31:ベッドにて
ジルコニアはゆっくりと唇を離した。クロヴァを見つめると、彼の瞳には疲労の色が濃く出ていた。
「クロヴァ様、お疲れでしょう。温かいスープを用意しましょうか? それとも、もう休まれますか?」
「横にならせてもらうよ」
クロヴァは立ち上がり、顔をそむけて目元をぬぐった。そして再び彼女に向き直り、少し恥ずかしそうにぎこちない笑みを浮かべた。
「君が一番つらいのに、情けない姿を見せてしまって申し訳ない」
「クロヴァ様も苦しい立場でしょう。言い合いっこなしです」
彼女は穏やかな笑顔で柔らかく言った。クロヴァは自然と笑顔になり、2人の間に温かな沈黙が流れた。
「クロヴァ様、こちらへ」
ジルコニアは思い出したように立ち上がり、彼の手を取った。そしてそのまま、部屋の奥へと引いていく。
向かう先にはベッドがあった。
それに気付いたクロヴァが慌てて立ち止まると、彼女は振り返り、子供に優しく言い聞かせるように言った。
「今夜はきっと不安で寝付けないでしょう? 眠るまでそばで手を繋いでいます。小さい頃、怖い夜はよくお母様に手を握ってもらっていましたの」
ジルコニアはシーツをめくり、中に入るよう手で促した。クロヴァは迷うが、反論する気力はすでになかった。彼女が満足すればそれでいいと考え、指示に従うことにした。
クロヴァはジャケットを脱いでそばの椅子にかけた。ベルトがしっかりと締まっていることを確認し、念の為もう一度ベルトが外れないことを確認してから、靴を脱いでベッドの中に入った。
ジルコニアはその隣に椅子を引き寄せて座り、宣言通り、クロヴァの手を両手で優しく握る。
「安心して寝てくださいね。子守歌でも歌いましょうか?」
「……本当に寝るまでいるのか? あまり長居すると、その、よくないと思うが」
ジルコニアはその心配を聞いてふふっと笑みをこぼした。
「お父様もお母様も、あなたを信頼しているんですよ。きっと娘の私よりも」
「そうか、そうだな、わかった」
クロヴァは説得を諦めて、早く眠ろうと目を閉じた。騎士団ではどのような状況でも寝られるよう訓練している。目を閉じて日頃の訓練の通りやれば眠りにつける……はずだった。しかし、このような状況は想定されていなかったとすぐに気付く。
彼女の視線、吐息の音、手の感触、すべてが心をかき乱す。それらを意識しないように、下唇を噛んで気をそらそうと試みた。
ジルコニアはクロヴァの様子を見て、優しくたしなめるように言った。
「こら、噛んじゃだめですよ。寝るときの癖ですか?」
彼女の細い指が唇を軽く叩く。クロヴァは先ほどのキスを思い出してしまい、呼吸が少し乱れた。
彼女は困ったようにため息をついた。
「やっぱり、寝られないですよね。……あ、いい方法がありますわ」
クロヴァはその思いつきに何となく不安を感じたが、親切心からであるのはわかっていたので何も言わないでいた。
ジルコニアは椅子に座り直し、小さな手のひらをクロヴァの厚い胸板の上に置いた。
「心臓の音を聞くと、落ち着いてくるんですよ」
彼女はささやきながら、ゆっくりと胸を撫でて彼をなだめようとする。そして、母が子にするように、額に軽くキスをした。
彼女は早く眠れるよう助けているつもりだが、クロヴァにとってこれは試練だった。
「クロヴァ様、鼓動が早いですね。まだ緊張しているのですか?」
「緊張、というか……。あまり俺の自制心をあてにしないでほしい」
クロヴァはさすがにこれ以上一緒にいることは難しいと思い、体を起こして、ジルコニア手をそっと引き離した。
「もう大丈夫だ。ひとりで寝られるから、君も休んでくれ」
「でも、顔色が悪いように見えます」
ジルコニアは彼の顔を見て心配そうに眉尻を下げる。
クロヴァは遠回しの表現では伝わらないと諦め、短いため息をついた。
「君の信頼を裏切りたくない」
ジルコニアは一瞬、彼の言葉の意味がわからずきょとんとするが、すぐに理解して顔が赤くなる。
「で、でも、クロヴァ様はそんなこと……」
「今日は多くの出来事があって、感情の制御に自信がないんだ。君がそばにいてくれることは嬉しいが、落ち着いてからまた会いたい」
ジルコニアは静かに頷き、名残惜しそうに椅子から立った。
「……私はクロヴァ様になら、何をされても嬉しいですわ」
捨て台詞のようにそれだけ言って、背を向けて部屋から出て行った。
彼女がどのような意図でその言葉を残したのか、クロヴァには皆目見当もつかなかった。
彼はベッドの上で膝を抱えて背を丸め、深く息を吐いた。そしてここが自室でないことを恨みながら、疲れた体を横たえた。
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