着。

タカシに礼を言ってリムジンからリヤカーに乗りかえ昨日損傷した機体の様子を見るためハンガーに向かって車を走らせる。


俺のオバQ号は左のエンジンをはずされ所々焦げあとがついた無残な状態でハンガーに収められていた。

「左エンジンはオーバーホール中だ。2−3日かかるかもしれん」と急に後ろから声。

振り向くと竹内力に似た整備長のタナカさんが仁王立ちしていたのでびっくりする。

「一発食らっていただけだったが、あと少しずれていたらエンジンが爆発してたかもしれん。

お前は運がいい男だな」とタナカさんが妙に怖い笑みを浮かべている。

と、そこへ凄い轟音をたてながらシズコが着陸。

誘導路を通りハンガー前の駐機場所に機体を止める。

キティちゃん号から降り立つなり「たいちょー!」とうれしそうな顔をしながらこちらへ走ってくる。

「どうしたんだ?一体何があったんだ?」と尋ねると

「店長から近々重大な任務があるからしっかり訓練しておけって言われたんだよ」

とヘルメットを脱ぎながらケロっとした口調で答える。

俺はてっきりまた誰かに叱られてムキになって飛んでいるかと思っていたがそんな心配は無用のようだ。

「重大な任務って何だ?」とシズコに尋ねる。

「近いうちに隊長から説明があるって言ってたけど隊長知らないんですかあ?」とシズコ。

俺は「さあ…?」と肩をすくめた。


翌日の昼過ぎ、食堂でカップラーメンにお湯を入れ、さあ食べようと思った矢先に突然ゴキから

「テツヤちょっとこちらへ来てくれないか?大事な話しがあるんだ」と呼び出される。

「えー!せっかく今からラーメン食べようと思っていたのにー!」と、ついつい口調を荒げて答えると、

「わ、わかった。じゃあ食べ終わったらこちらへ来てくれ」とゴキは食堂の奥にある会議室へと入っていった。

カップラーメンと管制官のナカタニさんからもらったせんべいを食べ終え会議室へと入る。

ゴキは部屋のいちばん奥にある椅子に座って何やら考え事をしているような感じである。

「テツヤ、大変な任務を請け負ってしまったのだが聞いてくれるか?」とゴキ。

「聞きたくないって言ったらどうします?」と俺が言うと

「そんなわけにはいかないんだよ」とゴキはかなり深刻そうな顔をして答える。

「だったら聞いてくれるか?なんて言うなよ!」と思いながら

「で、その大変な任務ってなんです?」と俺はタバコに火をつけながら尋ねた。

「首相が乗った政府専用機の護衛だよ」とゴキが声をひそめる。

「首相の護衛!俺たちが…!」と思わず大声で聞き返したら、

「シー!静かにしろ!これはまだ内密な話しなんだ」とゴキはあわてて立ち上がった。

「3日後に急きょハワイで日米首脳会談が行われる事になったのはニュースを見て知っているな」とゴキ。

「ああ…日米安保条約の見直し交渉だとか何とか言ってたね」と答えると

「最近、領空の治安が悪くなった為、首相などのお偉いさんが政府専用機で危険空域を通過する場合、腕利きの自衛隊パイロットがいつも護衛することになっているんだ」とゴキ。

「へーえ、じゃあその腕利きのパイロットさんとやらは今、休暇中なのかい?」と皮肉まじりに言うと

「まあ最後までよく聞け。会談が急に決まったため、自衛隊の空中給油機がグアムの日米共同演習から帰国するのが間に合わないようなんだ。」と腕を組みながらゴキ。

「それで?」と俺。

「すなわち日本からハワイまでの太平洋を空中給油機を使わず自衛隊機で横断するってことは

航続距離からして不可能なわけだ」とゴキが椅子に座りなおしながらつづける。

「だったら俺たちも不可能ってことになるんじゃ?」

と当然のように聞きなおすとゴキは自慢げな笑いを浮かべながら

「だがお前たちは自衛隊のパイロットにはできない技術がある」と自信満々につぶやいた。

「その技術って?」と俺もゴキのようなうすら笑いを浮かべながら聞き返すと

「空母への着艦だよ」とゴキ。

「空母って…あの航空母艦のこと?」と思わず目が点になってしまった。

ゴキは「ああ、そのとおり。今回の任務は政府専用機を安全空域までエスコートした後、現在太平洋上を航行しているアメリカ海軍の原子力空母ジョージ・ワシントンに着艦してもらう。そのわけは安全空域まで到達すると残りの燃料では到底引き返すことができなくなるからだ」と続ける。

