29:すべてを知るとき

 暮れゆく空の下、王城は遠くからでもその壮麗な姿を望むことができた。山の中腹に構えられた王城は朱に染まり、尖塔が太陽の最後の煌めきを反射する。


 クロヴァは馬に乗ったまま通用門をくぐり抜ける。衛兵が出てきたのを確認すると馬を降り、慣れた手つきで手綱を渡した。


 服を軽くはたいてほこりを落とし、王城内へと進む。



  ◇ ◇ ◇



 スペイドは執務机の上の書類を片付けていた。先程、照明係の使用人が室内の燭台の火をすべて点けたため部屋は明るい。

 室内には紙をめくる音と、ペンが紙を引っかく音だけが聞こえる。


 聖女祭を1ヶ月後に控え、仕事の量が増えつつあった。他国の賓客との事前のすり合わせも佳境に入っている。考えることが山積みだった。

 しばらくひとりだけの時間を作り、積み上がった仕事に集中して取り組む。


 コンコン


 ノックの音が静けさを破った。スペイドは顔を上げ、心当たりのない来訪者に眉をひそめる。


「入れ」

「失礼します」


 入って来たのはクロヴァだった。

 予想もしない人物の登場に、スペイドは驚いて立ち上がった。彼はあと1ヶ月は王都に戻る予定などない。


 スペイドはクロヴァの突然の帰還に、緊急性を感じて矢継ぎ早に聞く。


「巡礼先で何かあったのか? あったとして、なぜお前が来るんだ。お前ひとりか?」

「私ひとりです。当面の指揮は別のものに移してきました」


 クロヴァは落ち着いて答えた。

 その様子から、緊急の案件でないことがわかり、スペイドは椅子に腰を下ろす。

 

「それで、なんの用だ」

「大神官殿が、これを陛下に渡すようにと」

 

 クロヴァは懐から1通の手紙を取り出した。スペイドは咎めるような目つきで彼を見る。


「それならお前でなくとも」

「私も大神官殿にそう伝えたのですが、手紙を見ればわかると」


 スペイドは腑に落ちない表情のまま手紙を受け取る。国王に宛てたものと思えない粗雑な材質の手紙だった。封を開けると、中には紙の切れ端に走り書きがあった。


 手紙を読んだスペイドは目を見開く。そして大声で笑った。獣が吠えるような恐ろしい笑い声だった。


「ハルトがお前に持たせた意味がわかったよ。読み上げてやろう。『監視は懐柔済み。君から言うか、僕から言うか、選べ』」


 もちろん、クロヴァは意味がわからない。わずかに眉を寄せるが、何か意図があるのだろうと思い、手を後ろに組んだまま直立不動の姿勢を崩さず待った。


 スペイドはわきあがる感情を歯で噛み殺すようにして、くつくつと笑いながら言う。


「あいつの口のうまさに何度も助けられたが、足元をすくわれる日が来るとは思わなかったよ。まさか俺を裏切るとはな!」


 スペイドは手にしていた手紙を握りつぶし、振りかぶってクロヴァに投げつける。クロヴァに当たった紙くずは軽い音を立てて床に転がった。


 スペイドはゆっくりと椅子から立ち上がり、本棚から1冊の本を取り出した。何の変哲もない赤い表紙の本に魔力を流すと、装丁が蜃気楼のように揺らぎ、黒くくすんだ古びた姿になった。


 スペイドは歩きながら、本を開いてパラパラとめくる。

 あるページを広げ、目の前のクロヴァに見せるように本を向けた。

 そこには、いくつもの大掛かりな魔法陣が、歯車のように噛み合っている図が記されてあった。

 スペイドは説明する。


「これは禁忌魔法だ」

「……なんの話でしょうか?」


 怪訝な様子のクロヴァに、スペイドは深い青色の瞳を楽し気に細めて、ゆっくりと言い聞かせるように言う。


「たとえば、守護樹の葉にこの禁忌魔法をかけると、守護樹の力が最も高まる聖女祭の日に、対象者を殺せる」


 クロヴァの表情は、言葉の意味を理解するにしたがって、困惑から驚愕へと変わっていく。


 スペイドは楽しそうに、最後の一言を告げた。


「俺が禁忌魔法をかけた。彼女が死ぬように」


 クロヴァは反射的にスペイドの胸倉を掴んでいた。


「貴様がジルコニアをッ……!」

「理解が早いな、驚いた」


 涼しい顔で言うスペイドに、クロヴァはぎりっと歯を食いしばる。胸倉を掴んでいない方の手は剣の柄を強く握りしめていた。その手は怒りで震え、いまにも剣が抜き放たれようとしていた。


 クロヴァは手のひらに食い込む爪の痛みに意識を集中させ、体中を駆け巡る苦しいほどの殺意を抑え込んだ。心臓の不快な鼓動が耳の奥で響く。身を引き裂くほどの衝動に耐え、剣の柄から手をがす。

 スペイドを突き飛ばし、深く息を吐き出した。


 突き飛ばされたスペイドは、数歩下がったが踏みとどまった。しわになった襟を伸ばし、挑発的な笑みを浮かべて言った。


「一発殴られるくらいは覚悟していたが、見上げた自制心だ。忠臣であることがいっそ哀れだな」

「なぜ、こんなことを!」


 クロヴァは全身の怒りを叩きつけるように叫ぶ。


 スペイドはうんざりした様子でため息をついた。


「愛してるからだよ」

「……何を、言って」

「彼女はいずれ他の男のモノとなる。それを黙ってみていろと? そんなこと許せない」

「だから殺すのですか。だからって、彼女を……」


 クロヴァは足元がふらつき、ソファの背もたれに手をつく。心理的な負荷が限界を超え、めまいが起こった。


 スペイドは対面のソファに座り、ゆっくりと足を組んだ。クロヴァの憔悴する様子を見て歪んだ笑みを浮かべる。


「俺にもあの男と同じ血が流れていたということだ」


 スペイドはまぶたに爪を立てる。濃い青色の瞳が指の影に沈み、暗い輝きを放つ。


 クロヴァはゆっくりとソファの背もたれから手を離し、身を直して目の前の主君をまっすぐに見据えた。


 対象が出会って2ヶ月の令嬢であれば、主君のめいを黙認し、見殺しにしたかもしれない。


 しかしクロヴァにはもう、その選択ができなかった。

 彼女を失うことは他のなによりも耐えがたいものになっていた。


「陛下がどのような道を進もうと共にゆく覚悟でした。しかし、ここまでのようです」


 スペイドはクロヴァの決別の言葉を黙って受け止める。指を組んで膝の上に置き、口元に笑みを浮かべて言った。


「俺への忠誠心がなくなっても、お前は責任感の強さから、与えられた役割をまっとうする。これからも活躍を期待しているよ、騎士団長殿」

「……飼い殺すおつもりですか」

「とんでもない、丁重に扱うさ」


 2人はしばらく睨み合った。無言で互いの主張をぶつける。


 先に動いたのはスペイドだった。

 立ち上がり、窓の方を見た。外は日が落ちて闇の中にあった。


「聖地巡礼の任を解こう。聖女祭の日まで彼女との時間を楽しむといい」


 そう言い、執務机の方へ向かった。書類を1枚とり、視線を落とす。

 クロヴァは無言で出て行った。


 後にはスペイドだけが静寂の中に取り残された。彼の目は何も映していなかった。

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