21:旧神殿と守護樹の葉
ジルコニアは家に帰ってじっとしている気になれず、王城の敷地内を少し歩くことにした。御者には待機場で待つよう伝えた。
聖女の降臨によって王城は慌ただしい空気に包まれており、多くの人々が忙しなく行き交っていた。特に、東側の本神殿の方向へ、多くの人が集まっていく様子が見て取れた。
ジルコニアは周りに配慮しながら、人目につかない静かな場所を選んで歩き続けた。
ふと立ち止まると、そこは西側にある旧神殿の前だった。周囲は静寂に包まれ、厳かな雰囲気が漂っている。
ここは王城の敷地内でも奥まった場所であり、隣には大きな迎賓館が立っているため、周囲の喧騒からは幾分か離れている。
「考え事をするにはぴったりの場所ね」
ジルコニアが入り口の階段に足をかけようとすると、背後から声が投げかけられる。
「考え事ならよそでしてくれない?」
振り向くと、ハルトが不機嫌そうな顔で立っていた。手には黒色の装丁の聖書を抱えている。
ジルコニアは丁寧にあいさつをする。
「ごきげんよう、ハルト様」
「どうも、レンダー家のお嬢さん」
「旧神殿に御用があるんですか?」
世間話のつもりでジルコニアは話を振った。ハルトは面倒くさいと言わんばかりに顔をしかめて答える。
「聖女が来たから『封鎖の儀』をしにきたの。聖女祭が終わるまでここを締め切るから。ねえ、儀式の邪魔だからどいてくれる?」
ハルトは、まるで犬を追い払うかのようにしっしっと手で払う。
彼は神学研究のため神官になったが、前大神官の突然の退任に伴い、大神官に不本意ながら抜擢された。大神官の条件の1つに『聖女召喚魔法を扱えること』があり、彼がその条件を満たす唯一の人物であったためだ。本来の夢であった神学研究から遠ざかることになった彼は、筋違いとは理解しているが、その不満をレンダー家に向けていた。
この事情はジルコニアもよく知っていた。ハルトは就任した直後から公然と愚痴をこぼしたため、その話はすぐにレンダー家の耳にも届いたのだ。
しかしながら、レンダー家としては前大神官の退任を望んだわけではない。ハルトとの間に生じたわだかまりを解消する
「ねえ聞いてる? どいてよ」
ハルトは、やや苛立ちを含んだ声で再びジルコニアに退くよう促した。彼の言葉からは、大神官の仕事をしなければならない不満と、仕方なく引き受けた職務への責任感という、矛盾した感情が滲んでいた。
「失礼しました」
ジルコニアが謝りながら一歩下がり、ハルトに道を譲る。ハルトは軽蔑したように鼻を鳴らし、彼女の横を通り過ぎていく。その横顔を、ジルコニアはぼんやりと見続ける。
「なに」
「え?」
「言いたいことあるなら言ってよ。物言いたげな視線って一番キライ」
ジルコニアは、朝からの出来事で心が疲れており、本当に何も考えずに目の前の風景を見ていただけだった。
何か適当な言い訳を考えようとしたが、それも億劫になり、信じてもらえないことを承知で本当のことを言った。
「私の中には『聖女の力』の一端があり、聖女様の力が最も高まる聖女祭の日に死ぬ運命なのです。この呪いのような作用を防ぐ方法が見つからず、ぼんやりしていました」
「なにそれ、もっとマシな言い訳を――」
「私の中の魔力をお調べいただければわかります」
ジルコニアは右手を差し出す。ハルトは不審そうな顔をするが、ジルコニアの手を取って魔力を流し込んだ。
「……たしかに、聖女の力がわずかに流れてるね。……で、これを何とかしてもらいに来たの?」
ジルコニアは首を横に振り、穏やかに答えた。
「いいえ。もう運命は受け入れています。心を落ち着けたくて、ここにきました」
「ふーん、そうなんだ。よくわかんないけど、邪魔しないならその辺にいてもいいよ」
ハルトはジルコニアから手を離し、ぶっきらぼうに答える。
心底うんざりしているような態度を見せつつも、彼女に対する態度には先ほどよりも少し柔らかさが感じられた。
(根は優しくて面倒見がいいのよね、ハルト様は)
彼は最初は「邪魔だからどけ」と言っていたのに、ジルコニアの事情を聞くと「邪魔しないならいてもいい」と言うまでに心境が変わった。彼の言葉遣いは依然として冷たく聞こえるが、実際には彼女を突き放すことなく、ある種の寛容さを示していた。
ハルトは旧神殿の扉の前まで行き、作業に取りかかった。
抱えている聖書の表紙に手を置くと、いつの間にかその手に銀色の鍵が握られていた。扉に向かって鍵を振り上げると同時に、ガチャッと錠の開く音がする。
