37:平和な朝


 翌朝、ジルコニアは目を覚ました。その瞬間、昨夜の出来事が頭の中を駆け巡った。

 国王との緊迫した対峙、突如として起こった襲撃事件、そして深夜の馬車内でのクロヴァとの甘いやり取り。様々な感情が訪れては去り、疲れて枕に顔をうずめた。


「……ダメ、こんなことをしている時間はないわ」


 解決しなければならない最後の課題が残っているのだ。


 昨日、大勢の前で国王スペイド聖女ダイヤの婚約が行われた。

 スペイドはそれを黙って受け入れているが、突然言われたダイヤは戸惑っていた。


 この国で聖女は絶大な支持があり、時に国王より強い発言力を持つ。

 もし聖女自身が婚約に難色を示せば、婚約は崩壊する。


 スペイドがジルコニアから手を引いたのは、思い出を破壊し、聖女との婚約という枷をつけたからだ。


(枷がなくなれば、陛下が再び私を殺しに来るかもしれない)


 最後の課題――それは純粋無垢なダイヤを説得し、彼女がスペイドとの結婚を肯定的に受け入れるよう導くことだった。

 何の罪もない彼女に偽りの幸福を押し付けることとなるが、悪になる覚悟はとっくにできている。


(さすが私ね。悪役が板についてきたわ)


 笑おうとするが、ため息のような声が漏れるだけだった。


(……まずはダイヤ様と会う口実を見つけないと。襲撃事件のお見舞い、でいいかしら)


 ぼんやりと考えながら、部屋に入ってきたメイドに着替えや髪のセットをしてもらい、朝食をとるため食堂に行く。


 そこには父と母が揃って座っていた。

 父は宮廷防衛の仕事でほとんど家に帰らず、母は朝早くから夜遅くまで聖女の教育をしていたため、両親の顔をしばらく顔を見ていなかった。


 ジルコニアは驚きつつも挨拶をする。


「おはようございます、お父様、お母様」

「おはよう」

「おはよう、ジルコニア」


 父と母は疲れた顔をしているが、どこか晴れやかな表情だった。


 ジルコニアは母親の隣に座る。母親が心配そうにジルコニアの顔を覗き込む。


「昨日は大変なことがあったと聞いたわ。あなたが無事で本当に良かった。怖かったでしょう?」

「私は皆様に守られていましたので、何ひとつ怖いことはありませんでしたよ」

「あなたは本当に強い子だわ」


 母の顔には心配の色がまだ残りつつも、娘の無事な姿を心から喜ぶように目を細める。


「家族で食事をとるのは久しぶりですね」


 ジルコニアが声をかけると、父親と母親はそろって笑顔になる。


「聖女様の教育に区切りがついたの。今度からは数日に一度程度、顔を出すだけになりそうよ」

「騎士団長のメイス伯爵が帰ってきたおかげで、緊急体制が解除された。今日から通常の仕事に戻ったんだ」


 父親と母親はお互いを見て、喜びを分かちあうように笑った。


 ジルコニアの心には温かな安心感が広がっていった。

 両親の笑顔は、数ヶ月前の平和な日常を思い起こさせるものであった。その当たり前だった幸せな光景が、いま目の前に再び現れたことで、少しずつ平穏が戻ってきたことを実感する。


 父親は朝食を食べながら続けた。


「それに、大神官殿も明日には帰られるそうだ」


 ジルコニアは驚いて聞き返す。


「明日、ですか? まだ10日あまりあると思っていましたが」

「行程途中の橋が落ちていたとかで、進めなくなったと聞いている。復旧にかなりの期間がかかるそうだから、王城へ帰ってくるらしい。2ヶ月前に陛下が聖地巡礼を強行した時には驚いたが、こうして国内の情報が集まってくる。道の状況だけじゃなく、地方の動きもな」


 父親は得意げな様子で言う。


「いくつかの領地で、ブルーダー公爵支持派が不穏な動きをしていたことがわかったらしい。いまその対策を進めている最中だ。さすが陛下、深いお考えがあったんだな。陛下は王太子の頃から才覚を発揮し――」

「ねえあなた、あの手紙のことを話さないといけないんじゃない?」


 話が長くなりそうになった父親の言葉をそっとさえぎり、母親は優しく問いかける。父親は上機嫌のまま「そうだった」と言い、懐から手紙を取り出した。


「王室からの手紙だ。ジルコニアが聖なる付添人シルク・メイデンに選ばれた」

「まあ、私が?」


 聖なる付添人シルク・メイデンとは、聖女祭で聖女のそばにつき手助けをする人のことで、選ばれることは大変名誉なことであった。


 父親は手紙を見ながらしみじみと言う。


「レンダー家と神官側には確執があるから、選ばれることはないと思っていたが……。心当たりはあるか?」

「……いいえ」


 ジルコニアはこれまでの顛末を両親に話そうかと思ったが、やめておいた。国王が非道な行いをしたことを両親が知り、心を痛めるのは忍びないと思った。


 それに、選ばれた理由も判然としなかった。スペイドが罪滅ぼしから選んだのか、それとも別の意図があるのか。

 スペイドが何かを計画しているのなら、それを探らなければならない。


(ダイヤ様の婚約の件が完全に片付いていないのに、もう次の問題が……)


 ジルコニアは頭が痛くなってきたが、両親を心配させないために笑顔を保つ。

 そのとき、ハッとひらめくものがあった。


「そういえばお父様、選ばれたら大神官様から『祝福』を受けなければならないのですよね?」

「よく知ってるな。その通りだ」

「私、できるだけ早く受けたいですわ。それと、聖女様へ聖なる付添人シルク・メイデンになったことのご挨拶ができないでしょうか? 聖女様とは昨日のパーティでお会いして、ぜひまた会いたいと言われていますの」

「それは素晴らしいな。聖女祭まで日数がないから交流は早く始めた方がいい。私が予定を進めておこう」

「お願いいたします。それと、聖女様とは2人きりで会いたく思います。他のご令嬢のいる前で話を持ち出すのは、自慢話と受け取られかねませんので」

「そこまで配慮できるとは、さすが我が娘だな。まかせなさい」


 父親は満足そうな顔で頷いた。


(ダイヤ様に会う口実を手に入れたわ。当日までに、また台本を用意して……)


 ジルコニアは和やかに朝食をとりながら、頭の中で計画を立てていった。



  ◇ ◇ ◇



 翌々日、ジルコニアは王城の長い廊下を歩いていた。

 彼女の目的地は王城敷地内の東端に位置する本神殿で、そこで『祝福』と聖女との会合が行われる予定だった。


 心の中で自分に言い聞かせる。


(今日の準備は完璧。あとは、スペイド様に出会わないよう気をつければいいだけ……)


 ジルコニアは、彼にどのように接すれば良いのか、答えを出せずにいた。

 以前のように親しげに振る舞うことはもうできないが、それでいて彼に冷たくするのも想像するだけで心が痛い。


(……陛下にとって私は、心をもてあそんだ悪女だから、傲慢な態度をとればいいのかしら)


 悩み過ぎて、思考が方向を見失って飛んでいく。

 結局は『しばらく会わなければいい』という、その場しのぎの結論に落ち着いた。


 そのとき、廊下の向こう側に人影が見えた。

 ジルコニアは嫌な予感がして逃げようとするが、すでに目が合ってしまっていた。

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