「なるほど。そこで燃料を補給させてもらってすぐ戻って来ればいいわけですね?」と俺。

「いや…。行くときに護衛が必要だったら当然帰ってくるときも必要なのはわかるだろう。

首脳会談は3日間の日程で行われる予定だ。その間空母で待機させてもらい、帰りに専用機が近くを通過する際に合流して戻ってくるという手はずだ」とゴキ。

「えー!3日間も空母に缶詰め状態ですか?その間何をしてればいいんです?!」とゴキに詰め寄る。

「まあその間は休暇だと思ってゆっくりしてきてくれ」とゴキは笑ってその場をかわした。


俺たちの基地は空母と同じくらいの短い滑走路しかないため、日ごろから空母と同じく離陸するのにはカタパルトといわれる射出装置を使用している。また着陸するときも空母同様、滑走路に張られているワイヤーケーブルを機体後部の着艦フックに引っ掛けて強制的に機体を停止させている。

どうやらその技術が認められて今回の任務に抜擢されたらしい。


「今回の任務はお前とシズコの二人にやってもらう」とゴキ。

どうやらこれがシズコの言う重大な任務らしい。

「どうして俺とシズコが?」と聞くと

「隊長のお前は向こうから指名してきたんだが、あとはこちらに任せると言ってきたんだ」とゴキ。

「じゃあシズコではなくタカシじゃダメなんですか?」とあせりながらゴキに懇願する。

というのもシズコと作戦を遂行すると飛んでるあいだ中、昨日合コンをやった相手の男たちが

みんなダサかったのやら、友達に紹介された男がフーテンの寅さんみたいな顔してただの、無線機を通して男の話ばかり機関銃のように聞かされるので気が休まらない。

「タカシはお前の留守中を守ってもらわねばならん。ヨシミツでは少し不安でな。だからお前と

シズコにしたんだ」とゴキが人の気持ちも知らずに淡々と続ける。

「任務開始は3日後の朝だ。お前からシズコにもその旨伝えておいてくれ。詳しい内容はまた後で連絡する」

と言い残しゴキは会議室を出ていった。


「えー!そーりだいじんの護衛ですかあ?」とシズコが大きな目を更に大きく見開いてキョトンとした顔をしている。

シズコは歌手のきゃりーぱみゅぱみゅにどことなく感じが似て結構可愛い顔をしているが、カラオケは全くの音痴だ。

2泊3日で空母に泊まるからそのつもりで準備をする等、簡単な内容をシズコに伝える。

自分も3日間、店を留守にするので青果サブチーフのカズアキに3日分の売場レイアウトや発注の方法、特売商品の手配状況などを事細かく伝える。

カズアキは22才でスーパー専従。若いわりに結構しっかりしているので3日間ぐらい留守にしても安心して店を任せておける。精肉のサブチーフでありながら未だに牛肉と豚肉の判別が怪しいヨシミツとは雲泥の差である。


「出張だなんて珍しいわね」と夕食の肉じゃがをほお張りながら妻のミユキ。

「で、どこに出張なの?」と聞いてくるので

「太平洋だよ」と一言、ビールを飲みながら答える。

今回の任務は今のところまだ機密事項なので家族にでも詳しく話すことができない。

「タイヘイヨウってあの海の太平洋?」とミユキは驚いた様な不思議そうな顔をして俺を見ている。

「テツヤ君。タイヘイヨウというのはキャバレーかソープランドでそんな名前を聞いたことがあるぞ?

