17:彼を助ける方法
太陽が傾き始め、ジルコニアの自室の大きな窓から、部屋の深い位置まで光が差し込んでいた。
じきに外は暗くなる。部屋着の着替えを手伝ったメイドが「空気が湿っているから明日は雨になるかもしれませんね」と話していた。
ジルコニアの頭には、さきほど告げられた医者の言葉が繰り返されていた。
『心臓の病気ですね。余命は半年ないかもしれません』
彼女はこれが意味することを理解していた。
(――1ヶ月後の聖女祭の日に、私は死ぬ)
ジルコニアはベッドの中で身を起こし、ぼんやりと空中を見つめていた。彼女の顔色は青白く、目には光がなく、失望と諦めが混ざり合っている。
その深い混沌の中で、彼女はかすかな可能性を手繰り寄せようとしていた。
暗闇の奥底でようやく見つけた、残酷な選択肢。
(聖女の負の感情が死を招くのなら、聖女が望む未来を作り出せばい……)
バタンッ
突然、ドアが勢いよく開かれた。部屋に飛び込んで来たのはクロヴァだった。
ジルコニアの容態が落ち着いたあと、クロヴァにも一報を入れていた。
到着が早いことからして、報告を受けた直後に職場を出たのだろう。騎士団の濃い藍色の軍服姿のままだった。
クロヴァは入り口で立ち尽くす。
額には汗が浮かび、顔から血の気が引いて青ざめていた。
ふらついた足取りでベッドの枕元へと進み、彼女のすぐ横で、崩れるようにして両膝をついた。
「大丈夫か」
声は動揺で震えていた。
ジルコニアは微笑みながら、彼の不安を和らげようと優しいまなざしを向ける。
「見ての通り、いまは元気です」
「胸を押さえて倒れたと聞いた。痛みは?」
「いまは、気になるほどではありませんわ」
「他に痛いところは?」
「ありません」
「医者は何と言っていた?」
どう伝えようか迷うが、その迷う姿こそクロヴァを不安にさせるだろう。
ジルコニアは端的に伝えることに決め、短く息を吸ってから答える。
「心臓の病気で、余命は半年ないかもしれないと言われました」
クロヴァの目が驚きに見開かれ、すぐに絶望へ変わった。「なんで……」とやり場のない感情が吐息とともに漏れ出る。
「……聖女と何かあったのか?」
クロヴァはすぐに核心を突く。
遠回しに伝えようとしたが、彼はすでに気付いている。ジルコニアは言葉を慎重に選びながら説明した。
聖女はクロヴァを降臨する前から神秘の記憶で知っており、好意を抱いていたこと。
自分とクロヴァが婚約済みであることを告げると、聖女が取り乱したこと。
その直後に心臓が痛くなったこと。
「――ですので、おそらく聖女様の嫉妬の感情で、こうなったのかと思います」
「聖女の嫉妬? 俺と結婚できない、から……?」
クロヴァの呆然とした表情が、みるみる憤怒の色に染まる。
「そんな下らない事で殺すのか……!」
「聖女様の無意識の作用なのでしょう?」
「そう、だが……。聖女の気持ちは本当なのか? 今まで1度も言われたことがない」
「彼女の周囲にいた令嬢が口止めしていたのだと思います。自分たちに有利に働くような男性と結婚させるために」
クロヴァは拳を握りしめ、眉間に深くシワを寄せて目を閉じた。怒りの感情をこらえているようだった。
ここで感情的になっても何も解決はしない、とお互いに分かっていた。クロヴァはしばらく考えたあと、低い声で言う。
「いますぐ聖女に説明にあがり、感情の整理をつけていただこう。そうすればこの問題は解決するはずだ」
「逆効果ではないでしょうか。恋の相手から、告白もしていないのに断られるのは、深い傷になります」
クロヴァは途方に暮れた顔をする。
「では、どうすれば……」
「私にひとつ、考えがあります」
ジルコニアの言葉に、彼はすがるような目を向けた。
「助かる方法があるのか? 教えてくれ、何でもする」
「私との婚約を破棄して、聖女様と結婚してください」
クロヴァの表情が固まった。
ジルコニアは続けた。
「聖女様があなたに向ける感情は非常に強く見えました。逆にいえば、聖女様のお望み通りにすれば、心が落ち着くはずです」
「なにを……馬鹿なことを……」
「聖女様の思いに応えるだけで助かるのですよ」
「これ以外に方法はありません。クロヴァ様にはもう、私の死という重荷を背負っていただきたくありません」
「……俺は望んで繰り返している」
「私からあなたを解放したいのです」
「違う、違う……」
クロヴァは首を左右に振るが、それ以上の言葉は出なかった。
ジルコニアはクロヴァの手を握り直して、微笑みながら懇願する。
「私を生かすために、聖女と結婚してください」
どれほど残酷な言葉であるか、彼女は理解していなかった。心からクロヴァのためを思い、繰り返す悪夢を断ち切る最良の手段と信じて提案した。
クロヴァは、彼女の善意からの言葉とわかっていた。
だからこそ――心が折れてしまった。
彼女にとっては、いつまでも『先日会った婚約者』のまま。思いは届くことなく積み重なる。
しかしそれでもよかった。どんな苦難も耐えられた。彼女が生きて、
クロヴァはすべてを諦めた。今まで何度も絶望し、諦め続けてきたが、今度こそすべてを――自分の人生も諦めて手放した。
彼女の幸せこそが自分の願いだからだ。
「……それは、君の心からの言葉だろうか」
「はい」
その返事を聞いて、クロヴァは握っていた手を離して立ち上がった。
部屋はいつの間にか夕暮れで薄暗くなっていた。
窓からの光はベッドの中のジルコニアと、立ち上がったクロヴァの足をオレンジ色に染める。
彼の顔は暗がりの中にあった。
しばらくの沈黙のあと、クロヴァは低い声で言った。
「君が望むなら、従おう」
「ありがとうございます」
ジルコニアは心底ホッとして、安心しきった表情になった。
クロヴァは彼女へ手を伸ばし、小さな頭を少しだけなでる。その瞬間、彼女を抱きしめたいという衝動がわきおこるが、彼はそれを押しとどめた。
「……聖女との交流は、俺に任せてほしい。君を必ず助ける」
「お願いいたします。これでようやく、希望が見えましたね」
希望なものか、とクロヴァは思うが、微笑んで本心を隠した。
2人の婚約は正当な手続きで破棄された。その後、クロヴァとダイヤが親交を深めるにつれ、ジルコニアの体調は目に見えて回復していった。
この日以来顔を合わせることはなくなったが、ジルコニアは体調の報告だけは行っていた。彼から届けられる事務的な返事が、彼女の唯一の楽しみだった。
そうして、聖女祭の当日を迎えた。
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