24:スペイドとクロヴァ(選抜試合1)
スペイドは王城の廊下を歩いていた。
春の光が窓から差し込み、廊下全体を明るく輝かせる。
光の強さに目をそばめた。昨晩の『聖女礼拝の儀』を終えた後から一睡もしていない。
昼近くになって少し疲れが出始めたため、首を振って眠気を飛ばす。
後ろに続く側近が心配そうに声をかける。
「朝からの会談続きでお疲れでしょうか」
「いや、問題ない。昼食後は予定通り――」
窓の外から男たちの野太い歓声が上がった。
ここからは見えないが、騎士団の鍛錬場からの声だとわかる。
3ヶ月後の聖女祭では国王、聖女、他国の賓客の前で競技試合を披露する。自国の騎士団の強さを示す絶好の機会だ。今日は出場者を決めるための選抜試合が行われている。
側近が窓の外を見て笑みをこぼす。
「100年に1度のことですから、ことさら気合が入っておりますね」
「我が騎士団長もいるだろうか」
「もちろんですよ。しかし、試合になるでしょうか。この国で彼を打ち負かす人はいませんから」
「そうだな……」
スペイドは足を止めて窓の外を見た。
もし彼が真実を知れば、すぐに自分の所へくるだろう。それがないという事は、まだジルコニアは告げていないということだ。
彼女の様子を軽く調べさせたところ、体調を崩していると報告があった。回復してからクロヴァに話すつもりだろうか。
「何も知らないあの男と会うのも面白いかもな。後で知ったら、どんな反応をするのか」
スペイドは鬱屈した好奇心を抱く。例えるなら檻の中の獅子を突くような、安全な場所から相手の反応を楽しむ残酷な娯楽。
思いついた瞬間、向かう先を執務室から演習場へと変えた。
側近は驚いて尋ねる。
「どなたかと会うのですか? 騎士団長殿?」
「そうだ」
「まずは昼食をとりましょう。それに選抜試合は騎士団長に一任しているのですから、お忙しい陛下が行かなくとも……」
「
早足で向かうスペイドの背中に、側近はため息をつく。
多くの才能に恵まれ、人々からの信望も厚く、国王として理想的な資質を備えているが、一度決めたら曲げないところがある。しかしその少々迷惑な性格も、彼の持つ圧倒的な魅力によって、周囲は自然と受け入れてしまうのだった。
「陛下、少しだけですよ」
側近はスペイドの疲労を心配して声をかけるが、この言葉はきっと無駄になると思っていた。
臣下が振り回されることは初めてではない。
◇ ◇ ◇
演習場には見回り等の仕事中の者を除いたほぼすべての騎士が集まっていた。
審判と進行役が並んで立ち、その横で記録係が戦績を書きつけている。少し離れた場所では非公式の賭けが行われており、大いに盛り上がっていた。
全員の目が試合に向けられ、そっと足を踏み入れたスペイドは気付かれていない。黙ったまま審判の横まで行って立ち、現在の試合を眺める。
どちらも若い騎士で実力は互角。練度は高いが、お互いに決め手に欠ける打ち合いが続いた。
片方が剣を空振りし、その隙をついて相手の剣が横っ腹に叩きつかれる。
防具は革の胸当てだけだが、剣は刃を潰して切れなく加工してある。致命傷は負わずとも、打たれた方は地面に手をつき立てなくなる。
「勝負あり!」
周囲の男たちが盛り上がった。一部が拳を上げて喜び、一部は地面に膝をついて嘆く。賭けは懲罰の対象だが、一応は隠れてやっているのでスペイドは見て見ぬふりをした。
試合が終わったざわめきの中、ようやくスペイドに気付く者が現れた。
驚きと混乱が伝播し、奥から慌ててクロヴァが走って来た。
困惑した表情で対応する。
「陛下、どうしましたか?」
「婚約者とはうまくいっているのか?」
「……はい? ええ、まあ」
クロヴァは予想していない単語に面食らう。
スペイドはその反応に満足した。彼は本当に何も知らないようだ。
おもむろにマントを脱ぎ、側近に押し付ける。側近は「やっぱり」と諦めた顔をしてマントを受け取った。
「私も参加しよう」
軍服の詰襟のホックを外し、近くの騎士から剣を奪う。