たしか君から聞いたんじゃなかったかな?」

と一緒に夕食を食べていた中野市助役の義父が、突然俺たち夫婦に亀裂が入るような発言をする。

「お義父さん!そんな事言った覚えはありませんし、行くにしてもわざわざこんな場所で言いませんよ!」と俺は更に傷を深くする。

ミユキが怪しい目つきで俺を見ていると、そこへ

「あらお父さん、随分その様なお店にお詳しいのね」とお茶をいれながら義母。

「そっ、それは仕事柄そのような名前を聞くことが多いんだ!」と義父が急にあせり出す。

「あら、市の助役はいつからそのようなお仕事をなさるようになったんですか?」と義母が追い討ちをかける。

義父は返す言葉が見つからず黙り込んでしまった。自業自得である。

だが俺はミユキにこの件で変に疑われるはめになってしまった。

まあ、今回の任務はそのうちわかるだろうからこのままにしておこう。


任務当日の朝。シズコと最終の打ち合わせをして機体に乗り込む。

俺のオバQ号はエンジンのオーバーホールが間に合わなかったらしく予備のエンジンに載せ替えられていた。

シズコがやたらデカいヴィトンのボストンを座席後ろに無理やり押し込んでいる。

「おい2泊3日くらいで、どうしてそんなにたくさんの荷物が必要なんだ?」と俺が話しかけると

「女性には色々と身だしなみに必要なものがあるんです。いつもボサボサ頭のたいちょーとは一緒にしないでください!」とピシャリと怒られた。

基地を離陸し政府専用機がある羽田空港へ向かう。

俺が心配してたとおりシズコから最近の合コン事情や理想の男はどのようなタイプ等、俺にとってはどうでもいい話を延々と聞かされる。


羽田空港が近づき、管制官に着陸の許可を求める。

「こちらスカイウォーカーダイジュ。政府専用機の護衛機だ。着陸を許可されたし」

「管制塔了解。スカイウォーカーダイジュ、34R滑走路に向かって下さい」

と管制官から無線。

機体を旋回させ34R滑走路に進路を向ける。久しぶりに見る長い滑走路だ。

シズコはいつもの癖でランディングギアと共に着艦フックも降ろしているので無線で注意する。

「あっ!」と言ってシズコはあわててフックを機体に収める。

2機で編隊を組んだまま二人同時に滑走路へと着陸。誘導路に入る。

「スカイウォーカーダイジュ、10番スポットに駐機して下さい」と管制塔から指示を受ける。

事前に渡された羽田空港の地図で10番スポットの位置を確認する。

「たいちょー、着陸したのが34Rだから10番スポットはビルの向こう側ですよ」とシズコ。

「わかってるよ!」と言いながらスポットまでの道順を確かめる。

「スピードが出過ぎてますよ!誘導路の制限速度は時速20Km以下です」と後ろからシズコがやたらうるさい。

「だったらお前が先に行けよ!」と冗談で言ったら本当に俺を追い抜こうと後ろから迫ってくる。

「わっ!馬鹿!危ないだろ!」とあわてていると管制塔から

「スカイウォーカーダイジュ、何をやっているんですか!誘導路は追い越し禁止です!」と怒られた。


何とか10番スポットに到着。マーシャラーに誘導され指定された場所に機体を停める。

用意されたハシゴを使って機体から降りると、何やらすごく偉そうな服を着た初老の男性が俺たちに近づいてきた。

「航空幕僚長のハシモトといいます。今回は無理を言って申し訳ありません」とずいぶん丁寧な挨拶。

航空幕僚長といえば航空自衛隊の最高責任者だ。民間で言えば社長にあたる。

さすが首相の護衛ともなると出てくる人も違ってくる。

「こうくうばくりょーちょーって何?」と横からシズコが俺に聞いてくるので

「いいからお前は少し黙ってろ。あとで教えてやるよ!」とシズコに釘をさす。

「ハハハ、いいんですよ。しかし随分可愛らしいお嬢さんですね。よろしくお願いしますよ」と幕僚長。

とその横から幕僚長の手下であろう銀ぶちメガネの中年男が「本当にこんな小娘で大丈夫なんですかねえ…」

とメガネをずり上げながらシズコの顔を覗き込む。

俺はカチンときて「メンバーを任せると言ってきたのはあなた達でしょう?こちらから言わせてもらえばあなた方のパイロット達よりこいつの方が相当役に立つと思いますがね」と言ってやる。

