33:悪役令嬢になった夜
ジルコニアは微笑みを崩さず、前方を見ながら軽やかにダンスのステップを踏む。スペイドも、周囲とぶつからないよう視線を外に向けながら、体に染みついたステップを繰り返す。
ジルコニアはこれから起こることに思いを巡らせた。うまくいきますように、と純粋な気持ちで願った。
スペイドは無言のまま、笑みを貼り付けてダンスを踊る。ジルコニアは、彼にだけに聞こえる声量で言った。
「陛下、私は人の気持ちを察することが異常にうまいのです。私の才能のひとつです」
「なんの話だ」
スペイドは彼女へ怪訝な視線を向けるが、すぐに興味を失ったかのように前を向いた。
ジルコニアは彼の反応に動じることなく話を続ける。
「この能力は、集団を扇動することにも使えます。トラブルに巻き込んだと思わせて会場の緊張感を高め、それを適切なタイミングで緩和すると、皆の中に安心感と一体感が生まれます。つまり、会場の人たちの意識の流れを、自分の望む通りに動かせるのです。これが嘘でないことは、先ほどのダイヤ様への盛大な拍手でご理解いただけたと思います」
「あれはたまたま成功しただけだろう。自分の手柄にして報告して、延命の嘆願か?」
ジルコニアは微笑んだまま答えず、曲に合わせて優雅にターンした。深紅のドレスがきらびやかに広がり、彼女の美しさに周囲から感嘆の声がもれる。
スペイドとジルコニアのダンスに、多くの人々の視線が注がれていた。
「対象が個人であれば、その人が望む通りの言葉をお送りして、その人からの好意を引き出すことができます」
ジルコニアは微笑みを浮かべたまま言葉を続けた。
「小さなころ、打ちひしがれているあなたに、私はきっと何度も救いの言葉をかけたのでしょう。しかしそれは私の本心ではありません」
ジルコニアは、スペイドの青い瞳を覗き込んで言う。
「王城の図書館にひとりでいる男児が、どのような身分であるかくらい、子供心ながらに理解していました。私はあわよくば気に入られたいと思い、彼の望む態度で、彼のほしがる言葉を送り続けました」
スペイドは表情を変えず、前を向いてダンスを続ける。ジルコニアは、彼の目が遠くを見ていることに気づいていた。彼女の言葉が、彼に過去の記憶を呼び覚ましていた。
剣術の練習を放り出し、図書館に隠れたあの日々。9歳の子供に背負いきれない重責、その責任から逃げた後ろめたさ、安らぐ場所のない孤独感。そんな時に現れ、必要な言葉をくれた幼い女の子。彼女の言葉が、多くの困難を乗り越える支えとなった。
彼女は自分に足りないものすべてを持っている気がした。手に入れることができたら、心の中の埋まらない何かがようやく満たされると信じるようになった。
ジルコニアは穏やかに笑みを浮かべたまま、静かに問いかけた。
「つらい日々でしたね。あなたは褒められたい、認められたい、愛されたいと必死でしたわ。私は望むがままに言葉を与えました」
「違う…………」
「あなたはそれで、まんまと好きになったのですか? 私は陛下に何と言ったかも覚えていないのに」
「違う、君は俺をッ……!」
スペイドはジルコニアから手を振り払い、声を荒げた。
周囲がざわっとして2人に注目する。
いままでの会話は誰にも聞こえていない。スペイドが突然、ダンス相手の令嬢を罵った形になる。
ジルコニアが囁く。
「陛下、言葉ひとつで失うものがあります」
「今がそれだと言うのか。たかが令嬢がひとり騒いだところで、失うようなものはない」
「私ひとりではありません」
ざわめきが次第に大きくなり、会場全体に広がっていった。全員の視線が2人に集中する。
今夜の招待客は、聖女と深く関わりを持たせたい有力貴族たちがほとんどだ。彼らは不審そうな目で国王を見ている。
「陛下の才気は皆の認めるところですが、後ろ盾の弱いお立場であることに変わりません。公爵は玉座をお忘れではないでしょう。陛下が立たれている地盤の固さは、ひとえに『評判の良さ』からくるものです。家格の高くない伯爵家の娘である私が、評判の良さで皇太子妃に推薦されたように」
ジルコニアの目には、これまでにない強い意志があった。
「私の命を奪わないと誓ってください。そうすれば私がこの場を収めます」
彼女が一歩後退し、周りを見渡すと、先ほどまでの喧騒が一瞬にして沈黙に変わった。出席者全員が息をひそめ、何が起こるのかを見届けようと、食い入るように彼女へ目を向けていた。
