23:ゆがんだ愛

 ジルコニアは理解が追いつかず、頭がくらくらする。


(陛下は私を殺す禁忌魔法を使っていた。でも、その理由が、私を愛しているから……?)


 ジルコニアが混乱していることを見て取ったスペイドは、ふっと笑った。

 彼女の方に向き直り、暗い笑みを浮かべる。


「愛しているから、憎いんだ。俺と一緒になれない君が憎い。何の躊躇もなく婚約不成立を受け入れ、あいつと一緒になろうとしている君が憎い」


 そう言いながら、スペイドは革靴の踵を鳴らし、ジルコニアの方へ近付いていく。


「ジルコニア、愛しているんだ。殺したいほどに。理解できないだろう?」


 逃げようとした瞬間に腕を掴まれ、もう片方の手が顎に添えられた。

 ふっと影が落ちて、スペイドの顔が眼前に迫った。

 何をされるか理解した瞬間、がむしゃらに抵抗するが、痛いほどの力で固定されて身動きが取れない。


「いやっ、んぅ……!」


 強引にキスをされた。

 唇を引き結んで抵抗するが、彼の親指に唇をこじ開けられ、舌が侵入する。

 恐怖が爆発し、自分でも驚くほどの力で突き飛ばして拘束から逃れた。

 なんとか数歩動いて距離を置き、彼の方を振り向く。


 スペイドは挑発するような笑みで、見せつけるように手の甲で口元を拭った。

 ジルコニアも慌てて唇を手のひらでこする。感触も、汚れも、すぐにでも忘れたかった。


「ひどいなぁ、ジルコニア」


 スペイドは何がおかしいのか、くすくす笑った。


 光を受けて輝く金髪も、透き通った深い青色の瞳も、整った顔も綺麗な立ち姿も、ジルコニアの知る彼と同じなのに何もかも異様に映る。


 スペイドは顔をそらし、祭壇の前で立ち尽くすハルトを振り返る。

 

 視線が祭壇に置いた木箱へ向けられ、再びハルトへと戻る。


「やれ」


 その意図を理解し、ハルトは青ざめる。


「僕は、こんなこと……」

「やり方は知っているだろう」

「し、知らない、知らない!」

「大神官を継げば禁書のたぐいの閲覧権限を得られる。お前なら好奇心のままにひと通り目を通しているはずだ。そしてお前は、1度見た魔法は二度と忘れない」

「……こんな大掛かりな魔法、すぐにはできないよ」

「たしかに俺は半日かかった。だがお前なら一瞬だろう? 誤魔化せると思うな」


 ハルトは木箱を手にとって開ける。そこには今朝見たものと同じ、光沢のある丸い葉が1枚収められていた。

 守護樹の葉を手のひらに乗せ、ハルトは諦念の笑みを浮かべた。


「あんたはバカだけど、ここまで愚かバカとは思わなかったよ。……それをめられない僕も同罪なんだけど」


 ジルコニアは葉を奪おうと走り出すが、スペイドに簡単に捕らえられた。後ろから抱きしめられる形で、身動きがとれない。


「嫌ッ、やめて! やめてくださいハルト様!」

「なあスペイド、この先は破滅しかない。わかって言ってるんだね?」

「やれ」


 スペイドは鋭く睨み命令した。ハルトは何かに耐えるように固く目を閉じた。再びまぶたをあけると、その薄水色の瞳には、迷いを断ち切った冷たい光があった。スペイドと共に地獄へ行く覚悟を決めたのだった。


 ハルトは守護樹の葉を片手で持ったまま、もう片方の手を前に出す。指先に小さな魔法陣が現れた。その魔法陣はすぐに広がり、人の背丈ほどの大きさにまで拡大した。魔法陣には金色に輝く美しい模様が描かれている。同じような魔法陣が次々と周囲に現れ、高い天井まで届かんとする。それらが歯車のように噛み合い、ゆっくりと回転する。