「な、何を言うんだね君は!」と顔を真っ赤にしてメガネ男。

「こいつが気に入らなければ、あんたら自衛隊から代わりのパイロットを出せばいい。でも空母に着艦できるパイロットがいるんですか?おたくに…」と俺。

メガネ男は顔を真っ赤にしたまま黙り込んだ。

「まあまあ」と俺をなだめるように幕僚長が笑いかける。横でシズコが半分べそをかいて目にいっぱい涙を溜めている。

シズコにハンカチを渡しながら幕僚長とメガネ男のあとについてビルの方に歩いていく。

階段を登り上の階へあがるとそこはなんと人がいっぱいの出発待合いロビーである。

フライトスーツとサバイバルツールなどが入ったベストを身につけ、おまけにヘルメットを片手にぶら下げた俺たちは一斉にみんなの注目を浴びる。

特にシズコは女性なのでなおさらだ。

ロビーにいる女の子たちがあこがれの眼差しでシズコを見ている。

若い男たちの中にはスマホのカメラで撮影しているヤツまでいる。

「この任務って機密事項じゃなかったんですかあ?」と声をひそめながらシズコ。

シズコの言うとおり機密事項ならこんなに大勢の人前に出ることはまずないだろう。

「さあな。もうここまでくると機密でもなんでもなくなるんじゃないか?」と俺は適当に返事をする。

扉を通りぬけ長い廊下を歩く。突き当たりの部屋に通される。

「さあどうぞこちらへ」と背広を着た、どこかで見たことのある男が俺たちを前の席へと案内する。

「あの人テレビで見たことある…」とシズコ。

その男がまずは壇上に立つ。自己紹介を聞いて内閣官房副長官だった事を思い出す。

どうりでどこかで見たことがある訳だ。シズコにその事を説明すると

「ふーん」とどうやらあまり興味がないらしい。

副長官の後に先程のメガネが壇上に上がり今回の任務を説明する。

ハワイまでの空路や定期交信の時間、首相の機内会見は何時以降が望ましいなど俺たちには全く関係のない話ばかりが延々と続く。

俺たちが知りたいのはどこで政府専用機と別れてどうやって空母に行きつくか

という事だけなので、あくびを我慢しながら適当に相槌を打って聞いたふりをしている。

俺の横ではシズコが退屈そうにヘルメットに貼ってあるキティちゃんのシールを違う場所へ貼り替えたりして遊んでいる。

ひととおりの説明が終わり1時間後に再度集合という事でひとまず解散となる。

部屋から出ようと席から立ちあがった時、「政府専用機の機長ヨシカワです。よろしく!」

という声に俺とシズコが振り返る。

見るとパリっとしたパイロットスーツに身を包んだ50代くらいの男性が微笑みながら手を差し延べている。

まずは俺と握手。替わってシズコとも握手をする。

同じパイロットいえども向こうはかっこいいスーツを着たバリバリのエリート。

こちらは汗まみれの作業服を着込んだ肉体労働者という感じである。

「あちらで少しお茶でもどうですか?」と機長に誘われ搭乗員の休憩室に入る。

機長のほか副操縦士とフライトアテンダーのチーフが俺たちと同じテーブルに着いた。

「随分ユニークな機体のペイントですね」と機長のヨシカワさん。

俺たちの機体に描かれている「楽しいお買物はスーパーダイジュへ!」の文字とオバQやキティちゃんの絵の事を言っているのだろう。

「政府専用機にもどうですか。あれくらいの遊び心があれば日本の好感度も上がるんじゃないのかなあ?」と俺。

「あっ!それいいアイデアですね。日本もそれくらいのユーモアがあっていいと思いますど!」

と機長のとなりに座っている40代前半くらいのまじめそうな副操縦士。

俺は冗談で言ったつもりなのに真に受けられたのが何だか悲しい。

ふと隣を見るとシズコが出されたコーヒーに全く手も付けず、飲もうともしていない。

「どうしたんですか?冷めてしまいますよ」と30代前半くらいと思われる、結構きれいなフライトアテンダーのチーフがシズコに声をかける。

シズコは恥ずかしそうにしながら俺に耳打ちする。どうやらフライト前に水分を摂って空の上でトイレに行きたくなるのを心配してたらしい。

戦闘機は旅客機と違ってもちろんトイレはないし機内食も出ない。ずっと酸素マスクを付けたままただひたすら飛んでいるだけである。

トイレに行きたくなっても腹がへっても我慢するしかない。

そのような事情をフライトアテンダーのチーフにそれとなく話す。

「あら…そんな事とは知らずにごめんなさいね。でも空を飛びたいのならそんなハードな仕事より私たちと同じフライトアテンダーになるという手もあるわよ。あなたの容姿なら申し分ないと思うけど…」とそのチーフ。

「私、飛行機の操縦がしてみたかったんです。でも決められた空路を決められた時間どおりに飛ぶ単調でつまらない旅客機じゃなく、自由に空を飛べる戦闘機に乗りたかったんです」とシズコ。

