32:ダンスをしましょう

 王宮の迎賓館は聖女との交流を目的としたパーティで賑わっており、約50名の招待客たちが和やかな雰囲気で談笑していた。


 ジルコニアは会場の壁際に立っていた。

 その周囲を、多くの令嬢が半円形に囲んでいた。


 ジルコニアは体調不良という理由で2ヶ月ほどパーティの参加をしていなかった。そのため多くの令嬢が復帰を待ち望んでおり、彼女を囲んで心配や暖かい励ましの言葉が交わされていた。

 ジルコニアは一人ひとりに感謝を述べ、その優しさに応えた。そして最後に、皆の顔を見て言う。


「私も皆さまと久しぶりにお会いできて、心から嬉しく思いますわ。多くのご招待をお断りしてしまって、申し訳なく思っております。体調はすっかりよくなりましたから、こりずにお誘いいただけると、光栄に思います」


 令嬢たちはジルコニアの言葉に歓喜し、我も我もと彼女への誘いの約束を取り付けようとする。


 その声がふと途切れた。令嬢たちの視線はある一点に注がれている。

 会場の中央で大勢に囲まれていたスペイドが、ゆっくりとジルコニアの方へと近づいてきていた。


 令嬢たちは国王の動きに気づくと、彼女ともっと話したい気持ちを抑え、目配せし合ってさっと離れていった。


 スペイドが近付く直前、音もなくクロヴァが隣に立った。彼は会場警備として、騎士団の制服である濃い藍色の軍服姿で参加していた。


 ジルコニアはワインレッドの豪華なドレスを身にまとっていた。レースや刺繍やビーズの装飾がふんだんにあしらわれ、美しい彼女の魅力を華やかに引き立てていた。


 スペイドはクロヴァに視線もやらず、平然とした態度でジルコニアに話しかけた。


「姿を見せないから君の身を案じていたよ」

「ご心配、痛み入りますわ」


 白々しい問いかけに、ジルコニアは完璧な微笑みで答える。クロヴァはジルコニアの隣で、いつも通りの真面目な顔で立っていた。


 そのとき、パタパタと足音が聞こえた。ダイヤが3人のもとへと走り寄ってくるところだった。


「あっ! ジ、ジルコニアッ……様! 来てたんですね!」


 ダイヤは目を輝かせてジルコニアの手を取る。


「2ヶ月もお会いできなくて、ずっと心配してましたよ!」

「ダイヤ様もお久しぶりですわ。もう体調はよくなりましたから、これから交流させていただけないでしょうか?」

「もちろんです! あのっ、おちゃ、お茶会とか、来てもらえると、いいかなって!」

「ぜひ参加させてくださいませ」


 2人の会話に花が咲いた。スペイドはその様子を冷たい視線で一瞥すると、用はなくなったとばかりに立ち去ろうとした。


「陛下」


 それをジルコニアは呼び止めた。スペイドは少し驚いてジルコニアを見る。


「……何だ」

「もうすぐダンスの時間ですが、陛下はダイヤ様と踊られないのですか?」

「えっ、私、ダンスとかしたことないですよ!」


 ダイヤが大声で否定したため、周囲の注目が集まった。

 ジルコニアは少しだけ声を大きくして、周囲に聞こえるような声で言う。


「陛下とダイヤ様が踊るところを見たいですわ」

「だ、だから! ダンス習ったことないんです!」

「簡単なステップでしたらすぐに踊れますわ」

「ムリですムリムリ! 恥さらしですよ!」


 ダイヤが大声で否定するため、周囲に不穏なざわめきが広がっていった。

 貴族たちが声をひそめて会話する。


「どうしたんだ? 聖女様が困っているようだ」

「レンダー伯爵のご令嬢がダンスの無理強いをしているみたいよ」

「聖女様に恥をかかせようとしてるってか? 狡猾なレンダー家らしいな」


 ジルコニアは周囲の空気が刺々しくなるのを待ってから、陛下へと顔を向けた。


「陛下、私が初歩のステップを教えますので、後で踊っていただけないですか?」

「……聖女がそれでいいなら」


 ダイヤは涙目でスペイドを見るが、ジルコニアは無理やり手を掴んで向かい合う。


「私が男性役をしますから、ダイヤ様は私の言うとおりに動いてください。まずは右足を前へ。その足に体重を乗せるように体を引き寄せて、そう、上手だわ」


 突然始まったダンスレッスンに、周囲は眉をひそめて見守った。ダイヤは顔を真っ赤にして、わけも分からずジルコニアの言うとおりに体を動かす。


「その調子。ダンスは音楽に合わせて体を動かせばいいだけですから、後は陛下が上手くやってくださいますわ」


