38:それぞれの運命

 光に満ちる王城の廊下で、彼――スペイドが堂々と歩く姿は、目を奪われるほどに美しい光景だった。


 ジルコニアはその美しいものを自らの手で汚したことに心が痛むが、すぐに彼自身が悪いのだと思い直す。


 国王に道を譲るために廊下の端に寄り、軽く頭を下げて通り過ぎるのを静かに待った。

 彼の足音が徐々に近づき、そして遠ざかるだろうと思われたそのとき、目の前で足音がやんだ。


「顔をあげよ」


 彼の低く落ち着いた声が頭上から降りそそぐ。驚いて見上げると、スペイドは無表情でジルコニアを見ていた。従者は少し離れた場所で待機している。


 スペイドは眩しそうに目を細め、硬い声で言う。


「……元気そうだな」

「陛下こそ」


 ジルコニアは反射的に微笑みを浮かべて答える。彼の目が探るように向けられるが、内心の動揺を決して悟られないように笑顔を保ち続けた。


 やがて彼は視線を少しはずし、用件を切り出した。


「本神殿へ行くのか?」

「はい」

「……俺がやるべきだが、それだと半日かかる。ハルトなら一瞬だ」

「陛下が『祝福』をするのですか?」

「は?」

「え?」


 何もわかっていない顔の彼女に、スペイドは「本気か?」と驚きの眼差しを向ける。

 ジルコニアは数秒考えたあと、ようやく思い至った。


(禁忌魔法、の、解除!)


 襲撃事件の混乱で忘れてしまっていたが、自分の中にはまだ禁忌魔法が残っていたのだった。

 思い出した様子のジルコニアに、スペイドは苦笑する。


「最後まで俺を振り回すな。それとも、それも演技か?」

「その通りですわ」


 ジルコニアは忘れていた自分が恥ずかしくなり、そっぽを向いて虚勢を張る。


 2人の間に一瞬の沈黙が訪れた。そして同時に顔を合わせ、互いの目を見る。その視線は穏やかなものだった。

 ジルコニアは懐かしむように柔らかく微笑んだ。


「……陛下と、このようにお話しができて嬉しいですわ」


 スペイドはわずかに口を開くが、言葉が出ることなく閉じられた。

 ジルコニアはそれを寂しく思うが、これが適切な距離なのだと理解し、それ以上は何も言わなかった。


 スペイド迷いなく歩き出し、去っていった。その後ろに従者が続く。


 背中を見送りながら、ジルコニアの感情は複雑に揺れていた。

 彼の心に深い傷を負わせた、という罪悪感はもちろんある。しかし、彼がクロヴァを苦しめたことへの憎しみが消えることはない。


 まだ生々しい切り口を見せる傷跡は、触れると鋭い痛みが走る。時間が経てば傷は少しずつ癒えていくだろうか。

 ジルコニアにできるのは、いつか過去の事として思い出せる日を、静かに待つことだけだった。


(……いまは目の前のことだけを考えよう。禁忌魔法の解除のために、本神殿へ)