機長のヨシカワさんと副操縦士が顔を見合わせ咳払いをしている。何だかシズコのひとことでその場が気まずい雰囲気になってしまった。だが、あくまでもマイペースのシズコにはそんな事を知る由もない。


1時間後、最終の打ち合わせを済ませ外へ出る。俺たちが駐機しているところから少し離れた場所に政府専用機がタラップを付けられ待機している。

機体外部や兵装の最終チェックをしていると大勢の人間を引き連れながら首相が外へと出てきた。

待ち構えていた報道陣が一斉にカメラをそちらへ向ける。

タラップの登り口付近で周りの取り巻きにひととおり挨拶した後、首相は階段を登りはじめる。

途中、俺たちのおもしろい機体に気づいたのか「あれは何だ?」というような仕草でこちらの方を指さして、横にいるお供らしき人間にたずねている。

しばらくして俺たちの事がわかったのかこちらに向かって手を振り始める。

俺たちも大きく手を振ってそれに答える。と一斉に報道カメラがこちらを向いた。

「おっ!おいこら!やめないか!」と先程のメガネがあわてている。

が、シズコは何のおかまいもなくピョンピョン飛び跳ねて両手を振ってはしゃいでいる。


首相が機内に入りドアが閉じられた。俺たちも機体に乗り込み離陸の準備を始める。

航空幕僚長が「それではよろしくお願いします。お気をつけて…」と俺に声をかける。

俺は軽く笑いながら「では行ってきます」とひとことだけ答える。

横を見るとシズコがさっき泣かされたばかりのメガネに声をかけられ、コクピットの中で何故か笑いながらうなずいている。


政府専用機が動き出したのを見届け、俺たちも後を追うようにタキシングを開始する。

巨大な旅客機である政府専用機のうしろにそれより数倍小さいF−15が2機、後に続く。

誘導路を3機並んでトロトロと行く姿は傍から見ればカルガモ親子の行進みたいだろう。

俺はエレクトリカルパレードの白鳥を連想してしまった。


10分程誘導路をノロノロと進み、やっとの事で滑走路の入口に到着。

まずは政府専用機が滑走路に進入し離陸を開始する。

巨大な機体をゆっくりと徐々に加速させていき「どっこいしょ!」という感じで重々しく地面から離れる。

無事に離陸したのを確認したあと、俺たちも管制塔から離陸許可をもらい滑走路に進入する。

スラストレバーをいっぱいに倒しエンジン出力を最大にする。背中がシートに強く押し付けられ、瞬く間に時速240Kmに到達。

操縦桿を手前に引き込み機首を上げる。難なく離陸完了。

ランディングギアを格納し先に離陸した政府専用機のあとを追う。シズコも無事に離陸し俺のすぐ横を飛んでいる。

事前の打ち合わせどおり俺が専用機の左後ろ、シズコが右後ろにポジションをとり徐々に高度を上げていく。

実際に飛んでいる旅客機を真近かで見るのは初めてだが、何故こんなデカイ代物が宙に浮くのか不思議でたまらない。


雲を突き抜けて雲上に出る。太陽の光が体を包みこみ心地よい暖かさだ。雲の切れ間から時折見える海面がキラキラと輝いている。

「たいちょー!暖かくて何だか眠たくなりそうです」と無線でシズコ。

首相の護衛という重大な任務でありながら敵機に向かって飛んでいくほどの緊張感はないので、無理もないかもしれない。

「おいおい!居眠り運転して総理大臣に追突でもしたら一大事だぞ!」と俺。

「だったら何かおもしろい話でもしてくださいよー」と退屈そうな声でシズコ。

おもしろい話と言われてすぐに話せるほど俺は頭の回転が良くない。まだ飛び立ってから30分もしていないのにこのありさまでは先が思いやられる。

「さっき空港であのメガネと何話してたんだ?やたらうれしそうにしてたけど…」と俺は全然おもしろくもない質問をする。

「それは内緒ですよー」とシズコが意味深な返事をする。

「ふーん。話したくなければ別にいいけど…」と俺。そっけなく言い返す。会話が途切れる。


しばらくしてシズコが「何でつっこみを入れてくれないんですかあ?そんな風じゃ会話にならないでしょう。

男の方がどんどんリードしていかなくちゃ女の子は退屈しちゃいますよ!」とムチャクチャ身勝手なことを言っている。

いつもはこちらが聞きたくもないのに男の話ばかりを機関銃のようにしゃべりまくられ大迷惑を被っているというのに一旦、自分のネタがきれて退屈になってくると今度は人にしゃべりを強要するというとんでもないやつだ。