 ジルコニアは手をつないだままスペイドの方へ向かい、彼に向かってダイヤの手を差し出す。


「お願いいたします」

「……ああ」


 スペイドはダイヤの手を取った。同時にダンスの音楽が始まる。ゆったりした曲調の、初心者向けの音楽だった。


 ダイヤはスペイドにしがみつくような姿勢で、先ほど覚えたステップを必死にこなす。彼女のぎこちない動きを、周囲の人はハラハラとした様子で見守った。


「ス、スペイド様、すみません、こんなこと」

「悪いのはジルコニア嬢だ。君が失敗しても、恥をかくのは彼女の方。気楽にやってほしい」

「でも、スペイド様にも迷惑が……」

「余計なことは考えず、音楽のリズムを聞いて。ほら1、2、3、4。足じゃなくて体を動かすんだ。足は勝手についてくる」


 ダイヤの緊張していた体は、次第に力が抜けていき、音楽を楽しむ余裕が出てきた。

 見守っていた参加者たちに安堵の表情が浮かび始める。ダイヤの成功を、皆が祈り、応援していた。


 先ほどの不穏な空気から、温かい一体感のある空気へと変わっていった。


 ダイヤは興奮気味に言う。


「ちょっと、できるように、なってきました」

「筋がいい」


 スペイドが褒めると、ダイヤは照れ笑いを浮かべる。


 音楽が終わると同時に、盛大な拍手が起こった。ダイヤの近くにいた貴族たちは、口々に聖女の健闘をほめたたえた。

 ダイヤは恥ずかしさと達成感で、顔を赤くしながらも晴れ晴れとした表情をしていた。


 ジルコニアは拍手をしながらダイヤへと歩み寄った。


「さすが聖女様ですわ。とても綺麗でした」


 ダイヤはその言葉を聞いて、ホッと安心した笑顔になった。心がゆるんだのか、ジルコニアに内心を吐露する。


「私、ダンスとか、自信なくて、練習してなくて……。実は聖女っていうのも、本当に私でいいのかなって、いつも不安なんです」

「自信なんてなくていいのですよ。胸を張って、前を向いて。必要なのは背筋を伸ばす力だけです」


 そう励ますと、ダイヤは急いで背筋を伸ばした。素直な動作に、ジルコニアは微笑ましそうに目を細めた。


「いい子ね。胸を張ったら顎を引いて。そう、その姿勢よ」


 優しい声でそう褒めると、ダイヤは頬を緩めて呟いた。


「やっぱり推せるッ……」

「おせる?」

「い、いえ! 私、聖女として精一杯がんばります!」


 ダイヤは両手でこぶしを握り、元気いっぱい返事をする。そしてふと周りを見て、皆が不安そうにこちらを見ていることに気付いた。


「わ、私、なにかダメでした?」

「ダイヤ様のことが心配なのですよ」

「心配?」

「ダンスが苦手なダイヤ様に、私が無理強いをしましたから」

「そんな!」


 驚いたダイヤは、周囲に向かって力説する。


「みなさん、違いますよ! たしかに私はダンスが苦手でしたけど、ジルコニア様に背中を押してもらえて、がんばろうって思えました! だから、心配いりませんよ!」


 その素直な言葉に、周囲にいた人々の顔が不信から安心に変わっていく。心温まる空気が広がった。皆が口々にダイヤの向上心を褒める中、ジルコニアを評価する声もあった。聖女に成長の機会を与えたと好意的に解釈され、「やはりレンダー伯爵の令嬢は一目置かれるだけある」と再評価される。


 ダイヤは他の人に呼ばれ、別の会話の輪の中へと入っていた。

 ジルコニアはその場に残ったスペイドと目を合わせる。


「素晴らしいダンスでしたわ」

「……何を企んでいる」


 次のダンスの曲が始まった。周りの男性たちは近くの女性に声をかけ、ダンスを始めていく。


 男性は近くにいる女性に一声かけるのが礼儀だった。そのため、曲が始まる際は誘いたい女性の近くに立つのが暗黙の了解となっている。

 スペイドの一番近くにいる女性はジルコニアだった。ここで彼女を誘わなければ、女性に恥をかかせたとして評判に関わる。


 彼は手を差し出してダンスに誘うが、その微笑みの下で苦々しい思いをしていることは明らかだった。


 ジルコニアはにっこりと微笑み、スペイドの手を取った。


(ここまでは、順調ね)


 脚本通りに進んでいることに喜びながら、一歩間違えれば死ぬ恐怖にも怯えていた。


 2人は視線を合わせ、ゆっくりと踊り出す。

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