 しばらくすると、魔法陣はほどけるようにゆらめいて輪郭が曖昧になり、小さな光の粒となった。粒は吸い込まれるように守護樹の葉へ集まっていく。

 最後の一粒の光が葉の中に飛び込むと、守護樹の葉の表面に、金字で小さな魔法陣が刻まれた。


 ハルトはその全てが終わると、深く息をついて、疲れた様子で手をだらりと垂らした。

 彼の行った儀式は音もなく終わり、重く静かな空気だけが残された。


「ご苦労」


 スペイドは抱えていたジルコニアをそっと離し、ハルトに向かって右手を突き出した。

 ハルトは一瞬ためらったが、諦めたように首を左右に振り、祭壇の上の木箱に葉をしまってからスペイドの方へ投げる。

 スペイドは木箱を受け取ると、懐にしまった。


 すべてがまるで一瞬の夢のようだった。起きたことの実感を掴めずにいた。ジルコニアは立っていられなくなり、床に座り込む。


「俺は会場に戻るよ。控室から抜け出して来てるからね」


 たったいま人を殺す魔法が行われたとは思えないほど、平静な声だった。


(尊敬していた陛下が禁忌魔法を……。私は再び死の運命に……)


 感情がぐちゃぐちゃになり、叫び出したいほどの怒りと悲しみが彼女を埋め尽くす。


 彼は冷たい目でジルコニアを見下ろしていたが、背を向けた。

 いま彼に飛びかかったところで、何も解決はしない。

 かといって、無言のまま彼の退室を見送るのも嫌だった。


 せめてもの抵抗の意を示すため、ジルコニアは言った。


「いま私の首を締めてしまえばよろしいのに」


 出口に向かおうとしていたスペイドはピタリと動きを止めた。

 優雅な微笑みをジルコニアに向ける。


「直接手をくだすのは後の対処が面倒なんだ。人を雇って殺すのにもリスクが伴う」

「てっきり殺す覚悟のない意気地なしかと思いましたわ」


 ジルコニアは顎をくっと上げて首を晒す。


 スペイドは顔から笑みを消し、無表情になった。手を伸ばして彼女の細い首を掴む。


「安い挑発だな」

「宣戦布告ですわ」

「何をしても無駄だ。仮にこの禁忌魔法を回避しても、俺はいくらでもお前を殺す手段を持っている。なんとかできるなら、してみればいい」


 スペイドは首から手を離し、背を向けて出口へ歩いて行った。

 その背中に、最後の言葉を投げつける。


「あなたは、愛している私を殺すんですね」

「……それが俺の愛し方だ」


 スペイドは振り向くことなく答え、外の暗闇の中へ消えていった。


 旧神殿の中に、ジルコニアとハルトが残される。先程までの出来事が嘘のように、しんと静まり返っていた。


(このことを、クロヴァ様に、お伝えしないと)


 ジルコニアも迎賓館に戻ろうと、立ち上がって扉に向かう。

 一歩踏み出した瞬間、足がもつれてしまい、力が抜けるようにその場に座り込んでしまった。

 緊張の糸が切れて、軽い貧血のような状態になった。

 

 ハルトが無言で近付き、ジルコニアを抱き上げた。


「おっも……」


 よろよろとした足取りで出口の扉をくぐり、外にある篝火の横の階段に下ろす。


「はぁ……僕の体力じゃここが限界。人を呼んでくるから、家に帰りなよ」

「クロヴァ様に報告しないと」

「騎士団長殿? 彼を頼っても……ああ、婚約してるんだっけ」


 ハルトは疲れた顔でため息をつく。


「明日でいいでしょ。いや、明日は騎士選抜で会えないと思うから、明後日か。とにかく休みなよ。……僕が心配できる立場じゃないけど」


 言いながら、旧神殿の内部に向かって腕を振り上げた。内部の光魔法が消えて真っ暗になる。

 扉を閉めると、ガチャンと錠のかかる音が響く。彼の手にはいつの間にかカギが握られていた。


 ハルトは閉めた扉に手をつき、うつむいて手の甲に額をつけ、重苦しい息を吐いた。


「ちょっと待ってね。僕も疲れた」

「大丈夫ですか?」

「自分を殺そうとしてるヤツに気遣い? 余裕あるね」


 皮肉気な口調だが、そのあざけりの感情はジルコニアではなく彼自身に向いているように感じた。倫理にもとる命令を受けてしまった罪悪感からか、友人をとめられなかった無力感からか、その両方か。


「じゃあ、誰か呼んでくるから、ここにいてよ」


 ハルトはそれだけ言い、視線を合わせることなく、早足で会場の方へ向かって行った。

 ジルコニアは暗闇に消えていく背中を見送った。

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