 ジルコニアはスペイドと反対の方向へ歩き出した。



  ◇ ◇ ◇



 ハルトが守護樹の葉を握りしめると、葉は灰となって指の間からこぼれ、床に落ちる前に消えていった。彼が両手を軽く打って灰を払う音が、本神殿の高い天井に響きわたる。


 ハルトはあくびをして、近くにあった礼拝用の椅子に座り、背もたれに肘をかけた。


「さて、陛下の命令どおり目の前で壊したよ」

「ありがとうございます。まったく体に変化はありませんが……」

「それだけ高度な魔法なんだよ。言っとくけど、こんだけ複雑な魔法、普通は解除に丸1日くらいかかるからね。僕が天才なだけだから」

「承知しております。重ねてお礼申し上げますわ」


 ハルトは不機嫌そうに鼻を鳴らすと、再び大きなあくびをした。巡礼先から急ぎの馬車で2日かけて帰り、到着したのが今朝だという。

 彼から聖なる付添人シルク・メイデンの『祝福』を受ける時も、禁忌魔法の解除の直前も、ずっと「寝てないんだけど」とぶつぶつ文句をたれていた。


 ハルトは背もたれに体をあずけ、腕を枕にして頭を乗せると、半分目を閉じたまま彼女の方を向いて訊ねた。その声には、疲れの中にも好奇心があった。


「で、うまくいってよかったね。あんま詳しく聞いてないけど、どうやったの?」

「陛下をたくさん傷つけて、思い出を壊して、彼の思いを否定して、心を折りました。私が殺すに値しない女だと理解していただきました」


 ジルコニアが淡々と説明すると、ハルトは驚いて目を見開き体を起こした。顔をしかめるようにして笑って言う。


「意外だね。そんな人だったっけ」

「褒め言葉として受け取りますわ」

「いや、褒めてるよ。それに……正しい選択だと思う」


 思わぬ肯定の言葉に、今度はジルコニアが驚いた。


「私のこと、嫌な女だと思いませんか? ご友人をひどく傷付けたのに」


 そう言うと、ハルトは大きく笑った。その笑い声は天井に響くほどで、ジルコニアは彼の急な変貌に戸惑いを見せた。


 ハルトはひとしきり笑ったあと、目尻に浮かんだ涙をぬぐいながら言う。


「そういや、スペイドと僕は友人だったっけ。キミのおかげで思い出したよ」


 そして彼は、「友人としての立場から言わせてもらうと」と前置きをしてから言葉を続けた。


「結局、スペイドがキミに執着しすぎなのが悪いんだよ。つまりキミに甘えていたんだ。突き放してくれて感謝するよ。……ここから先は、あいつの問題だ。キミはさっさと騎士団長殿と幸せになればいい」


 ジルコニアはハルトの言葉に、彼なりの誠実さとスペイドへの友情を感じ、心が温かくなった。


「陛下は本当に素晴らしい友人をお持ちね」

「僕もそう思うよ」


 ハルトはあくびをしながら立ち上がると、用はなくなったとばかりに本神殿の奥へと戻っていった。

 彼女はその背中に向かって礼をして、反対側にある出口へと向かった。



  ◇ ◇ ◇



 ジルコニアは王城の図書館の奥深くにあるソファに身を沈め、頭上のはるか高い天井に目をやっていた。

 彼女の瞳に映るのはその天井の荘厳な装飾ではなく、心の中に広がる空虚だった。


 さきほどダイヤと会い、聖なる付添人シルク・メイデンの挨拶を行った。

 その後の雑談の中で、ダイヤの教育係を務めていたレンダー伯爵夫人の娘であると伝え、「何か悩みがあれば話してほしい」と水を向けた。

 予想通り、ダイヤからは結婚に対する消極的な心境が語られた。彼女は国王と結婚することに重責を感じており、スペイドに対しては異性としての意識はまだないと打ち明けた。

 ジルコニアはダイヤの話に耳を傾け、不安を肯定し、その上で刷り込むように少しずつ前向きな言葉をかけ続けた。


 ダイヤはスペイドの立場を『神秘の記憶』で理解していた。

 彼が18歳という若さで国王となった際にブルーダー公爵先王の弟を摂政とするか否かで揉めたことにより、国王派と公爵派の派閥が生まれてしまったこと。そのため臣下の中にも公爵派が少なくなく、いまでも国王としての立場が盤石とはいえないこと。


 ジルコニアは優しく諭すように言う。


「たしかに陛下にとっては、聖女様との婚約はご自身の影響力を強くするための政略結婚かもしれません。しかし、その中で生まれる絆というのも存在するのだと、私は信じています」


 最終的にダイヤは婚約を続ける意志を示した。


「まだちょっと不安だけど、がんばってみます!」


 ジルコニアはホッと息をついたが、これで万事解決ではない。これから先もダイヤに声をかけ、不安を消し、彼女を騙し続けなけばならない。


 ジルコニアは図書館の天井に向かって小さな声で呟いた。


悪役わがままって、疲れるのね……」


 天井には美しい装飾と、壮大な宗教画がある。雲の隙間から顔をのぞかせる天使たちが、迷える人々に天啓を与える場面。


(今までは誰かが決めた道をなぞっていて、それはそれで幸せだった。自分で道を決めるとなると、何もない場所にひとりきりでいるみたいに、孤独で……)


 いまの道が正しいのかわからず、どこかに『答え』がないか探していた。

 図書館の奥、天井に描かれる雲の隙間に、目を凝らす。そこに求める答えなどないと知りながら、何かを探してずっとさまよっている。


 そのままぼんやりと座っていると、図書館の扉の開く音がして、館内に足音が響いた。

 力強い革靴の音から男性だとわかった。彼はまっすぐ、彼女のいる最奥のソファへと歩みを進める。

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