会場の緊張感は、ジルコニアによって完全に掌握されていた。
スペイドは表情には出さないが、心の中にはわずかな動揺があった。
国王と伯爵令嬢とでは、影響力に天と地ほどの差があり、天秤にかける前から結果がわかりきっている。そのため、彼女からどのように非難されても、自身の正当性をもっともらしく主張するだけでよい。
しかしいま、スペイドはその判断がとっさにできなかった。自らの立場が盤石でないことは事実であり、そういった人間が些細なきっかけで転落する例を何度も目の当たりにしていた。自身の次の一手に対する自信が揺らぎ始めていた。
ジルコニアはいつも通りの優雅な微笑みで立っている。
しかし彼女のまとう空気は明らかに変わっていた。本当に国王という地位が危うくなるかもしれない、そう思わせるほどの凄みがある。
会場に少しずつざわめきが戻ってくる。
国王が長い間沈黙していることに、疑念を抱く人が増えてきた。
先ほどまで水平だった天秤が、ジルコニアの方へ傾き始めていた。
スペイドは敗北を認めた。ジルコニアに向かって頷づき、要望を受け入れる意思を示した。
ジルコニアはドレスの裾をひるがえして振り返り、周囲に向かってよく通る声で言った。
「お騒がせして申し訳ありません、皆様」
周囲の人々のざわめきは徐々に静まり、ジルコニアの言葉に耳を傾け始めた。彼女は全員の注意が自分に集中していることを確認し、話を始めた。
「いま陛下が声を荒げたのは、私のせいなのです」
彼女は楽しげな笑みを浮かべて、喜びを隠しきれないといった声の調子で語り続けた。
「陛下が聖女様との結婚を考えていると存じ上げず、他のお嬢様を勧めてしまったのです」
ふたたび会場がざわざわする。
その声に負けないほどの大声で言う。
「陛下は私の言葉に大声をあげるほど、情熱的に聖女様を愛していらっしゃいました。聖女様、こちらへ!」
ジルコニアはある一点に向けて腕を伸ばす。そこに立っていた人達が、後ろを振り返りながら次々と左右に割れていった。
その先にはダイヤがいた。
人垣のせまい道を通って、慌ててダイヤがやってくる。
彼女の表情には、明らかな戸惑いが浮かんでいた。
「ごめんなさい、後ろのほうにいたから、あんまり聞こえなくて……」
「ほら、姿勢」
ジルコニアはウインクした。
ダイヤは慌てて背筋を伸ばし、顎をぐっと引く。
首肯するように。
一瞬の後、割れんばかりの拍手が起こった。誰もが思い描いた理想の王妃の誕生に、会場中が祝福した。
ジルコニアも満面の笑みで二人に拍手を注ぐ。
硬い表情のスペイド。何が起こったかわからないダイヤは、戸惑って周囲をキョロキョロと見る。それは誰がどう見ても、喜びの感情をこらえきれない幸せな女性の姿だった。
拍手が鳴りやんだ後も、会場は興奮に包まれていた。
ジルコニアは熱気から逃れるようにバルコニーに出た。そのすぐ後にクロヴァが続く。
外に出るだけで、会場のにぎやかな笑い声や楽器の音が遠くなる。初夏の夜の風はここちよく、耳に残る喧騒をさらっていく。
ジルコニアは欄干に軽く手を添え、その横でクロヴァが静かに彼女に寄り添って立った。
バルコニーの下に広がる中庭は、明かりが等間隔に配置され、整えられた庭園の美しさが柔らかな光の中に浮かび上がる。
ジルコニアはその瞳に明かりを反射させながら、中庭よりもはるか遠くを見つめていた。
「私の活躍はどうでしたか?」
彼女は静かな声で言った。
「見事だった」
「嬉しいわ」
クロヴァの答えに、彼女は安堵の微笑みを浮かべた。しかし、その笑顔はどこか演技めいたものがあった。
「悪役って素敵ね。この清々しさ、やみつきになりそう」
「無理をしなくていい」
クロヴァはジルコニアの髪を優しく指ですいた。彼女は少し間を置いたあと、ぽつりと言った。
「私は自分が助かるために、2人を不幸にしたわ。悪役というより、悪魔ね」
「それが罪なら、俺も同罪だ」
「クロヴァ様の底のない寛容さに、時々怖くなりますわ。私が人を殺しても、きっと同じ罪を背負ってくださるのでしょうね」
ジルコニアは陰りのある笑みを浮かべる。
「……今日はゆっくりと休むといい」
クロヴァは彼女に穏やかな眼差しを向け、頭を優しくなでた。
パーティは終わりの時間が近付いてきた。そのとき、会場内で不穏な影が動いた。
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