スペイドは前髪をかきあげてクロヴァを見た。クロヴァはその視線を受け、表情に出さなかったが心の中で動揺する。
彼が前髪をかきあげるのは、苛立ったときの癖だった。しかし、公務や雑事で苛立つほど狭量ではない。私事で相当のトラブルがあったのだろうと予想した。
こういうとき、クロヴァに感情の一端をぶつける事があった。おそらく甘えなのだろう、とクロヴァは解釈している。年上で、近すぎず、遠すぎない距離にいる、文句を言わぬ都合のいい家臣。
クロヴァはスペイドの感情の発散には、できるだけ付き合うことにしていた。それが自分にしかできない役割だという自負もあった。
周囲の騎士たちはクロヴァの顔をうかがい、指示を待つ。
「……陛下、1試合だけでいいですね?」
「楽しめたらな」
曖昧な返事にクロヴァは疲れた顔になるが、急いで周囲に指示を出す。
スペイドの飛び入り参加が決まった。
演習場の中央に白線で白い円形の線が引かれており、そこが即席の試合会場となっている。
スペイドは線の中へ優雅に歩いて進み、いままさに試合を始めようとしていた騎士のうちの片方を手でどかす。
残った方の騎士が困惑の表情で
騎士はスペイドに向き直り、おずおずとたずねる。
「へ、陛下。本気ですか?」
「私はいつでも本気だ」
「しかし、正装のようですし、靴も……」
「気にするな。汚れると思っていない」
その返事に、剣技にプライドを持つ騎士は眉を寄せて不愉快を顔に出す。
「お言葉ですが、試合中は身分の差も階級の差もありません。本気で参りますよ」
「いい目だ」
スペイドは無邪気に笑い、片手で剣を構える。騎士も真剣な表情になり、両手で剣を構えた。
開始の笛の音が鳴り、騎士が突進する。
勝負は一瞬だった。すれ違いざまに騎士が勝手に転んだ……ように見えた。それだけなら起き上がればいいだけだが、騎士はうめき声を漏らして地面に這いつくばる。
審判役はポカンとしたあと、倒れた騎士の青ざめた顔を見て続行不可と判断した。
「勝負あり!」
慌てて数人の騎士たちが駆け寄り、自力で立てなくなった騎士を持ち上げて医務室へ運ぶ。
先ほどまで盛り上がっていた騎士たちは、戸惑いでざわざわと言葉を交わす。
「国王だからわざと負けたのか?」
「あいつはそんなことしないヤツだ」
「じゃあなんでああも簡単に負けたんだ? 彼は上位の実力者だろ?」
スペイドは剣術を披露したことがなかった。
戦争時は将軍として指揮をするのみで前線で剣を振るったことはない。彼の実力を知る者はほとんどいなかった。
そのため騎士たちは、いまの試合が国王の実力か八百長か判断がつかず、驚きと困惑だけが広がる。
スペイドは観衆に振り返り、剣先を地面に突き刺した。ざわめきがピタッと止まる。
騎士たちを端から端までゆっくりと見渡したあと、良く通る声で宣言する。
「俺に勝てば望むものを何でもやろう。金貨でも、爵位でも。腕に自信のある者はいるか!」
鍛錬場にスペイドの声が響いて消えた。
静まりかえったまま、誰も動かない。いま敗北した男の強さを皆が知っていた。もし国王の実力が本物なら、勝てる見込みは少ない。
「おい、情けねぇなお前ら!」
人垣を押しのけて現れたのは、熊のような大男、騎士団の副団長だった。
大柄なクロヴァより頭ひとつ大きく、胸筋は盛り上がり、腕は丸太のように太い。
彼の実力は騎士団の中でも指折りで、そのうえ国王相手であろうと怯む男ではない。
彼ならあるいは、という空気が広がる。
副団長は皆が持つ剣よりひとまわり以上大きい剣を肩に担ぎ、スペイドを見下ろす。スペイドは背が高い方ではあるが、副団長と比べると子供に見えるほど体格差があった。
「陛下、そこまで言うなら相手になりますよ。金貨100枚、ご用意願います」
副団長は大股で歩き、白線の中央に来てから悠然と構える。
スペイドも剣を引き抜いて切っ先を相手に向け、笑いかける。
「私を楽しませてくれるか?」
「もちろんです」
試合開始の笛の音が響く。
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