「別にお前が話したくないのなら無理に聞こうとしなかっただけだよ」と俺は適当にその場をごまかす。

「何を話してたか聞きたい?」とシズコ。

ここで「別に…」なんて言ようものなら大変なことになりかねないので「ああ…」と一言だけ答える。

「あの時ね…」とシズコがしゃべり始めると急に政府専用機から無線が入る。

「スカイウォーカーダイジュ、レーダーの2時方向に怪しい機影を捕らえたが何かわかるかね?」と機長のヨシカワさん。

自分のレーダーで確認すると確かに民間機でもなく自衛隊機でもなさそうな機影が写っている。俺たちみたいな戦術航空団とも少し違うようだ。

「正確にはまだ確認はできませんが、とりあえず警戒体制に入って様子を見ます」と機長に連絡する。

「シズコ!兵装のロックを全て解除して警戒体制に入れ」と専用機の反対側を飛んでいるシズコに無線を入れる。

怪しい機影は3時方向に移動してきている。遠巻きに俺たちの様子をうかがっているようにも見える。

「ヨシカワさん、今まで政府専用機が襲われたことは?」と機長に聞いてみる。

「今まで一度もありません。今回のケースも初めてではないかと思います」と機長。

「まったく…なんて俺たちはついてないんだ…」と思いながら更にレーダーで怪しい機影の動きを確認する。

「たいちょー!敵は4時方向まで回り込みましたよ!私たちの後ろに付こうとしてるのでは?」とシズコ。

「まだ敵と決まったわけではないぞ。だがその確率が高いかもな」と俺。

怪しい機影は更に後ろへ回り込み俺たちの真後ろにぴったりと付いた。

「たいちょー!攻撃してもいいですか?」とシズコがあせりだしている。

「専用機のそばから離れるな!攻撃するときは俺が命令する」と少し強い口調でシズコをなだめる。

怪しい機影は俺たちの真後ろから徐々に近づいてくる。どうやら一機だけのようだ。

「もうすぐ中距離ミサイルの射程圏内に入っちゃいますよ!どうしますか?」とシズコはかなりイラついてきている。

政府専用機に向かってミサイルを発射されたらもう防ぎようがない。かと言ってこちらから安易に攻撃することもできない。

難しい決断を迫られる。

「たいちょー!ミサイルの射程圏内に入りました!」とシズコが叫ぶ。

「よし、シズコ!ヤツの背後に回れ!だが、まだ攻撃はするなよ。とりあえずロックオンでもして脅しをかけてやれ!」

とシズコに指示を出し、俺は見通しがいい場所に移動を開始する。

シズコが機体をひるがえし旋回を開始した瞬間!

「おーい、テツヤ!真面目に仕事しているようだな!」と、どこかで聞き覚えのある声が無線機を通じて耳に入る。

「えっ!」と思い、しばらく考えたあと「…もしかしてジャックか?」と聞き返してみる。

「ハハハ、元気か?久しぶりだな。お前の仕事ぶりを見学させてもらいに来たよ」と、こちらの状況も知らずにのんきな声。

あわててシズコに攻撃中止命令を告げる。

「シズコ!ヤツは米軍機だ。攻撃するな!」

シズコは何が起きたのか状況がつかめず「えっ!何?」と混乱している。

俺はほっとしたと同時に少し腹がたってきて「まぎらわしい動きをするなジャック!来るなら前もって連絡しろ!」とついつい口調を荒げてしまった。

「まあ、そう怒るなテツヤ。今、厚木基地から空母へ戻るところなんだが、途中でお前が首相の護衛をしているのを思い出してな、少し引き返して来たんだ」とジャック。

「空母に戻るって、どこにいる空母だ?」と俺。

「太平洋を巡航しているジョージ・ワシントンだよ。お前も今からそこに行くんだろ?よかったら案内してやるぜ」と自慢気にジャック。

ジャックはアメリカ海軍のパイロットで以前、日米共同演習に参加したときに知り合った。

俺と同じで酒に目がなく演習をやっている間中、毎晩のように酒宴をもうけて酒を酌み交わした。

「どうして俺たちがジョージ・ワシントンに着艦することを知ってるんだ?」

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