28:書庫でうずくまる

 ジルコニアは家の書庫にいた。すべての壁が本で埋められ、部屋の中央にも天井までの高さの本棚が何列も並ぶ。


 書庫の隅で膝を抱えて床に座り、腕の中に頭をうずめている。


 彼女の周囲には本が乱雑に積まれていた。

 魔法陣の書かれた紙が散らばり、いくつかはぐしゃぐしゃに丸められていた。

 国王を説得する言葉を書いた紙もあったが、どれも大きなバツがつけられている。


 クロヴァとハルトが聖地巡礼に出て2ヶ月。聖女祭まであと1ヶ月を切った。


 クロヴァ宛てに手紙を何通も出したが、返信はない。手紙は一度王宮内に集められてから巡礼先に送るため、彼の手に届いているかも不明だった。使者も遣わしたが、クロヴァに近付けず追い払われたと言っていた。


 父や母に相談しようと思ったが、スペイドの報復を想像すると恐ろしくて動けなかった。


 ジルコニアは暗闇の中にいた。

 心がじわじわと冷たくなる。


(私が諦めてしまってはダメ。クロヴァ様はこの絶望を何度も乗り越えてくれた)


 折れそうになるたび、クロヴァを思い出して気力を振り絞る。

 しかし、その気力もこの2ヶ月の間に尽きようとしていた。


 顔をうつむけたまま手探りでペンを拾うが、握る力がこめられず、ペンが再び床に転がる。


 窓から入る光が傾いていく。


(これ以上、何ができるのかしら? 対抗する魔法もない、陛下を説得する言葉もない。誰にも相談できない。私には、何もできないわ……)


 クロヴァに禁忌魔法のことを伝えたところで、国王相手にどうにかできるのだろうか。スペイドは現に「殺す方法などいくらでもある」と豪語していた。


 それよりも、敬愛する君主がすべての元凶だと知らされることの方が辛い事実だ。

 ならばいっそ、真実を伝えずに、消えてしまう方がいいのかもしれない。


 聖女祭の日になったらクロヴァに伝えようか。「もし死んだら、繰り返さないでほしい。私を忘れて生きてほしい」と。


(その方が、みんなが幸せになるかもしれない。私は望み通り死んで、クロヴァ様はすべてを忘れて生きて、陛下は別の女性を王妃にして……)


 コンコン、とドアがノックされる。

 入って来たのは若いメイドだった。


「お嬢様、失礼しま…………わ、暗い! 明かりをお持ちしましょうか?」

「いえ、もう出るわ」


 ジルコニアはゆっくりと立ち上がり、本棚を伝って廊下へと出る。

 廊下の眩しさに目を細める。そんなにも長く書庫にいたのか、とぼんやりと思った。


「お嬢様、ようやく届きましたよ!」


 メイドは満面の笑みで手紙を見せた。簡素な薄い封筒だった。

 几帳面な文字で『ジルコニア・レンダー様』と宛名が書いてある。

 慌てて受け取って差出人を見ると、そこには同じ筆跡で『クロヴァ・メイス』と書かれていた。


「……クロヴァ様から?」


 ジルコニアは封を開けようとするが、ペーパーナイフがないことに気付く。

 弾かれたように駆け出し、自室に飛び込んだ。


 机の引き出しからペーパーナイフを取り出し、できるだけ急いで、しかし切り口以外を傷つけないよう丁寧に切る。


 震える手で中の便箋を広げる。



 ジルコニアへ

  風邪をひかぬよう

       クロヴァ



 たったそれだけの手紙だった。


 今まで送った手紙の内容には触れられていない。おそらくジルコニアからの手紙は届いておらず、クロヴァが自主的にこの手紙を送って来たのだろう。


 ジルコニアは最初にもらった手紙を思い出した。

 聖女降臨の前日、初めてのお茶会で、口数が少なかったことを詫びる内容だった。その手紙は後で何度も読み返した。文字のクセ、インクの濃さ、紙の手ざわり、すべて鮮明に思い出せる。


 ジルコニアは短い手紙を丁寧に封筒にしまった。

 そして、掃き出し窓から2階のバルコニーに出る。


 この家は山沿いの少し高い位置にあり、周囲は平地のため、バルコニーからは西の地平線に沈みかける太陽が真横から見えた。空は夕日色一色だった。


 聖地巡礼の行き先はわからない。

 しかし、いま彼はきっと同じように夕日を浴びている。


 その姿を想像した。

 赤い日に染まる彼の横顔。その力強い眼差し、柔らかい微笑み。


 空は藍色に変わっていく。

 太陽の光が失われて行く中で、ジルコニアの中に、ふつふつと感情が沸いてくる。


「……死にたくない」


 暗闇の中に閉ざされていた心に、熱をもった光が広がっていく。


 クロヴァのすべてが好きだった。表情も、声も、立ち姿も、正義感と責任感が強いところも、ジョークが下手なところも、心をすり減らす不器用さも、すべてが好きだった。


 ずっとそばで彼の生きている姿を見ていたい。

 彼と共に生きたい。


 欄干を握る手が震え出すのを感じた。

 体の内側から湧き出て、全身が奮い立つほどの衝動があった。


 これは『怒り』だった。


 2回目の聖女降臨の朝、クロヴァが聖女と結婚するしかないと諦めた顔を見た瞬間にも感じたことがあった。死の運命を心の底から憎み、怒りに震えた。


 あのときはこの怒りの正体がわからなかったが、今ならわかる。


 ジルコニアは暮れゆく空に向かってつぶやいた。


「これは私の、私だけの一方的な欲求。……ただの『わがまま』よ」


 いままで彼女は、誰かのために生きたいと思い、誰かのために生きようとしていた。苦労をかけたクロヴァに報いたい、今まで育ててくれた両親や周囲を悲しませたくない、その一心でここまできた。


 他人のために生きる事こそ自分の本心だと思ったが、燃えるような怒りが「違う」と叫ぶ。

 そこまでしてようやく、ジルコニアも理解した。


 『死にたくない』『彼を誰にも渡したくない』


 声なき魂が求める、根源的な渇望だった。

 これを叶えるために生き、叶えるために死ねるのだと確信できる生きる意味。


 邪魔をされたなら使排除し、目的を達成しなければならない。


 願望というような甘い言葉では表せない。ともすれば暴力的なほど激しく燃えさかる欲望。


 それを『わがまま』と呼ぶのだと、彼女はようやく気付いた。

 誰かのためではなく、自分のために生きる、その本当の意味にようやく思い至った。


 ジルコニアの目に再び光がやどる。


 弱くて無力な自分は、書庫の暗闇に置いてきた。

 夕日を浴びて生まれたのは、新しい自分だ。

 

「私はもともと、わがままな女だったのに、忘れていたわ」


 怒りが爆発したあと、煮えたぎった頭が急速に落ち着きを取り戻していく。

 清々しいほどに、酷く冷徹な気持ちになっていることに気付いた。


 わがままだと気付いたからといって、相手が一筋縄でいく相手ではないことに変わりない。

 しかし、ジルコニアの心にはひとつの考えが浮かんでいた。

 自身がわがままだと気付いたからこそ、思いついた方法だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る