27:遠ざかる光
ジルコニアは西の通用門で馬車を降りたあと、王城の正面玄関の方へと走った。
ヒールが潰れるのもかまわず全力で走った。
騎士服や法服を来た人が大勢集まっている中を、ドレスを来た彼女は縫うように進む。誰かの肩にぶつかるが、立ち止まって謝る余裕などなかった。ただひたすら走った。
人だかりを抜けると、騎兵と馬車の混在した10人ほどの隊列があった。
その先頭には、深紅の布を下げた馬に乗り、黒色のマントを羽織って前を見据えている目的の人物がいた。
思わず彼の名前を叫ぶ。
「クロヴァ様ッ!」
ジルコニアは群衆から抜け出してまっすぐ走った。すぐに数人の衛兵に取り押さえられるが、驚いたクロヴァが馬を降りて駆け寄る。
「ジルコニア、なぜ」
「なぜはこちらです、急に、ご出発などっ!」
ジルコニアは肩で息をしながらクロヴァにすがりつく。彼は困ったように笑い、周りの衛兵に聞こえないよう声をひそめて言う。
「心配いらない、すべて俺に任せてほしい。聖地巡礼から帰るのは、3ヶ月後の聖女祭の日の前日だ。それまで俺は聖女と手紙でやり取りをして、関係を進めようと思う。王都に近い聖地がいくつかあるから、機会があれば聖女に直接結婚を申し込むつもりだ。聖女と内々に婚姻の取り決めさえすれば、君は無事だと思う。聖女祭が終わってから、婚約破棄の手続きを慎重に進めよう。君と聖女の不名誉な噂にならないよう、精一杯の対応をする」
クロヴァは貼り付けた微笑みのまま、すらすらと計画を口にする。
どのような気持ちで言っているのか表情からは読み取れない。
聖女に結婚の申し込みをしに王都へ帰ることはあっても、ジルコニアに会いに行くとは言わなかった。
彼女にはそれがたまらなく悲しかった。
クロヴァはジルコニアから視線を外し、背を向けて隊の先頭に戻った。彼女は衛兵に囲まれながら、群衆の方に引き戻されて行く。
音楽隊のファンファーレが鳴り始めた。
クロヴァが掛け声を発して進むと、後続も動き出し、馬の蹄が一斉に石畳を打つ音が響く。
ジルコニアはそれをただ見送るしかなかった。
スペイドが禁忌魔法を使った夜の翌日、ジルコニアは心労からか高熱を出した。丸一日、ベッドで熱にうなされていた。
今朝ようやく体調が戻り、クロヴァに禁忌魔法の件を報告しようとしたところ、彼が聖地巡礼のために出発することを知った。スペイドの思惑であると察した。
小さくなる隊列を、ジルコニアは呆然と見ていた。
そのとき、急に腕を掴まれて強く引かれた。
衛兵かと思い振り向くと、そこにいたのはハルトだった。
ハルトはジルコニアの腕を引っ張り、少し離れた場所にある別の隊列の方へと連れていく。
「ハルト様? もう出発されたのでは」
「僕はもう少しあと。急な命令で20人しか集められなかったから、2編成にして、出発式典が貧相に見えないよう体裁を整えてるの」
やめりゃいいのにね、と無表情で呟く。
ハルトたちの隊列は人の集まる正門から少し離れた場所にあり、先ほどと同じような騎兵と数台の馬車が整列して停まっていた。
2人は隊列から少し離れた場所で止まる。
ジルコニアは声をひそめ、ハルトに懇願した。
「ハルト様からクロヴァ様に、今回の件を説明いただけないでしょうか?」
「残念、すでに陛下から緘口令が出されてるよ。やぶれば死刑だってさ」
後ろを指差す。数歩の距離に、スペイドの側近が立っていた。こちらを向いてはいないが、意識を向けられていることは明らかだった。
「僕の発言はぜんぶ筒抜け。下手なこというとあの剣でスパッとされる。執行権限の委任状まで見せられちゃったよ。本気だね」
ハルトはつまらなさそうに肩をすくめた。
ジルコニアは口元を両手で覆い、視線を落とす。震える声で呟いた。