ハルトは白い扉に両手をつき、体重をかけて内側に押し開ける。
突然、周囲の空気が変化した。
鼻を刺す消毒薬と、むわっとする森林の空気が合わさったような匂いが、扉の隙間から勢いよく流れ出してジルコニアを包み込む。
彼女はその強烈な匂いをまともに浴びて、思わず咳き込んでしまう。
重ねた両手で鼻と口を覆うが意味をなさず、気分が悪くなりうずくまった。
ハルトはジルコニアの急な反応に驚き、彼女の側に急いで駆け寄り、膝をついて顔を覗き込む。
「ちょっと、急にどうした?」
「御香か何かの、匂いが強くて……」
「におい? そんなのないよ。ちょっと埃っぽいけど普通だよ」
ハルトは匂いを嗅いでみるが、眉根を寄せ不思議そうな顔をするだけだった。
「ごほっ、でも、薬品と木材の匂いが混じっているような、けほっ」
「なに言って――」
ハルトは言いかけるが、突然何かを思いついたかのように旧神殿の中へと急ぎ足で入っていく。
匂いに少しだけ慣れたジルコニアは、よろよろと立ち上がり入り口へと近づく。しかし内部に充満する強い匂いのために、さらに中に進むことはできなかった。
「あった、これだ」
ハルトの声は遠くから聞こえた。一番奥にある祭壇の裏側に回り込み、何かを見つけたようだ。
それを手に持って、ジルコニアのいる入り口の方へと歩いてくる。
「匂いの元凶はこれだね」
ハルトは淡々とした声で言い、手に持っている物をジルコニアに見せた。
ジルコニアは一段と濃くなった匂いで頭がくらくらするが、ハルトの手に持っている物を見た瞬間、ハッとする。
手のひらほどの大きさの丸い葉で、濃い緑色をしており、表面には光沢があった。
普通の広葉樹の葉に見えるが、この国でその正体を知らない者はいない。
「守護樹の葉、ですか……?」
ジルコニアは驚きの声を上げる。
この国を守護し、富と繁栄をもたらす奇跡の大樹。
葉や枝も強大な力を宿しているため、厳格な管理下にあり、通常は守護樹管理区域内でのみ扱われる。
どのような理由があっても、管理区外に持ち出されることは一切ない。旧神殿の祭壇の裏に置かれていていい代物ではなかった。
ハルトは厳しい顔をして葉を睨む。
「葉っぱの表面に魔法陣がある。よかったね、僕の見たことある魔法だよ」
ハルトが手のひらの上に載せた葉を握り潰すと、葉の表面で光っていた魔法陣がパリンと音を立てて割れた。
その瞬間、空気が一気に軽くなり、先ほどまで漂っていた匂いがすっかり消え去った。
ジルコニアは顔から手を離した。驚くばかりで、目の前の出来事を飲み込めずにいた。
ハルトの指の隙間から見えていた葉は、色を失い灰になってこぼれ落ちていく。その灰は床に届く前に、まるでこの世界から消し去られるかのように消えていった。
「いったい、何が……?」
「禁忌魔法ってやつ」
ハルトは法服で手を払いながら説明する。
「この禁忌魔法は、魔力のある物質に魔法をかけて使うんだ。今回は守護樹の葉だね。聖女の力が強まると、連動して守護樹の葉も魔力が高まる。たとえ切り離されていてもね。で、守護樹の力が最も高まるとき……つまり聖女祭の日になると、この禁忌魔法により対象者が死ぬ」
ハルトは呆然とするジルコニアの右手を掴んだ。
「ほら、『聖女の力』がなくなってる。これでもう死ぬことはないね」
「……本当に? 私は解放されたのですか?」
「そう言ってるでしょ。おめでとう」
言葉では祝福しているが、ハルトは難しい顔をしたままだった。
しかしジルコニアは、彼の様子のおかしさに気付けるほどの余裕などなかった。
(終わった、の……?)
ジルコニアは混乱しながらも、じわじわと解放の喜びがわいてくるのを感じた。
「ハルト様、ありがとうございます」
「どうも。もうこの辺に近付かないようにね」
「はい? ええ、そうですね、わかりました」
ジルコニアはハルトの忠告に首肯する。彼の言葉の言い回しに不自然さを感じたものの、おそらくこれから行われる儀式の準備か何かで、自分が邪魔になるのだろうと肯定的に解釈した。
ふわふわとした足取りで、馬車の待つ方へと帰っていく。
(クロヴァ様にこのことを早く伝えなくては。でも、今はお仕事中だろうし、邪魔をするわけにはいかないわ……。今夜の『聖女礼拝の儀』で、タイミングが合えば報告しよう)
クロヴァはどれほど驚き、喜ぶだろうか。
その様を想像して自然とゆるむ頬に手を添え、ジルコニアは弾む足取りで馬車に向かった。
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