18:聖女祭と死
青く晴れ渡った空に、空砲の音が突き抜けていく。
広場に集まった人がわっと歓声を上げた。赤い紙風船が一斉に空へ放たれ、点となって消えていく。
聖女祭が始まった。
街が色とりどりの飾りで華やかに彩られ、通りは多くの人が行き交っている。
王城の中も、国内外から招かれた多くの招待客で賑わっていた。
ジルコニアは迎賓館での開会式のあと、そっと中庭に抜け出した。
中庭にもちらほらと客の姿があったが、互いに距離が離れているため休むに支障はなかった。
ベンチで座ってゆっくり息をつこうと、歩きながら休む場所を探していると、見覚えのある後ろ姿が見えた。
ジルコニアは迷うが、気付くと足が勝手に動いていた。
会いたい、と思う心が止められなかった。
「お久しぶりです、クロヴァ様」
中庭の隅に立っていたクロヴァは、弾かれたように振り向いた。
藍色の軍服姿で、今日は正装のため金の
彼の顔は一瞬喜びにほころぶが、すぐに硬くなる。さっと一歩引いて、丁寧な挨拶を返した。
「久しぶりですね、ジルコニア嬢」
以前であれば、彼は笑顔のまま「久しぶりだな」と優しく響く声で答えてくれた。
もうあの顔を向けられることはない、という事実にジルコニアは心が締め付けられるが、顔には出さずに微笑んで立ち話を続ける。
「おひとりで、どうしたのですか? 聖女祭はお忙しいのでは?」
「聖女様が守護樹に祈りを捧げていますから、その間に城内を見回っていたのです。……もうこんな時間ですか、そろそろ戻らないと」
クロヴァは懐中時計を取り出して言う。
彼を見つけたときは、見回っているというより、立ち尽くしているようだった。
ここは背丈ほどの木が生い茂り、周囲から見つかりづらいところにある。隠れるようにして、何を考えていたのか……。
クロヴァは時計をしまい、疲れた顔で微笑みかけた。
「あなたの無事が確認できてよかった」
聖女祭は、いつもジルコニアが死んでいた日。ジルコニアの回復はクロヴァに報告されていたが、こうして顔を合わせるのはあの日以来だった。
「クロヴァ様のおかげです。どのように感謝を申し上げたらいいか」
「そんなものはいらない。俺がほしいのは――」
クロヴァの顔から表情が消えた。
次の瞬間、ジルコニアは彼に抱きしめられていた。
ジルコニアは驚き、声を出そうとしたが、力強い抱擁に強く息がうまくできない。
耳元に苦しそうな熱い息がかかった。クロヴァはジルコニアの髪に頬を強く押しあて、低い声でささやく。
「今日を生きのびてくれたら、俺はもう、何も望まない。俺は……」
クロヴァはぐっと奥歯をかみしめた。その先の言葉を出すまいと、かみ殺したようだった。
しかし抑えてもなお、かすれた声が漏れる。
「……ジルコニア」
クロヴァは彼女の肩に口元を強く押しあて、自身の口を塞いだ。
ジルコニアは、触れている彼の唇がわずかに動くのを感じた。その言葉はどんなに耳を澄ませても聞き取れない。
しかし、彼女には、彼が何を言おうとしたかわかった。
こんなに強く抑えつけても、心を突き破り伝わってしまう感情。
――――愛している。
ジルコニアの胸の中で熱い気持ちが沸き起こり、涙になって目からこぼれ出た。
ずっと欲しかったもの。
いつも手遅れになってから気付くもの。
クロヴァの背中に手を回し、彼に応えるように力を入れる。
「私も……」
そのとき、すぐ近くで足音がした。
はっとしてそちらを見ると、白い衣装に身を包んだ女性と目が合った。
ジルコニアは思わず叫ぶ。
「ダイヤ様っ……!」
クロヴァはジルコニアの口にした名前に驚き、慌てて離れるが、見られてしまった後では遅かった。
ダイヤは呆然とした顔で2人を見た後、わなわなと震え出した。
「……クロヴァ様、やっぱり、ジルコニア様のことが好きだったんですね」
「違う、これは」
「大好きって言ってくれたのに。その言葉を信じてがんばったのに!」
ダイヤは半狂乱になって首を左右に振った。クロヴァは取り繕おうと近寄るが、ダイヤは大声で叫んで拒絶する。
「2人で私を騙したんだ! 私のこと、好きじゃなかったんだ……! ひどい……クロヴァ様も、ジルコニア様も、大っ嫌い!」
真っ赤な顔でクロヴァを睨みつける。そして、白い裾をひるがえして走って逃げていった。
追いかけようとしたクロヴァを、ジルコニアのか細い声がとめる。
「まって……」
ジルコニアは自身の胸元の服を握りしめていた。
心臓が刃物を突き立てられたように痛み、顔から血の気が引いていく。
「ジルコニア……!」
その様子を見て、クロヴァは反射的に彼女を抱きしめた。ゆっくりと地面に横たえ、肩を抱いて仰向けにする。
ジルコニアはクロヴァの腕に頭をあずけ、ぐったりとする。
「駄目だ、ジルコニア、駄目だ」
クロヴァはうわ言のように繰り返す。
「駄目だ。やめろ。嫌だ、死なないでくれ、ジルコニア」
クロヴァは震える声で呼びかけるが、ジルコニアの呼吸は細くなっていく。
「いま、いまあいつを追いかけるから。誤解だって伝える。それまで耐えて――」
「そんな、時間は、ないわ……」
ジルコニアはようやく、自分の大きな間違いに気付いた。
(クロヴァ様は私を愛している)
彼の思いをわかっていたのに、自分に自信がなく、信じきれなかった感情。たったいま、本当の意味で理解した。彼の本心と、自分の本心。
クロヴァと聖女が一緒になったら、次は彼の心が死ぬ番だ。
自分も彼も心が死にながら、ただ生きながらえるだけ。
誰も幸せにならない、なにも救われない、死よりも残酷な結末を迎えるだろう。
彼からの愛を信じればよかった。
自分の心に耳を傾ければよかった。
そうしたら、こんな簡単なことに、すぐ気付けたのに。
ジルコニアは震える腕を動かして、クロヴァの頬をなでた。
クロヴァは苦しそうな表情で言葉を吐き出す。
「死ぬ君を見るのは、もう、耐えられない。俺は……これ以上は……」
ジルコニアはクロヴァを慰めるように頬をなでる。
「おねがい、もう一度だけ、繰り返して。次は絶対、あなたを、幸せに――」
彼女の手がゆっくりと止まり、音もなく地面に落ちた。
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