「私は……どうしたら……。父と母も頼ることができなくなったのに」
父親は昨日から忙しそうに家の用事や仕事を片付け、朝早くに家を出て行った。騎士団長と大神官が同時にいなくなるため、宮廷防衛の対応に追われているという。しばらく家に帰れないと説明があった。
相次いで母親も宮廷へと招かれた。聖女の淑女教育のため、一時的な家庭教師に突然抜擢された。母親は心当たりがなく、不思議そうな顔で支度をしていた。
その説明を聞き、ハルトは気の毒そうな顔をする。
「あーあ、君の両親は人質に取られちゃったか。下手なことすると、ご両親の立場が危うくなるね」
「どうして、陛下はこんなことを……」
「僕の方が聞きたいよ。あいつの執着は異常だ。君たちの間に何があったの?」
「子供の頃、図書館で少しお話をしただけです」
「……それだけ? どんな会話を?」
「本当に、何気ない会話です。剣の稽古を嫌がる陛下を励ました程度で……。何かわかりますか?」
ハルトはわかるわけないだろ、という顔で睨んだ。そして短いため息をつく。
「あいつを説得したけど、結果はコレ。僕って口が上手い方だけど、あいつの決意の方が堅かったよ。ま、殺されなかっただけマシかな」
「説得、していただいたのですか?」
「キミのためじゃないよ。あいつのバカな姿をこれ以上見たくなかっただけ」
ジルコニアには、ずっと考えていたことがあった。
それはハルトの協力を仰がなければならなかったが、ハルトはスペイドの味方のため不可能だと思っていた。
しかし、ハルトはスペイドを止めようとしている。利害が一致した。
ジルコニアは思い切って打ち明ける。
「陛下が禁忌魔法を使った事を、告発しようと思っています。ハルト様が禁忌魔法のことを証言してくださるとわかれば、陛下は明るみになるのを恐れて、解除していただけるはずです」
決死の告白を、ハルトは興味なさそうな顔で聞いていた。ひとつため息をついて答える。
「やめといた方が良いね。あのスペイドが、その手を考えないと思う? 虚偽の告発ということにされて国家転覆罪で君は投獄、君の父親は失職……で済めばいいね。つまり、打つ手なしってこと」
ハルトは気だるげな様子で言い切る。
ジルコニアは言葉を失った。
自分よりスペイドの事を知っており、自分より物事に精通しているハルトの断言。それはジルコニアを絶望させるのに十分だった。
ハルトはジルコニアの青ざめた表情から目をそらし、独り言のように呟く。
「あいつはもっと賢いヤツだと思ってた。だから大神官の就任も承知したんだけどな。聖女降臨の儀だって命がけだったのに……」
そのとき、隊列から1人の神官が走り寄って来た。いまから出発するため、馬車に戻るよう伝える。
ハルトは顔をしかめるようにして、口元を笑みの形にゆがめて言った。
「さて、自分の人生をなげうってキミを助ける、なんてできないから、僕は陛下の
手をひらひらと振って、気安い別れの挨拶をする。
しかし、その手は震えていた。それにハルトも気づき、手を引っ込める。
「……見捨てるくせに、いっちょまえに罪悪感があるんだ。身勝手なもんでしょ?」
ジルコニアが何かを答える前に、ハルトは背を向けて早足で隊列へと戻って行った。
待機していた神官が馬車の扉を開け、彼が乗り込むのを手伝った。
少しも経たず、再度ファンファーレが鳴り響いた。隊列の先頭にいる騎兵が進み、全体がゆっくりと前進していく。
ジルコニアは両手を握りしめた。何度目かわからない絶望。
クロヴァもハルトも、両親も頼れない。
掴みかけた光が手のひらからこぼれ落ちていくのを止められない。
立ちはだかる運命の前に、彼女はただ無力だった。
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